第27話 ぷうぷう


『――あれはアワの実だねぇ。それを集めたら石鹸やシャンプー、リンスにもできるよぉ――』


 小川の水と葉っぱ、落ちている木の枝でプラスティック製の容器ももれなくついてくる!


「プラスティックとかこの世界に流通させちゃダメだろ。でも美容系って異世界商売のテンプレだもんな。ロゼはどう思う? えっと石鹸はわかるよな、シャンプーは髪の毛を綺麗に洗浄して、リンスは艶々にするとか?」


 繊細な造りの麻袋をギルドに流しておいてどの口がと言いたいところだが、デンパはその事実に気づいていない。


 シャンプーとリンス。

 シャンプーで髪を洗浄し、リンスで保湿とダメージヘアの補修を行うことで、髪を清潔かつ健康的な状態に保つことができる乙女力アップに欠かせないアイテムだ。


「ガラスであれば中身も見えて綺麗です……」


『――ロゼちゃんも女の子だけあって食いつきが違うねぇ。ガラスなら小川の砂と石……あとは骨とか貝殻があれば作れるかなぁ――』


 砂と石、骨や貝殻があれば簡単にガラスが作れると豪語するエルマだが、デンパの〝電磁界〟から発する不思議な電磁波と謎の周波数があっての話であることを忘れてはいけない。


『この辺はチートなんだよなぁ。発想が普通だからか、ラノベの主人公みたいにフル活用できない』


 ラノベの主人公たちだって、チート能力を理解して使いこなすまでに紆余曲折を経ているはずだが……。

 人は結果を急ぎすぎる。


「出来ることからやっていく、しかないか」


「わ、私にもお手伝いできることがあれば、その……何でもします!」


『――ん? いま、何でもするって言ったよねぇ?――』


 画面のなかでは、モザイクのかかった中年男性が宅配業者に苦情を言っている動画が流れている。


『おい、それ元ネタわかってて使うなよ。ロゼは女の子だぞ』


 セリフだけが広まって、本来の使い方からずれた使用をデンパは見逃さない。


「えっと……? とりあえず集めますね」


 触れてはいけない話のようなので、小川の近くでアワの実の採取を始める。


「それじゃ俺も……あれ?」


 デンパも何かしら素材を採ろうかと、周囲を探る。


『見られている? あと、なんか嫌な予感……』


 自然と大鎌を持つ手に力がこもる。


「そこォっ!!」


 デンパの後方、大鎌を水平に一周させて草を薙ぐ。

 草についた霜が飛散し、陽に反射して少し幻想的な風景のなか、デンパが見たのは――


 ――プッ?


『ウサギ!?』


 ふわっふわの柔らかそうな白い毛、丸みをおびた顔に大きくてつぶらな赤いお目々。

 デンパと目が合っている状況でも逃げず、首を捻ったり、鼻先でなにかを嗅いだり忙しい。

 長い耳を片方だけ折り曲げ、ぴょんぴょんと跳ねながら少しずつデンパに近づく警戒心のなさが見える。

 体長26センチほどで、大きさも可愛い。

 1点、変わったところでいえば、お腹に育児袋のようなポッケがついている。


 ――ぷうぷう。


 ウサギはポッケから人参のような色味の細長いものを取り出し、先端をかじって尖らせている。


『ぐはッ!』


 あまりの可愛さにデンパは思わず片膝をついた。


「コワクナイヨー」


 ゆっくりと手を伸ばしたとき――


 ――プウ……? キュッ!


「え……?」


 ぴょんっと跳んだウサギが、さっきまでかじって尖らせた部分を下に向け、デンパの手のひらを勢いよく突き刺し貫通させた。


「ッッ!? うわあッ」


 デンパが驚きと痛みで、思わず手を振ると、白い雪の上に赤黒いものが足元に転がる。 


 よく見ればそれは――


「指ぃぃいいい!? ひぃえ、グッッロオ! やめてもう痛い痛い、見てて痛い、てか刺さったところが痛い、見るのもこわいこわい……」


 デンパは痛みにとても弱い。


「デンパ様ッ! 大丈夫ですか!」


 恐怖と焦りからぐらぐらと揺れる視界のなか、ロゼの心配する声が耳に届いた。

 目の前にはいつの間にか瞳孔が黒く変色したウサギが、まさに顔中から細長い棘を伸ばしてデンパに飛びかかろうとしている。


『なんデ? ナんでこンな!? 痛いのはコイツに飛んデケーッ!!』


 コンマ何秒の世界。

 デンパの電波がウサギに向けて飛ばされる。


 ――ッ……ップ? ププッ!


