第20話 ラブテロリストの魔手
「ぐぬぬ……それじゃないんだなぁ。俺も冒険者としては魔物を狩ってみたいというか」
まだどこか現実を見ていないデンパの言葉。
無表情ながら声色は軽薄だ。
『――@マスター:えー、それなら目を瞑るのはやめたほうがいいよぉ。人が近くにいたら危ないしぃ――』
「アーマーベアのときは夢だと思ってたところもあったけど、俺、今回は明確に命を奪おうとしているんだよな……」
ここはゲームではなく現実である。
元の世界でも殴られることはあっても、殴り返すことができなかったし、小さな羽虫にさえびびって手で追い払うだけだったデンパにとって、魔物を殺すという行為はハードルが高い。
大鎌を振り回すとき、魔物とはいえ命を奪うことへの恐怖から、デンパは無意識下で目をそらしてしまっていた。
「おん? なんだよ兄ちゃん、生っちょろいことぼやいて。やる気がねえなら場所を変わってくれよ」
「……っす」
グリーンラットの狩り場にも限りはある。
冒険者たちも遊びではない、見た目は一人前以上に立派な装備に物々しい大鎌を持つ細身の青年が、巣穴の前でグリーンラットごときに躊躇いを見せている。
少々厳しい言葉になっても仕方ない。
デンパは大鎌を引きずりながら巣穴から少し離れた場所へと移動し、交代した冒険者を見るともなく眺める。
冒険者は腰につけた袋に指を入れ、巣穴正面から少し離れた場所にいくつかの黒い塊を撒き、自分は巣穴の裏側の草むらに回り込んで静かに息を潜めた。
『――@マスター:あれはパンくずですねぇ――』
デンパがスマホを見ると、画面のなかには白髪を後ろに流し、糸のような細い目にメガネのご老人の姿がある。デンパのいた国でかつて北国に動物王国を築き上げたあの人だ。
『――@マスター:ほら、もうすぐ出てきますよ。鼻先にセンサーがついているんですねぇ――』
デンパの体感時間で数分、実際には数十秒が経つと、草色から土色へと体毛変化しかけたグリーンラットが巣穴から顔をのぞかせ、鼻先をひくつかせながら周囲の探っている。
――チチッ、チチチッ。
一匹が警戒しながらも、パンくずに近づき欠片をかじり、また鼻先をひくつかせる。
――チッ、チッ、チッ。
『――@マスター:あー、これは仲間に安全だと合図を送っているんですねぇ。ドキドキしますねぇ――』
ムツゴロ……もといエルマが静かに興奮している。
――チー、チー。
――チッチ。
――チチチッ……。
大小合わせ数十匹のグリーンラットが巣穴からパンくずに群がり、げっ歯をむきだしにしてかぶりつこうとしたとき、草むらから一つの影が躍り出る。
横に一閃、冒険者が剣を振り、3匹のグリーンラットが小さく鳴いて動きを止め、さらに四散しようと背を見せた1匹を剣先で突き上げ、デンパの足元へと
小さい個体は見逃し、大きな個体だけを追いかけつつ、冒険者はデンパに顔を向けた。
「兄ちゃん、それ一匹やるから殺せ。ああ、殺すときは目をそらすなよ」
「……え? これ、を、俺が……?」
べしゃりと落ちたグリーンラット。
息も
デンパに対しげっ歯を見せて威嚇する。
『ウワっ、えっぐい……』
デンパの大鎌を持つ手が震える。
水平に構えた鎌の刃先を下におろすだけで、命を簡単に奪うことができる。
柄を握る力は強まるが、腕が、体が動かない。
「早くやれっ! そいつらの肉は俺たちの金であり、不味いがメシにもなる。田畑を荒らす害獣だし、ガキどもがかじられて怪我をすることだってあるんだ。てめぇも冒険者になるってんなら、肚を決めろぉ!」
狩り場を譲られたお礼とばかりに、デンパの悩みを見抜いた冒険者流の手荒い激励が飛ぶ。
『……んだよ、俺は知らないよ。ライトノベルの主人公たちはさっくり殺しているけど、こんなの……無理だろ』
『無理無理無理――』
『田畑を荒らす害獣だからなんだ? 俺には迷惑かかってない』
『メシの種? 不味いんなら狩るなよ、やめてやれよ』
『
『こんな臆病なネズミが牙を向けるってことは、ガキどもがちょっかい出してるんだろうが!』
『俺は知らない、俺はやりたくない、俺は――』
スーパーで売られているパックに入った魚の切り身が、そのまま海で泳いでいると思う世代だ。
冒険者の一理を否定し、自らが殺さなくていい理由を模索する。
動物愛護の精神、自分は拉致られた被害者だ、倫理観はないのかと。
異世界で活躍する主人公を夢見て、王道の勇者召喚、おまけ召喚からの追放ざまあ、転生者となって俺強えする物語や、自分のような突然の異世界転移をしてしまう話も頭には無限に入っている。
しかしいざ我が身となると、体が拒絶する。
命を奪う行為を忌避して、正当化する言葉でもって自分を誤魔化していく。
