第零章 始まりの雪 6P
明かりは目を瞑ってでも分かる我が家なのだからランプで充分だ。目指す場所は来客用の寝室。他の二つの内、一つはレザン本人が使っていてもう一つは物置になっているので駄目だ。
来客用の寝室は六畳ほど、来客用なので最低限の物しか置いてない。部屋は一階と同様、冷え切っていた。レザンが来賓客用の寝室に青年を入れるとまずは肩と腰にベルトで固定されている布袋を外す。布袋には二つとも何か堅い物が入っており、中身は気になったがレザンは敢えて調べなかった。理由は触った感触だけで何が入っているか分かったからだ。
徒歩で旅をしていれば、嫌でも盗賊や獣などに遭遇する。必要な物だ。コートを脱がせ、一昨日まで知り合いに使わせてそのままだった布団の中へ青年を押し込む。更に自室から持って来た予備の布団を被せて行く。ごたごたを運んで来た青年は布団の中でも顔が真っ青で身体はぴくりともしない。
「本当に大丈夫なのか……」
あまりにも酷い様子なのでレザンは青年の容態が心配だった。確かに青年は心配だが、他にもやることがあるので見切りをつけて階段を下りて一階に戻る。そしてそのまま居間へ移動する。居間は客室よりも広く、台所も兼ねている。窓は大きい物が一つ。煉瓦で出来た暖炉が壁にあり、その正面には大きな机が一つ。椅子が五つ囲んでいる。他にも食器を洗う為の流しや調理台、食器棚など生活に必要な物は殆ど揃っている。
ただ、所々に一人暮らしの男には似合わない可愛らしい小物や食器が置いてあり、一緒に誰かが住んでいた形跡が散りばめられていた。でも今この家にいるのはレザンが一人だけ。
ちょっと前までは長年、連れ添っていた奥方と住んでいた。しかし残念なことにレザンが愛した人は五年ほど前に亡くなっている。道を間違えた時に上の空だった原因はこれだったのかもしれない。そんなレザンは居間に来て早々、残っている薪を少しだけ持って来て暖炉に火を入れた。居間を暖めることと湯を沸かす為だ。
その後は椅子に座って一息吐く。置いて来た薪の方はやはり明日の朝まで何とかなる。背負子は暇を見つけて取りに行けば問題なかった。これからするべきことを椅子に座って考えていると湯が沸いて来た。レザンは湯たんぽに湯を入れて二階へと向かう。青年は身体が冷えきっている、温かくしておくべきだ。また、そろそろフルールも此方に来る。疲れているだろうし、無理を言って来て貰う者もいる。もてなす準備が必要だ。何か一つを終える度に新しくやらなければならないことが浮かぶ。
着実に一つ、一つと済ませ、最後に茶菓子を用意。やることがなくなってレザンはお茶を飲みながら青年の処遇はどうするべきか、考えることにした。
「多分、旅人だ……何か悪さをする人間の雰囲気はなかったし、格好もマトモだった」
茶に少し口をつけながら自分が見たことをゆっくり分析して行くのだが。
「後は―――― 分からん。正直、判断材料が少な過ぎる」
決して呆けているのではなく実際、幾ら考えても青年の情報が少な過ぎていまいち、良い答えが思い浮かばない。結局、『怪しい所もあるが、意識が戻ったら話を聞くくらいしても良いだろう』という結論を出した。色々と考え事をしているうち、不意に裏口の呼び鈴が鳴る。
待ち人が来てくれたのだろう。椅子から立ち上がり、廊下に出て扉の方へと向かうレザン。
「先生、早くして下さい! 遅いですよ」
「フルールちゃん、焦り過ぎ。君から直接、患者の容態は聞いたけど急患ではないんでしょ?」
「でも……」
「大丈夫、男は強いものだよ。ちょっとの無茶くらい日常茶飯事さ」
「……」
「睨んでも、俺からは何も出ないよ?」
レザンが廊下へ出ると内容はぼんやりとしか分らないが、外からくぐもった声が聞こえる。
どうやらあまり良い様子ではないのでレザンは仲裁をする為、急いで扉を開けた。
「レッ、レザンさん! 来て貰いました」
