第4話 凶刃





 私達の飛び込んだ門の向こう側、クーネロイス城内は異様な静けさに包まれていた。



 破砕した門の欠片以外に埃1つなく磨かれた美しい石材の床、豪華絢爛と呼べるような調度品はないが、ただ広い空間がそこにあるだけ。



 周囲の壁や柱も石材を用いているのか──



 窓1つない広いだけの空間にどこか圧迫感を覚える。



「ここから進める扉は奥の両開きだけか


 アル、人の気配はあるか?」



「ねぇんだなこれが、歓迎無しってのは気味が悪い」



 警戒しながら私の前に躍り出た二人は部屋の周囲を見渡しながら部屋の中央へ向かって歩いていく。



 私もそれに着いて歩いていくと、ふいに背後から気配を感じた。



 思わず振り向いて構えたが、そこには何もおらず、緊張が高まる。



 そんな様子を伺った前の二人も警戒し、周囲に注意を向け、私達は互いに背を預けた。



 そんな折りに、部屋のどこからか声が響く。



「──あーあ、門を壊してしまったんですね


 修繕に苦労するので、そういうのやめて欲しいんですよねぇ」



「誰だ!?


 何処にいる!?」



 少女のような愛らしい声で呆れた様子の言葉を漏らした姿の見えない誰か。



 それに怒号で応えたのはレオン。



 酷く気の立った彼は顔を真っ赤にして今にも斧を振り回しそうな勢いで辺りを睨みつけている。



「ここですよ、こ・こ」



 次に少女の声が聞こえたのは、特に、レオンに張り付いて、彼の耳許で囁いたのか、私とアルは僅かに反応が遅れた。



 肝心のレオンはというと、呆気に取られて静かにそちらを振り向くのみ。



 私達の背後に現れ、そして、私達が見たものは見目麗しい金髪ストレートロングヘアの少女。



 白のブラウスに赤と橙のチェックスカート、見目麗しい顔には小さな眼鏡を掛け、には細身の直剣を携えている。



 私を含めた三人と比べても小柄で華奢な少女は微笑んだまま、レオンの背を下から上へ指でなぞった。



「あぁ、武器は降ろさなくて結構ですよ


 もう一度拾わせるなんて退屈な時間を増やすだけですので」



「てめぇ……!」



「レオン・アンダーソン、機動斧の勇者、メルデリンに雇われた腕利きの傭兵


 お話は伺っていますよ、えぇ」



 彼女は怒りに震えるレオンを他所に、ふんふんと鼻を鳴らしながら悠々と部屋の奥へ歩いていく。



 ここまで頭に血が上っているレオンが全く動かないことが不思議だったが、彼女がレオンの正面に立った所で、私達は恐る恐る彼女の居る方向へ身体を向けた。



 レオンは相変わらずピクリとも動いておらず、不自然に固まっている。



「さて、もう良いですよ」



 少女が指を鳴らすと、レオンが膝から崩れ落ち、両手を地面に付け、肩で呼吸を始めたのだ。



 数回咳き込んだレオンが口を拭って立ち上がると、少女は悪戯っぽい笑みを浮かべて舌を出した。



「移動に貴方の影を使わせて貰ったんですが、大層な暴れん坊だと聞いていたので、影踏みをさせて頂きました


 でも、聞いていたよりも口数は少ないですし、ひょっとして臆病な方なんですかねぇ?」



 少女の煽り文句を受け、遂にレオンが走り出した。



 しかし、それ自体はよくあること、私とアルが止める間もなく飛び出した彼を援護すべく、アルがレオンに遅れて走り出す。



 私も少女へ向け、拳を突き出して狙いを定めた。



「ふふ……!」



 彼女の笑みが変わる。



 憎たらしく口角を上げ、遊んでいたオモチャが自分の思ったように動いた、そんな時の笑み。



 振り下ろされた巨大な斧の一撃を、刹那にで振り抜いた細身の剣がいなし、返す刃をレオンの肩に置いた。



「はーい、これで1回死んじゃいましたね!


 あ、槍使いさんもちゃんと止まってて偉いですよ〜


 そこから先に進んでいたら彼の首が飛んでいましたから!」



 彼女の言葉通り、アルは脚を止め、少女の様子を伺う。



 いや、そうではない。



 今、アルの居る距離は彼女の射程距離キルゾーンにあるからだ。



 肌感覚で、接近戦の心得があるならば、彼女の行動速度や技術を見て一瞬で理解出来る。



 彼女は異様な程腕の立つ剣士だ。



「お嬢ちゃんとんでもないな……


 こんな出会いじゃなきゃデートに誘いたいね」



「槍使いさん……


 えーっと、アルビオン・ロゥさんでしたっけ?


