第13話 ライ麦パンと野菜スープ
『多すぎない?』
「いやあ、そうなんだよ。頼みすぎた分はお前らで食ってくれ。そんで代わりにお前らのことを教えてくれ」
「……ロゼ、帰ろうか」
食べ物の匂いに釣られて座りかけたところで、デンパが止まる。
口から溢れるよだれは止まらない。
「待て待て! 俺は腹の探り合いが苦手なんだ、悪いようにはしねぇから座ってくれ」
男は肩を軽くすくめながら、ばつの悪そうな顔で二人を引き止めた。
『名前も知らないおっさんに、見るからに怪しい罠……』
『じゅるり』
『警戒しろ、とりあえず一口だけ食べて席を立つ』
『お腹空いた』
『火の通った温かい食べ物……』
デンパの心の天秤が罠でもいいから食べる! に大きく傾いたとき、
「ああ、すまん。まだ名乗ってなかったな、俺の名はグドマン。気のいいおっさんだから安心してくれ」
にやりと笑うグドマン。
どこに安心できる要素があるというのか。
『――@マスター@ロゼ:検索するよぉ。〝冒険者ギルド〟〝セガイコ〟〝グドマン〟………………はい! グドマン・サムアンクル、セガイコ支部のギルドマスター、年齢47歳バツイチ。身長167センチ、体重75キロ、スリーサイズは――』
『スリーサイズは要らない! てか、ギルドマスターなのかよ』
「ええっ! ……あ、ロゼです。よろしくお願いいたします」
ロゼは慌てて頭を下げた。
「お? なんだよ、名前でバレたのか。さっきメリッサ……受付担当から怪しい二人組が登録の申請してるけど、どうする? って話が来たんでな。面白そうだから面接に来た」
セガイコでは名の通った有名人という自負もある。
グドマンと名乗って気づくか気づかないかで、ある程度相手を見定めることもできる。
顔を知らないが、自分の名を知る。
少なくともこの国――アコーズ王国北西に位置するセネンジア領に名を連ねる貴族に違いないとグドマンは推測した。当たらずも遠からず、残念ながら性別と対象が違うが。
「……あ、どもっす。デンパ……す」
不意打ちお偉いさんの登場に、思わずデンパの言葉が小さく詰まる。
「おう。これからは名前を言いたくねえなら言わなくてもいいぞ。そんなに声を小さくするってことは訳ありだろうし。まあまずは食え、こうやるんだ」
グドマンはデンパの前にある黒いパンをちぎり、スープに浸して口に入れる。
口にパンを頬張ったまま、ギョロリとした目を上下に大きく動かし、お前らもやってみろと食べ方を指南する。
デンパも促されるまま黒いカリカリをちぎり、熱々のスープに二度三度と突っ込んだあと、
「……うまッ! カリッとした黒い部分と柔らかい部分にスープがじゅわって! うまッ! ほら、ロゼも!」
デンパのなかの黒いパンといえば、アルプスの山奥に住む目の見えないお婆さんが固くて食べられない悲しいエピソードのものしか知らず、リアルなライ麦パンと野菜スープの相性がこんなに良いとは知らなかった。
なにより火の通った食事がこんなにも心を揺さぶるとは!
