第5話 静養が必要な時
私は会社から休みを十日頂いていた。睡眠をまともに取る事が、出来ない夜が続いていて、今宵はとても長く感じていた。
倦怠感、頭重感、思考の鈍さ、食欲減少の状態では、会社復帰が出来るかは怪しかった。
心に穴が空いたという以上の自分自身の状態だった。
心のダメージが想像以上にあったので、休暇九日目の昼間、会社に電話した。相手は総務部のちょっと神経質な女性だった。名前は堀田と言った。
「出来ません。最長の十日を休みとして取れる仕組みですから、早く届け書類を提出して下さい」
私は疲れ、イライラしていたから、堀田と話していた電話を途中だが、切った。堀田の言葉に憤怒し、もうあの会社に行かないと誓ってしまった。
そして、私は狭い木造住宅の中の台所端に、素焼きの骨壺を置いていた。一昨日、妻の骨壺を教団の地下納骨室から、無断で奪って来ていた。
昨日、今日と私は何していたかと言うと、心のまま、骨となったあやめの骨壺を視線が吸い付く様にじっと見ていた。
アルコールを飲み過ぎたせいか、あの教団の地下はセキュリティが甘く感じた。酔った足取りで軽くあやめの骨壺を見付け、蓋を開けて確認しても彼女のものだった。
そんな頼りない教団だと思い出していた私は、信徒としての忠信が、酔い覚める毎にある程度、信仰心が小さくなっていった。
あやめの骨壺を家に迎え入れた時から、私は彼女に施そうと思っていた事を、実行に移す様になった。全部初めからは出来なかったが、少しずつ慣れていった。
骨壺を静かに開けると、一本ずつ妻のあやめの骨を持ち上げて、真っ白なガーゼ生地を手に取って、お骨に艶が出て来るまで丁寧に磨いていった。
少しずつ磨いて、お骨を大きめのガーゼ生地のタオルに置いていった。無心で行うこの行為は、私の精神面を浄化してくれる様だった。
次第に慣れてきた遺骨磨きは、始めた時から七日程で終える事が出来る様になっていた。そして精神面を洗い清める事、一月程で食欲は増し、倦怠感もなくなり、頭も軽くなってきた。
私はガーゼ生地のタオルいっぱいに広げられたあやめの骨を、骨壺の内側にガーゼ生地を覆い、身体から近くの大きなお骨から、その壺に入れて行った。お骨は磨いたお陰か、輝いている様に見えたのだった。
そして素焼きの蓋を被せ、ガーゼ生地で覆ってきつく縛り付けた。
この私がこんな行き過ぎた行動を繰り返すとは、想像していなかった。悔いる所もあった。
それと同時に骨壺を教団の地下室に取りに行った時に、何ヵ所か骨壺を奪った痕跡を垣間見た。私と同じ事を考える者がいるとはと少し気が紛れた。
この頃、外部から心身を守る為、早いうちから電話は迷惑電話に全て登録して遮断していた。そして半透明の妻である。そう呼ぶ彼女とは空中に浮かぶ亡くなった妻のあやめで、骨壺の上に漂っていた。
私はあやめに洗礼の儀式を受けさせ、あやめの意志は実父母と私と一緒になりたいと、言っていた。
目を瞑って私は天井の中心辺りを意識した。静寂である。仏壇はもの音一つせず、妻は何も音を立てない。僅かに風が吹く程度である。
振り返って私の場合は、呼吸音だけが響いている。
牧師から貰った十字架を、家の何処に置いたら良いか調べる為に、スマートフォンのインターネット・ブラウザを立ち上げた。仏壇があるからだ。
先ずは多くの異なる仏教徒同士の葬り方を、情報として私は得た。
作業を終えると得た事を整理をした。多くは位牌同士を離して、それぞれの仏壇から離して飾りつけると書いてあった。
しかし仏教と新興宗教のキリスト教を一度に葬る方法は見付ける事が出来なかった。そして疲れが酷いので寝る事にした。その時、半透明のあやめは、無言で骨壺の上に浮かんでいた。
次の日は、体調が悪く身体が自由にならなかった。ネットで調べて進める必要があるのだが、ベッドから起き上がる事が出来たのは、昼の二時だった。起き上がっても身体が重く怠惰で、何かをする予定など、立てようがなかった。
目の焦点が合わず、何かが閃く訳もなく、ただベッドから足を出して座り込んでいるだけだった。
次の日は早朝から気分が良く、軽快で、身体は軽く感じられた。ベッドから跳ね起きると、食事も取らず玄関ドアのノブをひねり、押して外へ出て行った。
地下埋葬場にあった空白の骨壺置きスペースの数ヶ所と、その名前が気になっており、手掛かりになり得ると思っていた。
私は教団の地下を目指した。
教団の地下埋葬室は、変わらず最低限のLED電球で照らされていた。最初目に付いたのは、自分のスペースと名前、そして「白松あやめ」のスペースだった。それ以外の空白スペースを探してみた。
あやめのスペースから左手に進んで行った。五、六歩、歩いた所にスペースがあり、そこには「一ノ瀬沙羅」と名前があり、更に進むと「河田莉乃」があり、最後に現れた三つ目のスペースには「川崎水蓮」と書いてあったが、三人の骨壺はなくなっていた。私と同様の理由で、この様な事を親族か誰かがしたのだろうか。
また、なぜ教団は空いたスペースをそのまま放置しているのだろうか。会社も連絡をあれ以降よこして来ない。二つの組織に疑念ばかり浮かんだ。
自宅に戻った私はあやめが未だ半透明で、骨壺の上を漂っているのを確認した。変わらずあやめが望む骨壺の葬り方を私は考えていた。
先ずは彼女達のお骨が入っている骨壺をそれぞれを探し出すのと、あやめを連れて外に出て行く事だった。
先ずは「エンソン」というアプリをダウンロードする事だった。このアプリは全国津々浦々を細部に渡って、地図にある建物毎に誰が住んでいるか、殆んどが表記してあるアプリだった。高い内部課金だが、このアプリをダウンロードした。
「エンソン」アプリを片手に見ながら、先ずは「一ノ瀬沙羅」の住まいを探す事にした。彼女の住まいは比較的近く、東に徒歩一キロ程の所だった。道の細い直線がない住宅地、あやめの骨壺をリュックサックに入れて背負い、一ノ瀬邸に向かった。
そしてこう漠然と思っていた。お骨となって教団の地下墓地から奪われた三人と、あやめ含め四人の骨を集めればどうなるのかと。
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