第31話 ですだなだぞ
「えっと……13匹分、ですだなだぞ」
どこのお国言葉の語尾か。
変な緊張が乱暴な言葉の邪魔をする、ですだなだぞ。
「あんたら……さては縄張りを踏んだね? ハアァ、よく無事で戻ってきたね、もう……ほんと良かったよ」
女将は目に涙をためながら大げさに思えるほどのため息をついて、ロゼを抱きしめた。
二人の胸が上下に重なり、女将の胸にロゼの頭がうずもれて足をじたばたさせる。
「うぷぷっ……!?」
『おお……』
『――@マスター:マスター、見とれてないで助けてあげなよぉ――』
「ハッ!? ちょっと女将、ロゼが窒息するからその辺で! あと…………それで、この獲れたて新鮮ウサギを宿にぜんぶ渡したら何泊できるんだ? ――あ、朝、昼、晩の食事付きで!」
「あ、はいはい。んであたしに交渉かい?」
デンパ、初めての交渉。
報酬も実績もつかないが、拠点の確保が出来るのは大きい。
女将の反応も悪くない。
「……ほーん、いい度胸だねえ?」
女将がロゼを解放して腕を組んだ。
もちろん仁王立ちである。
『超……怖いけど』
口を固く結び、女将の圧に耐える。
「へえ、ずいぶんといい顔するようになったじゃないか。でもね、気持ちはわかるけど、そんなに肉があったって、保存ができないからだめだよ。棘ウサギの肉はすぐに悪くなっちまう。……3日分だね」
この時期の棘ウサギ1匹の肉は銅貨3枚が相場だ。
朝昼晩の銅貨3枚、宿泊費が1部屋で銅貨3枚。
2匹分の肉、銅貨6枚で3食付きの1泊となる。
しかし、宿屋の地下倉庫にも保管の限度がある。
塩漬け、燻製にすると味が格段に落ちるし、値段も下がる。
そんなにまとめて買い取れないし、悪くなる前に食べるには量が多すぎる。
「いやえーと、俺なら……収納くんでなくて、えーと、その、とにかく新鮮な肉が用意できる方法を知っている。……だから、棘ウサギの新鮮な肉を毎日2匹ずつ渡せるから、しばらくの間でいい。俺たちを泊めてくれないか」
ロゼを探している輩がいる以上、あまり拠点は変えたくない。
収納くんアプリには時間停止効果もあり、肉が傷むこともない。
2匹で1泊なら、単純計算で6泊はできる。
その間に、ロデンターラの放牧地でグリーンラットを探してもいいし、魔物を狩る覚悟はできているのだから、隠密とグリーンラットのナイフを持って棘ウサギを狩ってもいい。
やり方はすでに知っている。
「うーん、なんだかよくわからない事を言うねえ。けどまあ新鮮な肉をあんたらが卸せるって言うんなら……」
「それじゃあ――」
「――ただし! 一つだけ、約束してほしいことがある。これだけは譲れない約束がね」
女将が真剣な顔で、ちらりとキッチンを確認したあと2人と順に視線を合わせていく。
リーファも育ち盛り、できればお肉は食べさせてあげたい。
エイギルたち欠食児童達にも食べさせたい。
お肉はあればあるだけありがたいのだ。
女将が昼に見た時は、地に足がついていないようなアンバランスな2人だった。
ところが、祈りの鐘が鳴り、自分たちの食事の時間になる前に帰ってきた2人の顔はずいぶんと見違えていた。
だから、少しだけ期待してしまう。
「……あんたら、デンパさんとロゼさんだったね」
「あ、おう。そうだが……?」
「はい……」
冒険者言葉が定着しないデンパ。
名前を呼ばれることに慣れていないロゼ。
それぞれ急に名前を呼ばれたことに戸惑いを覚える。
「冒険者ってのは危険な職業だ、無茶ばかりのバカも多いよ」
女将がふと遠い目をした。
リーファが3歳、4歳の頃の話だ。
近くの町からやってきた若い冒険者パーティがしばらく逗留することになった。
冒険者たちは順調に依頼をこなし、等級を上げていく。
長く泊まれば、女将たちにもそれだけ情が湧く。
リーファは懐き、女将や旦那も一緒にメシを食べ、酒を飲むような仲になった。
「……調子に乗ったんだろうね。サントーノに挑むって言い出してさ。あたしらが何度とめようとしても聞かなかった」
女将が深いため息を吐いた。
祈りの鐘が鳴り、夕食の時間をすぎても冒険者たちは帰ってこない。
「リーファは夕食を一緒に食べるから待つと言って聞かないし。あんときはほんとうに困ったよ」
リーファは睡魔に屈して眠るまで待ち続け、翌日もその次の日も冒険者たちの名前を一人ひとり呼びながら待っていた。
「……それからしばらくしてだね、あいつらが見つかってギルドに戻ってきたのは」
『戻ってきたんかーい! 心配したやないかーい!』
『――@マスター:はっはっはー、ルネッサ~ンス♪――』
画面の中では、貴族たちが優雅にワイングラスをぶつけている。
