Ⅰ巻 第壹章 新しい朝
第壹章 新しい朝 1P
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顔をしかめるほどの熱さを感じ、ランディはゆっくりと焦点の合わない目を開けた。しかし眩しい光が目に沁みて思わず、また目を瞑る。暫しの間、目の痛みを堪えるランディ。
「まだ俺、生きている……」
涙目ながらに薄眼を開けたランディの口から自然とありきたりな台詞が飛び出して来た。ランディが目を覚ましたのは『Chanter』に来て三日目の昼。知らない部屋のベッドに寝かされていた。斜め横には窓があり、其処からランディを攻撃して来た憎き相手の燦々と輝いている様子が見える。降り積もった雪が陽光を反射する所為もあってか、目に突き刺さるような光が今も部屋に入り続けている。部屋の中は寒くない。
いや、ランディが寒く感じないのはこれでもかと布団が被さっているからだ。先ずは辺りの様子を首だけ使って確認する。どうやらこの部屋にはランディの一人だけ。ベッド近くの机や椅子には読みかけの本やコップなどがある。先ほどまで誰かが居た形跡はあった。只、肝心の其らを使っていた人間が見当たらない。もっとよく見ようとランディが首の位置を動かしていると突然、何かが目の前へと滑り落ちて来た。驚いたが如何せん、身体が急な動きを受け付けない。出来たのは条件反射で目を瞑るくらい。また目を開けてみると真っ白い世界と肌には生温かい熱の感触。落ちて来たのは太陽の光で少し温まった濡れタオル。ランディ自身も薄々感づいていたが、誰かが看病をしてくれている。
「看病してくれたのが、可愛い女の子だったら良いなあとランディは心の中で呟くのだった」
力を抜いて頭を枕へ深々と埋めて日差しから目を守るように手を額に当ててランディは間の抜けた願望を吐露した。別段、看病して貰う相手に性別は関係ない。だが、男と言う愚かな生き物は白衣の天使に憧れを持つものだ。枕の上で一休みをした後、辺りの状況を再度、確認したくて身を起そうと動かすのだけれどもやはり動かない。
「うっ、動かない……」
動かそうとすれば、体中に引き攣るような痛みが走る。かなりの無理をしたのだ。逆にあれだけの無理をしてこの程度で済んだのは僥倖だろう。酷ければ、凍傷で体の一部を切る必要があったかもしれない。身体は着々と回復に向かっているので時間を掛けて動けば上体を起こすことは出来そうだ。今までの経過もあやふや。分かるのは此処が目指していた場所だろう『Chanter』と言うことだけ。風邪のように火照り、気だるさも感じる。
「ああ、痛っ!」
痛みのある身体に鞭打って上体をゆっくり起すと、両手で頭を抱えるランディ。体調の悪さも相まって遂に混乱し始める。服装は同じ。白の長袖とインナー、下は登山用にと用意したボトムス。布団の上には三枚目に着ていたジャケットが置いてある。持って来た荷物は部屋の隅に纏めてあった。それだけでも確認が出来たランディは一安心する。ただし、自分がどういった経緯で此処に居るのか。幾ら思いだそうとしてもこの一番の疑問がどうしても分からない。
「いたたっ、もう何が何だか分かんない……遂に俺も呆け始めたのか」
状況の分からない中、数少ない情報を頼りに思考を開始。
「もう一度始めから思いだそう。俺の名前は……ランディ・マタン。年は……二十歳!」
本当は記憶を最初期まで遡る必要は皆無だが頭を捻りつつ、記憶を名前から辿り始めるランディ。そんな今出来る精一杯のことをしていると部屋の扉がひとりでに開き始めた。
誰か人が来たらしい。扉の動きを警戒し、ランディは目を鋭くさせて身体を固くする。気持ちの緩みは一瞬で消えた。呼吸は最低限だが自然と肩に力が入ってしまう。前屈みに身を低くしても足はベッドで伸びきったまま。出来たのは不完全な臨戦態勢だった。只し、其処に体が動かないことは感じさない。獰猛な獣がランディの中にいた。部屋の空気を全く気にしない扉はゆっくりと開いて行く。唾を飲み込んだランディの緊張は最高潮に達した。そして開け切った扉の先にいた人物は。
