二人の探偵・雨の降る街

水野酒魚。

雨の降る街

 その都市まちには雨が降っていた。

 さめざめとくらい空が泣く。いつ止むかも解らない、そんなそぼる雨の中に。

 男が一人、たたずんでいた。


 白髪交じりのり込んだ髪に、雨粒あまつぶまとわり付く。それを鬱陶うつとうしげに振り払って、男は中折なかおぼうを頭にせた。その帽子ぼうし相応ふさわしい、くたびれたキャメル色のトレンチコート。その上からでも、男の体格が恵まれてることが見て取れた。

 灰色の左眼が、じっと足下を見つめる。男の右眼は眼帯でおおわれて、どんな色なのか判別はんべつできない。

「……ほら、立てよ。この雨はしばらく止まない。このままねずみ風邪かぜを引きたいか?」

 男の視線の先、路地裏ろじうらにほったらかされたゴミ箱の影。人影がうずくまっている。

黒い髪、暗い藍色あいいろの瞳は左側が髪に隠れている。抜けるように白い肌、細身の青年が男を見上げた。青年は黒いスーツ姿。そこそこ値の張りそうな生地も、今は雨に濡れて見る影も無い。

「……ウーか」

「今度はどんな女に振られたんだ? テリィ」

 男──ウーは手を差し出して、歯をむき出した。

 青年──テリィはその手を振り払って、のそりと立ち上がった。

「……振られたんじゃねー。こっちから別れてやったんだよ」

「その割には落ち込んでんじゃねーか?」

 ウーはポケットを探り、今時珍しい紙巻きの煙草たばこを取り出した。一本を口のはしにくわえてから、使い古したオイルライターで火をつける。雨の中だというのに、煙草たばこは不思議と煙を立ち上らせている。

「アイツ、男がいたんだよっ。ソイツになぐられて……ちょっとふらついただけだ」

 頭を振りながら、テリィは煙草たばこ強請ねだるように手を差し出した。

「ふうん。そいつは災難さいなんだったな……場所、変えようぜ。ここじゃぐに火が消えちまう」

「アンタが、雨、よけてくれれば良いだろ」

「めんどくせぇ。いつも言ってるだろ? 俺の『能力ちから』をあてにすんな」

 ウーの煙草たばこの周りは、何かの力場りきばに包まれているように、ぽっかりと雨がよけて行く。

 テリィは舌打ちして、ポケットに手を突っ込んだ。

「……ちっ。ケチくせぇジジイだぜ」

「……あ? 浅はかな若者よ。年のこうだぜ? うやまえよ」

 ムッと口をへの字に結んだウーは、テリィに向かって手のひらを向けた。とたん、豪雨、と呼んでも差し支えないような量の雨が、テリィにおそいかかる。

「……ぶっ!? や、やめろ!! ウー!!」

「反省しろ、テリィオス・リベールラ。頭を冷やせ」

 テリィをたしなめるように、ウーは彼のフルネームを呼ぶ。テリィはぎっと奥歯をみしめて謝罪しやざいした。

「ウー! ウー・ドゥーシャー様! オレが悪かった! オレが悪かった!!」

 悲鳴のようなテリィのさけび。ウーはようやく『能力』を使う手をゆるめて、紫煙しえんを深くはいに入れた。

「……ったくよぉ。手のかるガキだぜ。事務所に帰って着替えろよ。もう依頼は来てるんだぜ」


 雨の街・プルーヴィシティ。その事務所は、ダウンタウンのどこか、薄汚れた雑居ビルの三階にあった。

 一階は昔ながらのコーヒースタンド、二階はいかがわしいトイショップ。恵まれた立地のその事務所の看板には、こう書かれていた。『ウー・ドゥーシャー私立探偵事務所』。

 薄い扉を開けて、室内に踏み込む。部屋の中央には、なけなしの金を叩いて買った応接セット。その奥には骨董品こつとうひんの書き物机。窓をおおう古風な木製ブラインドは、所々欠けている。アンタはダセェ懐古かいこ趣味だと、テリィは言う。だが、ウーはどうあってもインテリアを変えるつもりは無いようだ。

 れたまま、ソファに座り込もうとするテリィをせいして、ウーは無言でシャワーブースを指差す。

 テリィが回れ右で、シャワーブースにすべり込むと、ウーはさほどれていないトレンチコートと中折なかおぼういで、コートスタンドにかけた。

 コートの下はかわいている。よれよれのワイシャツと、サスペンダー。それから、だらしなく首にかけられた黒いネクタイ。見るからにしがない探偵、とでも呼べそうな格好かつこうで、ウーはソファにどっかりと腰掛こしかけた。