「は……。戻ってきたよ、魔物か獣かに食い散らかされたあいつらの一部がね」
デンパの安堵する心の声を聴いて、女将は小さく息を吐き、悔しげに拳を握りしめた。
リーファが喜ぶだろうと、一緒に手を引いて会いに行った。
手紙の一つもよこせと、怒鳴りつけるつもりだった。
「――あんな姿じゃ、何も言えないじゃないか」
それからしばらくリーファは塞ぎこみ、宿屋から明るさが消えた。
『おうふ。……てか、よく身元が分かったな』
デンパのなかに正直な疑問が浮かんだ。
「……ハァ。冒険者登録証はね、魔物が嫌う臭いを発してるんだよ」
そんなことも知らないのかいと、女将の言葉に半ば呆れが入る。
何事にも例外はあるが、女将の知る冒険者たちの登録証はその場に落ちていたそうだ。
「でもね、あの子は強いんだよ。あたしらが気落ちしてるのを見て、自分がなんとかしなきゃって思ったんだろうね。無理矢理だけど笑うようになったんだ。前よりもずっと明るく、ばかみたいにはしゃいで……」
お客さんを連れてくると、北門に出かけたり、エイギルたちを見つけてお昼を食べさせてほしいと言ったり、リーファは明るく振る舞い続けた。
(……リーファちゃん)
つ、と頬に涙が流れる。
ロゼは女将やデンパに気づかれぬよう、指のはらで拭った。
「まあなんだろうね、あの子は無意識でだろうけど、連れてくるお客さんたちのことは、名前で呼ばなくなってね。どれだけ仲がよくなろうとも、遊んでもらおうとも……」
女将も、旦那も、意識をしないと名前を呼べなくなった。
情の深さが、そのまま自らの心を傷つけた。
「……だから、お客さんたちには悪いけど、あまり長く泊まらないように値段を上げたし、接客態度も悪くしたのさ」
今はそれが馴染んでいるから、不思議なものだと女将は肩をすくめた。
「あんたらには不思議とリーファが懐いているし、これから長く泊まるって言うのなら……〝絶対に死なない〟って。約束しておくれ」
「……それは」
なかなかの無茶である。
『死なない、それを言えるやつは嘘つきだ』
『無理だな』
『ハラヘッタ』
『ねむい』
『……ただ、もっと必死で生きることなら約束できる、かも。ごめん、今日も色々とやらかしてるけど反省はしている』
『ロゼと一緒にいたい』
『うわーまとまらねえ』
デンパは気の利いた言葉が思い浮かばない。
ちらりとロゼの顔を見る。
『ロゼは可愛いなぁ』
「……ええ!」
どのタイミングで!? 嬉しいけれど、女将さんの前では恥ずかしい。
というか女将さんの
「お客さーん、お食事の準備ができましたよー」
キッチンからリーファの元気な声。
「……まあ、そうだね。約束はできないのは知ってたよ。簡単に約束するとか言われたら追い出すところだったよ」
とんでもないトラップが仕込まれていた。
『ええ……答えなくてよかった』
『いい匂い――』
『おおう、腹減ったよぉ』
「あ、あはは。えと、女将さん、私はお母さんの分まで生きたい、です。だから、約束はできないけど……必死で生きようと思います」
ロゼが胸に手を当てて、女将をまっすぐに見つめる。
『ロゼと意見が完全に一致した!』
『おーぴーおーぴーおーぴーおーぴー』
『好き』
『俺もがんばる、死にたくないし!』
いくつかの意味不明な言語はさておき、女将の心に伝わるものがあったようで、少しだけ顔が和らいだように見える。
「ふんっ、そうかい。わかったよ、約束のことはいいさ。明日から2人で銅貨9枚でいいよ、銀貨2枚の太い客がずいぶんと細くなっちまったね」
『2人で銅貨20枚だったのが、2人で銅貨9枚か。元々のお値段がどれだけボッた――やわわわーい』
突然、ロゼはデンパの腕に飛びついた。
禁句に触れようとするデンパを制するおっぱいディフェンスである。
(はっ恥ずかしいけど、危ないところでした)
「キャー! お客さんたち、ラブラブー!」
「せっかく作ったデザートが温くなってしまうね」
「こらっ! あんたら、リーファの教育に悪いだろうが! さっさと離れなッ!!」
黒いパン1つと、干し肉2枚。
エンドウピース入りの野菜スープが2杯。
1つのお盆に器用に乗せて、リーファがご両人を冷やかした。
今さらだが、異世界語は全て翻訳されて、デンパが分かる言語として伝わっている。
実際にデンパが使う言葉が、相手に伝わらないことがあるのはこの世界にないものが多いからだ。
相手の言葉はこんなにも訳されているのに。
メシ、デザート、ラブラブ。おっぱい。
おっぱいは共通言語だった。
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