第52話 それはないです


「えーと……、もう捕まえちゃったので――」


 ロゼはそう言いつつヒルガエルを置いた板を片手で抱え、袖についたボタンを回して隠密レベルを引き上げていく。

 持ち運べるようなコンパクトな板で良かったとロゼは内心でほっとしている。


「いやいや! お嬢、さすがに目の前で消えてもそこに居るのは分かるっすよ!」


「……えへへ、すみません」


 なんの謝罪か分からないが、ロゼは笑みを浮かべながら少しずつルーズから距離をとる。


「え、なんで離れようとしてるんすか? 用事が終わってるんなら、ちょっとお時間ほしいんすけど」


「お話……その今は……その、忙しいので」


 ロゼは更に後ろに下がる。

 敵ではないと思いたいが実家絡みであることは確実。

 デンパと一緒にいるために色々と動いているこのタイミングは非常によろしくない。

 なんとかルーズを諦めさせようと苦しい言い訳をする。


「忙しいって……。そういえば俺っち、今よりも締めが早くてガチモンに仕上げるやり方知ってんすけど、どうっすか?」


「が、ガチモン? でも、このままでも」


 聞き慣れない言葉にロゼは気を取られ、ルーズの提案に対して反応が遅れた。


「まあーっすねぇ、俺っちも無駄に冒険者としてのトキながくないっすから。あ、ちょっと失礼するっす」


「え? あ……!」


 ルーズはロゼが答える前に手袋をはめて、木板の上に並ぶヒルガエルを一つ手に取り、真上に高く投げた。


 木よりも高く上がったヒルガエルがまたルーズの手のひらに戻り、またそれを空へと投げる。

 ロゼはルーズを止めることもできず、その場を立ち去ることもできず、眉尻を下げておろおろとするばかり。


「――っと、こんなもんっすかね。お嬢、これどうっすか? なかなかの完成度っしょ?」


 ルーズが手のひらを開くと、そこには永久を思わせる深い青の輝きがあった。


(行商人さんが売っていた偽物と違って継ぎ目がない……それに輝きが全然違う。まるで本物……)


 思わずロゼは唾を呑んだ。


「なんでこうなるのか俺っちも分かんないんすけど、めっちゃいいっしょ? てことで、どんどんやっちゃいましょー! ウエーイ!」


 ルーズがジャグリングショーのように、次から次にヒルガエルを高く投げ上げ、落ちてきたものをキャッチしてはまた空へと投げる。


 空に舞い上がるたびに青みを増していくヒルガエルを見ながらロゼは思う。


(とても綺麗だけど、このまま完成しちゃうと……)


 気づけばロゼの逃げ道を断たれていた。


「よっと、ほっと、はっと!」


 ルーズが円を描くようにヒルガエルを回していく。

 くるくる、くるくると――



 ――大空を羽ばたく鳥たちの群れ。

 あの鳥さんたちはグラシアンの向こうから来たのかな。

 寒いところから暖かいところに飛んで行くの。

 私はここに、いるよ。


「――お嬢……? おーい? 全部できたっすよぉー、おーい。あれ、苦しそうっすけどどっか痛いんすか? 大丈夫っすか!?」


 ――川に咲き乱れる花々。

 赤や黄色、紫の小さなお花さんたちが風に吹かれて歌ってる。

 ちゃぷんと跳ねるお魚さんたちもいて、にぎやかだね。

 私はここに、いるよ。


「……お嬢、さっきから薄っすら笑いながら独り言がえぇんすけど? えと、出来上がった分、ここに並べていくっすよ?」


 ――青い宝石になったヒルガエルさん達。

 さっきまでお魚さんたちと一緒に遊んでいたのにごめんなさい。

 板に並べられていくあなた達はキラキラしててまるで本物みたい。

 私はここに、いるよ。


「えーっと、コレどうしたらいいんすかね……」


「つらい」


 デンパの表情、幼少時代に猫しゃんを助けてくれたお兄さんの変わり果てた姿、そしてセシリーの用件――たぶん、きっと……いや絶対に叱られる。


 ロゼは過度のストレスから、脳内のお花畑に避難をしているらしい。


「……あのぉ、大奥様の依頼」


「とてもつらい……」


 遠い目をした少女を前に、ルーズは大きく頭を振り、


「あーもう! 分かった、分かりましたっす! 俺っちが護衛するんでデンくんとこに行きましょう! んで、デンくんと一緒に依頼内容を聞いてもらうのはどうっすか? ね? お嬢もそっちのほうが安心っしょ?」


 第三案を提示した。

 切り替えの早い男である。


「ハッ!? デンパさんと……一緒?」


 デンパという単語を聞いて、ロゼがお花畑から戻ってきた。


「はいっす! 今回の依頼は大奥様の命の恩人探しってのもあって、ぶっちゃけデンくんしかなくね? って俺っちは思ってるっす。つーわけで、お嬢に大奥様の手紙を渡したあとはこのまま待たせてもらおうかなって」


「えぇ……」


「すごく嫌そうッ!?」


 思わず声が漏れ、ロゼの眉間に皺が寄る。

 今ここで手紙を聞いても聞かなくても、ルーズはこの場にいるという。


 デンパを会わせていいのか、デンパの了解を取らずに話を進めていいのか、面倒なことをかけるのではないか? そもそもセシリーの使いを名乗るこの男を信用していいのか、躊躇逡巡ちゅうちょしゅんじゅんがロゼの表情に浮かぶ。


「あ、ごめんなさい。そんなつもりじゃ……」


 謝るということは認めることだと誰かが言っていた。


(……なにが嫌、なんだろう。実家に巻き込むこと? 迷惑をかけていること? うーそれはもう……デンパさんには申し訳ないくらいやっちゃってる。ごめんなさいッ!)


