1-6. 『罠師』、洗脳を解除する。

 ケンが部屋から出て2時間ほど経ったころ、ソゥラはきちんと装備もすべて装着した状態で、とても満足したつやつや顔で部屋から出てきた。


「ごちそうさまでしたあ♪」


「……ちょっと、待った。まさか、エネルギー体を1つ使ったのか? 満足した割にエネルギー体の数が変わっていないようだけど?」


 ソゥラはビクッと少し跳ね上がった後に、少し引きつり気味の満面の笑みでケンの方を向いた。


「連れて行くのだから、廃人にならないように気を付けないといけないのに……」


 ケンは小さい溜息を少しばかり漏らしていたが、怒っている様子はなかった。


 『色欲』のエネルギー体を他者に使うと、色欲に再変換される。その純粋かつ濃度の高い色欲エネルギーは、常人だと耐え難いほどの色欲に見舞われ、しばらくはまともな思考ができなくなってしまう。また、その強い色欲エネルギーの影響下ではソゥラの命令に従順になるため、エネルギー体は拷問や自白のための道具の1つでもある。


「で、でも、さすがはあ、勇者候補……体力はほぼないですけど、意識はありますよ!」


「意識なくすまでにしていたら、もう、僕が許していないよ……」


「はあい……、ごめんなさい」


 ケンが部屋に戻ると、男野盗は女野盗になっていた。息も絶え絶えの彼女は衣服を少々雑に着せられた状態で横たわっていた。


「まったく……」


 ケンは女野盗をよく見てみる。彼女は黄金色の瞳に、少し明るめの茶髪をしている。肌の色は見える部分が小麦色よりも少し白い。ソゥラと比べて背も少し小さく、スレンダーで慎ましやかな身体つきは、芸術作品に出てくる容姿である。


「じろじろ見るなんて、ケンはエッチですね♪」


「……そういうつもりで見ていないよ」


「襲わないんですかあ?」


「これ以上、トラウマを植え付けてどうするんだ……」


 ソゥラに拭われたのだろうが、顔じゅうに涙や涎の跡がうっすらと残っている。その状態の女野盗が口を震わせながら言葉を呟き始めた。


「……降参、……です。本当に、もう、許してください……。勇者候補崩れの……野盗でゴミみたいな……私でも役に立てるなら……本当に何でもしますから……。これ以外なら、本当に、何でもさせていただきますから……」


「……ちょっと。自尊心も欠片すら残っていない状態じゃないか! 一体、どこまでやったんだよ?!」


 ケンはソゥラの方に目を向けると、彼女が申し訳なさそうに顔だけ出して、壁に身を隠している。


「ごめんなさあい……」


「まあ、任せきりにした僕も悪かったか……」


 ケンは出てきそうな溜め息をぐっと飲みこんで女野盗の方に顔を向き直した。


「……お互いに不本意だけど、結果オーライ? ということで、過去の遺恨はなしでがんばろう。一緒にする旅を通して、僕たちはこの世界から魔王を倒しきり、君はこの世界を治められるようにいろいろなことを学んでほしい。そう、ともに成長する仲間として」


「はい……。わかり……ました……」


 女野盗は息がまだ整わないようだ。少しずつ答えるのがやっとで起き上がることすらできていない。


「改めて、僕はケン。彼女はソゥラだ」


「……私は、アーレスと申します」


「アーレス……アレスかな? 勇ましい名前だね。男性の時の名前かい?」


 アーレスは首を横に振った。


「どちらでもアーレスです」


 ケンは、アーレスを軍神の名前と思った。しかし、彼女の話を聞く限り、この世界の神話にアレスという名の神はいないようだ。仲間が全員集まったころに彼女からこの世界の神話を聞くことにしようと考えて、この話を打ち切った。


「しかし、微動だにできそうになさそうだね」


「……すみませんが、一歩も動けません」


「アーレスが謝ることじゃないよ」


 ケンは、ここで一泊だな、と確信した。ふと彼は、部屋の隅を見ると野盗たちが並んで大人しくしている光景を目にした。野盗たちには反抗する意思が微塵もなく、白旗状態の全裸丸腰土下座で待機している。衣類がないのは、下半身がまだうまく動かせない者ばかりだからだと思われる。


「意図してはいなかったけれど、せっかく時間ができたんだ。僕たちはまだこの世界に来たばかりだし、アーレスのこともいろいろと知りたいから、話せる範囲でいろいろと聞かせてほしいな」


 アーレスは自分の生い立ちからゆっくりと話し始めた。彼女は別の国にある亜人で構成された小さな村の出身だった。


 亜人とは、獣人族、鳥人族、龍人族、虫人族、妖精族、魔族などのヒト型に属するヒト族以外のことを指す。また、ヒト型とは主に二足歩行で行動し、言語や身振り、文字などの複数のコミュニケーション手段を持つ者たちの総称である。ヒト型という括りではあるものの、亜人はヒト族からの派生ではなく、むしろ、別系統の種族が二足歩行などに適応しヒト族の形に近付いた結果である。


 ただし、妖精族や魔族は起源が不明と言われている。


 彼女は亜人の中でもとりわけ希少な種族であり、分類すれば妖精族に近く、幼少の頃から苦労が多かったと説明した。そして、部下の野盗たちもまた、その出自に様々なエピソードがあり、ただただ貧しかったからでは済まないものばかりだった。ソゥラはその数多あるエピソードを聞いている内にほろほろと涙を流していた。ケンもまた、大いに考えるところがあったようで思案顔である。


