第53話 声ちっちゃいな!

 湖までの道のりは、雪原地帯を迂回するのであれば当然距離が長くなる。

 沈黙が嫌いなのか単に話好きなのか。

 ルーズは、ロゼの反応を見ながら話題を提供していく。


「――俺っちはねぇ、最初から怪しいと思ってたんすよ」

「さすが、です」


 とある国で起きた殺人事件の真犯人が捕まったときの話を聞いての感想であるとか。


「――実は湖の底には穴が空いていて、世界中につながってるって噂があるんすよ。お嬢知ってました?」

「……知りませんでした」


 とてもどうでもいい豆知識。


「――いやねぇ、引く手あまたってやつっすね。これは内緒っすけど、王族からも俺っちを雇いたいって話があったんす。まあ? 俺っちは誰にも縛られない的な感じで断ったんすよー」

「すごい……」


 嘘か真か分からない自慢話の中に、冒険者になった経緯が少々。


「――王都ではお洒落なヤツのことをセンスあるって言うらしくてぇ、俺っちもセンスありだそうっす」

「せんす……? 王都の冒険者はどんな依頼を受けていますか?」


 王都の様子や流行り言葉など。

 ロゼも興味のあるものや冒険の役に立ちそうな情報には反応を示し、深掘りする。


「あ! そういえばオネリーなんすけど、お嬢がいなくなった翌日からいなくなってたんすけどぉ、どうも高級宿屋の無銭使用人になってるみたいっす」


「そうなんですかっ!?」


 奇しくも〝キャバ嬢さしすせそ〟を完成させたロゼが、一番反応したのがこの話題である。


 ちなみに、キャバ嬢さしすせそとは「さすがですぅ!」「えぇー、知らない知らなーい!」「すっごーい!」「センスのかたまりぃ!」「そうなんですかぁ?」という5つの相槌あいづちをランダムに組み合わせることで、世の中のおじさん達をとりこにするトーク術である。


「そうなんすよ、俺っちがお嬢を探して宿屋を回っているときに、見たことある女がいるなぁって……」


 ルーズが宿屋の支配人に確認すると、ロゼをそそのかしたあとに行方をくらましたオネリーであった。


「無銭使用人? 先輩が……どうして?」


 無銭使用人とは、お店に代金を支払えない場合に肉体労働で返済させる身分である。

 一食分の無銭であれば皿洗いや掃除だけで開放されることもあるが、高級宿屋の一泊分の無銭は非常に重い。


 無職の人間や孤児達が、なし崩し的な就職を望まないように、過酷な待遇があることを周知し、また支配人達も招かれざる労働者を入れないように細心の注意を払っている。


「支配人が久しぶりに客を見誤ったって頭を抱えてたっす」


 無銭使用人の労働力よりも失う信用は手間と時間を考えれば、支配人達は目を肥やして優良な客と怪しい客を見極める必要がある。しかも大抵の高級宿屋は完全後払いである。


 オネリーの場合はこれ見よがしに受付係に大金の入った革袋をちらつかせていた。

 品はないが金がある、同行者の冒険者風の男にしても怪しい挙動はなかったため、まさか無銭になるとは支配人も考えていなかった。


「精算するときになって急にお金がないって騒ぎ出して、泥棒が盗んだとか言い出したらしいっす。ああいうところに盗みに入る泥棒なんてまずいないんで、下手な言い訳をしたなって感じっすね」


