第10話 ステーションワゴンの密室
私はこのステーションワゴンに乗る教団関係者の執拗な束縛に、打つ手がないと感じる様になっていた。人の呼吸器の音以外は、何も聞こえない車内は重苦しく、何とか自由を得たいのだが、高速で動く密室空間内は、難しさしか浮かばなかった。
お骨の葬り方や異なる信仰を持つ者同士を、どう対立なく丸く解決して、天に召す方法があるか、考えていた時期が懐かしく感じられたのだった。
「あ、もし、少し話し掛けても良いか?」などと教団達の機嫌を伺ってしまう始末に、自分ながら心が少し折れてると、うぐっと唸ってしまった。
車内の密室空間の沈黙を破る事が罪悪とでもいうかの様に、教団達の黙りっぷりは、呆れてしまうばかりだった。
ここはもう沈黙の空間をカウントでもして、こちらも黙り決め込むかと思った時、赤いドレスが口を開いた。
「何か?」ドレスの者は返事をした。この人はやはり性別不明である。
「私は異なる宗教が、天に召す為に町を移動して、お骨をあやめの骨壺の中に納め、ここの車内の中に移して来た」深呼吸で緊張を取り払った。
「が、一ノ瀬家の中のガーゼの上にお骨を残して来た。これはどうすれば良いのか?」
私は一気に疑問を赤いドレスの人にぶつけてみたのだった。
「そんなのは構わん。取るに足らない事。このまま静かに梨依杯湾の港まで座ってな」赤いドレスの人は驚くべき事を言い放った。
一ノ瀬沙羅と私の妻の散らばったお骨は、そのままほぼ放置したままで、無視をして関係ないとも取れる、教団を代表する信条を述べたのだった。
「それはあまりではないのか?それで幾多の異なる信仰心が、天へ召す事が出来ると考えているのか?」私は興奮して来た。
「そうだ、天に行ける」赤いドレスの者は断言した。そして黒いスーツの男達も「そうだ」と口を揃えた。
「梨依杯湾に着くまで、白松春人は寝ていて」と性別不明の者は言った。
私は口を閉じて言葉を発するのを諦めた。
そして沈黙の空間がまた再び身体を覆い出し、沈黙の時間と死へのベクトルとが、車内空間をゆっくりと覆い出した。
ここは都市の地下鉄やエレベーターの中、密室空間と同じ様なものだ。
人は人に気を遣って静かにしているのか、より機械化された物によって、抑圧され沈黙を強いられているのか、どちらかなんだろう。
ここの車内は教団側に抑圧されて沈黙している私と、車内ルールに慣れてしまった静かな教団側とに分けられるかと思い、認知次第で私の緊張感は軽くなると感じた。
トラウマになる様な暴力的な空間にはなってないのは救いだったが、拉致はされていた。
「はは」とまた小さく笑った所、教団側に注意された。
私は西の梨依杯湾に行った事がある。
あやめが元気な頃、レンタカーで。
我が町、田敷町を出発し、西に五キロメートル進むと町を抜ける。そこから西へ稲田高速道路に乗り、四十キロメートル走らせると、稲山町に着く。
ここは町の道路が螺旋状に繋がっており、摺り鉢状に下って行く。直径十キロメートルの螺旋状道路を下ると、西に伸びる森村高速道路に繋がる。
この蛇行した道路が多い高速を、七十キロメートル根気強く進むと梨依杯湾が見える。湾が見えると言っても高台からで、長さ二十キロメートルの曲線道路を下る必要性がある。
そして漸く西の海が拝める梨依杯湾に到着するのだが、比較的長距離の百五十キロメートルの道程が純然と存在するからだ。
この漆黒のステーションワゴンの絶えない移動空間を、知らない無言の面子と過ごして行くのを考えると只々苦痛で、私は途中で電車自動車から降りてしまいたいと、決して叶わぬ衝動と格闘していたのだった。
しかし、あやめと梨依杯湾にドライブした楽しい思い出と共に、拉致されたこの高級ステーションワゴンでの移動を考え直すと、多少の窮屈さも楽な一面もあるのだろうと思えた。
また捉え方によると、一度通った事がある嬉しい思い出が溢れる、百五十キロメートルの梨依杯湾までのドライブコースな訳だから、道中暗鬱な道程になるとは思えなかった。認知の変え様だ。
その代わりに、只々窮屈さに身体が蝕まれる長く苦しい時間になる事ではあった。
我が町、田敷町を西に離れて稲田高速道路を越え、稲山町の摺り鉢状の地形、螺旋状の道路を下っていた時、やはり身体の動きが取れないからか、私はこう呻き出した。
「うーうーうー」鼻水を垂らしながら。
「ガチャ」という音が聞こえて、拳銃PX4がいつの間にか実弾を実装して、こめかみに素早く当てられていた。狂ってるよ。
銃を突き付けた隣の黒づくめの男が、口を開いた。
「今眠っている者もいる。安らかに眠っている者、永劫の眠りを待っている者もいる。車内では静寂でいて欲しい」
そう言うと銃を仕舞い、彼もまた眠り始めた様だった。
私も肉体的・精神的疲れから、浅い眠りに就いた。
高級ワゴンの走行の揺らぎから、ここは恐らく森村高速道路の何処かと浅い夢の中で私は感じた。妻との思い出は車中の苦痛を和らげる。
ぱっと目を開けて感じた。
夜のステーションワゴンは、静かなものだったと私はうとうとしながら思っていた。
いつもの車内だと。
しかし、そうではなかった。緊張を感じて私は薄目にして、何かがそっと動く助手席に意識を集中させた。
助手席のサイドウインドウが静かに開けられると、外から白帽子の黒づくめの男が、赤いドレスの者からガーゼ生地で包んだ骨壺を外に取り上げた。
そして、白帽子の男は外からガーゼで覆った骨壺を赤ドレスの者に渡し、膝の上に置いた。
一連のやり取りを終えるとサイドウインドウは閉じられた。私は可能な限り静かな鼻呼吸を心掛け続けた。そして漸くして薄目を閉じた。
あれは何だったんだ?骨壺が丸々、白帽子の黒づくめの者と赤ドレスの者とで交換された。
この事が気になり続けて、私はもはやリラックスして眠るどころか、緊張と興奮と警戒心で、梨依杯湾に着いた以降も意識レベルは高く、警戒心は最大になっていた。
私は緊張で嗚咽し涙した。
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