「まあ、理由がないわけはないか」


 もちろん、ケンは今でも野盗たちの理屈を是とすることができない。しかし、彼は納得ができなくとも理解に努めるようにした。


「ありがとう、よく分かったよ。次にこの国の現状を教えてほしい」


 ケンが次の話題を促す。すると、アーレスは不思議なことを呟いた。


「あ、いえ、私たちはこの国に来て間もないので、あまり話せることがありません」


「……え。貴族がとか、商人がとか、さっきもいろいろ言っていたじゃないか」


 アーレスは少し困ったような顔をした後に再び口を開いた。


「それは私や彼らの生まれ故郷の話です。でも、どんな国でもだいたいそうなのではないでしょうか。大なり小なりそういうことは起きているものかと」


 ケンの違和感は少しずつ膨らんでくる。


「なるほど。では、少し話を変えよう。故郷の国で君たちは、私腹を肥やした悪名高い人たちからお金を奪っていたと言っていたね。では、今回、君の部下が襲っていた馬車の商人はどのような悪名だったのだろうか」


 アーレスは少し考え、何かに気付き、部下たちの方を見る。部下たちもまた唖然とした顔をして、彼女を見つめ返していた。彼女はひどく驚いた顔をしながら震えた声で呟いた。


「そういえば、なぜ彼らを襲ったのか。理由は特にありません。少なくとも、下調べをした覚えがありません」


 ケンは改めて見回して様子を観察した。野盗たちは何かがおかしかった。途中からアーレスを庇うようにいろいろと呟き始めたが、それも言い訳にならないようなものばかりであった。ここにきて途端に、彼は野盗たちの言動に支離滅裂な印象を受けていた。


「不思議な話だな」


 しかし、先ほどの野盗たちの話とはまったく印象が異なるため、嘘をついているというより別の力が働いているのでは、とケンは推測した。そして、彼は1つのことに気付く。


「……ソゥラに任せたのは正解だったかもしれないね」


「え、どういうことですかあ?」


 ケンはソゥラの疑問に答えるよりも前に「罠解除」と一言呟いた。その瞬間、アーレスを含む野盗たち全員の胸のあたりから紋章が浮かび上がり、それが崩れるように消え去った。


「もしかして、洗脳の術……洗脳の紋章ですかあ?」


「そうみたいだね。この世界でこういった術が魔法の類なのか、スキルの類なのかはわからないけれどもね。全員、胸の一部に少し色が変わっている部分があるから隠蔽術も同時に掛かっていたようだ。とても素晴らしい術だ。一瞬で見抜けなかった」


 ケンは術者を手放しに称賛していた。彼でも一瞬で見破れない隠蔽術と洗脳術は中々お目に掛かれないからだ。彼は徐々に強くなる自分の驕りを理解しつつ、まだまだ未熟な部分があるという現実を叩きつけられることに素直に称賛を送ることにしていた。


「そして、洗脳術は行動を制限するような強力なものではないけれど、被術者の信念や思考に働きかける類のようだよ。まあ、だからこそ、普段なら自分やその周りの行動に違和感を覚えない程度で気付かなかったのだろう」


 ケンが滔々と説明している中、アーレスや野盗たちはまるで霧が晴れたような顔をした後、自分たちの行為が誤っていたことにひどく恥じていた。


「いつからだ。いつから俺たちはこんなことに!」


「くそっ! 俺たちは何てことをしたんだ! これじゃあ、奴らと同じようなものじゃないか!」


 野盗たちの口々に出てくる自責の念が場をどんどん重くする。ただ、彼らは全員が全裸のままだったので、奇妙な絵面ではあるが今一つ神妙な絵面になっていない。


「まあ、災難に巻き込まれたと思って、諦めしかないね。全員が受けているということは、おそらくここに来る前に、仲間と思っていた誰かに受けたのだろう」


 アーレスや野盗たちはその事実を受け止めるしかなく愕然とした面持ちだった。


「自分たちの信念を自ら汚したわけではないのだから、そこまで落ち込まなくてもいいと思うよ。ただ、これをきっかけにまともな職業に転職してくれることを祈るよ」


 ケンは彼らへのフォローも忘れない。野盗たちは示し合わせたかのように一斉にゆっくりと首を縦に振った。彼らのコンビネーションはばっちりのようだ。アーレスは悔し涙か、ぐしゃっとした顔で1つ2つ涙を零した。そのあと、彼女は少し和らいだ顔でケンの方を見た。


「この恩はケン様の願いを叶えることでお返ししたいと思います」


「様付けはやめてほしい。呼び捨てでお願いしたいところだけど、どうしてもと言うなら、さん付けでも構わない」


「では、ケンさん、でお願いします」


 ケンの少しおどけたような口調で言った提案に、アーレスははっきりとした口調でそう返した。


「さて、今日はいろいろとあったし、時間も夜を迎えるだろう。ということで、ここで一晩過ごさせてもらうことにしようかな。さて、……君たちは君たちでそろそろ服を着たらどうだろうか」


 ここでも野盗たちは示し合わせたかのように一斉にゆっくりと首を縦に振ってノロノロと緩慢な動きで自分の衣類に向かって動き出した。

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