第1話 その獣は魔女である

 世界の大地のおよそ半分を有するアッシュラーヤ大陸、俗に西大陸とも呼ばれる父なる大地。



 ここはその極北の辺境に位置する秘境。



 山々に囲まれた先に港を携え、広大な土地の名を『クーネロイス独占社領』と人々は呼んだ。



 それはこの閑静な森の広がる地で、大規模な農業を、貿易を、そして武具商社を国家規模で経営し、その近隣国の財政をも束ねている規格外の企業だ。



 言ってしまえば、もはやこの企業は極北辺境の国々における中心国家としても扱われている存在である。



 しかしながら、このきぎょうの内情を多く語れる者は居らず、ここにがあるという以外の情報は手に入れられなかった。



 そんな謎多き国の本拠地が、私の見下ろした先に雄々しくそびえ立つクーネロイス城と呼ばれる石造りの城、もとい、このクーネロイス独占社領の本丸だ。



 ただただ静けさの広がる森の一角、崖の端、満月の光に照らされ、私はその城の姿を目に焼き付ける。



 王と呼ばれ、この地を治めながら、近隣国の経済を支える企業の長が住むとされている、辺境の地にポツンと目立つ巨大な城。



 西大陸の国々で言うところのと呼ばれるそれを私は静かに見詰めていた。



 心がざわつく──



 どっ、どっ、と心臓の鈍い鼓動が身体に響き渡る。



 明日の我が身を占うそれが今、私の眼前にそびえているのだ。



 そんな事実に私の手は小刻みに震えていた。



「──何だ、まだ起きてたのか?」



 静かなこの空間で眠そうな声と共に、砂利を踏む足音が唐突に私の意識を現実へと引き戻す。



 赤い長髪に長身、黒光りする眠そうな瞳、常に斜に構えている耳障りな彼の口調。



 に出会い、共に同じ道を歩き、同じ時を過ごしたこの半年足らずで随分と慣れたものだと、私は振り向かず溜め息を漏らした。



「へぇ、お前にも怖いって感情はあるもんなんだな」



「……そんなんじゃないわ


 むしろ血が滾ってるくらい」



 城を見詰めたまま彼に応える。



「ハッ……


 じゃあ、その血の滾りとやらは


 今夜も俺に向けて貰えるのかな?」



 彼は私の肩から首に掛けて両腕を回すように抱き締め、甘い声で囁いた。



 思わず眉間に力が入る。



 同時に彼の右腕を左手で強く掴んで、私は口を開く。



「レオン


 悪いけど、今はそんな冗談に乗る気にはなれないわ


 私はアンタと違って欲の塊じゃないのよ」



「へっ、ご都合主義なこった……」



 彼は悪趣味な笑いを漏らしながら私が掴んでいるその手を私の胸に──



 更に太股へと流す



「つい一昨日は、あんなに俺の身体を求めて来たクセによォ?」



 彼は再び私の耳元で同じ様に囁いた。



「その言葉、そっくりそのままアンタに返すわ


 私は私の目的以外の行動をするつもりは無いし


 アンタの女になった覚えもない」



 彼の右腕を強く握ったまま、私は彼の腕の関節を捻りながら彼の背後に回り込む。



 相手が長身の男だとしても、それは些細な問題だ。



「何なら女王様の頭を吹き飛ばす前に──


 この血の滾りを今すぐアンタにぶつけたって構いやしないのよ?」



 その言葉と共に私の右拳を彼の背、おおよそ心臓の裏側に当て、ぐっと力を込める。



 この行動の意味を理解した彼も、こちらへ振り向きながら掴まれた腕から私の手を外し、驚きと苦痛の表情を浮かべて額から脂汗を垂らした。



 そして、私はゆっくりと握ったままの拳を彼の顔へ向け、狙いを定める。



「私はあの城に棲む女王の首を取りに行く


 私の渇きを、私の飢えを、満たす為に


 それ以上の理由は要らない」



 ──破壊の女王。



 このとち、クーネロイスの長は大昔から何故だかそう呼ばれている。



 人でなしだとか、化け物だとか。



 そんな曖昧な噂だけれど。



 今まで何百年もそこへ向かった実力者も亡骸さえ故郷へと戻ることはないという事実が存在していた。



 何故この西大陸に居を構える王達が躍起になってその首を狙うのか。



 それは、我々にはそう興味の無い事だ。



 戦う事しか知らず、行く宛の無い外れ者の我々に選択肢は無いのだから。



 ──彼は私の言葉を聞くと、僅かに私の目を覗き、軽く呆れた様に舌打ちをする。



にそんな口を聞くたぁ、大層な度胸だぜ」



 そう、故郷に骨を埋める事を叶えられぬ実力者達は皆そう呼ばれ、もてはやされ、外れ者とされた。



 何処へも行く宛の無い忌み嫌われる者達。



 仮初にそう称され、嘲笑混じりに賛美され、国から厄介払いされた外れ者。



 国々の王が、かの女王の首を獲らせようとする理由も、それが理由であるのかと想像にも難くないが、真相は闇の中にあるといっても過言ではない。



 その例に漏れぬ彼も、私に向かって不敵に微笑むと乱暴に私の拳を掴んで退かし、野営の拠点にしている森の方へと歩き出した。



「明日は期待してるぞ


 せいぜい、その血の滾りとやらを女王様に向けられるくらいの体力は残しておけよ?」



 彼は私を一瞥すると、僅かに笑顔を向けて何かを呟き欠け、そのまま森の中へと消える。



 彼は森へと入り、改めて小さく呟いた。



「まるで化け物の目だな、ありゃ」



 吐き捨てられたその言葉に異論は無い。



 紛れもなく、私もまた、かの女王と同じく化け物と呼ばれた存在だから。



 ──私は静かに煌々と輝く月を見上げる。



「同じ化け物であるなら、私は……」



 私の呟きは、満月に吸い込まれるようにして虚しく消え去った。



 ──翌朝。



「──突入は予定通り正門だ


 各自、気を抜くなよ」



 隊の指揮を取るのは赤髪で長身の荒くれ者、背に巨大な戦斧を背負った男、レオンだ。



 彼は巷では有名な傭兵崩れだったが、今回の仕事の依頼主であり、彼とは友人同士でもあった南の大国、メルデリン王国の王子の命により、この大陸極北にあるクーネロイス独占社領の領主ことヴァレンシア・クーネロイス──



