第2話 その女は魔王である

「──それじゃあ、本隊は一個分隊だけってことかしら?」



 綺麗に整えられた石畳の部屋、床には鮮やかな模様が装飾された絨毯が敷かれ、天蓋付きのベッドやその横には大きなクローゼットが配置されている。



 ここはクーネロイス独占社領本部、クーネロイス城の城主執務室兼私室だ。



 緩くふわりとした艶のある黒髪、吸い込まれる様な漆黒の瞳、白のカッターシャツに黒のカーディガンを羽織り、レモンイエローのキュロットスカートに黒い革製のロングブーツを履いた女性──



 彼女こそ、このクーネロイス城の主、ヴァレンシアである。



 彼女はそんな部屋の窓際、整頓された事務用の木製デスクの前に座って足を組み、膝の上で両手の指を組みながら対面する二人の女性にそう訊ねた。



「はい、不法入国者はメルデリン王国の第一王子ダルグストンより雇われた傭兵の様でして、五名構成の一個分隊となっています


 内訳は、隊長である竜殺しの英雄レオン・アンダーソンを含めたホーク級の傭兵が三名、ウィーゼル級の傭兵が二名


 情報通りなら、全員相当な腕利きとのことです」



 机を隔ててヴァレンシアと対面する二人の女性の内、透き通る様な美しい金髪、揺らめく泉の様な水色の瞳に小さな眼鏡が目立つ少女が彼女の言葉に応じた。



「一行も直ぐ近くまで来ているらしい


 進行ルート上の自動迎撃装置は全て中破及び大破、観測班の情報によると、装置の損傷がの激しい南東から国内に侵入したそうだ


 隊長のレオン・アンダーソンは我々の戦力から見てもさほど驚異ではない


 レイヴン級以上の階級を持つ傭兵が居ないのも幸運だった


 だが、それでも要注意人物が二名居る」



 そう穏やかな声で確認するのは、彼女に対面するもう一人の女性。



 威圧感を放つ長身、艶めく飴色の長髪を黄色のリボンで束ね、新緑の様に輝く翡翠色の瞳を持ち、長剣を二本腰に携えた人物。



 彼女はセシリア・フラン・ヴァルセル、ヴァレンシアの右腕にして、クーネロイスの軍部を統括する司令官だ。



 その彼女がヴァレンシアへ二枚の書類を机の上に差し出した。



「確認させてもらうわね」



 ヴァレンシアが書面を手に取って目を通すと、僅かに訝しげな表情を浮かべ、セシリアの方へ口頭の説明を求める様にアイコンタクトをする。



「──ホーク級三名の内、残りの二名はそこに書いてある通り、一人はアーデルハイト=ベントン・ウォーバーツ、コイツは主にメルデリン側の傭兵として五年程前から各地に投入されていてな


『ブマルボワンの渡河作戦』、『ディルボール国境侵略戦』の


 他にもそこに書いてある通り、明らかに劣勢な戦線、しかもこの1年を除き、負け戦ばかりに参加している」



「……ブマルボワンはメルデリン側だけで戦死者1万名、ディルボール国境侵略戦は確か、凍死者五千名の酷い戦役だったって報告を受けたのはけど


 ここ五年のメルデリンの負け戦というと、ざっと数えて二十は覚えがあるわ


 あの国、どの戦役も泥仕合になるから指揮官が戦下手って有名なくらいだし


 それで傭兵頼りになってるのは知ってたけど、まさかそんなタマが居るとはね……」



「──もう一名はアリカ、傭兵での登録はファーストネームだけだったが、良く調べてみると面白い事が分かった」



 そう言われてヴァレンシアは書面を改めて確認し、目を丸くしてセシリアへと視線を急いで戻した。



「これ本当?」



「間違いない、彼女はこのクーネロイス領の隣国、オルベルーシ公国の南部の殆どを領地として侯爵、シュトゥルド・アリアル・ヴェッフェ卿の第五子、アリカ・フェルマン・ヴェッフェだ


 そして、同卿含め、自身以外の家族の殺害と屋敷を焼き払った容疑の犯人として同国では指名手配されている


 事が事だけに、卿の死因は事故として発表されていたがな」



「なるほどね……


 アスペルブルグの魔術王にも勝るとも劣らないと言われたヴェッフェ卿を殺めたとあれば、オルベルーシとしても生かしては置けないだろうし


 同時に、傭兵をしていると判ればメルデリンとしては喉から手が出る程欲しいって訳ね


 戦績は──」



「申し分ない、特にこの一年は先のアーデルハイトと共に組んでメルデリンの勝ち戦に貢献している


 異様な魔術を使うとも言われているが、すまない、そこまで詳しい調査は叶わなかった


 それでも、この2人の傭兵としての評価はレイヴン級だとしても遜色はない


 この一個分隊の中では間違いなく頭一つ抜けている者達と言っていい」



 上々よ、と、そう褒めながらヴァレンシアは書類を机に置き、その上で肘を突いて両手を組んだ。



「レイチェル、一行の相手は貴女に任せるわ」



「ふふっ、そうなれば私も大役ですね


 では、準備が出来次第、お母様自ら本日の『ご来客』のお相手をすると?」



 レイチェルと呼ばれた少女はヴァレンシアを『お母様』と呼び、そしてどこか、その『来客』を憐れむ様に妖しげな笑みを浮かべる。



「えぇ、そうよ


 聞いてみれば面白そうな経歴の持ち主も居る事だし、貴女もどう?


