第1部2章 『罠師』、新しい仲間アーレスと出会う。
1-5. 『罠師』、勇者候補崩れと戦う。
ケンはその襲撃者の声の高さやソゥラのフェロモンに長時間耐えられたことから女と判断した。
光の当たらぬ影から音もなく出てきた女野盗は顔を含む全身のほとんどを藍色の布で覆っており、野盗というより暗殺者のような身なりで整えているようだった。
「ダメか」
女野盗はそう呟きながら、この薄暗い部屋の中でもはっきりと分かる黄金色の瞳をケンとソゥラに向けていた。その瞳には怒りが込められていると容易に想像ができる。彼は女野盗を見つめて、その後、先ほど叩き落したナイフを見た。すると、すべてのナイフがすっと消えていった。
「……なるほどね」
ケンは何かに気付いたようだ。
「はじめまして。僕たちは異世界から来た勇者なんだ。僕はケン、そして、君たちにお世話になった彼女はソゥラ、よろしくね。さて、君は……、っと、そうだ、お名前を聞いてもいいかな?」
ソゥラはケンが名前を訊ねたことに少し驚く。いつもであれば、彼は割と問答無用で済ませてしまうことが多い。しかし、今回はそれをしなかった。
「ふん。異世界から来たとはいえ、勇者と名乗る偽善者に名乗る名前など持っていない! それと、ただの野盗ではない! 貴様たちが刃を向けたのは、この大陸に存在する野盗連合、その中でも大派閥に属するグループの1つだ!」
女野盗の吐き捨てるような言葉には、先ほどの怒りとも異なる、勇者への憎悪が込められているようだった。ケンは少し不思議そうな顔をした後に話を続けた。
「……偽善者、ね。いい言葉だ」
「ふざけているのか! 勇者とはいえ、こんなのにいとも容易く壊滅されたとなっては、恥さらしもいいところだ! 私の一撃にて一矢報いるほかない!」
「部下の男どもは一応いい思いもしていると思うけどね。改心してもらうつもりだから、バレたその時に報いを受けそうなら、助けてあげてもいい」
「何が、助けてあげてもいい、だ。そして、あれを最後まで見ていて、いい思い、で片付けられるか。ほぼ拷問だ!」
「あー、まあー、それはー……」
ケンは言葉を濁しながら思わず頷いた。ソゥラが彼を小突く。
「っと。冗談はさておき、その全員が拷問を受けている間、君は何をしていたんだ」
ケンの意地悪な質問に、女野盗は一瞬口ごもってしまった。
「……うるさい! 機を伺っていただけだ。……しかし、行為中でさえ、隙が一切なかった」
「既に力量差が分かっているのに手向かうというのも少し骨の折れるプライドだね」
女野盗の手にはいつの間にかナイフが握られている。次の瞬間、女野盗の手から身体から十数本のナイフが飛び出して、ケンとソゥラに襲い掛かる。しかし、この大量のナイフも彼の前ではすべて叩き落されてしまう。
「ちなみに、彼女より弱い僕相手にこれだよ? 大人しくやめた方がいいと思うけどね。それと話は変わるけど、これは、魔法じゃなくてスキルだね。この世界の勇者候補の一人かな? 勇者候補が野盗に成り下がっているとは情けないね……」
ケンはとても残念そうに呟いた。
「なりたくてなった勇者候補ではない! 世界に勝手にスキルと使命を負わされ、国や人に勝手な期待を負わされただけだ。血反吐を吐きながら鍛え、そして、魔物をどれだけ倒したところで、貧しき者たちは命が救われても不安を残したままで生活を潤せるまでにはならず、貴族や商人ばかりが安全なところで利潤を得ている」
女野盗は軽く一息を入れて、再び口を開いた。
「だからこそ、私は勇者候補を辞め、貴族や商人から奪い、貧しき者たちに与える野盗に成り下がったのだ! たとえ、これも偽善であろうと、今の方がずっと満足な生き方をできている!」
「……なるほど」
ケンは女野盗なりの思想があるのだと理解した。ただし、彼はこれもまた身勝手な思想だと判断した上で、彼には彼女が野盗になる理由にはならないと考えた。
「だけど、自由気ままな救いの手に、そこまでの正しさがあるようには思えないけどね」
ケンは女野盗を真っ直ぐ見つめた。彼女は次のナイフを握り構えた。