 異名を或いはと称される人物の暗殺作戦を実行する部隊の隊長を任されていた。



 傭兵崩れとは言え、ただならぬ実力者であることは確かで、その背に携えた斧を軽々と使いこなし『英雄』と呼ばれるに恥じない活躍をしてきた者である。



「リコル観測手以下、偵察班は予定通りこのまま南へ離脱、各自所定の集落で情報収集を続けろ


 我々の情報が入り次第、即座に本国へ帰還し、王子に報告、それを本任務の完遂としてくれ」



「隊長がそんな堅っ苦しく話してると、これから天変地異でも起きるんじゃないかと思いますぜ


 しんみりは止してくださいよ」



「……ふふっ、およそこれが今生の別れになるやも知れんと思うと、こんな鬱蒼とした森の中ではなく、せめて賑やかな酒場であって欲しかったがな」



「それじゃ、皆さんお達者で


 先に故郷で待ってますんで」



 ニカッと笑ったリコル観測手率いる偵察班の面々は足早に南側へと歩き出し、やがて、森の影に隠れて見えなくなる。



 去って行く彼らを見ている部隊の面々を余所に、レオンの表情を伺うと、やはりと言うか、どこか不安そうな影が浮かび上がっていた。



「……今生の別れ、ね


 死ぬならアンタだけにしてよ


 私達は適当に仕掛けたら逃げるから、隊長らしく、しっかり殿は務めて頂戴


 英雄様なら散っても美談で済むけど、私達は野良犬以下の傭兵崩れなんだから」



 私の言葉に、彼はばつが悪そうに私と、その横で笑いを堪えながら控える部隊の面々を見渡す。



 私も含め、誰も彼もが流れの傭兵崩れ、全員が王子様からのご指名とは言え、どこで野垂れ死のうが名前の判別も付けられず、土の下へと雑多に埋められる存在。



 元より名を挙げているレオンとは立場が違う。



「元貴族の女が言うと説得力の重さが違うなアリカ


 持ってた立場を棄てた女ってのは、どうしてこうも度し難いのかね?」



「お喋りな男は、特に舌に脂が乗ってて良く燃えるって実証済みなのだけど


 レオン、アンタはどうかしら?」



「その辺りにしておけ、アリカ


 無駄口を叩いている暇は俺達にはそうない」



 私を嗜めたのはアーデルハイト、私と近い歳でありながらベテランの傭兵としてこの隊へ参入を推薦された女性だ。



 彼女は私が傭兵を始めるよりずっと前から戦場に生き、その争乱を子守唄にしてここに居る。



 近接武器二刀流の達人で、その両腰には合計六本のサーベルがぶら下がっており、隊長であるレオンを除けば、一番の実力者である事は間違いないだろう。



「そうだぜお嬢さん


 君みたいな愛らしい娘が口汚い事を言うのは、それはそれでときめく所もあるけども


 もっと柔らかい笑顔の方がお似合いじゃないかな?」



「アル、こんな時に口説くのはよせ


 惨めが過ぎると笑えもしねぇ」



 レオンに嘲笑われながら返されたのは、彼の友人でもあるアルビオンだ。



 アルは言わばレオンのお目付け役で、猪突猛進な性格の彼にブレーキを掛け、その実力を遺憾なく発揮させる為の露払いを進んで行う槍使いの男である。



 部隊においては、痒いところに手が届く様な細々としたサポートに富んでおり、ある程度の魔術までこなす事が出来るオールラウンダーと言った所か。



「そうだな、アリカが美人なのは僕も同意するけど


 流石にこの子を口説こうとするのは趣味が悪いんじゃない?」



「そんな風に選り好みしてるから未だに童貞なんじゃないのフォリック?


 それとも貞操を守れてるから、盾の扱いが上手だったりする訳?」



「君のそう言う減らず口な所、好きじゃないし嫌いだよ


