第51話 わーーーーー!!


 ――時はデンパがロゼから逃げるように湖へ向かったところまで遡る。


「……お気をつけて」


 ロゼは力なく項垂うなだれ、視界の先で蠢くヒルガエル達を見つめた。

 自然の調べも、ヒルガエルのこもった鳴き声も、ロゼの耳には届かない。


(……静か)


 心の声が騒がしい男がいなくなるとこんなにも静かになるのか。



「はあ……」


 ため息と共に浮かぶのは、先ほどのデンパの苦しげな表情と、いつもと違いすぎる態度だった。


 ロゼはヒルガエル達の近くに腰を下ろし、カバンから水筒を取り出して緊張で乾いた喉を潤した。


「やっちゃった……」


 ロゼは両膝を抱えその上におでこを乗せた。


「……はぁ」


 自分の行動、言動を振り返る。

 デンパの心の声が分かることを幸いに、自分が嫌われない距離感を保とうとした。


「いつの間にかデンパさんの心の声を聴くことが当たり前になってて、そのうえで私は自分のやりたいことを押し付けてた……。私、最低だ」


 デンパだからこそ安心でき、デンパだからこそ我がままが言えた。

 自分の話を聞いてくれて、自分のような見た目を可愛いと言ってくれて、嫌がらずに手をつないでくれた。


 デンパの一つひとつの反応が優しくて、嬉しくて、もっと近くに、もっと一緒にいたいと思ってしまった。


 ――足手まといなのに。

 ――何も持たない平民が、時代によっては勇者と呼ばれる存在を独占している。

 ――容姿も性格も最悪の自分が。


「……何がだめだったのかな」


 デンパは確かに困っていた。

 だからロゼはの笑顔を見せて意見を変えた。

 相手を不快にさせないよう、困らせないよう、邪魔しないように。


「私の笑い方……?」


 ロゼは少し顔を上げ、自分の頬をそっと触る。


 自分の意見を引っ込め、ここに残ると言ったときに見せたデンパの苦しげな表情。

 笑みを見せたときに一瞬だけ揺れた肩。


 『この笑み……どうして、こんな』


 かろうじて聴こえたデンパの心の声。

 いつもの笑みと違ったのだろうか? ロゼには答えが分からない。


 沈んだ気持ちが深く深く地中に埋まりそうになるが、ロゼはぐっと堪え、


「…………よしっ。せーのっ!!」


 背すじを伸ばしたあと、両手で思いっきり自分の頬を叩く。

 ペチンと乾いた音が響いた。


「……いたい」


 それはそうだろう。

 ロゼの頬には紅葉もみじのあとがじんわりと浮かぶ。

 時間軸は違うが、デンパとロゼはリンクしているようだ。


(でも、くよくよするのはこれで終わりにする……)


 ロゼはその場に立ち上がり、デンパが去った方を向いて大きく息を吸い込んだ。


「わーーーーー!!」


 ロゼは心の内にいる弱い自分、情けない自分、何も出来ない自分を追い出すかのように叫んだ。

 叫んだところで『でも』『だけど』『私なんて』の言葉を持った自分が消えるわけではない。

 それでもロゼは強く叫ぶ。


「負けないっ! 絶対に負けたく、ないっ!!」


 デンパはロゼのために危険を承知で湖に向かった。

 今のロゼには、加工中のヒルガエルが誰かに盗まれないように見張ることしか出来ない。


 ……それすらもロゼがぎゅっと目を瞑って叫んでいるせいで出来ていないのだが、ネガティブ女子が生まれ変わろうと努力する姿は美しい。


 たとえその大声のときにエルマの言いつけを忘れて隠密になっていなくても、それが原因で周囲の魔物がロゼの存在に気づいてしまっても、ついでに招かれざる客を呼び寄せることになっても、デンパなら全肯定するだろう。