 男の手のひらに開けたはずの穴が塞がり、自分の前脚に穴が開いている。

 一瞬だけウサギは戸惑ったが、今は目の前の敵を排除することに集中する。


 ――ププゥゥウウ!!


 ウサギは発達した後ろ脚で大地を蹴り、棘だらけの顔を向けてデンパに跳ぶ。


(危ないッ――)


 ロゼの手にはグリーンラットのナイフ。

 刃渡り20センチ、現在のデンパとロゼの距離は1メートルと少し。

 本来であれば届かない距離を、エルマのつけたトンデモ能力がその差を縮める。


 ――プ……キュ……。


 ウサギの棘がデンパの眼球を貫くまで数ミリ。

 ロゼのナイフ……と呼んでいいか分からないほど細く尖った先が、ウサギの頭を貫いていた。


「へ、へえぇ……」


 頭を後ろにそらしたまま、デンパの腰が抜けた。

 棘の生えたウサギはバタバタともがき苦しんでいる。

 細長く尖った針では絶命をさせることはできなかった。


『――ロゼちゃん、とどめをお願い――』


「あっはい……っ! うぅ、ごめんなさい」


 ロゼとウサギの距離が縮まると、その分ナイフの刃も元の形状に戻っていく。

 長細い針が次第に厚みを増していき、ナイフの形に戻ったところで、ウサギの頭は二つに割れた。


 一度グリーンラットの命を奪ったとはいえ、その行為には慣れない。

 ウサギの惨状を見て謝罪の言葉を口にする。


『――はあい、よくできましたぁ。〝収納くん〟起動――』


 エルマの冷静な言葉とともに、棘ウサギの死体が光に包まれ、デンパたちの視界から消える。


「えっと……何があった」


「わ、私も夢中でしたし、このナイフ……どうして?」


 二人はいまだに状況整理ができていない。


『――マスターが可愛いウサギさんと思って近づいてぇ――』


 画面のなかで、デフォルメされたデンパがウサギに近づくアニメが表示され、


『――手を伸ばしたら、ウサギが手に持っていた自主規制ピーーーで、マスターの手を刺しぃ――』


 閲覧注意画像にはモザイク処理がなされている。


『――ウサギの顔中に棘が生えて、集合体恐怖症のメンタルをえぐりつつ、マスターに飛びかかるぅ――』 


 画面のほとんどがモザイクとなった。


『――マスターの背後からロゼちゃんがナイフで切りかかってぇ――』


 それだとロゼがマスターを襲っているように聞こえる。


『そう、ナイフ。短剣ね、短剣なのにニョーンって細ーく長ーく。細剣レイピアになるみたいな?』


『――そそっ! レイピアにしては長すぎるけど、それでウサギさんを刺して動きを止めたのぉ――』


「こ、このナイフはどこまで刃が伸びるんですか? それにこの切れ味って普通、ですか?」


 デンパの心の声に、エルマが続き、ロゼがナイフの〝普通〟を確認する。


『――えっと切れ味は落ちるけど、刀身の分だけ細くしながら伸びるよぉ。そして針のようになっても折れないんだよぉ――』


 物理学を真っ向からぶん殴るエルマの発言。


「……デンパ様。わ、わたしこんな凄いもので採取してました」


「エルマの作る物をしっかり調べてない俺が悪い。それに俺はぜんぜん怖くて動けなかった……、下手したらウサギの棘が目から頭のなかまで届いていたかもしれない」


 それは〝死〟を充分に感じられる出来事だった。

 背中を冷たいものが走る。

 人はこうやって何度も経験して学習する。

 命の軽いこの異世界では、その〝何度〟が一度で終わることが多いというだけだ。


「……ロゼ」


「は、はい」


 いつもと違った表情……いやデンパの表情はいつもどおり淡白だが、真面目な声だ。


「俺、たぶんさっきロゼがいなかったら死んでたと思う。もしくは失明してた……だから、ありがとうございます」

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