 何ならレオンと穴兄弟になるのも願い下げだね」



 この斜に構えた態度の男はこの部隊の最年少にして、一番の変わり者であるフォリック。



 彼は盾使いで、身の丈程ある盾一枚で戦場を渡り歩いてきたラッキーマンだ。



 正直、実力だけで言うならレオンと負けず劣らずなのだが、見通しが甘いのと攻め手に欠けているせいで名を残せていない不遇の男。



「おい、フォリック」



「ん?」



「もう一回言ってみろ」



「本人から聞けば?」



 フォリックが雑に私に視線を向けると、レオンがキッとこちらを睨む。



 コイツ、そんなにそういうことを気にするタイプだったのか。



 英雄色を好む、などと良くいうので、てっきり自慢したいタイプだと思っていた。



「……一回二回抱いたくらいで私を所有物みたいにするの止めてくれない?


 アンタが妙に自信満々になったのがおかしいって聞かれたから、理由を応えただけなんだけど」



「てめぇ……」



「はいはい、この話ストップ!


 続けたらこのあと絶対拗れっから!


 つーか、元々皆知ってっからさ


 お前がアリカに気があったの」



 ある意味空気を読んだアルが私とレオンの間に割って入り、チラッとこっちを見ると軽くウィンクをした。



 レオンは不機嫌そうだが、その根本の原因を作ったのも彼であると気付いて欲しいものだ。



 そもそも、とまでは言わないが、作戦実行数日前までうじうじとうだつの上がらない発言ばかりしていたから、わざわざアルが私に断りを入れ、彼がレオンを後押しした結果、事に至ったので、私としてはそこに思い入れがあまりない。



 というか、ヤツも結局の所、評判は戦績だけのモノで、中身はホントに空っぽな男だ。



 それに応えてしまった私も、言えた事ではないが。



「話はそれだけか、隊長


 痴情のもつれで魔術使いが不調を起こすのは下策だぞ」



「っ……


 各自、侵攻準備!


 俺達の相手はたかだか女一人だ!


 ソイツの首さえ取っちまえば全部終わる……


 行くぞ!」



 レオンはばつが悪そうにしつつも隊を指揮する。



 彼の一声で各々は荷物を持ち、実行部隊である私達も目的地を目指し、東へと歩き出した。



「……フォローありがとうね、アディ


 私も正直、アレの扱いには困ってたのよ」



「気にするな


 俺には色恋の沙汰というのは分からんが、隊長が物怖じをしている様を見ていて気持ちの良いものではなかった


 そういう意味では俺もお前に感謝している」



「そう言って貰えるなら助かるわ


 別に今更、私の身体がどう扱われようが気に止める程の事でもなかったし、私も研究が上手く行ってなくてイライラしてた所だったから、お互いに丁度良かっただけなのよ


 だからまぁ、メンタルは万全っちゃ万全」



「お前が図太くてこちらも助かる」



「魔術使いは常に図太く、クレバーであれ、よ」



 隊の士気は上がりもせず、下がりもせず。



 隊長であるレオンが苛立っている一方で、残り四人の隊員はいつも通りのマイペースといった様子だ。



 現時点において、隊の殿を務めている私とアディからは男性陣の様子が良く見える。



 レオンは言わずもがな、アルとフォリックは呑気に昨晩の夕飯が良く出来たなどと、これから大仕事をするにしては随分と気が緩んだ様子だった。



 まぁ、それこそがこの部隊の強みでもあるのだが──


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