一方で生きるためにやらねばならないという思いも激しくこみ上げる。
『
17年の経験値では判断できない難題を前にして、体が重く沈む感覚に陥るデンパ。
冒険者が期待外れの新人に向けて舌を打ち、デンパの足元に転がるグリーンラットの命を奪おうと歩を進めたとき――
――ザンッ……。
大鎌が無慈悲に振り下ろされた。
切れ味が良すぎて地面につくまで何も感じない。
自分の頬に返り血がかかり、そこで初めてデンパは自分の鎌がグリーンラットの生命を奪ったことを自覚した。
「……え」
自分のそばに立ち、自分と一緒に鎌を持つロゼを見る。
「ロゼ……なんで殺した」
ロゼを責めるわけでもない、ただの事実確認だ。
能面のようなデンパが発する言葉を、ロゼがどう受け取るかは別として。
「わっ私が一人でやるつもり、でした。……その、デンパ様ごめんなさい」
何への謝罪なのか。
命を奪ってしまったことか、デンパの意思に反したことか、それともデンパを共犯にしてしまったことか、衝動的に動いたロゼにも答えは分からない。
『ロゼ……? いつの間に……』
冒険者の言葉にデンパは頭が真っ白になり、気づけばロゼと一緒に足元で動きを止めたグリーンラットに鎌を振り下ろしていた。
「……ごめんなさい。夢中で、なんとかしなきゃって」
薬草の採取とグリーンラット狩り、二つの常設依頼。
ロゼは当然のように薬草の採取を選んだ。
武器を手に取ることも意識の外にあり、グリーンラット狩りはどこかで男の仕事だと考えていた。
だから、デンパの懊悩の叫びが聞こえたとき、自分が戦うという選択肢をはじめから放棄していたことに気づかされた。
グリーンラットの命を絶つ。
素手で、足を使って、ロゼはデンパに近づくなかで命を奪う選択肢を消していき、大鎌を使うことに決めた。
これから自分が奪う命から少しでも距離を取りたくて。
「わたし、何も考えてなかった。だけどこの子の命を自分の手で……なんてできなくて」
ロゼがぽろぽろと涙をこぼし、大鎌の柄を伝ってデンパの手を濡らす。
弱い自分、甘い自分を嫌いになる。
反省し、反省し、反省し、それでも行動できない自分を呪う。
最後の最後で間接的な殺し方を選び、デンパも結局巻き込んでしまったことに後悔の念が宿る。
本当はデンパの隣に立ち、彼が持つ大鎌を自分が取り、足元で小さく痙攣する魔物の命を奪う予定だった。
「デンパ様の大鎌をお借りしようと思ったのです……」
しかし、デンパの柄を握る力には勝てず、焦りから変な力が入り、結果として二人で鎌を下ろす形となった。
「あ、ありがとう……」
ロゼから出る少ない情報をつなぎ合わせ、自分を守ろうとしてくれたのだとデンパは理解した。
情けない自分、共犯者ができてどこか安堵している自分、ロゼに対しての感謝と罪悪感を抱く自分。
『……夢、じゃない』
『前も今も現実なんてこんなもんだ』
『ギフトがあろうが、スマホがどれだけ便利になろうが、俺は結局変わっていない』
『女の子にいいとこ見せたい』
『知らない世界で一人。憧れたファンタジーの世界が現実にあって、俺はどうしたい』
『肚を決めろ、か』
朝からロゼに一緒にいてくれと懇願し、今もまたロゼに心を守られた。
ヘタレな青年の瞳に、ほんの少しだけ灯りがともった。
「デンパ様……は、一人では、ない、です」
自分がいる。
デンパの心細さを埋める役割があるのなら、その役目を自分がやると。
何も出来ない自分に出来る恩返しだとロゼはデンパを見つめる。
「……ロゼ」
潤む
二人の距離がまた少しだけ近づこうとしたとき。
『――うわお! まるでケーキ入刀だねぇ――』
――初めての共同作業はグリーンラットで。
スマホから場違いな音楽が流れ出す。
結婚行進曲――1842年にフェリックス・メンデルスゾーンが作曲した劇付随音楽『夏の夜の夢』作品の一曲。パパパーンパパパーンで始まる明るい音楽だ。
――ふたりの幸せと、これからの人生の繁栄を願う。
――ふたりの大切な人たちと、これから訪れるふたりの子供へ、幸せを分かち合う。
――ふたりの手と手を取り合い幸せになるという誓う。
――ふたりの愛の証として。
諸説はあるが、結婚式でのケーキ入刀には意味がある。
『ないわー。ここでそれはないわー』
心のなかで冷めたツッコミを入れつつも、肩の力が抜けるデンパ。
(あ、えと……私、また恥ずかしいことを)
顔を赤らめ、目をつぶるロゼ。
エルマの空気破壊活動により、ラブテロリストの魔手から世界は救われた。
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