第23話 道ばたに転がるストリートなおっさん


 平民区のなかでも危険な森に近い北側は、無級や石級の冒険者、孤児が住む地域だ。

 荒れた道には草が茂り、大きなくぼみに足を取られそうになる。

 快適シューズがなければ何度か足をグネっていただろう。


『屋根に穴、壁にも穴、地面も穴。穴だらけだよ……』


 道沿いには、つぎはぎだらけの木板でできた屋根と、隙間からのぞき放題の壁が増えてきた。


 窓枠はあっても、窓ガラスのない家。

 窓ガラスが割れたままの家。

 煤けた窓ガラスはあるが、戸がない家。

 洗濯物を干すマダムの姿や、大声で騒ぐ子どもの声も聞こえるから、人は住んでいるらしい。


『昼すぎなのに、地べたで寝てるおっさんとかいるし……』


 道ばたに転がるストリートなおっさんをデンパは見る。


 体は少し震えていて、アルコール中毒のような感じだが、酒臭くはない。

 腰回りにナイフや袋をつけ、ほつれた革製の服と木綿地のパンツルックのおっさんだ。


 リーファはよくある風景だと、転がるおっさんを避けて少し先まで歩いたところで、振り返った。


「ここですっ!」


 じゃーんっと、リーファが手を伸ばした。


 周囲の住居とは違い、しっかりとした造りの宿屋……と思われる家屋が現れた。

 壁や屋根、草木にまで涙ぐましい手入れのあとがあるものの、


「ぼっ――」

『――ろいな……!』


 全ては口に出さずとも、心からは出る。


「誰がボロ宿だいッ!?」


 シュッと風を切る音がして、開けっぱなしの戸の向こうから細長い木目の棒が飛来し、デンパの頬をかすめ、背後の木に勢いよく刺さる。

 家の中から聞こえる女の声は、少しかすれてはいるものの力強いものだった。

 

「……え? さい、ばし?」


 デンパの頬につーっと赤い線が引かれ、遅れて痛みがやってくる。


『なにがあった!?』

『え? えっえっえ!?』

『痛い痛い痛い痛い痛い痛い……! 痛いのはとんでけぇー! あれ、痛くなくなった……?』


 視線をさまよわせるデンパに、リーファがやれやれと両手を上にあげ、


「お客さま、うちの宿をボロいとか、倒壊しそうとか、銀貨1枚はボッタクリとか言っちゃダメなんだよ」


 人差し指を左右に振る。


「だからボロいとかッ!」


 ひゅっと風が鳴り、さきほどの菜箸さいばしの対となる一本が木に刺さり、


「壊れそうとかッ!!」


 ごおっと風を巻き込む勢いで鉄の皿が、菜箸が刺さった場所より少し下に食い込み、


「さっきから誰がボッタクリとか言ってんだいッッ!!」


「ちょ! 俺は言って、なぁああぁぃいッ!? ぐはあ!」


 男が吹き飛ばされて木に当たり、皿が外れて男の頭に乗り、そのうえに菜箸がカランと落ちた。

 冒険者の出で立ちをした男は白目をむいて気絶している。

 ストリートなおっさん二人目の出来上がりである。

 二人は昨日セガイコに到着し、看板娘リーファの誘いによって一泊した冒険者たちだ。


「ふんっ! 二度と来るんじゃないよっ!」


 両手をぱんぱんと叩きながら、宿の女将が出てきた。

 丸みのある体型で、見るからに頑丈。

 たくましい眉毛の下についた鋭い眼で、二人を順に睨みつける。

 残念ながら二人とも気を失っているので効果はない。


『げっ激おこメギドファイアーぷんぷんファイナルマーベラス……』


 これがギャルの怒りの何段階目の活用なのか、デンパもよく分かっていない。


「あーあ、また追い出されちゃった」


「おや、リーファじゃないか。ほら、お昼できてるからさっさと食べな」

 

 リーファに気づいた女将は、温かい声色に変え、目尻を下げて笑みを浮かべた。

 ひっつめ髪が少し乱れ、輪郭をたどるように髪の毛が何本か飛び出している。

 年季の入ったエプロンを身に着け、中に着込んだチュニックからはロゼにも負けない成熟した谷間が見えている。


「ただいま。お母さん、お客さん連れてきたよぉ!」


「おやまあ! なんていい子なんだろうね。天使だよ、リーファは天使だ」


「えへへへへ」


 リーファは女将に飛びつき、女将は優しく受け入れた。


『@ロゼ:念話オン! なかなか強烈なんだけど、俺らってここに泊まる流れだよな……念話オフ』


 デンパがロゼに念話を送り、ロゼはこくこくと頷いて『その流れだ』と少しだけ困った顔で同意した。


(デンパ様の正直な心の声を逸らすためには……)


 ごくっと喉を鳴らし、ロゼはデンパの腕をとる。


『あふぅ! や、やわわわぁ――』

 

