第16話 すみません、うまく聞き取れませんでした


 すーっと床にデンパが額をつけ、


「捨てないでくれぇ! 一人ぼっちは嫌だぁ! コミュ障の関係構築能力の低さ、舐めんなよぉ!」


 眉根を微妙に寄せる程度の表情ではあるが、心の声ではなく、きちんとしたデンパの声だった。

 ややうわずった、心の叫び。


 元の世界で、何食わぬ表情で生きてきたボッチ。

 少ない男友達を除いて人との触れ合いのないデンパが、異世界で美少女に優しくされればころっといっちゃうのは無理のないこと。


『――あぁ、これも吊り橋効果の一種なのかなぁ――』


 吊り橋効果――不安や緊張から近くにいる存在に対し、強いデスティニーを意識し、ライクやラブな感情をミスアンダスタンディングしちゃう社会心理学の用語である。


 都会のスクランブル交差点から、不気味な森の中に招待されたデンパ。

 初めての戦闘、初めての異性とのしっかりとしたやり取り。


 依存しても仕方ないだろう。


 エルマが考えていたよりも、ボッチメンタルは貧弱だったのだ。


 自分の主人が見せるプライドも何もない、二つ下の少女への必死の懇願。


「え、えええ!?」


 ロゼの決意すら吹き飛ばす、勢いのある土下座。


「そ、そうだ! エルマ、あのーあれだ。ロゼのおばあちゃんの具合とか調べてくれ! 放射線? 最大出力でかけたら良くなるかもしれないし!」


 放射線は用法用量をしっかりとお守りください。

 でなければお祖母様のお命はありません。

 ずいぶん怖い広告ができそうだ。


『――……うーん、まあマスターがそう決めたのなら。検索するねぇ〝セシリー・セネンジア〟〝旧姓イグザファル〟〝四女〟〝セガイコの町〟〝病〟――』


 図書館風の背景のなか、学帽をかぶったエルマが肩まである銀髪の先を揺らしながら、一心不乱に分厚い本を読み始める。

 時々、顔をあげるとぐるぐるメガネがキラリと光る演出付きである。


「もしかしてお祖母様のご病気を、デンパ様のお力で治せるのですか……?」


「あ、いや、治せるか分からないけどさ。おばあちゃんの病に効く薬草とか木の実とかあれば探せるし?」


 エルマによる検索待ちの間、答えのないやり取りをする二人。


 デンパはとにかく気を引きたい。

 一から知らない人と仲良く話せるようになるまで、毎日会えたとしても1ヶ月はかかる。

 ロゼの場合は、デンパの晒す本音に応えるために、赤裸々に1ヶ月の時間の壁を早々と突破できている。もちろん名前の呼び捨て効果も高い。


 名字から名前、ニックネームへ。冗談の度合いや趣味の公開、話し方を少しずつ変えて相手の反応、距離感を測る。

 これがデンパのの関係構築方である。


 幸いにしてデンパのなかで、ロゼとの関係構築はこの方法で上手くいったと考えている。

 友達は無理だとしても、気軽に挨拶できる知り合い程度の関係性がないと寂しすぎてメンタルが死ぬ。


 異世界ボッチはとにかく必死だった。


 一方のロゼは新しい情報の処理と、結果としてデンパに期待している自分の甘ったれな部分で自己嫌悪をしつつ、自分に好意的な言葉をくれるこの男ともう少し一緒にいたいとも考える。


 人それぞれ思いや願いは違い、口に出さなければ誰にも伝わらないのだ。


『――……はいっ! 病名、気管支炎喘息きかんしえんぜんそく。発作から死亡までの状況は、突然の発作で急死が29・8%、不安定な発作の持続後の急死が16・2%、不連続な発作後の急死が17・2%で、重い発作で苦しみながら悪化して亡くなるよりも、圧倒的に急死が多いんだってさぁ――』


