43歳ー6
「温かい空気は上へ、冷たい空気は下に行きます。そのため、遥か天空の空気は、熱くて堪えられないものだと考えられていました」
ダンジョンボス攻略の準備は、日常の合間に進む。
今日もいつも通り、午前中はノエルさんの授業だ。生徒は4人。僕と、若い男性奴隷のカイとジュン。それから、中年の女性奴隷のマキさん。
マキさんは生徒用の奴隷として購入した。戦闘には向かず、そのため事務作業で手伝ってもらおうと思ったが、手先が不器用でそれも続かず。
結局、とりあえず勉強してもらうことになった。学校の目的通り、いろんなことを試してみて、ダンジョン攻略のためにできることを探してもらている。
今日の授業は物理だ。僕は少し苦手である。
「ですが近年、気球というマシンが発明されて、この定説が覆りました。標高が上がれば上がるほど、気温が下がることがわかったのです」
「先生。気球ってどんなものなんですか?」
「カイくん、いい質問ですね」
ノエルさんは質問されると喜ぶ。カイは軽い男だが、人を喜ばすツボを抑えているのかノエルさんのためによく質問している。
それに対してジュンは、引っ込み思案だが真面目なので、よく悩んだ末に稀に質問している。
「風船のようなものです。すっごい大きいんですよ。こーんなに!」
そういって広げた腕は、13歳の肉体のせいで短い。子供が頑張ってるようで可愛らしい。
ノエルさんは現在、一人で教師をしている。分身した片割れは旅に出させて、色んな経験をさせているそうだ。
ノエルさんの授業のあとは、ニナさんによる戦闘訓練の授業である。
最終的にはこの授業も、ノエルさんが教師を担う予定だ。現状ではまだ教えるだけの技量がないため、ノエルさんも生徒として参加している。マキさんは非戦闘員なのでいない。
この日のテーマは「歩行法」。
もうすぐ行うダンジョンボスの攻略のため、即戦力となる技術を教わる。
「アクトは特にしっかり身につけな。
そう。今日の講義は足音を消す歩行法である。明らかに僕のためのものだ。他の3人の役に立たたないとは言わないが、必要性が段違いである。
しかし、そんな僕はどうしようもなく下手くそだった。
「ニナさん。これ、できてます?」
「できてないな」
「ですよね」
歩くたびにペシペシ鳴ってるし。
「アクトは体重も軽いから、すぐにできるようになると思ったんだけどね。まあ、ボスに挑むまでにできるようになったらいいよ。宿題だ」
「宿題ですか……」
うまく出来ないことも悲しいが、ノエルさんとジュンとカイがすぐに身につけたのがショックだ。
僕はいつもは器用な方だから、すぐにできるようになると思ったのに。まさか一番最後だなんて。
そんなこんなであっという間に日々は過ぎ、ダンジョンボスに挑む予定の2ヶ月がたった。
「ぶっちゃけ、今回はイケると思います?」
僕は前回ニナさんがやられる姿を思い出し、少し憂鬱だった。26年も前のことである。
「どうだろうね。作戦がどこまでハマるか、だね」
ニナさんに怯えた様子はない。強がっているだけなのか、僕には判断がつかない。
「カイとジュンはなかなかのもんだよ。もう、5年は教えてるからね。まだ多少の甘さはあるが、贅沢は言ってられないさ」
最初の生徒となった彼らは、僕たちと違って長寿ではない。のんびりしていると死んでしまうし、そうでなくてもすぐに全盛期を過ぎてしまう。
ニナさんの肉体年齢の都合もあるので、全員が万端の準備で挑める機会はそう多くないのだ。
「それに、今回はアクト。あんたが主役だよ」
ニナさんが僕の背中を叩く。相変わらず力が強い。ポン、というよりドカッだ。
「あんまり、自信はないです」
「まあ失敗してもいいさ。何度でも挑めばいい。だからアクトは死ぬなよ。カイとジュンの死を無駄にせずに、必ず何かを学べ」
「二人は死ぬ前提なんですか……」
ニナさんが不穏なことを言いながら笑う。
「まあ、失敗したら死ぬだろうね。
「はあ。そうですよね」
気が重くなる。彼らと5年間も過ごしていると、それなりに仲良くなるものだ。
「どうにか生き延びてほしいです」
「それが一番いい。けど、人間死ぬときは死ぬからさ。そこで何かを残してあげる、次につなげるのがあたしとアクトの仕事さ」
そうして、ニナさんは微笑んだ。
いよいよ決戦の刻である。
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