 すみません、殿方からのお誘いはお断りしているんです


 あんまり安直に逢瀬するのはママが良い顔をしませんので」



 アルの言葉へ気恥ずかしそうに返事をした少女は、頬を掻きながらレオンを蹴り飛ばし、剣を降ろした。



 蹴り飛ばされたレオンはというと、アルの横まで弾き飛ばされ、天を仰いでしまっている。



 チャンスか?



 そうでもない。



 彼女は相対してからずっと笑顔のままだ。



 自分達を過大評価する気はないが、それなりの戦績を持つ傭兵3人を相手に、まるで子供をあやすように微笑んでいる所もそうなのだが──



 



 そういうプレッシャーのようなものが私達の心臓を掴んでいるようで、否が応でも身体が強ばる。



 まるで命が掌の上で転がされているようで、戦場で感じる、生と死の境い目に居る時のヒリついた感覚とは違う一方的な死の押し付け。



 彼女にとって我々は赤子と相違ないらしい。



「さあさ、立ってくださいレオンさん!


 貴方はを討ちに来たのでしょう?


 そのような体たらくではに指一本触れることなど出来ませんよ!」



 両手を2度3度と叩きながら煽る彼女はまるで子供を叱る母のよう。



 そんな彼女の態度にレオンは、いつものような怒りに満ちた表情を1つも浮かべず、ただ呆れた様子でゆっくり立ち上がる。



「お前がどういう立場か分からんが……


 そこまで煽られりゃシラケるってもんだ


 邪魔するってんなら、本気で潰す」



「最初からそうすればいいじゃないですか


 頭が冷えないと本気が出せないなんて三流の言い訳ですよ」



「傭兵に一流も二流もねぇ


 英雄なんて呼ばれちゃいても、所詮ドブネズミだ


 鼠には鼠なりの足掻き方があるってのを教えてやる」



 今まで聞いたことのない落ち着いた声色で啖呵を切ったレオンは斧を構え直し、アルと私にアイコンタクトを送った。



 死を覚悟した、といった所だろう。



 少女の言い分ではないが最初からそうしろと言いたい気持ちを抑え、私も二人の横に並んで拳を構えた。



「魔術使いまで前に出ますか


 確か貴方は──」



「アリカよ


 以上でも以下でもない」



「なるほど、


 では、鼠らしく駆除してあげなくては!」



 少女が真っ直ぐに剣を突き立てるように構えたと認識した次の瞬間、僅か1.5パース正面の位置に彼女は現れ、私の喉目掛けて腕を突き出した。



 瞬間移動と見まごう速度に反応の遅れる2人を他所に、私は腰を落とし始める。



 迫る剣はに阻まれ、その切っ先が私の頭の右横へ逸れていき、その隙を突いて私は彼女の懐へ飛び込んだ。



「──術式解封マギア・リベラティオ



 踵を浮かせた左足をバネに、腰を右へ向けて捻り、左の拳を彼女の右脇腹へ突き刺す。



 接触と同時に、先程門を破砕した魔術の小型版、小さな雷の槍を拳から撃ち放った。



 僅かに少女の笑顔が歪み、腰が横へ跳ね、後退を試みた彼女が、前に出ている左脚に力を込める瞬間を狙い、私は即座に右脚を彼女の足の内側へと踏み込む。



 驚嘆した様子の彼女をじっくり眺めることコンマ1秒、右手による掌底を彼女の水月──



 鳩尾へと叩き込んだ。



 めり込んだ掌の感触を感じている内に、次の魔術を撃ち込む。



「──死に至る熱波モータ・カロア・フルクティス



「──ッ!」



 声にならない悲鳴を小さく挙げた少女から笑顔が失せ、その表情が歪む。



 急ぎ離れようとする彼女を追うようにして手首を内側に回して掌を捩じ込んだ。



 続けて、門前で使用した圧縮空気弾を放つ魔術を応用し、作り出した圧縮空気をその場で炸裂させた。



