第32話 死角の会話

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 此処に会話がある。

 それは街中で見られるごく普通の会話と言っていい。ごく普通のというのは別段何か変わっているという事も無く、唯、スマホを手にして会話しているという事だ。

 大阪には北から南へと下る幹線が或る。西本願寺の御堂と東本願寺の御堂を繋ぐ幹線――それを御堂筋と言う。

 その御堂筋の北である淀屋橋から南の本町、心斎橋と下る道筋に芸術家の彫刻が均等に整列されて置かれてる。

 その彫刻一つ一つには作品と共に芸術家の名碑が台座に刻まれ、誰でもその作品の創造者が分かるし、またその前で友人や恋人等の待ち人と待ち合わせることも出来る。

 此処に会話があるというのをもう少し具体的に噛み砕けば、その御堂筋の彫刻側に立ち、会話が存在しているという事を言いたいのだ。

 整然と置かれた彫刻それぞれの前で人が立ってスマホを片手に会話をしている。

 それは御堂筋を行く人々にとっては夫々が独立している姿だと思うことだろう。

 一人がジョルジオ・デ・キリコの前に立ち、また別の一人がオーギュスト・ルノワールの前に立ってスマホで会話をしていたとしても、まさかと思うが誰がそれら彫像の前の会話が或る団体の集合を意味していると思うことか。


 こうしたことはある種の心理的な死角ともいえるかもしれない。人間はそう思うことで自身の想像し得る不幸を避けて、現実的な幸福を得ることが出来る稀有の存在である。


 だからこそ、この団体がこうした場所で会合としてある種の会話をしても、捕まることは無いという判断をしてもおかしくはない。

 心理的視覚に入り込んだ異常を人間は認識しない。であるからこそ、御堂筋を行く人々が立ち止まって芸術作品を見向きもしないのもそういう意味と同一かもしれない。

 現代の芸術作品は優先される現実生活の死角に存在しているのだ。だからこそそうした死角に異常を置いたところで、影に影を混ぜ込ませるだけで、きっとその判別は誰にも分かるまい。


 ――違うかい?


 現代の芸術はそうした死角の中に埋もれているとは思わないか。

 そして彼等の「異常」もまた同じだ。

「異常」とは何か。 

 もしそれが君の耳に会話として聞こえたとしても、きっと何も感じない筈だ。

 死角とはそんな意味なのだからね。



「――加藤君」

 スマホ向うで声が響く。

「アレ、手に入れたそうだね」

 再び声が聞こえた。

 加藤が答える。

「手に入れたのはいれたけど、まんまと騙されたよ――サスケさん」

「騙された?」

 サスケと呼ばれた声が反応する。

「どういうことさ?」

「いや、何とさ、彼等から奪ったのを確認したら、まんまとフェイクを掴まされた」

「フェイクだって?」

 驚くサスケの声がする。

「そう、何と言うか完全なフェイク。見事なまでのね。何だろう、こんなことを予測して行動できるようなキャラじゃないと思ってたんだけどね」

「そうかい。じゃ、仕方ないね。また取り返すだけだ」

 サスケが声を絞るように言う。

「そう取り返すだけ」

 加藤が答える。

 すると二人の会話向うでまた誰かの声がした。

「加藤君、サスケ君。お疲れ様。モモチです」

 声が聞こえると二人に緊張が走るのが分かる。スマホ向うで不思議とノイズが切れたのだ。沈黙の静まりが相手への敬意だろう。

「報告は聞きました。加藤君は続けて『五線譜』を、それからサスケ君は例の映像…そちらの方を宜しく頼みます。

 ちなみにですが、役所あちらの方は未だにアート建造物を美術館と勘違いして、そちらに警察を送り込んで爆弾捜索をしているみたい。

 どうも、言葉の理解が分からないのか『アート建造物』とメールで書いてあげても美術館と勘違いしている訳だから、やはりこの国のアートに対する理解度と言うのは分かるね…、

 さて壁画グラフティだけど、加藤君の学校以外にも幾つかライターを送り込んで『アート建造物』を増やしておいた。あとはサスケ君が映像でもっと『アート建造物』を増やしてくれれば、こちらは沢山の目くらましが作れるというもんだ。そしてそれが僕等の求める――『イカズチ』の場所を彼等に特定させなく出来るのでね」

「爆弾と言うのは?」

 サスケが言うと誰かのノイズが発生して声がした。

「――ハンゾウっす。サスケ君、僕の風船爆弾、仕掛けておいた。後は時間がくれば膨らんで爆発するさ。中から特大のミネラルウォーターをぶちまけて。きっと真夏の涼しいシャワーになるだろうね」

 最後にくすりと笑う声が聞こえた。

 それに頷く加藤。

 その加藤がモモチに訊く。

「それでモモチさん――『イカズチ』の眠る場所って言うのは大体、分かってるんですか?」

 モモチが小さな間を措いて答えた。

「…そうだね。例の五線譜が揃えばオリジナルの歌詞が繋ぎ合わせられて、これで地図が完成する。そうすれば――改めて、行政むこうと強気で交渉できる。まぁ…『イカズチ』の事を相手がどれくらい理解するかによるけどね。

 さぁ皆。これで解散しよう。

 アートは決して死角に在ってはならない。全ての物事に優先して生活の中で存在しなければならないんだ。この御堂筋は僕等『SHINOBI』が生まれた聖地。こうした死角をこれから絶対作ってはいけない…では、皆、宜しく頼むよ」

 その言葉を残してモモチと言う存在が消え、続いてハンゾウと言うのが消えた。二人のノイズが消えた後、二人が残った。


「…で、加藤君。いつ取り返す?五線譜」

 サスケが加藤に言う。

「そうですね。また補講があるでしょうから、その時に」

「そう。手伝おうかい?」

「もし、困るようならお願いします」

 加藤が答える。

「了解、あの学校は僕にとっても思い出深いからね。いつでも忍べるよ、夏休みなら」

「ですか」

 加藤が手をくるくると回した。

「そう」

 サスケが答えると加藤の手が止まる。止まると顎を撫でた。

「それよりも?」

「何?」

 サスケが加藤の問いかけに耳を向ける。

「少し手伝ってほしいことがあります」

 加藤が顎を撫でた手を止めた。何か思案をしている。

「手伝って欲しいこと?」

「…ええ、ちょっとですがね」

「分かったよ。手伝おう」

 サスケが即答する。

「ありがとうございます。では打ち合わせは別の場所で」

「了解」


 サスケがそう言うとスマホが切れた。そのスマホが切れる瞬間、加藤の鼓膜奥に聞こえたのは何かが路面を転がる音だった。

 






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