第49話 ……えへへ


「湖の主……魚? 水系の魔物なら俺の電波でビリビリっとできるかも……?」


 マップ上に表示された湖の大きさも、その中を泳ぐ主の大きさも実際に見なければ分からない。

 デンパの判断が吉と出るかは分からないが、凶が出ても自己責任である。


「私も……」


 自分のことであるからこそ、足手まといと知りつつロゼは手をげる。


(でも迷惑……だよね。デンパさんに任せっぱなしは良くない……けど……うぅ、どうしよう)


 伸ばした指が少しずつ曲がっていく。

 何かしたい、しなければならないという思いと、何も出来ない歯がゆさがロゼの心を染め、勢いで伸ばした指の先が少しずつ折れていく。


「あー……そうだなぁ」


 対してデンパもロゼのやる気に水を差さないようにと考え始めるが、


『危ないし連れて行かないほうがいいよな……』

『すっごく頑張って手を挙げたのが伝わる、応援したい』

『……でも守れるのか? ボス戦みたいに逃げられないイベント発生したら……いやだから、ゲームじゃないんだって!』


 考えがまとまらない。


『俺だけならエルマの変態操作でなんとか? いや死にかけるのはナシで!』

『……ロゼと離れるのは嫌だ』

『ロゼのためになるのはどっちだ?』

『でも危険が危なくて……? 危ない危険なところ……んん?』

『ここで待っててもらうにしても……なんと言えばいい?』


 断る方向に話を持っていきたいが、コミュ障のデンパには難易度が高い。

 自然とデンパの眉間に皺が寄る。


「……いや、うーん。でも、うーん?」


(私が余計なことを言ったせいで、デンパさんの表情があんなに……!)


 普段あまり見ることのないデンパの険しい表情に加え、腕組みのポーズに首を左右に振るという分かりやすい感情の漏れ。

 心の声なんて聞かずとも分かるデンパの態度。


「あ、あのっ! 私……やっぱりここで待ってます。ヒルガエル、誰かに盗られないようにしないと……えへへ」


 わざわざこんな場所まで偽アイセリアンを盗みに来る泥棒はいないが、デンパを困らせてしまったことへの悔いを隠してロゼは無理やり笑みを浮かべる。


『この笑み……』


 ロゼの全てを肯定しそうなデンパのなかで唯一気になる部分が、ときおり見せるこの卑屈な笑みだ。

 デンパの心の奥に湧く小さな揺らぎが、笑みを見るたびに大きくなる。


『……どうして、こんな』


「……え?」


『――マスター? どうしたのぉ――』


 いつもと違うデンパの様子に思わずロゼは首を傾げ、この珍しい反応にエルマも興味を示す。


「……あ、ああいや。なんでもない、えと、じゃあロゼ……悪いけどちょっと見てくる」


 察しの良いロゼに悟られぬように、デンパは口早に話した。


『……せない。あいつらの……ロゼが……――』


 押し黙るデンパの意思が心に反映し、いつもの電波が絞られる。


(……私、また不快な思いをさせちゃったのかな)


