第107話 弱者の抵抗/限られた選択(17)

 余韻さけびが消えることはない。


 あの日、斬り棄てた残響きみたちは、永遠に固定されている。確かに、身体を構成する要素として保存した。


 けれど、不純いのちをもつかんだ以上、そこには、紛れもないがある。


 夾雑物ノイズが混ざれば、歴然たるの差が現出するだけ。


 斬刃の軌跡に乱れが生まれる。石火散らす抵抗。狂える音律。斬断の静寂クリアに、破断の協和音イズが入り混じる。樹群みどりに侵蝕される断層圏。境界は、毛羽立つ不様を晒し始めた。


 きりのこじみた枝葉ならともかく、破城衝角アサルト・ラムにも似た野太い根幹は、――両断と枯朽こきゅうに至るまでの時間が明らかに伸びている。遅延した分だけジョンの領域は圧し潰されていく。


 植生の暴圧に果てはない。軍勢は、飽くことなくへと押し寄せる。過剰投下オーバ・ドーズの物量戦にて、ちっぽけな領地に平定を。


 死地に拓いた生存圏が縮退する。


 擬神は、尽きず絶えない那由他なゆたを表象する群体コロニィ。この王国において、孤立と隔絶を成し遂げる独自ひとつ生態系スフィア。自らの内に絶対の摂理を強制する小世界ドメインだ。


 つまるところ、、――たかが、反則かいぶつがひとつと感傷いのりがひとつ。たったの要素ごときで、なんて、考える方が愚かなのだ。


 委細すべては、承知わかってる


 もとより、この剣理ことわりは、結界を敷くもの。指向するは、攻勢ではなく。そして、凌ぎ続けるだけでは意味がない。防勢それでは、といえど、神話あなた物量すべてに否定を届けること能わず。


 切創きず。摂理を敷かれた世界へ瑕疵きずを与える。ひとつといえど、刻んでしまえば、世界の


 神域ここは、もはや閉ざされた牢獄にあらず。


 外界そと通路ライン


 視点を上向ければ、展開した斬刃の領域分のみ、――牢獄みどり天蓋おおいが解体されていた。


 開けた空。眩しい青。雲一つない蒼天を越えて、彼は手にしたへと咆哮する。


 皮肉な話だ。古来より、はら


『エブニシエンッ! だ! ! あのを寄越せッ!!』


 “承知しました……旦那様”


 陰々たる思惟。ろと頭蓋を揺さぶるの反響。


 ジョンの総身に“”の気配いぶきが訪れる。


 途端、鉛のような小人ジョンを囚えた。骨肉が悲鳴を上げる。関節が不気味に軋む。呼吸が重くて苦しい。臓腑なかみを引かれる負荷と不快感に吐き気がした。


 まるで地に在りながら墜落するかのよう。鉛直を指向する物理量ベクトルに異常が生じていた。


 をもたらした巨人に悪意はない。をする以上、位置情報ポイントの特定と力場での刻印マーキングは必須。照準を固定ターゲット・ロック問題ないオール・クリア。余裕で有効射程うでがとどく距離に収まっている。


 “どうぞお気をつけを、……


 気遣いは、喜悦に濡れている。小人あるじ、あるいは姿。どちらでも良い。道化と勇者、どちらであっても主人はにとり、愛に値する物語だ。


『アニスッ! 吹雪で森を覆え! !!』


 “わかったよ! 旦那! 一緒にディアドラのやつ、ぶっ■■ころそう!”