 ロゼは心のなかでデンパに謝った。

 ルーズに対しての謝罪よりも気持ちが入っているのは言うまでもない。


(でも、だったら……どうして嫌、なのかな)


 セシリーの庇護下に入れば今までよりもデンパとの距離は遠くなる。

 最悪の場合は、離ればなれになる可能性すらある。

 ロゼの本能がそれを察知して、抗っているのだ。


 ――二人きりの今が最高に楽しい!


 ロゼの心の奥の奥、無意識のうちに凍らせた感情が溶け始めていることに本人はまだ気づかない。


「あのー俺っち、何か悪いことしたっすか? 俺っちから言うのもなんすけど、かなーり昔にお嬢の代わりに猫ちゃん助けたこともあるっすよねぇ?」


 露骨に嫌そうな顔をされたルーズは、頭をかきながらロゼに訊ねた。

 幼少期にあったエピソードしか記憶はなく、ロゼへの虐めが始まる頃には冒険者をやっていた。

 嫌われる要素はない。


「そう、ですね。何も悪いことはしてないです……」


 軽薄な口調、おどけた身振り手振りをしていて、普通の人であればあっという間に仲良くなれる雰囲気を持つルーズをロゼは内心が見えないから怖いと感じている。


 考えが分かりやすいデンパと一緒にいすぎた弊害と、さらにルーズの奥に浮かぶセシリーに対する恐怖が相まっているのだが、ルーズには伝わらない部分である。


 言葉は人の意思疎通の手段であるが、心のままにさらけ出す人はいない。

 小さな情報不足は大きな誤解や不要な感情を生み出していく。


「……うーん? どうしたもんか」


 ルーズは口元を隠し、ロゼから視線を外して小さく呟く。


「…………」


 ロゼはおもむろに袖のボタンを捻り、隠密レベルをマックスに引き上げる。

 あわよくばこのままこっそりと――


「いや、無言で消えられても……さすがに気づくっす」

「ぐぅ……」


 秒でバレた。

 目の前で気配を消して見失うのはボリクぐらいである。


「……あっあそこ! えいっ!」


 ロゼは石を川に投げ入れてルーズの気を逸らそうとする。

 少しだけ場所を移動する。


「おっとぉヒルガエルが跳びこんだんすかねぇ? ……あれれ? お嬢の姿が……少し目を離した隙に!? ならないっす……」


 ルーズを見くびりすぎである。


(……っ!? どうして分かるのっ!?)


 姿も気配も消えているはずなのに、ルーズはロゼをしっかりと捉えているようだ。


「……叔父貴に鍛えられたんで、人の気配ぐらい察知できるっすよ」


 と言いつつ、ルーズの視線はロゼの足元だ。

 気配はなくともロゼの重みで足元の草がへし折れているので位置が特定しやすい。

 もちろんロゼに種明かしをすることはない。


「……ニャー」

「お嬢っすね」


 少ししゃがんで鳴いてみた。


「ヂィヂィィィイイ」

「……無駄に上手いっすけど、お嬢っすね」


 猫の鳴き声より完成度が高い。


「わ、私はセシリーです。ロゼはここにはいませんよ」

「あー木から大奥様の声がー。そっかぁーしまったーお嬢を見失ったー……とはならんでしょう。あと似てるっすけど、緊張のせいで声をふるえてるんで丸わかりっす」


 もはや意地になって色々と試みるロゼに、それは無駄だとさとすルーズ。

 ちなみに、セシリーの声はお腹に力を入れて低くするのがコツだ。


 二人の不毛な攻防がしばらく続き、


「えっと、もう話が進まないんでぇ、とりまデンくんとこで続きしません? お嬢が嫌がろうと俺っちも仕事なんでついて行くっすよ。……それとも俺っちと二人きりでここに居たいとか? あー俺っちモテるんすよ」


 ルーズは新たな提案をする。

 ついでの軽口を飛ばしつつ、前髪を捻りながら横目でロゼを見た。


「それはないです」


 貴族然とした姿勢、声色でロゼはルーズに返した。


「……毅然とした態度できっぱり言えるじゃないっすか!?」


 本来は卑屈な笑みを浮かべるか、困り顔でひたすら無言になるところ、打ち解けてきたからこそ引き出せたロゼの〝すんとした表情〟なのだが、ルーズに伝わるわけもなく。


 デンパと違って、お互いに心の声が聞こえない人間関係はこんなものだ。

 このあとも不毛なやり取りを繰り返しつつ、微妙な距離感のまま湖に向かう二人だった。

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