 いつもなら自分が恥ずかしくなるぐらい褒めてくれるデンパだけに、今の反応は怖い。

 ロゼは氷のような冷たさが血管を駆け巡るような感覚に陥った。


『――うーん、なんだかよく分からないけどぉ、とりあえずマスターと湖を見てくるから、ロゼちゃんは隠密マックスで待っててねぇ――』


「ぅ……あ、はい。その、すみませんがよろしくお願いします」


 軋む心に耐え、ロゼは笑顔を作ってデンパに頭を下げた。


 自分の立場を弁える。

 ロゼの根底にある恐怖が、少しずつ積み上げてきた自信を崩していく。

 ロゼの心が今まで人に踏み込んだ分だけ、踏み込む前よりも後ろに下がることでバランスを取ろうとする。

 デンパの今の表情が怖くて顔が上げられない。


「あ、ああ。ちょっと行ってくる」


 頭を下げたロゼにまともなフォローも出来ない唐変木とうへんぼくのすっとこどっこいがここに居た。

 ロゼが今どんな心境なのか推し量ることも出来ず、小さく肩を震わせる様子にすら気づかないほどデンパは焦っている。


『ロゼごめん……』

『急げ!』

『見てられないんだよ』

『考えろ! どうやったらロゼが笑えるのか』

『もっともっと……早く』

『身体強化5%――デンッパ!』


 デンパは自らの肉体に電気信号を送って筋力を強化する。

 大地を蹴り、デンパが数メートル先に一歩目を踏み、二歩目でさらに先へと移動する。

 遅れて音が鳴り、土埃が舞い散った。


 このまま身体強化率を上げていけば、最終的に赤いオーラをまとって『10べぇだぁああああ』とか言うかもしれない。


『――そんなに慌てなくてもぉおぉおぉおぉ、揺れるぅ~! それじゃロゼちゃんも気をつけてねぇえぇえぇぇ!!――』


 音と光の周波数の影響で、エルマの声がドップラー効果を引き起こす。

 ロゼが頭を上げたときには、デンパの姿が遠く小さくなっていた。



「はあ、また寒い場所……さぶっ! はあ」


 セレネス川を上流へと向かうデンパであったが、この30分程度の間に〝あったか~い〟と〝つめた~い〟の気候を交互に体感する。

 グラシアン連峰に近づけば近づくほど当然〝つめた~い〟地域が多くなる。

 暖かい場所と差が激しくなり、寒さのせいでデンパの頬の筋肉もこわばり、口の隙間から白い息が漏れる。


『――だから暖かい場所を通るルートをオススメしたんだけどなぁ――』


『@エルマ:最短距離で行けばそのぶん早くロゼのところに戻れるだろ』


『――それなら一緒に連れてくれば良かったんじゃないのぉ?――』


『…………あ、あそこ白いキツネ? 魔物か?』


『――話を変えるの下手いなぁ……。一応、説明するけどさぁ――』


 デンパが話したくないのなら無理やりは聞かない。

 なぜなら道中に漏れ出た心の声で、エルマは把握しているから。


『――あれは銀白の狩人と呼ばれるキツネ――グレイスフロストだね。グレイスフロストは雪山など寒い地域に生息する魔物で、体を覆う銀白の体毛は月の光を浴びると青い光を放つ性質があって、襟巻きとして欲しがる貴族が多いんだぁ。だからグレイスフロストを狩ってきてほしいって高額報酬付きの依頼が出ることもあるよぉ――』


『@エルマ:へえ……』


 デンパが気のない念話を返す。


『――この辺りの地域だと棘ウサギが使っていた古い巣穴に雪が入り込んで溶けて、浸食作用で穴の中を広げていくことがあるんだ。グレイスフロストはね、その自然に出来た穴の上に枝や葉っぱを乗せて獲物を罠に嵌めたりするんだよ。だから足元に気をつけてねぇ――』


『@エルマ:ああ……』


『――狡猾で残忍な性格をしててね。落とし穴に嵌った獲物がいたら、わざわざ棘ウサギを捕まえてきて穴に放り込んで上から獲物の反応を愉しむ習性があるよ――』


『……おう』


 デンパが念話の意識もない乾いた返事を出す。


『――……グレイスフロストは金黒のダンサーで南国でサンバを踊るのが大好きな?――』


『……そう、か』


『――……サンバーッ! ピーピーピピー! ピーピーピ、ピーピーッ、サンバーッ!!』


 スマホのなかで、エルマが大きな羽根をつけた帽子にきらびやかな装飾を身に着けてサンバを踊っている。


『…………そうだな』


『――全然聞いてないッ! ……そこ落とし穴だよぉ――』


 注意喚起のために、エルマがスマホの音量が大きくする。


『@エルマ:っっと! 教えてくれてありがとう……集中しないと』


『――うーん、調子狂うなぁ――』


 お礼を言われてもエルマの不満は解消されない。


『@エルマ:なんか言ったか? ……とにかく先へ、はあ……行こう』

『きつい』

『考えるのも疲れる……』


 緑の地では足に草が絡んで歩きづらく、白の地では足元は雪と滑りやすい氷がある。

 寒さはデンパの思考と体力を奪っていく。


『魔素を多く含んだ魔物の皮か……』

『怖い』

『ロゼに会いたい』

『借り物の力でも、人に頼ってもいいから……自信を持って笑ってほしい』

『だから急ごう』


 思考が失われるほどにデンパの本心が漏れていく。


『――……マスター、ここを抜けたら休憩したほうがいいんじゃない?――』


『@エルマ:そう、だな。いやでも早く……』


『――どうしてそんなに焦ってるのさ、さっきからマスター変だよ――』


 エルマは、デンパのなかに燻る思いを吐き出させようとしている。

 とてもよく出来たAIである。

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