「……急に、死ぬ!? ああ! お祖母様……ロゼは不孝者です」


 今度はロゼが土下座形態へとフォームチェンジ。

 ロゼの場合は床に突っ伏しただけだが。


 お互いに土下座のポーズ。

 床に置かれたスマホの画面だけがピカピカと光る謎の空間が完成した。


「えーと……、この格好のまま言わせてもらいたいが、エルマくん」


『――はーい――』


「うん、とっても良いお返事だけれども。……誰が病名と死因を克明に告げろと言ったよ! ――決めた……これからお前を壁に全力で叩きつけるの刑に処す!」


 ゆっくりと話しながら体を起こし、スマホをがっしと掴んだデンパ選手、大きく振りかぶって第一球――


『――わぁー! 待って、待ってよ! 続きがあるんだよぉ……気管支炎喘息ぐらいなら、マスターのギフトで治せるんだよ。もっちろんボクが調整しないとダメなんだけどぉ?――』


 いいのかいボクを壊しちゃってと、エルマがうっとうしくアピールしている。


「あのっ、お願いしますっ。どうかお祖母様を……どうかっ」


 病気の祖母のため、床に額を押しつけて懇願するロゼ。


『これでまた一緒にいれら……くそ、俺は何を考えてる。くそっ、くそっ!』


 心は正直者である。

 いくらデンパが床に頭を打ちつけようとも湧き水のごとく邪念が出る。

 スマホを握る力も強くなる。


『――アダダダダッ! ひゃあ、ごめんなさい! マスター、ごめんよぉ。ボクがんばるからSIMカード入れ替えるからぁ――』


 画面のなかで土下座のエルマ。

 1人土下座すると100人は土下座する……とまでは言わないが、土下座連鎖が起きている。


「くそっ……わかったけど、エルマももう少し人の気持ちをって人工知能にそれは酷か。なら――エルマに命令を出す。〝ロゼに協力しろ〟」


 これ以上はふざけるなよと強い声でデンパは命令を出した。


『――……了解しました。2時にアラームをセットしました――』


 画面がブラックアウトし、白抜きのテキストが機械的に読み上げられた。


「おい、聞いてたぁ!? 俺、まじめに命令してんだけど! なにその深夜の嫌がらせ! もう一回言うぞ。〝ロゼに協力しろ〟」


『――すみません、うまく聞き取れませんでした――』


「ちょっとエルマさーん!? 怒ってる? 怒ってるのかな? ねえねえ、ちょっと俺にも格好つけさせてくれてもよくない?」


『――すみません、うまく聞き取れませんでした――』

 

「ねええええ!!」


『――すみません、うまく聞き取れませんでした――』


「なんかごめんてぇえええええ!」


 このやり取り。

 ロゼが自分のせいで一人と一台の仲を険悪にしてしまったと、土下座で周囲が見えないこともあり、額を床にめりこませるまで続いたとかなんとか。



 朝の鐘が鳴ってしばらく経ち、スマホの時刻は現在8時。


 銅級の常連たちが朝一番で貼り出される依頼のなかから好条件のものを順番に選び取り、次いでやる気と血の気のお盛んな鉄級、石級の冒険者達が、サントーノ森林での魔物狩りや採取、常連たちが取りこぼした商人達の少々気と時間を使う護衛依頼を受けていく。


 さらに無級冒険者――孤児や未成年者らが、清掃や荷運び、土木や畑仕事の手伝いなどの比較的安全な町の中の依頼を選び、最後に万年鉄級と揶揄される冒険者がキツイ・キタナイ・キケンな常設依頼や、セガイコ南部の草原に生息するグリーンラットや棘ウサギの肉を求めて冒険 (笑)の旅に出る。


 登録したばかりの新人としては、ずいぶん遅い出勤である。


「とりあえずエルマの機嫌が悪いから、おばあちゃんのことは後で話そう。なんか結果としてパーティを無理やり継続させて悪いな」


「いえ、私の方こそデンパ様に甘えてばかりで……」


『ロゼにならいくらでも甘えてもらっていいけどな……なんて、イケメンはどうしてこんなセリフを恥ずかしげもなく話せるんだろう』


 イケメンでもそんな臭いセリフは吐かない。

 口説いたギャルから小文字のダブルを3つほどもらえれば御の字だろう。

 しかし男性免疫のないロゼには、デンパの背景に花が咲き、瞳に星が見えた。


 まずは朝食を……取るには手持ちが少ない。

 デンパたちは依頼板に向かい、常設依頼と書かれた紙や年季の入った赤い紙を一つひとつ読んでいく。

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