 フラン」



 ミドルネームで呼ばれたセシリアがそんな誘いの言葉にフッと鼻で笑い、ゆっくり口角を上げた。



「ふふっ、お母様もママも口元が緩んでる」



「そう?」



 彼女がクスクスと微笑むと、その横でセシリアもバツが悪そうに苦笑する。



「レイチェル、私が門の方で二人程引き留めよう


 あとは任せる


 だが、手加減だけは忘れるなよ?」



「分かってるってママ、お母様の分もちゃんと残しておかないといけないものね!」



「そういう事だ」



 少女、レイチェルにママと呼ばれたセシリアは打って変わって愛らしい笑みを浮かべた少女の頭を一撫でして、激励する様にその肩に手を置いた。



「じゃあ、エントランスで待ってるよ!」



 レイチェルはニッと笑顔を二人に振り撒き、自らの影へ、ずるりずるりと引きずり込まれ、数秒と経たない内に部屋から姿を消した。



「──毎度の事だがお転婆が過ぎるな、あの子は」



 翡翠の瞳から向けられる視線が黒曜石の様な瞳へと注がれ、溜め息を吐きながら愚痴を溢す。



「私達が盛り上がってるから嬉しいのよ


 それに、たまに息抜きをさせてあげないと悪戯が酷くなるもの」



ならば、多少は落ち着いている所を見習って欲しいものだ」



「私達の背中を見て育ったからああなったんじゃない?


 反面教師としては優秀だったのかもね」



 ヴァレンシアがそう笑いかけると、セシリアも呼応する様に微笑んだ。



 が、ヴァレンシアは一つ息を吐くと、今までの緩んだ顔付きとはがらっと変わり、ギラリとした鋭い目付きに変わった。



「それで、報告はそれだけじゃないでしょう?」



「あぁ、お前がこちらの意図を先に汲み取ってしまったから言いそびれたが


 つい先程、またメルデリン王国がこちらへ部隊を派遣したという情報が流れてきた


 詳しい事は分からないが、早ければ一月で領へ侵攻すると見られる」



「一体どうしたのかしらね、メルデリンは……


 こちらとは直接国境線を引いてないのに、まるで目の敵だわ」



 ヴァレンシアが呆れた様な口調で呟くと、悩ましげにデスクに置いていた黒い煙草を咥え、セシリアがオイルライターで火を点ける。



「調査は続けているが、全く動機が掴めん


 メルデリン王国の第一王子、ダルグストンが5年前、将軍に任命されてから強硬策が増えたようには思う


 しかし、それだけが原因ではない筈だ」



「──ま、恨まれる理由なんかいくらでもあるでしょう


 私も伊達に長いことここで死の商人やってないわ


 ここまで正面切られたら、それなりのやり方で分かってもらうしかないんじゃないかしら?」



の働きが見れるという事かな?」



 セシリアが嘲笑しながら目を細め、ヴァレンシアへ視線を向けるとヴァレンシアは肩を竦めて溜め息と共にゆっくり紫煙を噴いた。



 そうして、彼女はどこか虚しそうに自分の指先を見つめ、ぽつりぽつりと言葉を漏らす。



「その名で呼ばれたくないから、この千年、大人しくしてたのだけどね……


 私達の企業くにで王政を敷くのは相応しくもないし、時代遅れなのよ


 だから荒事は貴女に任せている訳だし」



「そう言うな、そうであるなら、我々の準備は無駄ではなかったと証明してやればいい


 お前のにも私は惚れているのだからな」



「口説き文句としては最低ね」



 そして、ふと何かを思い付いたようにセシリアの方へと向き、そのまま机から身を乗り出すと、ヴァレンシアの表情はまるで子供が物をねだるような無邪気なものに変わる。



「もっとあるでしょう?


 私への口説き文句!」



「私は君に永遠トワの愛を誓っているよ」



 ヴァレンシアは屈託のない満面の笑みをセシリアへ向け、口付けを強請る。



 セシリアは呆れ顔を浮かべて一つ溜め息を吐き、ヴァレンシアへと顔を近付け、慣れたようにその頬を右手で柔らかく撫で、そっとその唇に自らの唇を重ねた。



 ──暫しの静寂。



 時計の秒針が対岸へ渡った頃、互いに唇を離し、セシリアがヴァレンシアの肩に軽く手をかけ、その目を見据える。



「……上手くやれよ」



「そっちもね」



 セシリアはヴァレンシアの頭を少し撫で、微笑みながら彼女へ向けて手を振り、彼女の自室を後にする。



「……さ、お仕事、お仕事」



 彼女は軽く背伸びをし、クローゼットに手を掛けた。



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