1-25. 『罠師』、王と会話する。(前編)
物々しい状況で次に扉をくぐって入ってきたのは、話題に上がった王だ。整列しているのは近衛兵たちなのだろう。
「あれが王様か」
リプンスト王は一言でいえば、石膏像で見るような美形である。短く切り揃えられた髪、整えられている眉や髭、彫りの深い顔に嵌め込まれたかのような透き通った青色をした瞳を持つ顔をしている。背も高く筋骨隆々で、並の人間であれば、王と知らなくとも気圧されるほどの圧を感じる。
しかしながら、表情が余裕の窺える笑みを湛えており、周囲の人間がその笑みに嫌悪感を覚えることがない。
「余が民たちよ、ありがとう。ただ、いつものことながら、大げさ過ぎるぞ。楽にしてくれ」
その王は平民と同じ服を纏っている。その服にはもちろん、顔や手にも拭いきれなかった土汚れが見え、周りにゆっくりと振っている掌にはタコができている。王は王族らしからぬ身なり、むしろ、近衛兵の方が鎧を着こんでいるだけしっかりとした身なりに見える。
「さて、余は労働の後の一杯を皆とともに酌み交わしたい、そして、余がお会いしたい人がここにいるというから来ただけの酒場の客の1人だ。皆の者、どうか歓談に戻って楽にしてほしい」
酒場に居た全員がその王の言葉にならい、椅子に戻り、歓談に戻ろうとする。
「リプンスト王万歳!」
「我らが王、リプンスト王に乾杯!」
称賛の言葉、乾杯の音頭、各テーブルから、王を讃える言葉が次々に飛び交う。
「あの容姿で、性格も良いとなると、反応に困るくらい完璧超人だね」
「リプンスト王は勇者候補と聞いたことがあります。魔王討伐の旅に出てしばらくの後、、先王が亡くなられたことで、旅は中止されたと」
「勇者王ではなく、勇者候補王ですかあ」
「そうみたいだね。ちなみに、ソゥラ、色めき立っているところに申し訳ないけど、見る限り、魅了無効か何かだね」
ケンがそう言うと、ソゥラは残念そうな顔を隠さない。
「しかも、ソゥラのスキルがまったく効かないくらいに強力な魅了無効のようだ。この酒場に来てから、君のフェロモンに当てられている様子が一つも見られない。既に周りの近衛兵たちが守るべき王と魅力的な君を交互に見ているのに、王にはその素振りが見られない」
「それは残念です。勇者スキルを無効化するということは、並の装備ではなく勇者スキルですかあ? 魅了無効持ちなんて珍しいですね」
「勇者スキルというより体質、隠れスキルに近いようだ。簡単なハニートラップに引っ掛からない体質は、真っ当な権力者にとって喉から手が出るほど欲しいものだろうね」
「簡単に引っ掛かってくれた方が私たちには好都合ですけどね」
「まったくだね」
アーレスは、ケンとソゥラのやり取りにどこまでが冗談なのか判断できずに、笑みを顔に貼り付けるばかりだった。当のリプンスト王は、近衛兵の耳打ちを聞いてからケンの方を向いた。
「どうやら、僕たちに用事があるようだね。なんとなく分かっていたけど」
この時、リプンスト王もケンもお互いに目が合った瞬間から視線を外すことなくお互いを見ている。そして、王はまっすぐ彼の方に寄っていった。
「貴殿らが異世界の勇者様方に間違いないか?」
ケン、ソゥラ、アーレスは再び、椅子から降りて片膝をついている。
「はい。私が異世界より来た勇者の1人、ケンと申します。そして、仲間のソゥラとアーレスです。アーレスはこの世界でできた仲間で、この世界の勇者候補です」
「畏まることはない。いや、失礼でしたな。まずは椅子に座ってくれますか。しょせん、余は1つの国の王、もしくは勇者候補の1人に過ぎず、神に近いとされる異世界の勇者殿と比ぶべくもない」
「王にそう言っていただくことも、また、神と近いとされることも、大変恐れ多いことです。お言葉に甘えて、少し楽にさせていただきます。どうか、私たちには平民と同様に接してもらえますとありがたいです」
「こちらこそ、ありがたい。お互いに気を楽にできればと思う。余は世間知らず故に、敬語が不慣れのため、たまに敬語でないことは先に謝っておきたい」