 今回オネリー達が宿泊した宿屋は、王都でも有名な宿屋の支店であり、盗難対策は万全である。

 詳細は明らかでないが聖遺物を使って盗難を防いでいるとの噂もある宿屋だ。


 オネリー達の主張する『泥棒が入った説』よりも『革袋に大金が入っているように見せかけた説』のほうが有力になる。


「宿屋側で、屋根や窓、オネリー達が泊まっていた部屋をガチ調査したらしいんすけど、まっっったく泥棒が入った痕跡はなかったそうっす」


 オネリーはずる賢い女で、自ら無銭使用人に陥るような行動は取らない。

 一緒に無銭使用人として肉体労働をしている冒険者風の男も、セネンジア本家ゆかりの貴族の三男であることをルーズは把握している。


「んでぇ、こっから更にガチ分かんないことがあるんすけど、普通だったら身元保証先に代金請求するはずなんすよ? つーか俺っちもセネンジアの使用人だったんで分かるんすけど、ぶっちゃけセネンジア家にとって恥じゃないっすか。だけど……なんでか俺っちも支配人も、そんな発想が出てこなかったんすよねぇ」


 高級宿屋では思いもよらないことだが、冷静に考えれば当たり前のことである。

 むしろ元セネンジア家の使用人ならば進んで提案すべきものである。

 だからこそ、どうして言わなかったんだとルーズは眉根を寄せる。


 ちなみにオネリー達は当然のように身元保証先に請求しろと声高に叫んでいた。

 しかし支配人は『あー、そうですよね、お客様のご家族や雇い先の方にお支払いいただければ――いや、それはダメ……? ですね。……ここで働いてください。あれ? ……まあいいか』と、首を捻りつつも二人の要求を受け入れない。


(私がデンパさんと出会った日の夜に……? デンパさんなら何か知ってるかな?)


 自分が眠っている間にセシリーの治療を行なったこともある。

 もしかして自分の代わりに何かを……? ロゼはその考えは違うと小さく首を振る。


(デンパさんは私の意思を尊重してくれるし、勝手なことはしない。……でも、それなら誰が?)


 デンパはその晩、ロゼをアヘェな顔で寝かしつけた後、自らもホヘェとした顔で爆睡している。


 その晩、スマホの住人が二人を置いてどこかへ出かけたようだが、仮にロゼがそれに気づき追求したところで『――ボッボクは知らないよぉ、おつまみ程度のざまぁなんかしてないよぉ――』と恐らくしらを切るに違いない。


 世の中は不思議で溢れている。


「――つーわけで、お嬢がお屋敷に戻るのは問題なしっしょ! あ、お嬢を虐めた奴らは大奥様がやんわりと首を締めてるらしいんで、お嬢に害を及ぼすことはないっす。情報源は領都から帰ってきた伯父貴からっす」


 ルーズがロゼ捜索の依頼を受けた際に、今の状況について説明を受けていた。

 ちなみに後妻親子には嘘の情報を流して、セガイコでの異変が伝わらないように徹底的な管理を強いている。

 元気になったセシリーは女傑である。


「……でも、このまま私が戻っても強くなれない」


「えーでもさっきもお伝えしたっすけど、お嬢の強さってぶっちゃけ権力でよくないっすか? デンくんになにを頼んでんのか知らないっすけど、お嬢に冒険者とか無理っしょ。結構だりぃっすよ?」


 セシリーはセネンジア公爵とは別に爵位を持っている。

 その爵位をロゼに譲る準備を進めているという話をルーズは道中でしていた。


「……だけど」


 ――セネンジアの恥だ。

 ――無能でも従順であれば任せられたのだが……。

 ――お前に何が出来る?


 失望の声色がロゼの奥底から聞こえてくる。


 ――無駄よ、無駄、ぜーんぶ無駄なのよ。

 ――何も出来ないし、させてあげないの。


 嘲り混じりの否定の言葉がロゼを抉る。


「……っっ!」

 

 ロゼはうつむきそうになるところ堪えて拳を握る。

 肩を震わせて何かに耐えるロゼに対し、地雷を踏んだと判断したルーズは――


「……ととと! まー権力でもデンくんの力でも、お嬢の強さはいくらあったっていいっすよね! さあせん! なんかガチうぜぇ感じなったっす」


 コミカルにステップを踏みながら、ロゼから距離を取り頭を深く下げた。


 心の距離を詰めすぎたときは、物理的な距離を離すことで人は安心できる。


「……いえ」


 ロゼは小さくかぶりを振り、少しだけ肩の力を抜いた。


(私の力じゃないと意味がない……それをデンパさんに頼っているのが情けないけど)


