第03話 裁く獣、裁かれる獣(3)

 篝火かがりびかれた城塔の上、男が一つ大欠伸おおあくびをした。


 男は、この廃城を根城にした盗賊の一員。こんな夜更けに立哨など、面倒臭くてやっていられないのが正直なところ。


 しかし、意外と神経質な頭目が命じるものだから、皆、嫌々ながら輪番でこの仕事をこなしている。


 今日は男の番だったという話。


 そもそも、こんな山中の廃城にやってくる者自体が珍しい。端的に自分たち以外の人間など見たこともない。そんな事情も相まってやる気は萎える一方。


 さらに言うならば、男は、というか、この廃城に巣食う盗賊の大半は、戦争で徴兵ちょうへいされた『元』農民である。


 かつて、城攻めに参加した経験もあり、ために城を攻めることがどれだけ困難であるか、嫌というほど理解させられていた。


 ここは放棄されて久しいとはいえ、石造の城壁を始めとした防御設備は、未だにしっかりしたもの。


 ここを仮に攻めようとすれば、城門を破城槌で打ち破る、城壁を梯子はしご登攀とうはんする、あるいは、ひたすらに穴を掘りすすめ、城壁の下の地面を崩落ほうらくさせる、なんて方法があるかもしれない。


 また、気の長い話ではあるが、城を攻囲し兵糧ひょうろう攻めにするのも一つの手だ。


 いずれも籠城ろうじょう側にとってみれば恐ろしい方法であるが、それは攻め手側の一兵卒にとってもまた同様。


 城門を攻めようが、城壁を攻めようが、籠城した兵から雨霰あめあられと――矢が放たれる。


 石が降ってくる。熱湯が注がれる。けたなまりが放られる。煮え立つ油が流される。汚物がぶち撒けられる。腐敗した死体が飛んでくる。それこそ投げ落せる物なら何でも投射される。


 射抜かれる者、潰される者、焼ける者、ただれる者、生き残って後、病を得て死を賜る者。


 運が良いのか、はたまた運が悪いのか、そんな歓迎を踏破とうはし、梯子はしごで城壁の頂点まで到達しかければ、そこからは多勢の兵から槍を突き出される羽目になる。


 さらに城壁に立つことが叶えば、剣で斬られる。斧で断たれる。槌で潰される。拳で足で打擲ちょうちゃくされる。


 ならば、そんな歓待の行き届かない地中を行く穴掘りならばどうか。これもけして安全ではない。その上、まったくの徒労とろうに終わることも珍しくない。


 常に崩落ほうらくの危険に怯えながら、硬い土をつるはしで掘り進めていくと、その先には巨大な岩があって、止む無く蛇行だこうせざるを得なくなるなんてことはまだ良い方だ。


 うっかり敵が城内から掘り進んできた対抗坑道に行き当たってしまったら、目も当てられない。逃げ場のろくに無い狭所で、やる気満々の敵兵たちと凶器を持って遊ぶことになる。


 かように城攻めとは心底ろくでもない。


 敵となるかもしれない『誰か』にしても、高々こんな辺鄙へんぴなところを彷徨うろつくだけの賊相手にそんな苦労はしたくないだろう。


 俺だったら嫌だ。心の中で益体もなく頷く。


 戦を尊び、楽しみ、競い合うのはのみに許された特権。


 農民として――耕す者として――この世に生を受けたときから、そんな酔狂とは縁遠い。


 賦役ふえきとして従軍する羽目になり、騎士に連れられて参加した戦は実際ろくでもなかった。


 農民の価値など敵兵と等価だ。死んで当然。生き残れば運が良い。


 一方的に敵をなぶれる展開ならばまだしも、そうでなければ敵兵を殺めるごとに自らの命の価値も下がっていく心地がした。


 中には、自分の身の程を勘違いした力自慢などもいたりするが、そういう目立つ馬鹿は大抵すぐに死ぬ羽目になる。


 結局、生死を分かつのは、運ただひとつ。手足を失うなんて珍しくない。心を損なう者もちらほら見かける。


 そんな苦境をようよう生き残っても得られるものなどありはしない。戦が終わり、用済みとなれば、後は再び搾取さくしゅされる惨めな生活に戻るだけ。


 せめて命をかけた報酬に『何か』が欲しい。そう思うことが、それほどいけないことだろうか?


 ゆえに彼らは、理の外に立つことを選んだ。王の定めた、戦う者、祈る者、耕す者、その三つの身分から逃げ出した。


 同じ身の上であるはずの農民や力無い商人などを襲う盗賊に身をやつした。


 別段、そこに後悔はない。人殺しなど、戦に一度参加すれば慣れるもの――豚や羊をさばくのと大差はない。


 いや、相手の反撃さえなければ、むしろこれが中々に楽しいときもある。


 かつて彼が住んだ村でも、稀に罪人が出ては、その処刑が見世物として楽しまれたものである。


 してみれば、そのお祭り騒ぎが結構な頻度で起こるようなもの。


 寂れた街道を行く少数の獲物を見定めては捕らえた。財をいただいた上で、遊んだ。


 手足の指から寸断すんだんして、どこまで生きていられるか、なんて賭けをしたときは随分ずいぶん盛り上がった。


 弓の的にして皆で競い合った。あれは純粋に面白かった。十人中九人の額を射抜いた男はいまなお盗賊の中で弓の名手として尊敬を集めている。


 命乞いをする者たちを殺し合わせた。つたないながらも、なかなかに魅せる死合いで、皆で声援を送ったものである。


 最後に残った者は皆に称えられ、惜しまれながらも、きちんと始末した。


 運が良ければ、若い女が手に入り、そういった楽しみも加わる。


 つい、先月とうとう旅行者を襲うケチケチとした仕事からステップアップして集落への襲撃を実行。


 さびれた村だったけれど、それでもやはり人が集住しているだけあって、得られるものは多かった。


 女も何人も手に入れたし、うち一人はこれまでお目にかかったことがないような良い女だった。


 流石に連日連夜に渡って、お楽しみが過ぎたため、壊れてしまったのが返す返すも惜しまれた。


 ああ、思えばそんな理に外れた行いをして結構な月日が経ったものだ。


 けれど、秩序ちつじょしもべであり、戦う者たる騎士殿たちからの粛清しゅくせいは、まだ、ない。


 きっと、あの方々は、そも耕す者たちの生き死になどどうでも良い。


 富と名誉を得るための戦ならば、喜び勇んで出掛けるのだろうけれど。


 こんな山奥で誰も見てくれない、たたえてくれない、もうからない、そんな労苦など誰が好き好んでやるというのか。


 騎士は、我らの上の位階に立つ者だ。けして庇護者ひごしゃではない。


 だから、分を弁えている限り自分たちの行いは見逃される。


 だから、分を弁え超えない範囲で、ささやかな楽しみを続けるだけ。


 欠伸あくびを噛み殺しながら、そんな取り留めもないことを考えていて――


「えっ?」


 そんな風に思った。彼の視野を覆う大きな壁が、何の前触れもなくそそり立った、と。


 恐怖はなかった。混乱というほどのものも。ただ、唐突に理解不能な現象に出くわしたことによる、思考の空白があっただけ。


 もし、彼が冷静に現状を認識しようと努めていたのなら、眼前に展開されたものが平坦な壁ではなくて、尋常じんじょうならざる大きさのであることに気づいた、かもしれない。


 だが、彼は気づかなかった。


 だから、彼は幸せだった。


 だから、彼は運が良かった。


 彼の認識の中では、人生で最も幸福だった略奪おもいでに浸りながら、恐怖を憶えることなく、


 「ぷちっ」

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