 デンパの頭は柔らかさでいっぱいおっぱいになった。


「なっなんだいこの間抜けな声は?」


 女将の目の前には、リーファが連れてきた客が二人のみ。

 気づけば腕組みして、イチャイチャを始めている。


『やわわわぁ……やわわわぁ――』


 デンパの念話。

 指定した生き物に心の中で思い描く言葉や映像を送ることが出来る。

 指定していない場合はもちろん今までどおり垂れ流しである。


「気持ちの悪い声出さないでほしいよまったく。――それで、あんたらはお客さんなのかい? うちは一人銀貨1枚で、朝と晩に食事がつく。壁はご覧のとおり薄いからね、子どもの教育に悪いことはしないでおくれ」


 若い男女が昼夜問わずにパッションパッションするのは、別の場所でやってほしいと、女将はやんわりと伝えた。


「そっそんなことしませんっ!」


 心なしかだらしない表情のデンパはさておき、ロゼは耳まで赤く染めながら少しだけ声を張った。


「はん、どうだかね。それでどうすんだい? 泊まるんなら先払いだよ。あとで返せって言ったり、文句でも言おうもんなら、コイツらみたいになるよ」


「……えっと泊まりたい、です。それと明日以降も予約とか出来るんですか?」


「予約? こいつらみたいに文句を言わなきゃ、いくらでも予約してもらってもかまわない……って言いたいとこだけど、手付けで銅貨1枚は払ってもらおうかねぇ」


 なかなかしたたかな女将だ。


「お母さん、そろそろ離してー。っとと! よーし、それではお客さん! お二人様をご案内しまーす」


 女将から解放されたリーファが、少したたらを踏んだあと、デンパたちを宿の中へと案内する。


 宿に入ると、古い木の香りが二人の鼻孔をくすぐる。

 薄暗い床がぎいぎいと音を鳴らし、盛大に客の到来を室内に知らせている。


「お母さん、早くー! 受付がいないよー!」


「そりゃそうだ、あたしとリーファと料理人の3人しかいないからね!」


 どたどたとデンパたちを追い越して、受付カウンターの中に入って、母から女将の顔に変わる。


「〝ヨーヴィスの眠り亭〟にようこそ! 木の神使しんし様もゆっくり眠れる宿って意味さね」


 たいがいの宿泊客は、夜の風が寒くて眠れないらしいが。木のヨーヴィスは1月と5月を担当している神使さんだ。


「えと、これ銀貨1枚と銅貨10枚、です」


 ロゼが袋からお金を出して、カウンターに置く。


「……はいよ、たしかに! 食事は2回、朝の鐘と夜の鐘が鳴ってあたしらが食事を終わらすまでだ。片付けは一度にしたいし、あんたら冒険者は時間を気にしないからね…………待っててもきりがないのさ」


 仕方ない奴らだと、女将がため息を吐いた。


「お母さん! リーファが案内係やるね!」


「まあ! なんていい子なんだろうね。それじゃリーファにお願いするよ」


 女将の顔から母の顔へ。

 リーファをつくるときはメスの顔。


 客とはいえ変な振る舞いをすれば先ほどの冒険者たちと同じ運命を辿る。

 ロゼは心配と不安から、デンパに余計なことを考えさせないようにと、自然と抱きついた腕に胸圧をかけていく。


 ロゼは大事なことに気づいていない。


 ロゼのこのくっつき行為は、傍目にはバカップルにしか見えないこと。

 女将やリーファが二人で一つの部屋に宿泊する前提で会話をしていたことに。


『ほにょにょにょにょ――』


 強まる胸の感触により、デンパは骨抜きになった。


「はっ! 若いっていいねえ。そんじゃ、あんたらの部屋はそこの廊下を進んで一番奥だよ。あたしらが寝てる部屋から一番遠くしとくけど、夜中の声はよく通るから気をつけておくれ」


「……あ、はい。ははは」


 女将の気遣い。

 ロゼは体温が上昇していくのを感じながら、顔をひくつかせながら笑った。


「2名様、ご案内でーす!」


 リーファを前にして、廊下を進むと奥にある部屋にたどり着く。

 その部屋はギルドの宿泊施設6人部屋に比べれば当然のように狭いが、外観のボロさとは裏腹に窓のまできっちりと埃が拭き取られた清潔な空間だった。

 大きな窓はくすんではいるものの、差し込む光をしっかりと室内に通している。


「それじゃ、ごゆっくり!」


 リーファが手をひらひらとさせながら、扉を閉めた。

 バタンっと音がしたあと、しばしの静寂。


『ほにょにょにょにょ……』


『――@ロゼ:ねぇ、いつまで腕にしがみついてるのぉ?――』


「はっ!? ご、ごめんなさい」


 ニヤつくエルマのツッコミで、慌ててデンパから離れるロゼ。

 ベッドは二つ、鍵付きのタンスが一つというシンプルな部屋だ。

 なお、タンスの鍵は壊れていて誰でも開けられるようになっている不親切設計である。

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