 彼女は軽々と後方へ吹き飛ばされ、レオンと同じように仰向けに倒れて天を仰いだ。



 尤も、レオンとは大きな相違点がある。



 それは彼女の目や耳、鼻や口などあらゆる箇所から血液が噴き出していること。



 身体を小刻みに痙攣させた彼女はしばらく大人しく倒れたままだ。



「やりやがったなアリカ」



「条約違反だとかの冗談は無しにしてよねレオン


 さっきのアンタとそっくりにしてやったんだから」



「でもアレで死ぬと思うか?」



吸血鬼ヴァンパイアがそう簡単に死ぬもんじゃないわ


 分かるでしょ、アル」



 先程の魔術「死に至る熱波モータル・カロァフルクティス」は、調を触れた相手に直接流し込む魔術だ。



 最も適した相手は人間だが、血液が身体に循環している生物であれば一定以上の効果がある。



 私の左右に居る2人はこの魔術のことを知っていて、必要以上の苦痛を対象に与える魔術は行使してはならないという国際条約に違反するような代物であることも同じく留意している筈だ。



 が、あくまでそれは東大陸に住む平和主義者が唱えて決めた勝手なルールに過ぎない。



 西大陸こちらの戦場では、苦痛に歪んで死ぬことなど日常茶飯事だというのに。



 殺らなければ殺られる。西大陸ここはそういう場所だ──



「さぁ、早く立ちなさいよ


 私は名乗ったんだから、アンタも名乗るのが礼儀ってモンじゃない?」



 深い溜め息を吐いた少女はフッと笑みを取り戻し、ゆらりと立ち上がった。



「いやはや、本当に規格外なんですね貴女


 そこの2人はともかく、貴女に関してはママが言っていた通り、油断なりません」



 少女は鼻の右側を右手の親指で押さえ、勢い良く鼻に詰まった血液を放り出すと、両目から流れ出た血液を左手で拭って口元へ運ぶ。



「ですが、ただの鼠に名乗るつもりはありませんので、そこの二人にはご退場頂いてから……


 続きは2人きりで致しましょ?」



 舌なめずりをした彼女が背筋の凍るような不敵な笑みを浮かべたと思うと、再び視界から消えたと感じる程の速度で、私の右隣に居たアルに目掛け、剣を突き立て、弾丸の如く飛び込んだのである。



 刃こそ避けた様子のアルだったが、彼女の二の手、剣を持っていない方の手で私の掌底を真似たような一撃を浴びせ、アルは壊された門の横の壁に激突した。



 吸血鬼ヴァンパイアなだけあって、とんでもない膂力だ。



 そのまま羽のように軽い脚取りでレオンの背後を取った少女は改めて剣をレオンへと突き立てる。



 だがそこは彼も手練、一度受けた不意打ちが二度も通じることはない。



 少女が突き立てた刃に対して、目視確認するでもなく斧の柄でいなした彼は、剣の軌道を逸らすと同時に斧を手の内で回し、その無骨な刃が足元から少女へ迫った。



 咄嗟に反応した彼女が飛び退いた隙を狙って私は『火炎の雀蜂フランマ・グランス』を彼女の着地地点へ照準し、撃ち放つ。



 指先ほどの大きさの火炎弾を速射するこの魔術だが、この場面では集弾性を高めることが重要だ。



 出来る限りばら撒かないように調整された無数の火炎弾に、着地した少女は間髪入れず火炎弾を避けながら素早く左右にステップを踏み、私の方へと跳躍する。



 そこへ、まるで一筋の矢のように飛び出してきたアルが少女を宙で捉えた。



 アルの突き出した槍が少女の腹部へ突き刺さり、着弾と形容するに相応しい衝撃で石畳の床まで押し込み、少女を堅い石畳に叩き付ける。



 そして、無造作に少女から槍を引き抜くと、私とレオンの元へと跳び戻った。



そらのデートも悪くねぇだろ嬢ちゃん!」



「いい一撃です!