シャワーの音だけがひびく室内に、ゆっくりと本日何本目かも解らない煙草たばこの煙がのぼっていく。

 ウーはローテーブルに放り出してあった書類を拾い上げ、眼を細めて見るとは無しにながめている。

「……それで? 今回の標的は?」

 いつの間にやらシャワーブースから出てきたテリィが、髪から水をしたたらせたまま腰にバスタオルだけ巻いてやって来た。

あわてるな。髪をかわかして、服を着る時間くらいくれてやる」

かわいてる服がぇ」

「……はあ……」

 ウーは深いため息をついて、寝室に向かった。クローゼットから、まだクリーニング店のタグが付いたワイシャツを取り出してくる。

「とりあえずそれ着てろ。裸よりはマシだろ」

 テリィは黙ってシャツを受け取ると、そでを通す。体格の良いウーのシャツは、随分ずいぶん大きい。テリィは袖口そでぐちをまくって、ウーの向かいの席に座った。

「……それで? 標的は?」

「こいつだ。軍人崩ぐんじんくずれの暗殺者……と言うより殺人狂。目撃者を含めて、この一年で100人はっている。通称は“アラーニヤ”」

 標的の軍人時代の写真を一瞥いちべつして、テリィは興味を失ったようにソファに背をあずけた。

「……違う。『刺青いれずみの男』はこいつじゃ無い」

「そうか……」

 吐き出すようにつぶやいたテリィに、ウーは静かにうなずいた。

「……だが、依頼は依頼だ。気合い入れろ」

「解ってる。それで? 今回は『消去』で良いのか?」

「ああ。これだけ楽しんだんだ。もう良いだろう」

 くわえ煙草で、ウーは標的の経歴書を取り上げ、写真をはじいた。

「いつ『やる』?」

 身を乗り出したテリィに、ウーはあご無精ぶしようヒゲをさすりながら答える。

「そうだな。まずはこいつに依頼を持ちかけよう。ターゲットはお前で良いか?」

「……ちっ。役割分担から言ったらアンタだろ? ソイツ、スナイパーじゃ無いだろうな?」

「こいつの得物えものは鋼鉄製のワイヤーとナイフ。ナイフで動きを止めてわざわざ絞殺こうさつがお好みだ、とさ」

 ちっ。もう幾度目いくどめかも解らない舌打ちが、テリィの唇からもれる。

「とにかく、だ。何でも良い。標的をおびき出そう。一週間で片をつける」

 ウーは断言して、標的の経歴書をローテーブルに放りだした。



 四日後。深夜。街はまだまだ眠ることを知らない。だが、今はうち捨てられた旧市街は別だ。建ち並ぶ廃墟はいきよに、ともる明かりはまばら。街路灯がいろとうも心なしか暗く、まともな人々は、こんな時間には決して旧市街に近づかない。

 かつては孤児院だった建物の中で、ウーは息をひそめていた。珍しく雨は止んでいる。今は双子の月の片割れが、天井に空いた穴から顔をのぞかせていた。

 ウーは煙草たばこに火をつけた。ライターの火が、一瞬疲れた様子で眉を寄せるウーの横顔を映し出す。

 じゃり。割れたガラスをむ、かすかな音。次の瞬間に、ウーの目前に男が一人あらわれた。

「……あんたが依頼人か?」

 低く陰鬱いんうつな男の声。目深まぶかにフードを被っていて、男の顔はうかがい知れない。

「ああ。あんたに消して欲しい奴がいるんだ」

「あんた、探偵だろう? それがどうして『仕事』を依頼する?」

 男は『暗殺』と言う単語を口には出さない。なるほど、その程度にはプロらしいな。ウーはぷっと煙草たぼこを吐き出して、爪先でみ消した。

「殺しに理由が必要か? “アラーニヤ”」

「ふん。私は『仕事』が出来ればそれでいい」

「なら、話は早い。……のこのこと姿を見せたのが運のきだぜ!」

 ウーはふところから右手で拳銃を取り出す。と同時に、ダブルアクションの回転式拳銃リボルバーが火をいた。大口径だいこうけいの銃だ。当たればひとたまりも無い。

──そう、当たれば・・・・

 “アラーニヤ”は素早く身をかがめた。まるで、ウーの動作を予期していたかのようだ。そのまま間合いを詰め、左太股ひだりふともものホルスターからナイフを取り出す。流れるように、その刃をウーに向かって振り下ろす。ウーはとっさに拳銃でそのナイフを受け止めた。

「……脇が、がら空きだ」

 “アラーニヤ”は唇に薄い笑みを浮かべた。空いていたはずの右手にもナイフがにぎられている。

「……?!」

 ウーは驚愕きようがくに片眼を見開く。“アラーニヤ”の切っ先が、今にも肋骨ろつこつ隙間すきまに差し込まれようとした瞬間。

「……っ!」

 “アラーニヤ”は気配を感じ取り、飛び退いた。右手のナイフ、その先端が何か鋭利えいりな物ですっぱりと切断されている。

「ちっ! うでごともらってくつもりだったんだがな!」

 ウーの手のひらで、水塊すいかいうごめいている。それがナイフを切断した刃物の正体。するどく勢いよく一点をつらぬくように調整されたウォーターカッター。ウーはそれを見事にあやつっていた。