「はあっ! はあっ! はは、あー……何か大声出したらすっきりした。……ははっ私なにやってんだろ」


 ロゼは肩で息を切らしながら、自分の奇行をかえりみて体が熱くなった。

 不思議な高揚感があり、やりきった満足感と同時に我に返るにつれ湧き出す気恥ずかしさがぜとなってまろびでる。


「……ガチでなにやってんすか?」


「ひゃいッ!?」


 冷水を浴びせられたかのように、ロゼの背すじが伸びた。

 声のする方にロゼが振り返ると、胡乱うろんな目をした男が立っていた。



「お嬢、お久しぶりっす。ルーズっす」


 背すじを反らしたまま固まっているロゼにルーズは自己紹介をした。

 胸に手を当て少し体を傾ける挨拶は執事のようにも見えるが、顔を上げてすぐに前髪の位置を調整する感じがチャラい。


「冒険者……ルーズ様ってあの、もしかして」


「あ、今は冒険者やってるんでぇ、普通に呼び捨てとかでよろしくっす!」


 ルーズはその場でくるりと回って、敬礼を決めたあとにウインクをした。

 デンパがいれば『敬意をまったく感じない敬礼……』だと思うだろう。


「……あ、はい」


 ロゼは記憶の中にあるルーズとの違いに戸惑いを覚える。


「いやぁ、それにしてもお嬢がまだ小さいときにお会いして以来っすけど、よく覚えてたっすね。あっ、デンくんがちゃんと伝言してくれたからっすかね? ガチ感謝っす」


「あ、はい、まあ……」


 パにイントネーションを置く独特の呼び方にロゼは慣れない。

 子どもの頃に見知った男の変わり様にもドン引きである。

 ロゼは今、心の壁を高く築き上げるための工事を始めている。


「あ、それでお嬢に話があるんすよ。っと、その前になんで俺っちが冒険者やってるかを話したほうがいいっすかね」


 主に執事がつまらなかったというのが理由らしいが、その説明を聞く前に、


「あっあの! どうしてここが……?」


 それより先に訊きたいことがあるとロゼが声をあげた。


 宿を出てからここまでは隠密状態だった。

 ヒルガエルを捕まえたり、作業をしているときに解除していた。

 つまり道中では姿は消えていたはずなのだ。


「どうしてって……お嬢たちに声をかけようと思って、ずっと宿の外で待ってたんすよ。あ、引かないでくださいっす!」


 一歩だけ後退あとずさるロゼをルーズは引き止める。


 ルーズはセガイコ中の宿屋を一軒ずつ調べ〝ヨーヴィスの眠り亭〟にたどり着いた。

 軽薄な態度や見た目と違ってルーズの能力は高い。


「声かけようと思ってトキはかってたんすけどぉ、なんかぁお二人が宿から出た途端に存在がうっすーくなって見失ったんすよね。いやあガチ焦りのワキ汗パネェーっすわ!」


 タイミングのことをトキと呼ぶのはルーズぐらいだろう。

 なお、彼の名誉のために補足すると、ワキ汗パなくても無臭である。


「んでぇ瞬間だけ焦ったんすけど、ぶっちゃけデンパくんの声ってデカめじゃないっすか。だから近くにいれば声を拾えたんで楽勝っした」


「あ……!」


 ロゼは濃色こきいろの瞳を丸くした。

 普段からデンパの心の声に慣れすぎて、一般人ならすぐに気づけることが盲点になっている。


「いやそんな驚く感じっすか? ……一応言っとくっすけど、お嬢は今いろんな奴らから狙われてるんでぇもう少し気をつけたほうがいいっすよ」


「う……ごめんなさい」


 それはそうだとロゼは下を向いた。


「あっ! さあせん、余計なことを言ったっす。まあ結局はお二人がシルバーフロストに入ってしまったんで、そこで振り切られたんすよ。この時期はさすがの俺っちもぼっち攻略は無理めっすねぇ。……でもどんなネタ使ってんのか知らないっすけど、お二人もガチで気をつけてくださいね」


 この時期――繁殖期は棘ウサギが凶暴化するため、シルバーフロスト草原の難易度が上がる。

 ただでさえ、サントーノ森林に近い場所なのだ。

 普通の冒険者であれば仲間数名を伴って行動すべきである。

 ルーズはやんわりとロゼに冒険者として忠告した。


「……はい、気をつけます。あれ、でもそれならここにはどうやって……?」


 ロゼは忠告を素直に受け取り、新たな疑問をルーズに訊いた。

 デンパと違ってロゼはネガティブなだけでコミュ障ではない。


「いやーお二人がヒルガエル捕まえに行くって話は聞かせてもらってたんで、町の外周からセレネス川を上がってきた感じっす。まー川沿いのどっかにいるんじゃね? みたいな。んでトキが合えば俺っちもヒルガエル捕りを手伝って距離詰めよう的な? つーわけでぇ、なんか手伝うっすよ」


 ルーズは腕まくりをして、ロゼにやる気をアピールする。

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