 思わず逢瀬に応えそうになっちゃいますね!」



 嬉々として飛び起きた少女の腹部の傷はみるみる内に塞がっていき、余裕の表情が今度は悦に浸っているような笑みへと移り変わる。



 七色の笑みを浮かべる少女の紅い瞳がぎらりと光り、またも弾丸の如く跳び出した彼女が次に狙ったのはレオンだ。



 床スレスレに振るう剣の切っ先が弧を描いてレオンの首を取らんと迫る。



 斧を盾にするように構えたレオンだったが、彼女の剣の軌跡が稲妻を描くようにして複雑に曲がり、レオンの防御を振り切った。



 そう思った次の瞬間に見えたのは空を斬る剣、態勢を低く下げたレオンは再びくるりと斧を回し、両手で束を握り、再び少女の胴を狙う。



 レオンの振るう斧を細身の剣で少女は、彼が眉間に皺を寄せた一瞬の内に再び蹴りを彼の腹部へ差し込んだ。



 コレも二度目、斧を持つ腕の力を抜いたレオンは、自身と斧を受け止めている少女の膂力を利用して飛び退き、蹴りを皮1枚の所で避けた。



 レオンが引いたことで射線が開けた所へ、今度は私が彼女の懐へと飛び込む。



 伸び切った彼女の脚へ姿勢を低くし、重心を下げたタックルを仕掛け、転がりながら彼女を押し倒し、マウントポジションを取った私は右拳を振り上げた。



「──爆砕フラルゴ



 右拳に接触点を爆発させる魔術を宿し、それを彼女の頭部目掛けて振り下ろす。



 頬から耳までを紅潮させて目を丸くした彼女だったが、慌てて首を振って拳を避けた。



 つんざくような破裂音を伴って爆発した石畳の床の破片が頭部の左側へ突き刺さったのもものともせず、彼女は私を押し退けて大きく部屋の奥へ向かって跳躍する。



 彼女に押し退けられた私はアルとレオンに受け止められ、改めて私達は少女と対峙した。



 左の頭部に付けたはずの傷もすっかり塞がっているようで、端正な顔立ちを歪ませるには至らず、相変わらず頬は紅く染まったままの彼女は右手で口許を拭う。



「アリカさん……


 鼠のクセにやたら顔が良くて腹が立ちますね……」



「ソレはどうも


 時間があったら一緒にお茶でもしましょ」



「──ぁ!?


 えぇ、是非とも!?」



 今までの妖しげな笑みと打って変わって全力全開、心の底から満面の笑みを浮かべた彼女は、細身の剣を構え、潤んだ瞳で私に視線を突き刺した。



「おいおい、アリカの誘いには乗るのかよ


 レオンが泣いちまうぞ」



「そんなことで泣くかバカ」



「最初に誘ったアルアンタも一緒に泣いてなさいよ」



 私達三人も何気ない冗談で笑った所で、全員、それぞれの武器を構えた。



「しかし、それはそれ、これはこれ


 私もお仕事です


 私の時間ですので、そちらの殿型2人はもう仕留めてしまいますね!」



「へっ、そんな簡単に──」



 アルの言葉が一瞬にして途切れ、その後に続いたのは石畳に柔らかいものが叩き付けられるような生々しく嫌な音。



 カエルを壁に打ち付けたような、そんな音だ。



 私の左隣に居たアルの姿はそこになく、視界の下方に金色の髪が映り込む。



 驚嘆、焦りと共に恐る恐る、しかし、反射的に金色の髪の持ち主の姿を追って視界を下げた。



 私の目に映ったのは、石畳に倒れ伏せるに留まらず、圧壊した脚部と首の無いアルだったもの。



 そして、壊れた脚部の上にしゃがみ込んだ少女は左手に剣を持ち、右手にはアルの頭部が握られていた。



「まず1つ」



 これはとてもまずい。



 私はより早く姿勢を下げ、レオンの方へと飛び退いた。



 すると、跳躍したレオンが私の頭上を通り過ぎ、手にした斧を少女へと振るう。



 斧に取り付けられた推進器から青白い炎が伸び、斧は先程までの比ではない速度で少女の頭部目掛けて突き進んだ。



 それをするりと避けた少女は、手に持ったアルの頭部をレオンへ叩きつけるようにして腕を突き出した。



 それすらものともせず、返す刃がアルの頭部を両断し、少女の腕が弾け飛んだ。



 だが、肉を切らせて骨を断つとは読んで字の如く、腕を振り上げていたレオンの胸を細身の剣が貫き、レオンの身体の動きが停止する。



「まさか仲間の頭を叩き斬るとは思いませんでした


 流石は英雄、戦場においては無類の非情さをお持ちですね」



「けっ……


 鼠の意地が分かったかよ?」



「えぇ、とっても」



 少女は剣を持つ手を跳ねるように振り上げ、胸から肩口までを斬り裂き、レオンがその場で崩れ落ちた。



「相手が私でなければ、ですが」



 皮肉めいた笑みを浮かべた少女の右手、レオンの斧によって弾け飛んだ筈の右腕は、しゅるしゅると音を立てて飛び散った肉の破片が集まると、あっという間に元通り。



 2、3度握って開いてを繰り返して、私へとにこやかな視線を向けた。



 ──回想終了。



 ここが、私にとって最期の分岐点だったのだと。



 ふと、そんな風に思う。



 どの道、もう戻れないのだから、後悔などありはしないのだけど。




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