「レザンさんの頼みらしいから出来るだけ急いで来たよ。患者は何処だい?」
「何が『急いで来た』ですか! 沢山、寄り道した癖に!」
「まあ、良いじゃないか? フルールちゃん。そんな瑣末なことは」
扉の近くにいたのはフルールと一人の男。それぞれ扉が開いたことに気付き、違った言葉を投げ掛けて来た。フルールが連れて来たのは若い男。第一印象は一言で言うと胡散臭い。黒髪でボサボサの緩い天然パーマ、髪は鼻の辺りまで来ており、勿論、髪の毛の所為で目は見えない。白衣の上に黒のくたびれた黒いコートを羽織っている。下は綿のズボンに革靴。
手には大きな黒のカバン。男の発言や服装を見て判断するとフルールにレザンが呼ばせたのはどうやらこの町の医者らしい。格好がらしくなければ到底、医者には見えない人物だった。
「二人とも有難う。取り敢えず、喧嘩は止めて中に入って貰えると助かるのだが」
「済みません」
「ごめんなさい……」
レザンはいがみ合う二人を宥めすかし、居間へ通した。フルールには椅子を勧め、茶と茶菓子を机に置く。やはりフルールは限界だった。居間へ入ると殆ど無口になり、青年の荷物を置くとレザンに礼を言って暖炉の火に当たりながら蕩けた。
一方、レザンと町医者は早くも二階へ向かった。部屋に入り、青年の様子を確認すると布団や毛布、湯たんぽのお陰か、身体が温まったようで顔には少しだけ赤色が戻っている。
「この青年がフルールちゃんの言っていた怪しい旅人君か。随分とみすぼらしい顔してるなあ、この子」
と患者をみるなり、首を傾げ、いきなり貶す町医者。
「そんな格好をしているお前が言えるのか? もう良い歳なのだから身形をキチンとしろ」
「俺の格好は個性です! 冗談ですって。レザンさんは冗談が本当に通じないなあ」
至極、まっ得なことを言われてあたふたとする町医者。
「馬鹿か、そんなだからお前は何時まで経っても独り身なんだ」
「良いんだい、独身で。独り身最高、万歳!」
止めの殺し文句はとても効いたよう。独り身は暫くの間、立ち直れなかった。
お馴染みらしい言葉の掛け合いをした後、町医者は椅子に座ると青年の診察を始めた。
「フルールちゃんから聞いた通りだ。疲れと寒さによる体力の消耗が原因。大きな怪我や病気もない。温かくしてれば明日か、明後日にも目が覚める。直ぐ、良くなりますよ。レザンさん」
「そうか、それは良かった」
青年に触診を施しながら後ろのレザンへと町医者は言った。レザンはその言葉を聞くことが出来、一先ず、安心して胸を撫で下ろす。どうやら虚も落ち着いて眠ることが出来るらしい。
「まぁ、こんなんもんで処置は充分でしょう。それにしてもこの子、古傷が凄いな……軍人か?」
町医者は誰にも聞こえないくらい小さな声で最後の言葉を濁す。
「ああ、本当に助かった。態々、こんな時間に来て貰って済まない」
「俺で良ければ何時でも来ますよ……それではやることもなくなったので帰りますね」
「いや、お前も疲れただろう。休んで行きなさい」
「若者は元気だけが取り柄です。一応、俺も分類としてはそれなので元気良く退散しようかと」
「お前と言う奴は……」
町医者は青年の世話を一通り終わらせると直ぐに帰ろうとする。それでは悪いとレザンが休んで行くことを進めるのだが頑として受け付けない。その上、診察料を渡そうとしたのだが町医者は口元をにっこりとさせ、ただ首を横に振るだけ。結局、町医者は「お大事に」の一言だけを残し、家を出て行ってしまった。口は悪いが町医者は粋な人間らしい。レザンが町医者を外まで見送り、居間へ戻って見るとフルールは暖炉の前で船を漕いでいる最中だった。
「ふぬっ……」と唸り、フードを被ったまま、明かりは暖炉だけなのでフルールの顔は見えないが寝ている時だけは穏やかで可愛らしかった。寝たり起きたりを繰り返している。
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