第4話

「なっちゃんとは夏休みに入るまでは会っていたんだ。一学期の終業式でも顔を見たよ。あの年は暑い夏だったから、なっちゃんも暑さにばてていたのか、時々調子が悪そうにしていた記憶がある。脱水を起こしていたのかな、気持ち悪そうにもしていた。とにかく、調子が悪そうだった。それでも僕と会っている時は、笑顔でいてくれたよ。もしかしたら、家のことも大変だったのかもしれないしね」

「夏休みに入って会わなかったの?」

「夏休みに入ってから部活の強化練習に参加していたんだ。まぁ早い話、合宿だったんだけど。それで七月末くらいから八月のお盆前まで家にいなかったんだ。あの時は地獄だった。朝から晩までひたすら体力づくり、シャトルを追いかける日々。しかも、バドミントンはシャトルを使うだろ? 室内競技だけど風の影響をもろに受けるんだよね。だから、練習中は窓も開けることができない。休憩はその分こまめにあったとはいえ、暑さでやられそうになっていたよ」

 話しているとあの合宿のことを思い出してしまった。死ぬほど暑かったことは記憶している。水分補給の時のドリンクが体に染みていく感覚は、本当に生き返るっていう言葉がぴったりだった。ボクの世代より少し前は水分補給は御法度だった時代だから、あの猛暑の時だと死人が出ていたんじゃないかと思うほど。

「大変だったけど、楽しかったな。ホント青春ってやつだよ」

「いきなりオジサンくさいこと言わないでよ」

「まぁ、その練習の甲斐あって、部内でも真ん中ぐらいの力はついたかなと思ってる。先輩や前からやっていた連中には遠く及ばないけど、自分なりには成長できたんじゃないかな」

「何の話よ」

「レギュラーになったわけじゃないけれど、上手くはなった。家に帰ったらお盆で帰省して、その後は部活と宿題をずっとしていた記憶しかない。それで……」

「それで?」

 ボクは一度、言葉をきった。

「夏休みが終わる前になっちゃんの家に行ったら、家がなかった」

「は?」

「なっちゃんたちは引っ越した後、家も取り壊されていた。何があったのかはわからない。ただ、なっちゃんがいたはずの家がなくなっていた」

「それじゃ、まるっきりホラーじゃない」

 そうあの暑い夏、ボクがバドミントンに明け暮れている間になっちゃんの家はなくなって更地になっていた。どこにいったのかもわからない。ただ、その場所にいくと、ぽっかりと穴が空いたようにそこだけ家はなくなっていた。

「ボクは何もない空き地を見て茫然としていたよ。いったい何があったんだろう? そんなことをぼんやりと考えていたような気がする。それからそこらじゅうを走り回ったよ。家がなくなって、なっちゃんが困ってるんじゃないかって。たかが、中学生に何かできるわけもないのに、それでもなっちゃんを捜さないといけないという思いだけで走ってたな」

「……」

「当たり前だけど、みつからなかったよ。結局、それからどこにいったのかわからずじまい。さっきまで忘れていたくせに都合がいいとかいわれそうだけれど、元気にしてくれていたらいいなと思うボクがいる」

 そう、元気でいてくれたらいいな、と。今頃、いいお母さんになっているかもしれない。あるいは、働き者の女性になっているかもしれない。

 ただ思う。幸せでいてほしいと。

 街を見下ろす。あの街明かりの中に今もなっちゃんがいるのかもしれない。ここからではそれを知る術はないけれど、いてほしいと思っているボクがいる。

 その街の明かりも少し減ってきているのかもしれない。少しずつビルの明かりが消え、行き交う車が家路につく、あるいは動きを止める。家にいる人たちも少しずつ眠るための準備をしているのだろう。街が眠りにつく時間が近づいていた。眠らない人がいることもわかっている。それでも、大半の人が眠りにつくということは、街そのものが眠りについたといってまちがいないだろう。

 その光景を見下ろしていたボクは空へと目を向ける。ボクをただ照らす空に浮かぶ月の船、その船はゆっくりと進み、次にあらわれた雲の海をゆっくりと進む。ひどい雲ではないものの、長く連なって見えていた。

「……ここに、いつまでいるつもり?」

 ぼんやりと夜空を眺め続ける。雲が出ていて、月が空を照らしているとはいえ、またたく明るい星はその存在を主張し続け、黒い背景に輝き続けている。

 風がふく。ジャケットが少しだけ風に揺れる。この高台の気温が少し下がってきているのかもしれない。

「……ボクはキミから卒業しなくちゃいけないな……」

「……どういう、こと?」

「確かに、キミは大切な存在だ。それは今も変わらない。だけれども……それでも……」

「私はイヤよ。あなたと離れるなんて考えられない!」

 ボクはこのままでいるべきなのか。それとも、立ち去るべきなのか。

「ねぇ、聞いてる? 私はあなたの傍にいたいの!」

「きっとキミはボクのそばにいたいといってくれるに違いない……」

「だ、だから、そう言ってるじゃない! どうしてわかってくれないの? あなたは私にこれからどうしろというの? お腹の子を見捨てる気? 愛し合ったあの日々をなかったことにするつもり? いろいろなところにいった思い出は? 確かに私はここには連れてきてもらってない。桜の樹の下で告白もされてない。だけど、私はあなたと一緒にいたいの! 傍にいさせてほしいの!」

 月がゆっくりと進む。雲を越え、ちょうど真南の位置に差し掛かろうとしている。月にも南中なんてものがあるのだろうか、ふとそんなどうでもいいことをボクは考えていた。

 風が少し強く吹いてきた。その寒さに体が震えた。

 その風の音にまぎれて、何か別の音が耳に届いた。規則的に聞こえてくるその音は、少しずつ大きくなってくる。やがて、ボクの背後でその音が止まる。

「……こんなところで何してるん?」

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