第14話 二人目の客

 俺とシエルは買い物を終えて特に何事もなく帰還し、買ってきた諸々の荷物の処理に勤しんでいた。


 シエルの新しい衣類は洗濯機に入れ、食材は冷蔵庫へ、その他日用品は所定の位置に収納していく。

 数多の魔法を流用した洗濯機や冷蔵庫は非常に便利である。生活していく上で欠かせない必需品だ。


 ちなみにシエルはベッドで寝転がってくつろいでいる。

 何をやってもらっても失敗しそうな予感がしたので、あえて今はゆっくりさせているのだ。


「よし……」


 数十分後。諸々の作業を終えた俺は額の汗を拭って息をついた。

 そして、軽く身なりを整えてからベッドの方を確認する。


「シエル……おい、嘘だろ?」


 彼女はすやすやと気持ちよさそうな寝息を立てていた。

 布団の中で丸まりながら、すっかり蕩けた顔つきで眠っている。


 このままシエルを寝かせたまま一人でバーを開店させても良かったのだが、このまま自堕落な生活を続けさせてはダメ人間になってしまいそうなので、俺は彼女の頬をペチペチと叩きながら声をかける。


「おい。シエル、起きろ」

 

「ん……ふわぁぁ……あ、ごめんなさい。気持ち良くて、つい……」


 シエルは寝ぼけ眼でゆっくりと意識を覚醒させると、上体を起こして大きな欠伸をした。


「そろそろバーを開店するから表に出てくれ」


「うん、わかったぁ」


 力の抜けたシエルの返事を聞いた俺は、居住スペースから表のフロアへ移動した。

 扉を一つ潜っただけで、生活感のある簡素な部屋から、一気に薄暗いオシャレな空間に移り変わる。


「食材の準備良し、グラスはもう少し磨くか。後はカウンターの汚れは……ないな」


 俺は店内に視線を巡らせながら簡単な確認作業をしていく。

 すると、背後から少しだけ緊張した様子のシエルがやってきた。


「マスター、私は何をすればいいの?」


「今日は何もせずに見ていてくれ。本当は一緒に仕事ができれば良かったんだが、生憎今の俺にはそんな余裕はなくてな、すまないな」


 俺としてもバーとしての営業は今日で二回目となるので、シエルには看板娘的な感じでカウンター横で待機してもらおう。


 今の俺では現場作業をこなしながら何かを教えるのはまだまだ難しいのだ。


「ううん、私もまだ何もすればいいかわからないし、こんな高級な正装にも慣れてないからちょうど良かった!」


 シエルはその場でくるっと華麗に回転した。


 確かに冒険者から一転して、カチッとした黒のパンツスーツに真白いシャツ、更にはカマーベストまで着ていては、少しばかり違和感を覚えてもおかしくはない。

 冒険者をやっていた頃のラフな格好からは程遠い服装と言える。


「よく似合ってるぞ。赤いリボンも良いアクセントになってるな」


「えへへへへ……そうかなぁ」


「ああ」


 照れ臭そうに微笑むシエルを見ていると、自然と俺の心も和んだ。


「マスターも良い感じだよ!」


「そうか?」


「うん! このお店初めて長いんでしょ? 凄い様になってるよ」


「……まだ開店して一週間も経ってないぞ」


 そんなに俺はバーのマスターに相応しい様相に見えるのだろうか。まだ開店してから全く時間が経っていないというのに。


「え!? そうなの!?」


「おう。ちなみにシエルは一人目のお客さんだぞ」


 確かこれはお会計の時にも伝えていたような気がするが、シエルはあまり覚えていないようだ。奴隷堕ちが目の前まで差し迫っていたし当たり前か。


「へー! 飲み物とか料理のメニューもたくさんあるし、よくわからないけど手慣れてる感じだったから意外だねー」


 シエルは驚いた様子だったが、食器や店内の雰囲気を感じて納得しているようにも見えた。


「まあ、前の仕事を辞める前から準備だけは一丁前にしてたからな」


 冒険者としてやりたいことを全てをやり切ったからこそ、夢であるバーのマスターとして成功するために、しっかりと入念に準備をしてきたつもりだ。


「でも……あんまりお客さん来てくれないね……もっと賑やかな感じだと思ってた」


「失礼な。バー【ハイドアウト】は喧騒から逃れた静かな雰囲気が売りなんだよ。だから別にお客さんが大量に来なくても別に良いんだ」


 俺は左手にグラス、右手には真白く綺麗な布を持ちながら、どこかしょんぼりした様子のシエルに向かって言った。

 利益なんて別に関係ない。お金なんて腐るほどあるし、そのためにバーのマスターになったわけじゃない。

 

「ふーん。そうなんだ」


 そんなこんなで、なんて事のない会話をしていると、店の外の暗い裏路地から一つの気配を感じた。


「……来たぞ。無駄話は終わりだ」


「え? う、うん」


 気を引き締めた俺の態度にシエルは疑念を孕んだ様子で頷くと、静かに距離を取り隅の方に行った。


 それと同時に、あえて古臭く加工された店の扉が開かれる。


「———ようこそ。【ハイドアウト】へ。カウンター席しかご用意がありませんので、お好きな席にお掛けください」


 俺は入店した一人の人物の姿を捉えると、間髪を入れずにすぐさま恭しく頭を下げた。


 さて、お客さん第二号だ。見た感じ、当初のシエルのようなどんよりとした雰囲気は纏っていないし、実質的に初めての接客になるな。


 誰もが心のうちに秘めた思いを打ち明けられるような落ち着いたバーを目指しているからには、相手の態度に合わせた丁寧な接客を心がけよう。

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