第54話 プロフェッショナルとは


 ――シルバーレイクの水中洞窟の入口、まもなく昼。


 水中を行き交う魚たちのなかに、湖の主ナマズ・ダ・サンの姿があった。

 10メートルを超える体長。

 青と銀色の鱗のきらめきに気づいた魚たちが、彼のためにそっと道を開ける。


 ――今から見回りですか?


「そうやねん。最近はカミさん達もざわついとるやろ? そやから念入りに見ていこうと思っとるんよ」


 彼はゆっくりと湖面まで浮上する。

 空や周囲の様子を確認したあと、また水中に潜り湖をまわっていく。


 ――周囲の生き物たちとの関係は良さそうですね。


「……うん僕もね、4000年ほど前は結構イキってたんよ。ただねぇ、今は嫁ちゃんもおるし、この年になると落ち着いたもんやろ?」


 彼は上あごに生えたヒゲを器用に揺らし、すれ違う魚たちに挨拶をしながら湖底に向かう。

 ドジョウたちが彼の訪れに気づいて砂の中から顔を出す。

 貝の魔物であるシジーミやタニーシたちが『お疲れ様です』と殻を開く。


「おつかれ、おつかれ。……うん、異常なしやな」


 ヒゲを一箇所ずつ気になるところに向け、油断なく確認していく。


 ――きっちり見ていくんですね。


「そりゃね、僕がやらんと誰がやるって話やからね。まあ、もしもね、悪さするのがおったらビリビリやね」


 ――ご自分が痺れたりしないんですか?


「うん、僕ビリビリはあんまり効かへんし」


 光のソリアス、水のメルクーリの加護を受ける彼は電気ナマズの特性を持つ。


「そこ説明いる? ――おっと……それじゃぼちぼち行くわ」


 湖の主ナマズ・ダ・サン、6048歳。

 彼のいる湖に荒波は似合わない。

 ほなさいなら、とヒゲを揺らして彼は湖の奥へと消えていった――


 ――ジャララ、ジャラララン……


 プロフェッショナルとは。


「寛容であること。湖はここだけやない、色んな場所に色んな生き物がおるからね。……ヒトもね、やんちゃする子も多いけど、しっかりと話したら最後は分かってくれることが多いんよ。いや、強者の余裕なんてあれへんし、僕より強いのはようけおるけど、ほんでも……話したいやん。いやちょっと格好つけすぎやな、うてるけども」


 アコースティックギターの落ち着いた曲とともに、ナマズ・ダ・サンの正面に不自然に浮かぶモニターの中でスタッフロールが流れ、『――完――』と表示された。


「……ええね、長い期間お疲れさんでした――ってもうおらへんのかい! ほんま忙しいんやろうな、無理せんでや……」


 ナマズ・ダ・サンは誰に言うでもなく呟いた。

 一年以上の密着取材で出来た関係性を否定されたようで、ヒゲがしょんぼりと垂れる。


 この世界――アールクトレで起きている出来事の確認や、各地にいる管理者達への取材は二神にしん六使ろくしを支える名もなき神使たちの仕事である。

 彼らはとても多忙であるため、用事が終わればすぐに別の現場に向かう。


「……っ」


 落ち込むナマズ・ダ・サンを慰めるように、頭の上に乗る嫁ちゃん――セーレ・メルクル・サンは、どこからか取り出した三叉の鉾をゆっくりと――ズブリ。


「アターッ!? 嫁ちゃん、なんで刺すん? そこは頭を撫でてくれるところやないん?」


「~~、~~♪」


 セーレはナマズのツッコミを心地よさそうに流して、鼻歌を口ずさむ。


「……まあ、可愛いからええけどね。いやあ、こんなべっぴんな嫁ちゃんを迎えられて僕は幸せ者やな」


「っ! ~~~~♪」


 セーレは、両手で頬を押さえ、2つに束ねたエメラルドグリーンの髪を左右に揺らしながら、尾ひれでナマズの体を優しく叩いた。

 可愛いと言われて嬉しかったらしい。


 湖の主こと精霊のナマズ・ダ・サンと水の精霊セーレ・メルクル・サンは仲の良い夫婦である。


「……っ!?」


 湖のほとりに誰かがいる。

 セーレはすかさずナマズの体に三叉を突き立てた!


「アタッ! 今は何もしとらへん……ん? 上? あ、誰かおるねアタタッ! 嫁ちゃん、尾ひれでやさしーく教えてくれれば僕は痛い思いをせんと済むんやけど……ん?」


 自分の尾ひれで知らせるほうが数秒早くても、鉾を突き刺してコミュニケーションを取ろうとするのがセーレのやり方だった。これもサン夫妻の日常である。


 ……デンッパァ!


 湖畔から聞こえた声のあと、湖面に光が走り、その後ピリリとした電気が水中に広がる。


「なんや!?」


「……?」


 ナマズが何事かと顔を上げると瞬間、


 ――デンッパァアアアアア!!!!!


