第5話 草葉の部屋

「…」

 翌日美紗子が目を覚ますと、すっかり朝になっていた。

 むしろ、太陽はかなり高い。

 目の前にはまだ寝ている弥里だけがいた。

「…そっか」

 自分は今、煉獄荘の弥里の部屋にいるのだと思い出し、閻魔様と秘書の白河は仕事に行ったのだと気づく。

 美紗子はふと、思い立ち煉獄荘の外に出てみた。

 非常にのどかな場所…夏の高原のような気候ですでに日は高いが、過ごしやすい。

「…んっ…うー…」

 伸びをしてみた。

 非常に気持ちいい。

 たとえると、三連休の一日目に遊んでよく寝た後の、予定の無い二日目の朝のような爽快な気持ちだった。

「…ほんとにわたし死んだんだ」

 いまさらながら、生前のせせこましい世界に比べておおらかな気持ちになっている自分に気づいた。

 生前、常に感じていた体のだるさもまったくなかった。

 

 それから煉獄荘に戻ると、弥里が朝食を食べていた。

「あ、神原ちゃん、おかえり」

「あ、ハイ、ただいまです」

「どこ行ってたんだい?」

「いえ、煉獄荘の周りを少し…のどかなところですね」

「あはは、のどかか。そりゃそうだ。

 この辺に住んでるのは、閻魔ちゃんが担当した煉獄荘の住人だけだ」

「…ということは、別の閻魔様が担当する待機の間は別にあるんですか?」

「そうさね…歩いてはいけないようになってるみたいだし、いくら歩いてもいけないようになってるらしいよ。

 ただ、天国のスーパー行くとアタシらと同じように首からカード下げてる人がいるんだけど、それがほかの閻魔様担当の待機の間住人だね。

 まぁ、うちの閻魔ちゃんと仲良くさえやってれば、ほかの部屋の住人とは余り交流もないから…気にしなくていいよ」

 閻魔様を気に入る美紗子には別段関係ないようだ。

「さて、じゃぁ今日は…もう一つ別の部屋に行こうか。

 そっちも紹介しておきたかったからね」

「別の部屋?

 徳の部屋にあるんですか?」

「そだよ、ついといで」

 

