第19話 異世界はやはり世知辛い


 行商人の男がウインクをして、隣の彼女にプレゼントしてはとアピールする。

 本日のウインク、二人目も男である。


『相場からしたらすごい値引きなのかもれないけど……。あ、さっきの報酬、ロゼとの取り分決めてなかったし、昨日の登録料も宿代も払ってないぞ! 折半だと銅貨18枚分、一人9枚か。いや、そこから登録料1枚、宿代3枚は世話になってる分、2枚出す。――あ、手持ちの銅貨6枚しかなくね?』


 商人顔負けの高速計算により、自分の使える額を弾き出す。最後の手持ちがいくらかだけは、男にも聞き取れた。


「かぁーっ! お客さん、商売上手だな。よし、そんじゃ初回割引で銅貨6枚でどうだ。彼女にいいとこ見せてやれよ」


 大仰な身振りで顔を手で覆いながらも値引きング。


「あ、あのこれ……いえ、私は、その大丈夫です」


「なにか?」


 何かに気づいたロゼだが、行商人の圧が何も言わせない。


『いきなり宝石のプレゼントってキモくないか。というか、俺が一文無しは男としてというか、人としてダメだろ。払えんッ』


「く……わかった! これ以上は大損だけど、俺も男だ。お客さんのために人肌ぬぐぜ。――銅貨4枚! どうだいっ!」


 会話をするたびに値引きがなされ、最初の提示からすると半分の価格である。


『うぉ、どうしようか』


「……あのデンパ様」


 ロゼが口を開きかけたとき、


『――@マスター:ロゼちゃんは気づいてるけど、マスター偽物にせもんだよぉ――』


 ゴザの下に敷かれた板に傾斜をつけて、陽の光で並べた石が反射で光るように計算しているが、アイセリアンは深く静かな青の輝きをはなつ。

 そもそもどれだけ小さくても金貨1枚以上の価値があり、さらにはエグゼビアの角からセガイコまでの持ち込み費用だけでも、すごい金額になるはずである。


 異世界人のデンパにはわかるはずもないが、スマホの画面につらつらと説明文が流れてしまえば、パチモンだとしっかり理解できる。


『……ヒルガエル? ……にせもの?』


 細長いカエルのフォルムで、頭部に目鼻がなく口だけ。その周りに吸盤と歯がぐるりと配列されているぬめぬめした青い生き物の画像が表示され、その生き物の口に石ころをつめる動画が再生され、お天気のしたで干される画像に変わる。