 権力ではダメだった。

 知らないうちに奪われるような力は役に立たない。

 ロゼの求める力とは、自信の源になり得るものでなければならない。


(……私ひとりじゃ強くなれない。だけど、デンパさんが一緒にいてくれるなら……)


 地位も名誉も家族さえ奪われたロゼにとって、デンパは唯一の希望である。

 権力ではない何かをデンパは自分に与えてくれると信じているのだ。


 ――元公爵令嬢が人に頼って何が悪い。~突然現れた迷い人さんは心の中がダダ漏れだったけど、一緒にいて楽しいのでずっとずっと一緒にいたいと思います~


 何かのラノベのタイトルのような開き直りをロゼは見せた。


「お嬢……なんか変わったっすね。もちろんいい意味っすよ」


 ロゼの表情は、ルーズが見たことがないものだった。

 記憶の彼方にある、天真爛漫で花咲くように笑っていた少女の姿ではない。

 セネンジア家を辞めて冒険者になったあとに見かけた自信のない顔でもない。

 下がり気味の眉が自信のなさを表しているもの、濃色こきいろの両目には、力強い意志が確かに宿っていた。


「そ、そうですか? えへ……あっ、ちがう」


 ルーズの言葉に、思わず笑みを浮かべそうになるのを首を振って誤魔化した。


(デンパさんのあの表情は……私の笑顔のせいだ。だから……笑わないように我慢しないと)


 人を不快にさせる笑みを見せるぐらいなら、デンパのように無表情のほうが良い。

 ロゼにポーカーフェイスができるのは分からないが、愛想笑いを止めることはできる。


「んー? なんかよく分かんないっすけど、お嬢が変わろうとしてるのは分かったっす。そんじゃ、とりまデンくんとこに行きましょうか」


 ルーズは前髪をくるくると弄りながら、ロゼの前を歩き始めた。


「そ、そうですね……」


 と言いつつ、ロゼは歩みを止めた。


「……お嬢、頑固すぎんすか?」


 ルーズが目を離した途端に気配を消し始めるロゼ。


「み、未婚の女性は婚約者を除いてみだりに年の近い異性と交流してはいけない。とお祖母様が……」


「今まで散々話しておいて、説得力なさすぎっす!」


「……ははは」


 ルーズのツッコミを受けても、ロゼはこのあと何度かルーズからのエスケープを試みるのであった。



 セレネス川から外れ、草原から森に入り、ロゼの背丈ほどに伸びた草をかき分けて湖へと向かう二人。

 姿を消したところで草むらが不自然に倒れるため、ロゼも薄っすらとした気配のまま移動している。


「……霧が出てきたってことは、そろそろ湖っすね。ガチヤバなのがいたら俺っちがデンくんを助けるんで、お嬢は姿を隠して逃げてくださいっす」


「はい、ありがとうございます」


 このままデンパと合流できるなら良し、何かしらの異変が合っている場合はルーズがデンパを助けてくれるという。

 ロゼは素直に感謝した。


「間違っても飛び出して行かないでくださいっす」


「はい……」


 ルーズの念押しに小さく返事をしたところで、ロゼの耳に争うような声が飛び込んできた。

 一つは知らない声だが、一つは聞き覚えのある声だ。


「っ! 行きましょう!」


「お嬢、言ってるそばから間違えてるっす!!」


 ロゼはルーズの注意を無視して草むらをかき分けながら走ると、


「そういうとこやぞ!」


「……すみません」


「君は声ちっちゃいな!」


 霧がかった湖心から顔だけ出した巨大なナマズに対し、地べたに頭をつけているデンパの姿があった。

 ナマズの頭上では、なぜか全裸の美女がうつ伏せの姿勢でデンパを興味深げに見下ろしていた。

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