第47話 この子、大丈夫かなぁ……
北西の門を出るときは暖かな陽気。
そこから北東に向かって進むと、グラシアン連峰の冷風が作り出す銀の風景がある。
「……寒い」
『――ピピッ! 前方300メートル先、セレネス川を左、その先しばらく道なりです――』
エルマのナビに従い、二人は〝キラキラと輝く物〟の素材を集めるためヒルガエルの生息地に向かっている。
ヒルガエルは川辺であればどこでも捕まえることができるのだが、セガイコ南部など比較的安全な場所には行商人たちの縄張りがあり、簡単には手を出せない。
そのため二人はシルバーフロスト草原を越えた先にあるセレネス川を目指しているのだ。
「あと少し……っとと、デンパさんこの辺も棘ウサギの縄張りみたいです。慎重に進みましょう」
雪化粧のほどこされた大地には、二人の姿はなく棘ウサギしかいない。
しかし二人の気配を感じ取り、雪が沈む音とともに新しくできる四つのくぼみを見て、棘ウサギたちは耳をピンッと立てて警戒態勢となる。
『そっと、静かに……』
――キュキュッ!?
――キュプッ!
出来ていない。
「……デンパさん、急ぎましょう!」
「お、おう……!」
デンパの手を強く引き、ロゼが棘ウサギに当たらないように先導する。
おわかりいただけただろうか。
二人は今、手をつないでいる。
隠密状態になると二人がはぐれたときに、お互いが……もといデンパがロゼを見失わないための対策。
まさかのネガティブ女子であるロゼからの申し出。
宿を出発し、北西の門を抜け、シルバーフロスト草原までずっと手をつないでいる。
……貴族社会において未婚の女性は婚約者を除いてみだりに――
(私は冒険者、です……!)
――それでは仕方ありませんね。
――冒険者となれば男女で寝食をともにすることもあります。
――デンパさんとはぐれないためにも手をつなぐことは必要、です。
ロゼの中にあったセシリー像もずいぶんと甘い判定をするようになった。
少しずつ前を向こうとする意識の変化が影響しているのだろう。
『――これはもう手つなぎデートなんだよねぇ――』
デンパの胸ポケットからエルマの呆れた声が流れる。
「エルマ、静かにして。気づかれる」
『ほらぁ! こっちをウサギが見てるからぁ!!』
『手汗とか大丈夫か……』
『手がやわらかい』
『はぐれないためだ、勘違いしてはいけない!』
棘ウサギに気づかれぬよう、そしてロゼの手の感触を楽しまぬように集中しているデンパには、エルマの呟きの中身までは分からない。
『おっと危ない。雪のせいでウサギが見えにくいんだよ』
『おっとと、おっととと』
『おっとととーの…………いかん真面目に周囲を警戒しないと!』
『手をつないでいるだけでこの安心感よ!』
『やわわわーい』
この場にいる誰よりもデンパが騒がしいのだが、本人はそのことを知らない。
二人は慎重に棘ウサギの縄張りを抜け、セレネス川をナビに従い上流へ。
『――ピピッ! 目的地周辺です。案内を終了します――』
「いやエルマ、目的地周辺って具体的にどこだよ……。異世界マップナビ……ああ、この辺一帯に生息しているのか」
デンパがスマホを見ると、二人のアイコンは白と緑の線の上に表示され、その近くにある川のほとりが全体的に点滅している。
「後ろは雪景色なのに……」
デンパの背後は一面が白の世界で、棘ウサギたちが警戒を解いてリラックスモードに戻っている。
セレネス川も半ば凍っている部分もあり、キンキンに冷えている部分もある。
「前は……」
風が軽やかに草原を舞い、草の先を風が揺らす新緑の季節。
草原の遠くでは、シカに似た動物が群れを
「こんなにスポットで季節が変わることあるっ!?」
『――この世界では結構多いよぉ。だいたいダンジョンだって魔素が風に運ばれて洞窟や森の
「そういえばダンジョンとかもあったな。高位魔獣ってのもその辺りにいるのか?」
『――そうだねぇ、この先にある湖や森の奥にも候補の魔獣はいるけど、多いのはダンジョンだよねぇ。まあ、マスターたちにはまだ早いと思うよ――』
エルマも冒険はしてもらいたいが、死地に送り込む気はない。
ただ少しずつデンパの中二心をくすぐろうと〝ダンジョン〟や〝魔素〟などのワードを刷り込んでいる。
策士エルマである。
『――あ、ロゼちゃん、その辺りの草むらにいそうだよぉ――』
「えと、この辺りです……?」
ロゼが水際に注意を傾けていると、水の跳ねる音が聞こえ、川に小さな波紋が生まれた。
「デンパさんっ! あそこを見てくださいっ!」
ロゼが指差した場所には、細長い蛙のような姿形の生き物が水面に顔を出して泳いでいる。
「あ、あそこにも……!」