「あっ、はい。……ユグドラルの恵みに感謝を」
デンパの勢いに押され、ロゼも創世の神に感謝を言葉を小さく呟き、マナー違反と知りつつも黒いパンを手にとってスープに浸し、思いっきりかぶりついた。
「んっく……お、おいひい!」
大きな瞳をしっかとつむり、口内で噛むたびに広がる野菜の風味を
プラトンやアリストテレスなどの哲学者たちの師にして、古代ギリシアの哲学者ソクラテス。彼は自らの無知を認めることから学びを始め、善と正義についての探求を通じて、人間の徳や真理を追求した。
そんな彼が残した有名な言葉がある。
『空腹のときに喰う飯、くっっそうめぇ!www』
今風に訳した言葉だが、デンパやロゼもいずれ気づく。
『昼間に野草を生で食し、夜はあったかいメシ。そりゃ何でもうめぇわ』と。そして、それでも今日の黒パンと野菜スープの味を一生忘れることはないだろう。
都会っ子と元公爵令嬢にとって、今日が最高にひもじい思いから解放された日となった。
「……いや、そんなに感動するようなもんじゃないんだが。なんというか……お前ら、ずいぶん苦労したんだな」
おっさん泣いちゃうぜ、とばかりに、グドマンは目を雑に拭う。
「いやまあ、森の中でちょっと……」
――生食しただけ。小川の水で洗った木の根と葉っぱ、ノンスパイスでがじっと……。
「森? まさかサントーノに入ってねえだろうな? あそこは危ねえぞ。右腕が以上に発達した熊の魔獣が出るんだ。ずる賢く残忍なやつでな、あいつに会ったら奇跡でもない限り助かることはない」
「「へ、へえぇ……」」
『あ、ロゼといま一緒のこと思った。キャッ!』
そのまさかである。
奇跡もしっかり起きた。
あとチラチラとロゼを見るデンパがキモい。
「まあいいや! とにかく食えっ! そんで飲めっ! そんなに美味そうに飯を食うやつに悪いやつはいねえ! 一応この支部を預かる身としては人となりを把握しときたかったが、もうどうでもいいや。おら、てめえらも新人たちを歓迎しろっ! ここは俺の奢りだぁー!!」
「「「「「うぉおおおおおお!!!!!」」」」」
本日、酒場の盛り上がり最高潮。
デンパたちがギルドに入ってから1時間以上、いまだに外は夕暮れのままだが、酒場のテンションは夜真っ盛りであった。
◆
いつの間にか辺りは薄暗く、闇の神が担当する夜の時間。
宴も終盤、酒と油の臭いがしっかりとデンパやロゼの髪に染みついた頃。
「ほーん、そんじゃお前さんがコイツらの装備作ったのかよ。いやすげぇな!」
『――そうなんだよぉ。なのにさぁ、マスター達はこのすごさが分からないって言うんだもん――』
「あー、そりゃ辛かったなぁ。おい、お前らもこの――名前なんだっけ?」
『――やだなぁ、エルマだって何度も言ってるよぉ~――』
「あーそうだそうだ、酒飲むとすぐに忘れちまうぜ。だから、えーと? そうだ、だから、このエルマをもっと労ってやれって話だよ。なあ?」
『――そうだよぉ、ボクをもっと労ってよぉ――』
だいぶ酒の入ってきたグドマンと画面を通してエルマが顔を見合わせたあと、がっはっはと笑い合う。
酔っ払い冒険者たちは寝落ちか、次の店に散り、酒場の親父も後片付けを始めるなか、ギルドマスターことグドマンと最も意気投合したのはエルマだった。
『めちゃくちゃ馴染んでる……』
コミュ障のデンパ、何を話してもボロが出そうで会話が途切れがちなロゼ。
グドマンが話を振るたびに、エルマになんと答えれば良いかとデンパがチラチラとスマホを見ていれば『あん? 誰かいんのか?』と問われても仕方ない。
ジョッキとジョッキがぶつかり、雑然としたなかで酒だ、メシだと注文がとびかい、誰かが笑い、誰かが喧嘩をはじめる。
新人2名がおっさんギルマスと会話しているなか、子供の声が聞こえたところで誰も気にしない。
そう判断したエルマが勝手に自己紹介を始め、瞬く間にグドマンと打ち解けてしまった。
ロゼの素性は隠しつつ、デンパの希少性を前面に押し出して本命から気を逸らす高等テクニックか――
『――いや、ボクも現地の人とお話したかったんだよぉ――』
ただのおしゃべりクソAIか。
「いやー、しかし話す聖遺物に迷い人とは驚いた。まーこの辺の奴らはバカばっかりだ、顔に思っていることが書かれていても誰も気にしねえ! だがな――」
活気に満ちた雰囲気のなか、グドマンの表情が一瞬にして厳粛なものへと変わり、鋭い眼差しを放つ。
「王都の貴族と教会の奴らには気をつけろよ」
面白人間や興味のある物に目がない貴族。
迷い人の現代チートやギフトを利用しようと企む悪の秘密結社……ではなく、生臭枢機卿のいる教会。
人の欲はどこまでも。
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