第零章 始まりの雪 7P

「ほら、フルール起きなさい。そんな所で寝ていたら風邪を引いてしまう、それにあまりのも遅いとお前の両親も心配するぞ」




「……うなあ、レェザンしゃん。彼の容態、どでした?」




「ああ、問題ない。二、三日で目を覚ますそうだ」




「良かっ、ふああああ」




「それより、そんなことはどうでも良いから早く家に帰りなさい」




「うん? 帰りませんよ。あれ、レザンさんに言ってなかったけ?」




「何がだ?」




レザンの呼びかけに目を擦る素振りを見せつつ、フルールは素直に起きたが、帰ろうとはしなかった。そればかりか、こんばんは此処に泊まるなどと言う始末。訳を聞いて見るとフルールが寝ぼけながらもたどたどしく話を始めた。




「あのお、ねすね。先生をふあびにきくまうえに、しちど家に戻ったんれすよ」




「……何となくは分かるな」




フルールはきちんと話しているつもりだが、どう聞いても内容が把握出来ない。




なので、代わりに掻い摘んで説明をする町医者を呼びに行く前、自分の家へ一度戻ったとのこと。その時、両親に事情を説明してレザンの手伝いがしたいと言ったら二つ返事で了承してくれたそうだ。




「だからレザンさん。あたし、今日は此処で泊まりますよ……ふああああ」




最後だけはちゃんとした言葉で締めくくったこの娘は相当の世話焼きだ。




『この子には本当に頭が上がらない』とレザンは思った。




「ならば、私の部屋で一度、仮眠を取りなさい。ベッドが二つあるのは知っているだろう? 私はまだ大丈夫だし、もう少しだけあの青年の様子を見ていたい」




「むむむっ―――― あい、分かりまった。お休みなさ……」




「ああ、ゆっくり寝なさい」




結局、またもや根負けしたレザンの方が家へ帰すことを諦めた。フルールは頭が半分停止している為、反応が遅い。少し間が空いた後、やっとこさ挨拶をし、二階へと向かってくれた。レザンが苦笑いを浮かべながら様子を見届け、残されたカップを流しへと片づけて行く。そのままレザンは戸棚から一本の葡萄酒を取り出して来た。




普段は酒場などで麦酒を飲んでいるレザンだが、急に飲みたくなって来たのだ。一緒に取り出したコップへ注ぎ、口元へと運ぶ。葡萄酒独特の辛く、懐かしい味が口の中へと広がる。昔はよく、奥方と一緒に仲良く飲んでいた。でもその習慣はもうない。時折、カップを回し、目を瞑りながら飲み終わったレザンは上から毛布を取って来て椅子に座りながら暖炉の前で番をすることを決めた。毛布を取りに行く序、必要ないと分かっているのだが二人の様子見をする。




一部屋ずつ扉を開け、どちらもちゃんと布団に包まって寝ていることが寝息で確認出来た。何も問題はないので自室から静かに出した毛布を持って居間へ向かうレザン。この時、意外にもレザンは心に温かさを感じていた。それは顔にも隠し切れておらず、今までの油断ない厳しい表情は何処かへと消え、優しげな微笑みだけがあった。居間に戻って来ると暖炉へ石を近づけ、椅子に座って毛布を被るレザン。最初は徹夜をする余裕があった。でも暖炉の揺らぐ炎の温かさにやられたのか、次第に瞼が重くなる。暖炉は薪も少なし、もう放って置いても平気だろう。




「この家がこんなに賑やかなのはいつ以来だろうか……」




睡魔で薄れゆく意識の中、レザンがぼんやりと考える。




「悪くない……」




問いの答えは出ない。だがその代わり、とても嬉しそうな一言が勝手に出て来た。こうしている間にも世は更けて行く。明日も変わらず、また忙しい一日が始まるのだ。




そして物語も漸く、始まった。

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