1メートルほど離れた場所で、薄紫色や白い花々の間を跳びはねるヒルガエルがいる。
しかし蛙のように見えて、頭部には吸盤のついた口があり、その隙間から耳障りな鳴き声を出している。
ロゼの指した場所を見て、デンパがへの字に口を曲げ、
『リアルのヒルガエル、キモッ! エルマに見せてもらった画像よりもキモい』
『不快不快不快』
『夏の夜に枕元を飛び回る蚊みたいな鳴き声』
『これを捕まえろ? うぇえええ』
表情には出さないようにデンパは気をつけているが、全力で嫌だと内心が叫んでいる。
「あの、私が捕まえますから……うっ」
ロゼが自分でやろうと手を伸ばすが、近くで見るヒルガエルの気持ち悪さに思わず顔をしかめる。
『@エルマ:何でも採取手袋か大鎌で捕まえて、ついでに収納くんのなかで加工とかできないか? 俺、ぬめぬめしてるの無理だ……』
デンパの都会っ子発言。
元公爵令嬢を見習ってほしい。
『――@マスター:普通に手袋として使ったらいいんじゃないの。ついでに収納くんでの加工は無理だよぉ。まあがんばってぇ――』
なんとも気のない応援である。
「……うえぇ。と、とりあえずチャレンジするからロゼは周囲の警戒を頼む」
デンパは顔をしかめつつ、何でも採取手袋を用いた間接タッチでファーストアタックを試みる。
なお、素材といってもその辺の石ころや葉っぱである。
「え、でも……デンパさん苦手ですよね」
「い、いやいけるっ! ふぅぅううう」
デンパが大きく息を吐いて、そのまま腹に力を込めつつ、ヒルガエルに向かって手を伸ばす。
『やれ! 動きも鈍いし、細長いから掴みやすい』
『ロゼにいいとこ見せる』
『くっ、ピョンピョンっと……!』
『うわっちょっ!? うひぃぃ』
手袋の範囲外にある伸び切った腕に向かってヒルガエルが跳びはね、デンパが思わず手を引っ込める。
ヒルガエルも吸血チャンスとばかりに、地肌を感知して狙ってくる。
「デンパさん、がんばってください!」
「っ! おうっ!! 任せてくれっ! ――くそ、うひっ……遅いけど跳んでくるのやめてくれぇ。もう一回っ! ひぃい!」
女の子の声援を受け、少しだけ勇気を奮い立たせるがデンパの情けなさだけは変わらなかった。
自分の腕を伸ばしては引っ込め、ヒルガエルの着地を狙ってまた腕を伸ばす。
『フェンシングのイメージで……くっ! そりゃ、おっと!』
デンパのなかではフェンシング感あふれる白熱した一進一退の攻防が続く。
「はあっはあっ……やるじゃん」
――ヂィヂィッ!
ヒルガエルも吸血してやろうと、デンパの伸びる腕のリズムに合わせて跳んでくる。
互いに譲らない戦いが――
『――……マスター、もう磁界を展開して板に引っつけたらぁ?――』
エルマの冷静な提案により終わろうとしている。
「くっ! うわっ、このぉ! ちょわっ!! ……あ、まあそれはそうだけど、せめてこの一匹だけでも!」
デンパが左腕を伸ばすと、ヒルガエルがいつものリズムで跳び上がる。
「――いまッ! ヨッシャー! 獲ったどぉー! フォォオオオ!!」
たった一匹のヒルガエルを両手で天に掲げて、小躍りをするデンパ。
心なしか無表情のなかにも明るさが見えるのは陽射しのせいだろう。
『――マスター、はしゃぎすぎじゃない。ねえ、ロゼちゃん――』
「……えっと、いえ、その……ちょっと」
可愛いかもとロゼが小さく呟く。
……加点主義の権化がここにいた。
『――この子、大丈夫かなぁ……――』
エルマはロゼの将来を心配する。
デンパはまだまだはしゃいでいる。もう少し顔に表情が出ると不気味さが減るはずなのだが。
『――ハア、それじゃロゼちゃんも頑張って?――』
「あ……や、やってみます!」
ロゼも手袋を装着し、川辺の近くでヒルガエルを探し始める。
「待ってくれ、手づかみは効率悪い。さっきエルマが教えてくれたけどギフトを使って一気に集めようと思う」
エルマの助言をデンパはしっかりと聞いていた。
ただ男の子の意地と根性で、一匹ぐらいは自らの手で掴みとろうと頑張っただけだった。
『ぶよぶよとした感じキメェ』
『ロゼに良いとこ見せられたか……?』
『まさか俺がこんな気持ち悪い生物を手づかみにするとは……』
『ああ、こんなの握るより、ロゼの手を握りたい……手袋なしで』
布越しとはいえ、蛙独特の柔らかさが先ほどまで握っていたロゼの手の柔らかさを打ち消していく。
(デンパさん、嫌じゃなかったんだ……良かった)
ロゼはデンパの漏れ出た電波を拾い、ほっと胸を撫で下ろした。
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