「やっぱり、雨の日にしておけば良かったぜ!」

 ウーの『能力』は『水使いハイドロ・マスター』。液体を自由自在にあやつることが出来る。ただし、大気中の水分を集めて使役しえきすることは至難しなんで、時間もかかる。今、とっさに使用できるのは、スキットルに用意して有った分だけだ。

「『てん法士ほうし』? いや、『魔法使い』、か?!」

 意外な攻撃に、“アラーニヤ”はあせりの色を隠せない。

 この世界には、かつて不思議な術を使う人々が大勢おおぜい生きていた。人の身で人を超える『天法士てんほうし』と、人ならざる者へと変化する危険を承知しようちで奇跡を起こす『魔法使い』と、が。

 今の時代、そのどちらもが伝説の中の存在として語られているが、“アラーニヤ”は事実として彼らをっているようだった。

「……残念。俺は『どっち』でもねえよ」

 水分量は限られている。ウーは間合いをめて、“アラーニヤ”にウォーターカッターをたたき込もうとするが、相手もさるもの。なかなか理想の間合いまでみ込ませてくれない。

 ウーの攻撃が、“アラーニヤ”のフードを切り裂いた。標的の素顔があらわになる。その瞬間、にぃっとウーは片頬かたほほゆがませた。

「良いぜ! 相棒! お前の出番だ!」

 物陰から、息をひそめて事態を見守っていたテリィが飛び出して来る。その両手には、何も持ってはいない。

 突然、徒手空拳としゆくうけんあらわれたテリィにおどろいて、“アラーニヤ”は眼を見はった。

「……オレを見ろ、クソ殺人鬼。オレの眼を」

 テリィは前髪をかき上げて、左眼を露出ろしゆつしていた。普段は決して、人に見せることの無い左眼を。本来なら右眼と同じ藍色あいいろの瞳があるはずの場所には、穴が空いていた。ぐるぐると赤い汚濁おだく渦巻うずまのろいの左眼。その眼に見つめられた者は、何人たりとものがれられない。

「あ、が! ……が、が、が……?!」

 “アラーニヤ”は、声にならないさけびを上げる。

 そのまま左眼で見つめ続ければ、やがて標的の心臓が止まる。その前に、ウーは後からテリィの眼をふさいだ。

「もういい。もういいぞ。テリィ。良くやった」

 テリィが前髪を下ろすと同時に、“アラーニヤ”は床へと倒れ伏した。

 ひくりひくりと震えるだけの肉塊にくかいとなった“アラーニヤ”に、ウーはどこか優しげに告げる。

冥土めいどの土産に俺の二つ名を教えてやろう。『水撃公すいげきこう』。『水撃公』ウー・フェイロンが俺の本名だ」

 ウーが、右眼の眼帯を上げてみせる。その眼窩がんかには、何色ともつかない遊色ゆうしよくで輝く眼球がおさまっていた。

 昔、寝物語で聞いたことがある。昔々、地上には魔の王がいた。その王が力を分け与えた者を『魔の者』と言い、彼らはそれぞれ固有の『能力』を持っていると。

 『魔の者』は身体のどこかが必ず遊色ゆうしよくで、千年をても年老としおいることも無いのだと。

 『魔の者』の中でも特に強力な者は二つ名を持っていて、人々と相争あいあらそっていたのだと。

 そして、『魔の者』は人を──らうのだと。

 “アラーニヤ”は、声にならない悲鳴を上げた。だが、その声は誰にも届くことは無かった。


「……その『極悪人ごくあくにんしか喰わない』ってもの面倒めんどうしばりだな」

 分厚いステーキにナイフをいれるウーを目の前にして、テリィはげんなりしたようにつぶやいた。

 数日後、事務所に戻った二人は遅めの昼食をとっていた。テリィの目の前には、まだ手のつけられていない豆腐ステーキ。ウーと行動を共にするようになって、テリィは菜食主義者になった。

 ウーは飯をう手を止めて、ため息をつく。

「仕方ねえだろ。善良な一般市民をうわけにはいかねえけど、俺だってわなきゃ死ぬ」

 ウーはステーキを頬張ほおばって、あぶらまみれた唇をちらりとめた。

「……まあ、良いけどな。おかげでオレは姉ちゃんのかたきに近づける」

 

 『魔の者』の主食は人。ウーは街のゴミどもを始末する『汚れ仕事』で食料と報酬ほうしゆうを得ている。もちろん、標的がどうしようもない罪人で有ることを確認した上でのことだ。そうやって、彼は千年近くを生き延びてきた。テリィが、そんな彼を手伝っている訳は……それはまた、別のお話。

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