第32話 目覚めよ
――……人の子よ、目覚めよ。
『……ん』
――目覚めよ。そして顔を洗え。
『……ん、だよ?』
――髪を整えて、髭を剃れ。
――朝ご飯を食べたら歯を磨け。
『んん?』
――早く着替えろ、ほらネクタイが曲がっている。
――忘れ物がないかもう一度見ろ。
――出る前にトイレをすませて、お弁当を持ったぁ?
『うん持ったよー! って世話焼きオカンかッ!? ……え? いま何時?』
デンパが目を擦りながら上体を起こし、窓を見る。
月明かりに照らされた草木が静かに揺れている。
『――@マスター:静かにしないとロゼちゃんが起きちゃうよぉ――』
『え、今までの呼びかけって……』
『――@マスター:もちろんボクだよぉ。現在、時刻は午前2時。アラームセットしてたでしょ――』
スマホの画面には、いかにも現役女子大生のお姉さんが『AM02:06』と書かれた黒板を持って、笑顔で微笑んでいる。
『@エルマ:なごむぅ……って美人時計とかいいから。アラームの話はしてたけど! してたけども、そもそも俺が命令したのは〝ロゼに協力しろ〟であって、夜中に起こせじゃないんだが?』
デンパの意識は周波数に影響する。
エルマに向けて……と念じれば、周波数は絞れるのだ。
『――@マスター:うん、だからその命令にしたがっ……うわあ!? もう乱暴だなぁ……――』
デンパは不満たらたらで、スマホを毛布の上にぽんと落とした。
突然の浮遊感に襲われたエルマが不満の声を上げる。
『初日は意識がなかったけど、さすがに今日は意識したな』
『美少女』
『ぶっちゃけ気配を消してもらわないと俺も寝れなかったかも』
『良い匂いが漂っている場所が気になって仕方ない……』
そんなエルマを無視して、デンパは隣の
本来であれば、すうすうと静かな寝息を立てるロゼの可愛い顔が拝めるはずだが、隠密効果マックスにしたローブを着て寝ているため、デンパには気配すらわからない。
もちろん気配はわからずとも、隠密効果が高まる前に残された柑橘系の洗髪剤の香りがロゼの位置を教えてくれる。
なお、宿屋には洗髪剤はなんてものはない。
エルマの指示に従って集めたアワの実、ミンカンの実、小川の水と石ころに、デンパが謎の怪光線を照射することでできたお手軽洗髪剤だ。
ヘアケア業界の企業努力の上澄みをさらって、後ろ足で砂をかけるようなチートである。
宿屋の洗い場で、こそこそとガラス瓶に入った洗髪剤を試し、これまたエルマお手製のふんわりタオルでしっかりと水分を拭き取れば、まるでどこかのお姫様のようにロゼはなっていた。
『良い匂い。くんかくんか』
『育ちの良さが顔に出てたよなぁ……』
艷やかになった淡藤色の髪で目元を隠し、鼻と口元はタオルをつけながら、部屋に入ってきたときのことをデンパは思い浮かべる。
ロゼが歩くたび、薄着のシャツの内側がたぷんたぷんと揺れている。
隠すところは顔じゃなくてそっちだろ! と心の中でツッコんだ瞬間にデンパは鼻血を出した。
そんなデンパを見て、身の危険を感じたわけではないが、ロゼはローブを羽織って寝ることにした。
(私はこの部屋にいません、だからお祖母様の教えは守っています……)
お祖母様の教え『未婚の女性が軽々しく男と触れ合う、会話するなどの行為は控えるべき』といったものだ。
婚約をする前に誰かに恋をしてしまうと孫が辛いだけ。もちろん世間体もよろしくない。
家柄、人柄、能力柄その全てを兼ね備えた相手を祖母セシリーは見つける予定だった。
そういう意味では、気配を消せばセーフではない。
(町中でも気配は消していますし、大丈夫ですよね……?)
――よくぞ、その答えを導きましたね。
――それでいいんです。
――それがいいんです。
――あなたは立派な冒険者です。
ロゼの心の中に生まれたお祖母様達も拍手喝采だ。
祖母の性格を改ざんしてまで正当化をはかるロゼ。
デンパの電磁波の影響なのか、思考が散逸になってきている。
なお、実際にその屁理屈が通るかは定かではない。
(それに寝顔をデンパ様に見られるの、恥ずかしいです)
――ロゼ、お前の狙いはそれですね。それですね、それですねぇぇえええ!!