意外にも若い娘だった。
もっと野暮ったい男を想像していたランディは拍子抜けして警戒を一瞬で解く。一方、若い娘はランディが意識を取り戻しているとことが想定外だったようで中に入ろうとして足を上げたままの恰好で止まり、驚いている。
いち早く、我に帰ったランディは習慣で武装をしているかを確認する為、娘を上から下へと眺め始める。年は二十歳くらい、恐らく同年代だろう。髪は茶色。肩に掛かるくらいの長さ。茶色で二重の目。顔は全体的に色白で薄っすらと頬に桜色が差し、唇は色鮮やかな朱色。少しお転婆そうな印象を感じる。服装は青い肩掛けと男物の真っ白なシャツに焦げ茶のロングスカートと真っ赤な腰巻、丈の短いブーツ。シャツは大きさが合っているのでどうやらお古ではなく、彼女の為に作られた物のようだ。しかし前の方が苦しいのか、一、二個ボタンが開けてあり、胸元に銀のネックレスが見える。因みにランディの目は三度くらい其方へ向った。
武器はない。
それが確認できたランディは全身の力を抜いてほっと息を静かについた。
観察対象だった娘はまだ鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして扉の前で固まったまま。まだ断定は出来ないが、彼女がランディを助けて運んでくれたのだろう。ならば自分が何故、此処にいるのか分からない理由もランディにはすんなりと腑に落ちた。今、ランディがすべきことは話し掛けて助けて貰ったであろう彼女に少しでも良い印象を持って貰うことだ。
「おはようございます。あの―――― もしかして……」
話し掛けた直後、勢い良く扉が閉まる。娘はランディの言葉を聞かず、部屋の外に出て行ってしまった。あまりの出来事に開いた口が塞がらないランディ。話し掛けるの余地も与えられぬまま、状況は何一つ進展しなかった。これでは経緯も聞けない。此処まで良かったことと言えば、ランディの小さな願い事が本当になったことくらい。
「レザンサン、レザンサン! アノヒト、キガツキマシタヨ――――」
外では物凄い勢いで階段を下りる音と、誰かを呼ぶ甲高い声がしている。どうやら娘は人を呼びに行っただけらしい。しかし部屋の中では声はぼやけて内容が分からずはっきりと聞こえるのは騒がしい足音だけ。
「今、俺が何か悪いことしたの?」
ランディは愕然とした。
「……何処に問題があったのか」
娘の奇怪な行動にもしかして自分に何か非があるのではと思い浮かんだランディは前髪を弄りながら反省会を始める。
「彼女の前では怪しいことは何一つしていないし、言動もマトモな筈だった……」
徐に穏やかな町の風景を窓から眺めながら考えても答えは出てこない。しかしランディの空回りな思考を更に加速させるものが其処にあった。窓には正午を告げる鐘が響く穏やかな田舎町以外にも部屋の中が薄らと映り込んでいる。そして正面に映るのは髪が目の辺りまで掛かり、痩せこけた無精髭の怪しい男。何を隠そうそれが今のランディだ。
「まさか、今の格好が不味かったのかな」
今までの経緯を含めてこんな格好の男ならば、総合的に見ても怪しい人物なのは間違いない。
「盲点だった……」
身だしなみは人の第一印象として重要だ。それだけで待遇が決まると言っても可笑しくはない。人は話が通じる相手を好む。その比較的に労力を使わずに好む相手かどうかを判断する基準として挙げられるのが姿形。考え方などは話をゆっくり聞くことなどアクションを起こさねば、分からない。ましてや只でさえ小さな町や村は其処だけが彼らの世界であり、閉鎖的でよそ者に冷たいことがある。ランディの故郷は宿場町と言うこともあってそうでもなかったが、全ての町が同じとは限らない。
後書き
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