第7話 不安定なスロープ

 ふと我が家の状態に不安を覚えた。

 ひょっとして一ノ瀬邸の敷地が地上から十メートルの高さまで伸びた様に、似た事が起きてしまったのではないかと、不安を覚えたのである。

 直ぐに地図アプリを開いて、我が家に異変がないか確認した。恐れた事が起きていた。西に一キロメートルの位置にあるはずの私の家が、西に直線で十キロメートルの位置に移動していたのだ。

 更に十メートルの高さの一ノ瀬邸から我が自宅まで、道幅が狭く勾配を緩く効かせながら下って行くスロープが、門扉を開けたら、驚きを伴って路面が不安定に下り道となって目前に広がっていた。

「何が何だか分からなくなっていた」

 私は嘆く様に呟いた。

 気持ちが鬱屈として来たので、一旦考えるのを止め、スロープにリュックサックを置き、気分を整える様に深呼吸をゆっくりと何度もした。

 その甲斐あってか、冷静に考える事が出来る様になった。スロープの幅は三十センチメートルしかなく、スロープの表面は厚く傷の様にがさつく錆び付いた赤茶色の、滑り止めとなっていた。

 先ず私の家には誰のお骨もない。私があやめの骨壺を持ち出したからだ。

 そして骨壺は私の足元にリュックサックと共にあって、中はあやめと一ノ瀬沙羅のお骨で、一ノ瀬邸にはあやめのお骨は骨壺が同じく一つにある。


 私は大いに混乱した。我が家の土地が動くなんて事が起きるのか?一ノ瀬邸に置いて来た二人のお骨が、我が家から離れ過ぎている。

 私は一気にこの状況に脱力した。動揺は汗と変わり、暫し我が家へと繋がるスロープの赤茶けた錆びの上に、ぼーっとしたまま胡坐をかいて座り、赤茶色を虚しく見つめまた脱力した。

 暫く力の抜けた、整理のつかない時間が続いていた。うじうじとした時間だけが過ぎて行った。

 もんもんと過ぎて行った時間の中で、骨壺から少し顔を出している二人の半透明の彼女達の事を思いやった。まるでここまでの数時間が無駄の様に思えた。

 同時に彼女達二人と川崎、河田を集める使命にも似た強い思いが身体の内から突き上げて来た。

 私は骨壺も亡き骸も何もない、自分の家に行く事に捉われ過ぎていたのだ。行く必要はないのだ。

 それよりも地下埋葬室のスペースを空けていた川崎水蓮と河田莉乃の骨壺があるであろう二人の邸宅を探す事が優先されるべきだった。

 ポケットからスマートフォンを取り出すと、「エンソン」アプリを立ち上げ、高額な内部課金が課されている事を知り、冷や汗をかいた。

 クレジット決済せざるを得なかった。

 一ノ瀬邸の敷地から幅三十センチメートル、赤茶けた不安定な下りスロープを一歩一歩と下って行った。


 私の家には誰もいない。

 しかし家に着いてみると自分の知らない全く景色が広がっていた。

 床板は破り剥がれていて、破片以外何もない。四方を囲む壁は特段変化はないが、天を見上げてみると、天井は壊れて、小屋組も瓦も粉々になっていた。見上げからは、夜空に三日月が見えていた。

 こんな惨事を一体何者がして、何の事態を引き起こしたのだろうか。

 もはやまるで私の住まいはなくなってしまったのと同然であった。


 私は両瞼をゆっくり開いた。

 頭痛がし、その部分を擦ると手の平に血がべっとり着き、赤茶色の錆びのざらっとした感触が広がった。人に鈍器で殴られたか、転倒したかと考えた。

 あまりの痛さに自らの呼吸を維持する事すら困難な程だった。ざらついたスロープの上で、頭部の患部の錆びを洗い、また消毒を望む術はなかった。

 進む炎症を止める事もなく、私はそのまま負傷箇所のない脚部を早く、スロープの上を走らせて行った。

 太陽はぎらつき出し、頭部の負傷した個所を、太い針で刺し回す様に激痛が走る。細いスロープを進めど患部を洗浄する水、喉を潤おす水は何処にもない。

 北にスロープを進んでいた。一時間半程経つと突然、意識をはっきりとさせ五キロ程進んだ先にそれは出現した。

 一つの幅が五十センチメートルの六角形状に一つ一つが連なっている、直径二十メートル、遠目で見て円筒形の鉄筋コンクリート、その深さは十五メートルの躯体。

 円形の中には透明とは呼べない青緑色の少し濁った液体が貯まっていた。そして中央には鉄骨造の家が一軒、丸いコンクリートに浮かんでいた。

 私はどういう液体なのか何も考えず、頭部の炎症、喉の渇き、全身に付着した赤茶色の錆びの粉を、何とかしようと直ぐ様飛び込んだ。

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