「おいおい、なんだよ急に。このアイセリアンがヒルガエルだとでも言うのか? バカ言っちゃいけねえよ、ほら手に取って見てみろよ」


 行商人は怒りだした。

 人は図星をつかれると怒りの感情が増幅するのだ。


 勢いに押され、デンパが手を伸ばす。


『――@マスター:手に取っちゃダメだよ。傷物になったとか、お金払わないと泥棒だとか言われるからねぇ――』


 エルマの忠告で、反射的に手をひっこめる。


「こわっ! 行こう、ロゼ。こわっ! 異世界こわっ!」


「あ、はい! えと、ごめんなさい」


 デンパが手を交差させ、両の二の腕をさすりながら歩き出し、ロゼが愛想笑いを浮かべながらぺこぺこと頭を下げ、その場を去った。


 銅貨1枚。

 デンパの国なら、地方都市のランチ一食分と食後のコーヒーがつく程度の価値がある。


 貨幣単位で最も小さい額が銅貨1枚である。

 それ以下は物々交換や労務の提供で成立する世界では、そもそも町や村に住まう人たちが住居を移転することがあまりない。

 ボロいながらも家と土地があり、畑があり、手に職がある。

 家族と友が近くに住み、安全な生活の保障料として税を領主に納める。


 住所不定の行商人たちは、町中で堂々と商品を販売することもできず、町の入り口辺りで露店をするしかなく、商品そのものも原価のかからないものを選ぶ。

 銅貨1枚で生きるか死ぬかの生活を送っている。


 異世界は世知辛い。


「チッ! 冷やかしかよ、くそが! おい、お前ら変な噂流して商売の邪魔したらただじゃおかんからなッ!」


 にこにこと笑っていたのが嘘のように、嘘だったが、豹変した行商人の言葉がデンパたちの背中を刺す。


『おー、こわっ! アイセリアンじゃなくてヒルガエルの皮だってさ、いやーないわー、詐欺だわー!!』


 怒りの感情は心の声を大きくする。


「……あ」


 ロゼが気づいたときにはもう遅い。

 デンパとすれ違う人、まわりに座る行商人、掘り出し物を探す冒険者たちの耳にしっかり届いている。

 デンパが先ほど確認したスマホの画像も彼らの脳内にお届けしている。


「あいつバカだな、バラされてやがる」

「あの行商人、以前にも揉めていたぞ」


 行商人を嗤う者、警戒のレベルを引き上げる者、様々な声がある。

 そのなかに、


「へー、石ころにヒルガエルの口に入れて干すだけなんだ、へー」


 やり方を模倣しようとする者までいて、この街からあくどい商売がなくなる兆しはない。


 異世界はやはり世知辛い。



 北門からセネンジア領都へ向かう道。

 馬蹄の跡や冒険者や行商人たちが踏み固めた道を進み、途中からくるぶしよりも少し高い場所まで伸びた草むらへと道を外れる。


 セガイコの冒険者たちが常設依頼をこなす場所として定番といえば〝ロデンターラの放牧地〟。


 膝上まで伸びた草むらのなかには、スコシナオリ草やナオラナサ草が群生しているスポットがあり、短く刈られた草と石が集まる場所はグリーンラットの巣穴の目印とされている。


 エアップルの木がぽつぽつと育ち、花を咲かせる準備をしている。


 少しだけ冷たい風が草木を揺らすなか、


「ンっ! ンンっ、ふうぅ……ンっ! ハァハァ……ンッ!」


 どこからともなく少女の荒い息遣いが聞こえてくる。


 前へ後ろへと頭を動かすたびに、淡藤色の髪のすきまから白いうなじがこぼれ、前かがみの姿勢からは、グラシアン連峰にも負けない真っ白い山々が大きく揺れている。


「フッ! んん、ンっ! ……ハァ……はあンッ!」


 顔を上げたときに汗が弾け、陽射しに反射してきらきらと落ちていく。


「はあっ、はぁっ………………んぅ……っ、と、採れましたっ」


 汗だくになったロゼが、嬉しそうに自分がヌいたスコシナオリ草の根を眺め、うんうんと頷いている。


「コラっ! そこの新人ッ! 根っこから抜いたらもう生えねえだろうが! ここらで採っていいスコシナオリ草は膝上まで生長したやつだけだぞ!!」


「えっ!? あ、ごめんなさい! 私ったら……」


 一生懸命に両手で引っ張り出した根っこを、慌てて地面に埋める。

 自然の草原地帯ではあるが、常設依頼を効率よく達成できるための冒険者の手入れがなされており、薬草の群生地で根っこから抜いていいのは雑草であるナオラナサ草ぐらいだ。


 デンパの持つ〝なんでも採取手袋〟を借りることを甘えと断じ、素手に草を引っ張るという間違えた方向でロゼは頑張りを見せた。そして近くで採取していた冒険者に叱られた。



 一方のデンパはというと、


『そっと……そぉおっと――』


 ――チチチッ!


 アーマーベアの大鎌を構え、巣穴の近くで鼻をひくひくさせているグリーンラットの背後から忍び寄る。

 隠密効果は高いが、心の声は出ている。


 周囲の草むらの色に合わせた毛並みを持つグリーンラット。

 平均が体長20センチ、デンパがいた世界のネズミを基準にするなら大きいサイズである。


『せーのぉ!!』


 大鎌を大きく振りかぶり、一閃――


 ――ヂュチッ!


 声に反応したグリーンラットは、巣穴へと素早く身を隠し、通り過ぎる大鎌は周辺の草を刈りとった。


「くそ、なんでだ? 隠密効果、仕事してんのか!?」


 エルマお手製のコートの袖のボタンをねじねじ回す。


「ッ!? なんだよ、誰かいたのか。全然気づかなかったぜ」


 誰もいない狩り場だと思って近づいてきた冒険者に驚かれる。

 狩り場は早いもの勝ちで、先輩も後輩も関係はない。

 冒険者は別の狩り場へと移動し、残されたのはデンパと巣穴の奥から外の様子を探るグリーンラットだけだ。


『――@マスター:大鎌についてる採取効果で、いくつか果実が採れてるよぉ――』


 群生地ではないが、スコシナオリ草はどこにでも生えている。

 さらに、膝上程度の背丈の木には、赤や青、黒いベリー系の実もなっている。

 適当に振るだけで、収納くんのリストは着実に増えているとエルマはのんきに報告した。


 ロゼのいる薬草の群生地で近くでやれば、周囲の冒険者から反感を買うところである。

 もちろん優秀な大鎌は、膝上まで生長した薬草しか狙わないが。

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