第36話 次回作に乞うご期待
『――ねえ、まだぁ? えっと丸いのだからね――』
「は、はい! えと、えと丸いの……あの、二つありますけどどっちでしょうか?」
ぶよぶよした生地に包まれたまるいもの。
選択肢は二つ。
『――え、どっちって? 左手の袖についてるボタンは一つだけど、あれれぇ?――』
エルマはこんな話し方だが、デンパの生命維持活動に集中していてロゼがナニをしているのか分からない。
セシリーを治した帰り道。
調子に乗ったデンパが『スパイダーマンごっこ』で帰ろうとするのは、止めるべきだったとエルマは後悔している。
手のひらから糸のように細い光線を出し、壁や屋根を使って振り子のように街中を跳躍した。
電磁界の使い方をまた一つ身につけたデンパだったが、その代償は死に限りなく近いものであった。
(……え、一つ、です? えっとこれはじゃあ、熱くてかたくて……――ッ!?)
天然お嬢様とはいえ、人体の神秘についてはメイドたちの会話できちんと学習済みである。
自分がナニを触ってしまっていて、結果としてナニがどう変化を遂げるのかを。
「イッ!? あ、ごめんなさい」
ロゼの謝罪は誰に対するものなのか。
いったん手を引っ込めたロゼは、あらためて左手の探索を開始する。
ベッドの脇から、デンパの右手、お腹を辿り、デンパの左手を探すためには、背の低いロゼは身を少し乗り出さなければならない。
つまり、かなり密着することになる。
『――あれれぇ、おっかしいなぁ?――』
思わずエルマが声を出す。
「ど、どうしました?」
『――うん、マスターの血液の流れに抵抗があるというか、なんだろぉ? 鉄分って磁力きかないのかなぁ?――』
エルマはまんべんなく血を巡らせたいが、デンパの血液はその流れに従わない。
意識はなくてもナニかが血を集めようとするのもまた人体の神秘である。
ちなみに〝鉄分〟と〝鉄〟は別物のため、ちゃんと磁力を付与しなければ操作はできない。
「あ、ありました! ……ここを回して――あ、ひゃあ! ご、ごめんなさい!」
隠密効果を下げたタイミングで、血だらけのデンパが現れた。
ロゼは自分がかなり密着した体勢だったため、慌てて自分のベッドまでさがった。
エルマは見た。
瀕死の男の一部が屹立する様を。
『――えぇ~、ボクが一生懸命、血液を循環させてるっていうのに、マスターはナニを考えてるんだろうねぇ。ロゼ、ソレがおさまるまで放っておこうよ。もぉ~!――』
エルマの呆れ声。
「えっと、でも……その」
ロゼは自分に原因があることを知っている。
『――はぁ~。分かったよ、マスターの命令は〝ロゼに協力しろ〟だよねぇ。じゃあ、収納くんから水を出すからタライを置いて。そんで、濡らしたタオルでマスターの顔から拭いてってぇ――』
エルマはロゼの戸惑いを『デンパを助けたいから協力してほしい』と解釈した。
知らぬが仏……事実を知れば腹が立つことも、知らないままなら平和である。
◆
デンパがこの世界に来てから三日目の朝が来る。
祝福の鐘が鳴り、冒険者ギルドは冒険者たちでごった返す。
宿屋の女将たちも朝から掃除や食事の準備をはじめ、商人たちもまた商売の準備を始める時間である。
「ハッ!? すみません、私……」
夜中に起こされて、デンパの介抱を手伝い、床掃除まで頑張ったロゼ。
俗に言う寝落ちである。
「あの、デンパ様の状態は今……?」
『――…………――』
エルマは答えない。
ロゼは不安のなか、ゆっくりと立ち上がりデンパの眠るベッドへ。
血を流しすぎたのか、デンパの顔は青白い。
血溜まりの拭き残しか、ベッドの下は赤黒い。
「……え、そん、な」
信じられない。
信じたくない。
昨日まで笑って……いるようには見えなかったが、心では楽しそうにしていた彼が――
『――きれいな顔してるだろ。ウソみたいだろ――』
「い、いやです」
ロゼは現実を受け入れられない。
小さく首を振る。
――お願いだから、それ以上は語らないでほしいと。
明かりを消した部屋のなか、椅子に腰かけたまま下を向いているエルマの表情はロゼには見えない。