「……確かに不平等は存在する。それは理不尽な真実で、残酷な事実だね。ただ、だからといって、救うために差し伸べた手が自助を促せるものでなければ、救われた人の成長や努力、未来を狭める可能性もあると思わないのかな」
「なんだと!」
「彼らが、困っていれば誰かが助けてくれると、手を差し伸べられることを当たり前だと思ってしまわないかな。それも考慮した上での行為でなければ、単なる自分の意見を正しいと思い込む自慰と変わらないね」
「反吐が出る話だ。明日をも生きられるか分からない者たちが差し伸べられる手を頼って、何が悪い。全員が同じように明日を生きていける保証など持っていない!」
ケンは女野盗の言葉を聞き、ゆっくりと目を閉じた。彼も何か思うところがあるのだろう。彼女は目を閉じた彼の隙を窺うが、先ほど見せつけられた彼の瞬発力や判断力から攻めあぐねているようだ。
「ケン……」
「……大丈夫だよ」
ソゥラは少し心配したような様子でケンに声を掛ける。やがて、彼は目を再び開いて、少し笑って彼女にそう答えたのだった。
「……そうか。そういう考えもあるだろう。それまで否定をする気はない。一理あると言ってもいい。そして、僕だって自分の意見を無闇に押し付ける気まではない。ただ、君の頭に血が上っている今、この場は話し合いで理解し合えないようだからね。一旦、おしまいにしよう。議論は今後の楽しみに取っておいてもいいと思う」
「勇者という強者の弁で弱者を虐げるのであれば、理解する必要などない!」
「まったく。まずは落ち着くことだね。自分の行為に酔うのは強制終了だよ。今度はこちらからいかせてもらう。罠発動」
ケンの「罠発動」という言葉に合わせて、壁や床から無数のロープが生えてきて、女野盗に襲い掛かる。しかし、女野盗は素早い動きでナイフを使ってロープを切り裂き、さらに、数本のナイフを彼に投げつけてくる。
「罠発動」
ケンに迫りくるナイフは物理法則を無視して翻り、女野盗の方に迫ってくる。
「罠発動」
女野盗の足元が急に鏡面のように滑りやすくなった。
「なっ! 強制転と……」
これには女野盗も体勢を崩してしまう。
「どんどん、罠を追加させてもらうよ。罠発動、罠発動、罠発動」
「ぐっ!」
女野盗が体勢を崩したまま言葉を失っている間にも、ケンは罠発動と連呼する。途端に積み荷が崩れ始めて彼女の逃げ場が徐々に失われ、次にナイフが彼女の周りで無軌道に動き始め、極めつけに彼女の衣服がほとんどなくなる。
「きゃあっ!」
女野盗は思わず声を上げる。次の瞬間に、彼女はそのスレンダーな身体を精一杯に隠す。
「思ったよりかわいい声を上げるね?」
ケンは特に何かを意識するわけでもなく、女野盗の方を見る。
「相変わらず、やらしい嫌がらせですね。勇者の風上にも置けないですね♪」
「勇者らしくないのは認めるけど、敵の動きを止めるのが罠の本懐だからね。って、なんでソゥラが嬉しそうにするんだ……」
やがて、女野盗の怒りが羞恥心を超えたのか、隠すことなく立ち上がってナイフを構える。
「ちっ! なんだこれは! 非常識にもほどがある! これが異世界から来た勇者の力なのか!」
女野盗は周りを飛ぶナイフをとっさに消した。しかし、たった一本のナイフは、彼女の意思に反して、彼女の周りを動きながら彼女を徐々に傷つけていく。
「消せない? これは、私のナイフではないな! いつの間に別のナイフまで投げつけてられていたんだ」
「いや? よく見てごらんよ。正真正銘、君のナイフだよ。ただ、所有権を僕に移しただけだ。そう、僕の発動できる罠の種類が無数にあるだけ、その中に所有権の移動もあるだけさ」
ケンは少しばかり得意げな顔をしていた。そして、隣のソゥラは、自分の周りにあるエネルギー体を弄って遊んでいた。
「くっ、この程度で諦められるか!」
女野盗は、投げナイフよりも二回りほど大きいナイフを手に握って飛び回るナイフを弾き落とし、低姿勢で構えた。
「ねえ、もう一度がんばってみないかい? 僕たちは理由があってこの世界に留まることをしない。だから、魔王を倒した後の平和の象徴が、魔王を仲間と倒した実績のある勇者が必要なんだ。君にはぜひとも魔王なき世界での平和を継続して担ってほしいんだ」
