第13話 弥里の草葉

 

「まだ暑いですねぇ…」

「そりゃそうよ、夏だもの…」

 都が管理人代理を仰せつかってから、白河は美紗子について朝から徳の間の資料室に行くことが多くなり、自然と都が管理人室にいることが多くなった。

 そして、美紗子は朝から徳の間に入り徳を積んだ後、そのあと天国共用領域で昼夕の買い物を済ませてくると管理人室にいったん入ることが多くなった。

「白河さん、何の勉強してるんでしょうねぇ…」

「まぁ、徳の間涼しいからなぁ…勉強もはかどるってもんでしょ」

 煉獄荘は全室冷暖房が入っているが、そこまで暑くもないので冷房を入れずに美紗子は縁側で、都は管理人室の入り口に座ってダラダラしている。

「ただいま~♪」

「あ、弥里さんおかえりなさい」

「弥里おかえりー」

 普段から笑顔は絶やさないが、今日はスキップしそうな勢いで弥里が帰ってきた。

「あ、弥里さん、カントリーマアムありますよ」

「いいねぇ、いいお茶買ってきたから、入れよう!

 都も飲むっしょ?」

「無論であります、弥里大尉!」

 そう言って、都は管理人室のヤカンに火を入れた。

 

「そういえば弥里さん、今日は何かいいことあったんですか?」

「ふ? ほうみへふ?」

「はいはい、食べながらしゃべんないのね」

「んっ…んっ…」

 ゴクリ。

「え? そう見える神原ちゃん」

「ええ、すごく楽しそうですよ」

「そっかそっか、そう、そうなのよ、神原ちゃん!

 アタシはすごくキゲンがいいのさ!

 あ、都!」

「むぐ?」

 顔を上げるだけで都が返事をする。

「…食べ過ぎじゃない?

 …まぁいいや、あとでアタシもう一度出てくるから、ヨロ!」

「むぐ!」

 都はついに口の中を空にすることなく、弥里に答えた。

 

「さぁ~て神原ちゃん、午後はアタシに付き合ってくれっかな」

「へ? ええ、いいですけど…どこへ?」

「徳の部屋…正確には草葉の部屋ね」

「あ、はい」

 これはどうやら機嫌がいいこととかかわりがあるようで、その理由を教えてくれる、ということなんだろうと美紗子は理解した。

 

「さて、久々でしょここ」

「いや、何回か…姉の様子を見に…」

「あら、なんで?」

 弥里は「様子を見るような心配ある?」という目をしている。

「いやぁ、あの後もう一度見てたら、あのバカが姉を口説こうとしてまして…。

 まったく罰当たりも甚だしい」

「…あぁ」

 そういえば、美紗子の同僚でどうやら美紗子に惚れていた男性のことのようだ。

「まぁ…ある意味面白いんですけどねぇ…お姉ちゃん、結婚してるし」

「…ぶっ」

「お姉ちゃんに、『美紗子の面影が…』とか言って口説いてるんですけど、お姉ちゃんが既婚者だってなかなか言わないから、口説き続けて…。

 一週間後に、娘を見せられて衝撃のような顔してましたよ。

 ええ、傑作でしたよ」

 そう言って美紗子はいたずらっぽく笑った。

「…まぁ、本題に入ろうか。

 さ、見て」

「あ、ハイ」

 そして、弥里が紐をつかんで映像が流れだす。

 すごく幸せそうな家が映る。

 幸せそうなおばあさんに、優しそうな父母、健やかな息子と娘。

 あたたかな家庭が映し出される。

「あの娘…どうかしら」

「えっと、お母さんの方ですかね」

 おそらく絵の中の母親が、弥里の娘なのだろうと思いながら、答える。

「いえ…縁側に座ってる…」

「えっ!? あのおばあちゃんですか?」

「そう…あれがわたしの娘」

「…えっ、ええ!? 弥里さん、いったいいくつ…いや煉獄荘に来てからどのくらいたつんですか!?」

「えっと…昭和20年からだから…かれこれ80年かしら」

「…ええええ!?」

 とんでもない長い間、弥里はここにいたようだ。

 

「アタシねぇ…あの娘をかばって死んだんだ」

「…」

 弥里が珍しく昔話を始めた。

「昭和20年3月、何があったかは知ってるかな?」

「…太平洋戦争ですね」

「ええ、それも東京大空襲よ。

 夜中、突然空襲警報が鳴って…あの娘を連れて防空壕に向かう途中あの娘が転んでしまって…。

 アタシは夢中だった。

 あの娘に覆いかぶさって…落ちてきた爆弾に当たってしまったの」

「…!!」

「幸い、不発だったから、娘は助かったわ。

 けど、私はそりゃ、ね」

 そう言って弥里は頭をかく。

「娘が泣いてるのを周りの人が知って…何とか避難させてくれたみたいで、娘は無事だった。

 そして、半年後には徴兵されてた夫が戻って…何とか戦争孤児にはならなかったみたい」

 弥里が身を挺して救った愛娘。

 出兵前、決して家事を手伝うような男ではなかった夫が、夫を失った自分の姉とともに、忘れ形見のように育てた娘。

「死んだあと、閻魔ちゃんにワガママ言ったんだ。

 どこかで、娘を見守りたいって。

 天国に行っちゃうとあまり草葉の部屋には入れないから、煉獄荘に入った。

 そのころは何人か先輩もいたけど、みんな徳の部屋で徳を積んで天国に旅立った」

「…そうだったんですね」

 弥里は長い間煉獄荘にいすぎて、別れが当たり前になってしまったようだ。

「私は…娘の成長を見続けて…私は幸せだった。

 けど、もうすぐそれも終わり」

「…え?」

「…娘の寿命が近づいてるわ。

 そしたら…天国に行こうかな、って思ってる。

 お誘いもあるし」

「…そうなんですね」

 弥里の告白に、美紗子は頷いた。

「…さ、帰ろう。

 あんまり神原ちゃん独り占めしちゃうと、都がやきもちやくよ」

「…ですね」

 余り自分のことを離さない弥里が、自分のことを伝えた。

 これで美紗子は煉獄荘の住人になれたのかもしれない、そんなことを思った。

 

「…なんですって? それは本当?」

 ところ変わって、まったく別の場所。

「…まずは手紙を差し出しましょう…」

 その人物は、何やらさらさらと書くと、従者に渡した。

「…あの方は、まったく…」

 

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