そもそもスマホの画面なので、角度を変えても精巧なドット絵の見た目は変わらない。
『――死んで――「ないからッ! 勝手に殺すなッ!! ッイテェ!」――んだぜ、それで――』
デンパご本人がカットイン。
全身が筋肉痛で、大声を出した反動が痛みへと変わる。
「……ぁ、ああああああ」
「おぶぅ?」
ロゼ、歓喜と安堵のハグ。
セシリーお祖母様も真っ青の密着である。
『これは……夢?』
『やわわわわ……イテテテテ』
『やわ……イテテテテ』
柔らかさよりも痛みが勝った。
「あっ! す、すみません!! ごめんなさい、私ったら……」
はしたないどころか、傷だらけデンパにドスコイアタックをしたようなもの。
『――おはようマスター。気分はどうかなぁ?――』
「……おは。気分は柔らかい最高? いや、体中がきしんでるし、なにこれ? 体のどっかに力が入るたびに激痛が走るんだが?」
ロゼのおっぱい最高ではあるが、今じゃあない。
デンパの率直な感想だ。
『――えぇっと、かくかくしかじかなんだよぉ――』
「……なるほどな。ってならんから! イテテ」
かくかくしかじかで伝わるのは、マンガや小説のなかだけだ。
『痛いの痛いの飛んでいけ。あの空の向こうに――あ、痛み引いた』
デンパは目を細めながら窓の外を見た。全身を痛みで小刻みに震わせながら、格好つけようとする姿を見ても誰も惹かれないのだが。
(っ!?)
ロゼが顔を赤らめる反応をしたので訂正する。
「……すごい、です。もうお体はなんともないのですか?」
魔法の言葉のように、デンパが唱えれば痛いの痛いのはどこかへ飛んでいく。
――電波に乗ってどこまでも。
ロゼが心配そうにデンパを見ているが、デンパ自身は既になんともない。
『――筋肉の痛みとかより強靭な肉体になるフラグなのにさぁ。いったいどこに飛ばしてるのさ、マスター?――』
「それは俺に言われても知らん。あと強靭な肉体になるより痛みのない肉体が好きだ」
痩せ型の細マッチョにはなる気はないと。
『――んー、まあいいやぁ……――』
エルマはしばらく痛みの行く先について考え込んでいたが、考えるのをやめた。
「ええっと、怪我の理由なんだけど……斯くの如く
なにはともあれ、デンパはロゼに経緯を話したいが自分の善意の押しつけのような気がして上手く話せない。
残念ながら、かくかくしかじかで伝わるのは、マンガや小説のなかだけ……――
『ロゼのおばあちゃんに会いに行って、病気を治したって言えない』
『貴族の気配察知スキルが高すぎてびびった』
『声が若返っている感じだったけど、俺の光線のしでかしてるかもしれない。とは言えない』
『毒婦っておばあちゃん呼んでたけど、劣勢っぽい』
「ええっ!? そうなんですかッ!?」
デンパの場合は例外としておく。
「え、貴族ってなんでそんなに察しがいいわけ? いやロゼのおばあちゃんもすごかったけどさ!」
『あとはロゼの風呂上がりの映像をおばあちゃんに――』
口元を押さえ、気まずそうにデンパは下を向いた。
これは察してくれるなよと顔を隠す。
何を考えているか分からないと言われ続けたデンパにとって、ロゼやお祖母様の察しの良さはさすがに違和感を覚える。
自分の顔に文字でも書いてあるのではないかと。
「あ……ぁあ」
ロゼの声なき声。恥ずかしいさが言葉を詰まらせた。
二人の間に漂う微妙な空気感。
『――ところでぇ、朝食の時間がもうすぐ終わりそうだけど大丈夫ぅ?――』
「あ、ああ! 行こうかメシに!」
「えっあ、はい!」
エルマの呼びかけで、二人は再起動した。
『これでロゼも安心してくれたらいいな』
(……そっか、デンパ様はお祖母様を治してくれたんだ。あんなにボロボロになってまで)
無言で立ち上がり、食堂に向かうデンパ。
ロゼには心の声が届いている。
ロゼがメスの顔になるのも時間の問題かもしれない。
『――早く食べて、早く外の世界へ行こう。マスターたちの冒険はこれからだよぉ――』
エルマ先生の次回作に乞うご期待。
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