ケン、ソゥラ、アーレスは姿勢を戻した後、椅子に着いた。近衛兵が王に椅子を差し出し、王がその椅子に腰を掛けると王から放たれる威厳が3割増しくらいに上がった。
「ありがとう。余も酒を1つもらいたい。いつものように、とびきり強いものを頼む」
「はっ!」
「後、彼らにも楽にしてもらうように。もちろん、君もだ」
王はいまだに扉の前にマネキンのように整列する近衛兵たちの方に目を向けて、そのように伝えた。
「はっ。あ、いや、しかし」
「余が、皆にゆっくりせよ、と命じておるのだ。提案ではない。命令だ。ゆっくりせよ」
「はっ! ただちに」
命令。その言葉に近衛兵の背筋が伸びきった。そして、返事も幾分か大きくなっていた。その後、彼は急いで店員に酒を持ってくるように伝えた後、仲間たちに各自席に着いて楽にするように伝えた。近衛兵たちは散り散りになって、カウンターやテーブルなどに着いた。彼らの目が王を見ているのか、ソゥラを見ているのかは、人それぞれである。
「いやはや、物々しくて申し訳ない。さて、ケン様は、余が来ることは分かっていた、という顔ぶりをしておられるな」
「どうでしょうか」
ケンはギルドの受付嬢に予め、今日の予定、特に今夜は酒場へ行くこと、そして、お勧めの酒場を聞いておいた。これにより、ギルドは彼らの動向を把握することができ、王に連絡することができた。
「ただ、よくあることです。もっとも、歓迎されるか、敵視されるかは半々ですが」
ケンは、笑顔をつくり、少し安心したように見せる。彼が城下町の治安、そして、国民の王に対する評価から、王と敵対することがないだろうと考えていた。実際に王が来るかどうかは確証がなかったものの、彼の今までの経験から、王が登場する可能性は高いと踏んでいた。
「なるほど。まあ、続きは乾杯をしてからにしよう」
王の頼んだ酒といくつかのつまみがすぐに届いたので、4人は改めて乾杯をした。
「乾杯!」
王はまさかの一気飲みをして、即座にお代わりを頼んでいた。
「え……」
「すごい」
アーレスもソゥラも突然の王の一気飲みに言葉が見つからなかったようだ。ケンも驚きの表情を隠すことができなかった。
「ここで強い酒というと、ウィスカってやつか。どう見ても、ウイスキーのようなものだよね……。それがまさか、ロックのジョッキで来るとは思わなかったし、よりにもよって、一気飲みしたのか……」
ケンは、自分たちが酒を飲んでいれば、たとえ謙虚な王であろうとも同じように酒を飲むだろうと考えた。それにより、少しばかり口が軽くなることを期待していた部分もあった。ただし、さすがに話し合いの場で強い酒を所望し、さらには一気に飲み干すに至るまでは考えていなかったようだ。
「既にご存知かもしれないが、ウィスカはこの大陸で生まれた酒でしてな。余の国で生まれなかったのは至極残念であるものの、彼の国で『生命の水』とも称される酒は実に美味い。ただ、飲みすぎるといけないので、氷も入れつつ少量しか飲めないのが残念だ」
「少量しか飲めない……ですか」
ケンは、ウイスキーをジョッキで飲む王の「少量」に甚だ疑問が浮かぶものの、話が脱線しても仕方がないので、質問することをやめておいた。
「……さて、おそらく、余が来ることを見通せているのならば、ケン様には余が何かを頼むことも分かっておられるのでしょうな」
「どうでしょうか。ただ、3日ほど滞在させてもらって分かったことは、山の方から不穏な魔力の揺らぎを感じただけですよ」
ケンのその言葉にリプンスト王は、やはり、といった納得した表情を浮かべた。
「はっはっは。やはり、さすがは異世界の勇者様。……実は、困ったことに、この大陸に魔王の1人、その幹部であろう風の魔将を名乗る者が現れましてな……」
リプンスト王は困ったということを包み隠さずにケンに伝えた。
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