 返る応えは、意気揚々ハイテンション


 一点の曇りもない。人喰いアニスは、主人と共にを狩りころす喜びと楽しみに満ちている。


 一方で、ジョンは、――軽やかに弾む思惟ことばを聞いたとき、……刹那、本当に瞬きにも満たない極小時間、


 おかしな話だ。不様と言えた。わずかとはいえ、さらしたのは、失笑にすら値しないだ。


 この期に及んですら“兄弟おまえ”、……――兄弟かれは、から目を逸らしていたのだ。


 と、つまらない言葉の欺瞞すりかえに逃げている。この事態を収束させるなら、もはや、擬神の分体ディアドラ


 


 この事態は、明らかに兄弟かれ過失ミスという言葉で


 喪われた幻想。まだ色を持たなかった、透明な憧憬あこがれ。騎士と美姫。完成された象形ふたり


 すこし離れて、そっと見て、ただ微笑んでいた少年こどもの日々。


 過ぎ去りし、――を、いつまでも棄てることができない。それこそ兄弟かれに他ならない。


『バーゲストッ! さっさと来い!! !!』


 叫びは炎に似ていた。あるいは、兄弟かれ自らのを焼き尽くすように。


 からの応えはない。ただ、わずかに嘆息の気配がそよぐ。。そもそも狼なのだから話さない。


 感傷を理解はすれども、過度に付き合わない。が発生した以上、――かの黒狼は、によって為すべきことを為すだけだ。


 只々ただただ、苛立たしい。


 兄弟かれにとり、これほど癇症かんしょうを誘うものはない。すべてを棄て、届くどころか、手を伸ばすことさえできなくなった後、力強い孤高の戦士、――姿


 兄弟かれは、


! !! エブニシエンと協力して、! 森から出て来た化け物ども、一匹の残らず始末しろ!!』


 傭兵いけにえ。何のために集められたかも理解せず、悪性の凶刃となった救い難いの群れ。


 。災いの前には、何の力にも成り得ない有象無象だが、――


 悪の下で悪事に手を貸した罪人ども。責務つとめ


 兄弟かれ手足つかいども。擬神かみ生贄エサ。単品で見れば、どいつもこいつも。罪人としての質は、兄弟かれに到底およばない。凡庸もいいところだが、それなりに数は揃っている。


 


 いやはや、というのは、とても大変だ。


 本性をあらわした擬神ディアドラに、無辜むこ弱者たみ。生贄を捧げるのは、であり、――この馬鹿げた救いようのない物語を、兄弟かれ絶対的な戒律ルールだ。


 最終目標は、強襲戦。


 しかし、もとよりもまた。未だ不安定な擬神の分体ディアドラを連れ歩くという、を実行してきたのだ。


 。それが破滅おわりを許容できず、――みっともない責務あがきを始めた兄弟かれの責任だ。


 しかし、もし異常エラー


 兄弟かれは、の名は呼ばない。


 


 因果応報の奈落。


 死解回帰クリスは、自動的な現象だ。個体ひとりで完結した異常エラーで外れたもの


 。等級は至上。おそらくは廃絶された血統。なのに、怪物にも似て、。そして、――弱者ひとかたどる意味不明。


 ここに、兄弟かれ、おぞましい仮定がある。


 あらゆる原罪いのちを殺し尽くす復讐の擬神。


 いくら死んでもよみがえる応報の外典。


 この二つが、殺し/殺される関係に陥ったとき。


 果たして、どこに行き着くのだろう。 


 死解回帰クリスは、際限なく殺され続けてよみがえり、――擬神ディアドラは、繰り返し殺しては、奈落の底で応報され続ける。終点おわりの見えない殺戮の輪廻。永劫に閉じた救いの無い円環。


 最悪の予想が的中したとき、此処ここに真実の無間地獄が顕現する。


 もちろん、この仮定には、条件がいくつもある。死解回帰クリスの蘇生に本当に限度はないのか。によって発生した応報が、。そもそも、あの奈落が、……等々と。


 しかし、一度始めてしまえば、止められない。


 死解の呪詛のろいと豊穣の擬神かみ、――が相克する矛盾じごく結末はてを見ることになる。


 時間はない。いつだって時間は吝嗇けちで、弱者の限られた選択をさらに狭めていく。


 決着ケリをつけろよ、


 破綻が始まるその前に。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る