 極太のレーザービームがナマズの体を貫き、遅れてかけ声とツピーーーーという乾いた音が湖底に届く。


「……アヅゥ!?」


 電気が発する高熱をナマズは言葉とともに気泡として外に出した。


 通常、電磁波を電気エネルギーに変えることは難しい。

 デンパは電磁波には〝電〟の字がついているから、レーザービームを撃てると思い込んでいるが、その裏でエルマがこの世界に溢れる魔素を周囲から集め、謎の周波数調整という涙ぐましい努力をしているのだ。


 ナマズを貫いた電気エネルギーは拡散し、周囲の魚たちを感電させる。


 気絶した魚たちが湖面に向かって浮き上がり、シジーミやタニーシたちはその場にひっくり返って殻を開いた。


「びっ……くりしたわぁ……!」


 ナマズはヒゲをピーーンっとはったまま、水面に映る人影を確認する。

 ちなみにセーレはナマズの頭に寝転んだまま、鼻歌交じりに放電した電気を集めてくるくると回している。


 ――サン夫妻に電気は効かない。


「嫁ちゃんは危ないかもしれへんからここに……え、暇だから来たい? いやでもアタッ! あぶなアタタッ! わぁった! わかりました、一緒でええから僕を刺すのをやめて」


 セーレの大変ドメスティックな意思表明を前に、ナマズは屈した。



 空からの光は湖面を温め、グラシアン連峰の冷たい風は大気を冷やす。

 水面から水蒸気が発生し、微細な水滴が空中に浮遊して霧を形成していく。


 雪原地帯から運ばれる粉雪と、湖に立ち込める霧は光を受けて銀に輝く。

 幻想的な風景を織り成すシルバーレイク。

 魔物のいない安全な世界であれば素敵なデートスポットだったに違いない。


 しかし今のシルバーレイクは、湖面に次々と横向きの魚が浮かび上がり、そのまま痙攣した魚が波に揺られる不気味な世界が広がっている。


 犯人はもちろん――


「……なあ、エルマ」


『――はーい!――』


「いいお返事ッ! って……これヤバいのでは?」


 デンパは、エルマに自分のやらかしを他人事のように話す。


『――だからボクは様子見ようよって言ったんだけどなぁ。でもこれだけ魚が穫れれば旦那さんは喜ぶんじゃない?――』


 プカプカ浮かぶ魚たちは、ヨーヴィスの眠り亭の旦那の手によって美味しい食材に変わるだろう。

 無事にデンパが帰ることができればだが。


「うーん、まあ魚はこっちに来てから食べてないし、結果オーライだけど……目的の主はどうなったんだ? やったか?」


『――ぬしにはちゃんと命中したんだけどぉ……、マスター、湖を覗いてみて――』


 デンパが一歩踏み込んで、湖をじっと見る。


「……え、なんか近づいて――」


 湖底から浮き上がる影が大きく広がっていく。


『――マスターの電撃攻撃、ボクも頑張って調整したんだけど湖の主には効いてないみたいだねぇ――』


 あと魔素を大量に含んだ魔物ではなく、精霊であることをエルマはさらっと付け足した。


「……精霊? いやというか、これは可及的かきゅうてきすみやかにこの場を逃げる必要が――「さすわけないやろぉ!」……んひぃ!? 足ィ!?」


 デンパが湖から離れようと一歩下がったところで、足首に細長いのようなものが巻き付いた。

 そのは小さな火花を弾いたあと、


『――ヤバッ! 電界展開ッ!! えっと、接地棒アース……になりそうなのはええっと……――マスターッ!――』


『ちょっエル――マママママッマママッマッ!』


 紫電がデンパの右足から上体へと駆け上がり、左足を通って大地に消えた。

 もちろんのようなものは、ナマズ・ダ・サンのヒゲである。


「挨拶には挨拶を、感電には感電や」


 大きく湖面が膨れ上がり、セーレを頭に乗せたナマズが湖心に現れる。

 ナマズはヒゲを通してデンパに電撃の返礼をする。


『ハンッ!?』

『シビビビッ!』

『アッヅゥゥ……!』


「君は無茶しすぎやで。こーんなにぎょうさん魚を獲っても食べ切れんやろ? 必要な分を必要なだけ持って行くのが常識やで?」


 デンパがッ謝るまでビリビリをやめないッ! そんな意思が電気とともにデンパに伝わる。


『フビッ』

『すまっ、せんっ!』

『シビッ! したっ!』


「生きるために命をいただく。これはええねん、だけどね、無駄な殺生はあかんよ。ビリビリやでほんまに」


 ナマズによる命の尊さをテーマとしたビリビリ付きの説教が始まる。

 相槌なのか痙攣なのか分からないが、デンパは小刻みにナマズの言葉に頷いている。


「はあ、もうええけどね」


 ひとしきり話し終えたナマズ。セーレは暇すぎてお昼寝中である。


『――ふう、危ないところだったよぉ……――』


 一方、デンパを接地棒アース代わりに使い、スマホ損壊の危機を脱したエルマは一息をついた。

 スマホは守られたが、デンパはいまだに痺れている。


「なんや? 君、けったいなもん持っとるな?」


『――ボクはAIスマートナビのエルマだよぉ。よろしくねぇ!――』


 エルマはデンパの胸ポケットを光らせて、音声をサン夫妻にお届けする。


「聖遺物がしゃべっとる! 嫁ちゃん、この子らあれや! ほらかみさん達の残業のげん――アタタッ! 嫁ちゃん、落ち着い……アタッ! アタッ!」


「ッ!? っ! っ! ~~っ!」


 面白いものを見つけた喜びを分かち合いたいと、セーレはナマズの頭上で上半身を起こし、鉾を何度も突き立てる。

 セーレの愛情表現を受け入れられるのはナマズだけである。

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