 そう言って弥里は、美紗子を徳の部屋に連れてくる。

「ここに別の部屋があるんですか?」

「そう。

 まず図書室…閻魔ちゃんが集めた天国や地獄に関する記録があるんよ。

 時々、閻魔ちゃんとか、別の閻魔連中も来るから、この部屋の中では余り話しかけたりしないようにね」

 徳の部屋の隣に、資料室と書かれた部屋があり、そこには閻魔様と同じような格好の人が数人調べ物をしていた。

 確かに、興味深い部屋ではある。

「…紹介したい部屋ってここですか?」

「いいや、こんな部屋もあるよって説明しといただけ…。

 他の閻魔さんたちも、個々別々に待機の間にこういう資料室を作ってるけど、ほかの閻魔さんも閻魔ちゃんが持ってる気になる知見があれば、入ってこれるのさ」

「なるほど…それにしても本がいっぱい…」

「そうでしょ? 閻魔ちゃんが最年少で閻魔になれたのは、地蔵菩薩時代にとにかく勉強したらしいんだよ。

 まぁ、閻魔ちゃんの地蔵像が建てられたのが図書館の隣だったってのも幸いしたらしいけどね」

 弥里は美紗子に閻魔様についていろいろ教えてくれた。

「さて…今日紹介する本題は、こっちだ」

 そう言って、弥里は資料室の隣にある部屋に美紗子を案内した。

 部屋には『草葉の部屋』と書いてある。

「草葉の部屋?」

「そう…人が死ぬと、葬式を草葉の影から見守ってるなんて聞いたことない?」

「…ありますね」

「そこから命名された、天国の最新鋭現世映写ルーム、通称『草葉の部屋』だよ」

 余りにもなネーミングにずっこけそうになる美紗子をしり目に、弥里は『草葉の部屋』に入る。

「さ、神原ちゃん、この紐を持って自分の家を想像してごらん」

「あ、ハイ…」

 言われるがまま、目を閉じて生前の自宅を美紗子が思い浮かべる。

「お、映った映った」

「えっ!?」

 目を開け、映写されたスクリーンを見ると、生前の自宅前が映し出されていた。

 その様子が違っていたのは、喪服を着た二人の男女が映し出されていたことだった。

「あ、おとーさん…おかーさん…」

「あ、神原ちゃんのご両親か…なんとなくわかるわ。優しそうな顔してる」

 どうやらこれからお葬式のようだ。

 誰のか? もちろん美紗子のである。

 美紗子の両親は喪服姿でどこかに向かっている。

 それを美紗子は想像で追いかける。

「近くの斎場だよね…」

 美紗子がその斎場を思い浮かべると、場面が切り替わる。

 斎場前には『神原家』と書かれていた。

「…」

「結構張り込んだね。いい斎場じゃない」

「…まだ両親も健在ですし、私の貯金もそこそこありましたからね。

 このくらいはできたんでしょう」

「なるほどね…」

 あの貯金の使い方、これかー…と一瞬悲しくなったのはさておいて。

「あ、おねーちゃん…」

「ん? 受付の人?」

「そうです」

「ふぅん…美人じゃない」

 受付は美紗子の姉が一人対応していた。

 そこまでくるような葬式でもないし、妥当なところだろう、と美紗子は思った。

「私…おねーちゃんには何もかないませんでした…最後まで」

「そうなの?」

「ええ…おねーちゃんは美人だし、成績も優秀で…体育は少し苦手ですけど私よりはできて、結婚も早くて」

 そう思うと美紗子は少し悲しくなった。

「…お姉さん、悲しそうだよ」

「…そうですね」

 一応、二人だけの姉妹だったし、そこは悲しくなってくれてるみたい。

 と、そこに見知った顔が入っていくのが見えた。

「…あ、アイツだ」

「ん? 今の男の人?」

 美紗子より二つ年上で、仕事はできるほうだけど、とびぬけてできるわけじゃない、会社の同期。

「ええ、会社のけんか相手です」

「…あの人も悲しそうだよ。

 お付き合いでもしてたの?」

「いいえ…悪い奴じゃないんですけど、そういう風には見えませんでしたねぇ」

 美紗子がそんな話をするうち、映像の中の彼が目に見えて涙ぐむのが分かった。

「…」

 多少、クるものはあるかもしれない。

 あえて弥里は黙っていた。

 そして、映像の中の彼が涙をぬぐうのが分かった。

 これで弥里の中で、美紗子が好きだったのは明白になった。

 男女の喧嘩仲間は自然と一緒にいることも多い。

 おそらく、彼は美紗子が好きだったから構おうとして、喧嘩仲間みたいな関係になってしまったのだろうと。

 しかし、その後、美紗子は弥里の想像もし得ないような言葉だった。

 

「…はぁ、何泣いてんのよあいつ。バカみたい」

 

 その言葉に、弥里は思わず美紗子に振り向いた。

 照れ隠しかとも思ったが、完全にあきれ顔だった。

「何よ、それまで憎まれ口叩きまくって、挙句葬式で泣くとか迷惑な奴ね。

 あーあ、おねーちゃん、困ってるじゃない」

 彼女は本気で彼のことは何とも思っていなかったようだ。

「弥里さん、自分のお葬式なんて見るもんじゃなありませんねぇ…」

「そ、そう? それは悪かったわねぇ…」

 思わず、弥里は苦笑いで謝ってしまう。

「いやいや、弥里さんのせいじゃないですって。

 死んだ人が見守ってくれているって、おかーさんがおばあちゃんが死んだときに言ってたことは本当なんだなーってわかりましたし、両親やおねーちゃんを見守れる手段も判りましたし」

「そ、そう。それはよかった」

「もう、死後まであいつにイライラさせられるとは思わなかった!」

 美紗子はサバサバしたような顔で紐を手放した。

「あ、消えた」

「あ、紐を離しちゃうと映像消えちゃうよ」

「…なるほど…わかりました、今日はこの辺にしましょうか。

 ありがとうございました」

 そう言って二人は草葉の部屋を後にした。


 

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