正しいお祖母様の記憶であれば、ロゼの魂胆はすぐに看破されていただろう。
お年頃の女の子は、気になる男子に寝顔を晒せないのだ。
『薄着のロゼの破壊力』
『育ちの良さが胸に出てたよなぁ……』
対し、そんな乙女心を知らないデンパは、さきほど鼻血と一緒に散ったはずの記憶の欠片を一つひとつ思い出しながら、薄着姿のロゼの絵を完成させようとしていた。
『――@マスター:マスターまた鼻血出ちゃうよぉ。というか早く準備しないと間に合わないんだけどぉ――』
スマホの画面には、フレンチスリーブのニットを着こなすお姉さんが『02:12』と書かれたお盆をお腹に抱えてはにかんでいる。
『@エルマ:エロなごむぅ……って準備? 間に合わない、とは?』
『――@マスター:ロゼちゃんのおばあちゃんところに行くんでしょ。今の彼女にとっておばあちゃんは味方かもしれないけど、使用人のなかには敵がいるんだよぉ――』
デンパがスマホを十全に使いこなせれば調べることはできるが、エルマはそのことに触れない。
『――@マスター:まして素性の知らないマスターと一緒にはお屋敷に行けないし、ロゼちゃん一人でも無理でしょう。なにより危険だよねぇ――』
『@エルマ:え、エルマ協力してくれるのか? え、それで今起こしてくれたの? ……え、マジか。そうか、ありがとう!』
『ありがとう、オリゴ糖~♪ サントーノ、セレブ♪』
いきなり出てきてごっメーン、まことにすいまメーン。
ゆるいラップコントで一世を風靡したコンビのネタをデンパは思い出した。
『――@マスター:えっへん。と言いたいところだけど、ボクはマスターのスマホAIだからねぇ。命令には従うんだよぉ。それと感謝はちゃんとしてほしいなぁ――』
デンパの心にはすぐに雑念が入るのだ。
『@エルマ:ん? まあいいや、エルマが協力してくれるなら勝てる! ロゼを起こさないように静かにコートを着て……』
『――@マスター:大丈夫だよぉ、ロゼちゃんは熟睡してて朝まで起きないよぉ――』
『@エルマ:どうして分かるんだ?』
シャツのボタンをとめて、ズボンを履いて、コートに袖を通す。
袖のボタンで隠密効果をマックスにするのを忘れない。
『――@マスター:えっとぉ……マスターの出している電磁波を操作して、ロゼちゃんが熟睡できる周波数を当てたんだ』
『あれをッ!? @エルマ:なにしてんのエルマっ!?』
デンパが出来ることはエルマも出来る。
別にデンパの目から光線を出さなくても、スマホの画面からでも癒やしの怪光線を出すことが可能。
つまり、ロゼは昨日と同じく人にはお見せできないホヘェなお顔でお眠りになっている。
可愛い寝顔なんて幻想だった。
『――@マスター:まあいいじゃない、熟睡できてるんだしぃ。ね、ほらさっさとボクを持って外に行くよぉ――』
「……んじゃ、行ってきます」
ロゼが寝ているであろう場所に小さく声をかけ、デンパは窓から外に出た。
◆
〝セネンジア公爵別邸〟は、町の南門から入ってメインストリートを東に進み、ゆるやかな勾配の上り坂の先にある。
高台から町が一望できる好立地な場所だ。
かたやデンパがいる宿屋〝ヨーヴィスの眠り亭〟は町の北側にある。
そこから別邸を目指す場合は、いったん北門まで戻り、そこからメインストリートを抜け、中心部にある守衛所を通るルートか、北門から街の外に出て壁沿いに南門を目指すルートの二つがある。
どちらのルートにせよ、貴族区に入るためにはそれなりの身分証や紹介状などが必要とされる。
ちなみにセレネス川の東部、貴族区には高級な食材を扱う店や飲食店、宝飾品や嗜好品を売る商会がひしめいている。
貴族屋敷で働く使用人や、官舎で働く役人たちの居住区も東部に集中しているのだ。
「ちょわーいッ!? おい、エルマこれっていいのか? 俺の体どうなってんだよ」
『――いいも何も、時間もないし最短距離で行きたいって言ったのはマスターだよぉ!!――』
いま、デンパは空をとんでいる。
厳密にいえば、宿屋からまっすぐセネンジア別邸を結んだ直線にある家屋の屋根から屋根を跳びはねながら進んでいる。
【電磁界】――電気が作る電界と電流が作る磁界を発生させ、デンパを中心とした界のなかでエルマが調整をして便利な能力と、呪いとも言える心の電波漏れ現象を引き起こすギフトである。
デンパの足元に磁場を発生させ、靴底と屋根を反発する磁力を付与して高く跳ね、次の屋根に引き寄せる磁力を付与して、電磁誘導で方向に指向性を持たせて移動を行っている。
そこにデンパの意思はなく、エルマが自動運転をしているような状態が、さきほどのデンパの発言につながる。
屋根を跳ねるときに、下半身に負荷がかかり、次の屋根に乗ったときの衝撃は上半身まで響いている。
身体中に電界の電力を流し、脳の痛みを判断する神経を鈍らせつつ、筋力を増加することで奇天烈な動きに耐えられるようにエルマが頑張っているのだ。
「すげえ、すげえなエルマ! 俺、初めてチート主人公っぽいことしてる気がするぅううう、フォォオオオオ!!」
『――マスター、夜中に騒ぐのは迷惑だから。あと稼働中のタスクが多すぎてボクは忙しいんだよぉ!――』
コートの裏側のポッケのなかで、エルマは画面さえも消して作業に集中している。
最短ルートにある屋根を割り出し、磁力の付与・剥奪、衝撃に備えるための肉体強化という細やかな調整が大変らしい。
もしもアーマーベアの隠密コートがなければ、ここに光の屈折を利用した迷彩まで考えなければならなかった。
この日、デンパが通ったルートの下にある地域で騒いでいた酔っぱらいたちが、相次いで眠そうな近隣住民たちから袋叩きにされる事件があったとかなんとか。
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