「なるほど。ケンは勧誘したかったわけですね。相変わらず強引ですけど」
「そんな話、信じられるかっ!」
女野盗は素早い動きでケンに近付く。その途中で彼女の身体が突如として一回り大きくなった。筋肉量が増え、身長も伸び、手に持っていたナイフが彼女の身の丈に迫るほどの大太刀に変化していた。
「おっと」
ケンは姿勢を女野盗以上に低く、腰に戻していたソードブレイカーを再び取り出して、大太刀の軌道を横に反らした。彼はそのまま女野盗とすれ違い、彼女の足を引っ掛ける。
「ぐうっ」
「驚いた。この世界にも雌雄を変化させられる人型種族がいるようだね。しかも早い」
「……ちっ。この奇襲も失敗か。強すぎる!」
女野盗の声が先ほどよりも随分と低くなった。今では男野盗と呼んだ方がよいだろう。顔立ちはマスクで覆われているので変化が分かりづらいが、首より下が筋骨隆々になり、男性の象徴が存在感を出している。
「女性の姿の方が身軽で素早く、男性の姿の方が膂力もあって力強い、という分かりやすい役割分担をしているようだね」
ケンは冷静に分析をしている。そして、ケンが何かにハッと気づいた様子でソゥラの方をちらっと見遣ると、彼女の瞳がやけに輝いていた。
まだまだ足りないのは本当だったようだ。つまり、幕引きはぐっと近づいてしまった。
「……ここまで姿が変わるとは驚きだ。それぞれの動き方も相当な鍛錬の賜物だろうし、僕が最初の世界で勇者候補のときに出会っていたら、とても勝てる相手じゃなかった。やっぱり、君にこの世界を任せたい。死を覚悟した身なら、僕たちにその命を預けてみないかい?」
「どうしてもと言うのなら、私を屈服させてみろ。まだ終わっていない!」
男野盗は大太刀を消した後に、彼の上半身ほどの長さの太刀を2本出現させて、二刀流の構えでケンの瞳を凝視する。その言葉の真実味を読み取ろうとしている表情だ。
「なるほど。言質は取ったよ。そして、屈服だけならもう始まるよ。君の信用は得られないかもしれない。そう、屈服は僕にとっても君にとっても不本意な形で、だけどね……」
「……はっ!」
男野盗はケンの言葉の意味を徐々に理解し始めた。
男野盗は女性の姿に戻ろうとしたが、なぜか上手く機能しなかった。まるで自分の知らない意思が拒んでいるようで、彼にとって初めてのことだった。クラクラとし始めた視界の端で、嬉しそうにしているソゥラの姿があった。
「女性になろうとしたんですね? でも、もう遅いですよ♪ その男性の姿で私が出すフェロモンをたくさん嗅いでしまったのだからあ。身体が自分の言うことを聞かなくなってきて、無意識に私を求めるようになりますよ♪」
ソゥラは妖艶な笑みを浮かべながら、男野盗にゆっくりと近づいていく。彼女が近づくほどに、彼は頭がぼーっとする感覚に陥っていく。
そして、ケンは彼女が近づくたびにゆっくりと後ろに下がっていく。
「私が満足するまでがんばってくださいね? あと、これ、効果の差はありますけど、女の子にも実は効くんですよ♪ なので、女の子の姿でもがんばってくださいね♪ んふふ。先に、あの強気な女の子の姿で、くっ……何とかかんとか、とか言ってくれてもいいんですよ? 私はあ、満たせればあ、どちらでもOKですからあ♪」
「……まったく、妄想も入ってきているね。こうなっては仕方ないか。手短に済ませてね。部屋の外で待っているから」
ケンは既に諦めていた。今さら、ソゥラを止めることなど、彼にできなかった。むしろ、下手を打てば、彼自身も巻き込まれかねない。もちろん、彼なら対策は容易にできるが、対策を講じた後の処理も考えていろいろと折り合いをつけることになると労力に見合わないと判断したようだ。
「はあい♪」
「ぐうっ……こんな屈服の仕方は想定外だ……」
「僕もそう思うよ。でも、必ず屈服すると思うよ……。それじゃあ、また後で」
ケンは巻き込まれないようにそそくさと部屋の外へ出ていった。
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