第零章 始まりの雪 4P

「はい、もう止め。止めです、気を取り直して中に入りましゅ!」


「はぁ、閉まらんな」


空気を変えようとするも、噛んでしまうフルール。どうしようもないのでこれ以上失敗したくないとばかりに倉庫の扉を開けてさっさと中へ入って行く。そんなフルールを追い、息を漏らしながらレザンも倉庫の中へと入るのだった。倉庫自体は木造、床は石畳。中は薪が積んであるので倉庫特有の古ぼけた匂いと木の香りが充満していた。埃が多く、思わずクシャミが出そうになる。


明かりが必要なので乱雑に置いてある机の上にあったオイルランプにフルールは火をつける。火を入れた瞬間、オレンジ色の光が倉庫に広がった。冬の初めは倉庫の天井に付くくらい大きな薪の山が出来ていた。だがもう冬が終わる為、小さくなって威圧感は見る影もない。


二人は薪を運ぶ為、置いてある背負子を借りた。残っている作業は必要な分だけ集め、背負子に縛るだけ。会話をする必要もなく、早く帰りたいので手を擦り合わせ、温めながら黙々と作業を始めるレザンとフルール。薪の断面や表皮は粗いから慎重に作業をする。何故なら手に木片が刺さっても此処では抜けないからだ。ただ、時間を掛けるとしてもそれだけ。直ぐに終わり、レザンたちは頷き合うと出口へと向かった。外へ出ると入る時には感じなかった屋内と屋外の気温差を強く実感出来た。コートの外にある手足に一番寒さを感じる。そこから体温が奪われているので身体も徐々に冷え始めて来た。震えながら倉庫の扉を閉めたレザン。薪を軽々と背負っている。それはフルールも同じ。だが、背負子が尻に当たるらしく、「アイタッ!」と悲鳴を上げている。


「情けない……」


こう言う時に限って余計な一言が多い。当然、フルールにも聞こえている。フルールは無言で腕を振り回して殴り掛かる。そんなフルールをレザンが左手で頭を押さえ、簡単に止める。漫才をしながら倉庫を離れる二人の姿は本当の祖父と孫のように見えた。


このままめでたし、めでたしと終われば、この物語に深く関わることはなかった。言わば、此処からがレザンたちの物語に関わるか、関わらないかの分岐点だったのだ。


背負子を背負い、足を進めたレザンは倉庫から家までの道のりを半分来た所で忘れ物を思い出す。この町の決まりで倉庫に入った後は用件帳と言う物を掻かないといけないことになっていた。二人はこの用件帳を書き忘れていたのだ。これを書かなければいけない理由が例えばもし、倉庫に何が起きても人の出入りも多々あるので事件発生直後の最後の人間に何か異常がなかったか、聞けるから。


盗まれるような物は入っていないが放火などされたらとんでもない。効果的な防犯措置ではないも、『人の目が届いているぞ』と言うちょっとした警告や事事後処理、犯人探しの為の対策だ。倉庫のこともそうだが『Chanter』のような町では防犯対策など、高が知れているのだ。


「まずいな……失念していた」


「明日にしましょうよ。もう家に帰りたいです」


「決まりは、決まりだ。守ることに意味がある、私だけでも行こう。お前は先に帰りなさい」


用件帳は倉庫隣の詰所にある。半分まで来た道を戻りたくなくて、フルールが面倒くさそうに言う。規則に厳格なレザンは脇目もふらず、方向転換し、来た道を戻り始めた。


「レザンさんはこうなると駄目なんだよね……」


最初は自宅に戻ろうとしたものの、最後はレザンに渋々ついて行くことにしたフルール。一方、問題のレザンは何故かこの時からずっと上の空だった。


「……」


何かのきっかけで思い出すことがあったのだろう。どんどん先に進むのは良いのだが、レザンは道を見ているようで見ていない。物思いにばかりふけて気の所為か景色も流れるように過ぎて行く。その内容はあまり楽しい物ではないようでレザンの背中には孤独と少しだけ哀愁を漂わせていた。ちょっと前までの騒がしさとは打って変わり、静かになる。聞こえるのは足音だけ。どこかギスギスとした空気が広がっていた。レザンの様子に違和感を覚えたフルールも疲れが見え始めていた。


元気はなくなり、視線を下へ向けてトボトボと歩いている。段々と薪の重さが後を引いてきた。幾らお転婆でもやはり若い娘なのだ。どちらもガタガタの調子で先へ進むもレザン、フルール共に道を気にしていなかった。『Chanter』は小さい為、一つだけある大きな通り以外の小さな道は入り組んでいる。


気を付けないと、道を間違えてとんでもない所に行ってしまうことも。二人はふと、同時に辺りを見渡した。どうやら二人も例に洩れず、道を間違えた様子。慌てて、現在地を頭の中で確認するフルールたち。気付いた時には遅く、二人は遠回りをする羽目になった。しかし、先にも言ったようにこの町は広い訳ではない。幸い早めに気付くことが出来た為、ちょっとだけ時間が掛かるだけだった。


「少し、呆けていた。済まない」


「いいえ、大丈夫ですよ。あたしも不注意でしたし―――― それより珍しいですね、レザンさんがぼっーとするなんて……明日は吹雪くかもしれないですな」


「ああ……そうかもしれんな」


本当に大した問題ではないのだが、責任を感じたレザンが歩きながら謝る。フルール自身もレザンの様子に陰りが見え、何かが可笑しかったのは気付いていた。でもそれを知ってフォローしたり、指摘することは出来なかった。普通は出来なくても仕方ないことだし、逆に出来る人間の方が少ない。気にしなくとも良いことに罪悪感を持ったフルールは冗談混じりに全く責めることはなく、可笑しな様子に気付いていなかったかのように振る舞い続けた。


フルールが知らん振りを続けた理由は誰しも聞かれたくない話しと言う物が一つや二つあるから。そんな話の可能性がある話題を広げることは気を遣えなかったこととは比べ物にならないほど無粋だ。


フルールの考えていることを知ってか、知らずか、レザンが溜息を吐き、同意した。


二人は急ぎ足で町の正門まで戻る。本来は道を間違えていなければ町の門を通らなくとも良かったのだが道を間違えてしまったのだから仕方がない。


道を間違えてからはフルールが率先してレザンの前を歩いていた。正門は夜中に見るとぽっかりと空いた穴のように暗闇だけ。あまり怖がる物ではないがフルールは後少しで倉庫につくと言うのに正門を見た途端、急に立ち止り、動こうとしない。何故か、空気に全てを凍らせるような冷たい緊張が走る。フルールは実を言うと小さな頃から怖い物や脅かされることが嫌いだ。薪を取りに行きたくなかった理由も本音はこれだった。大人になってからは表に出すことはなくなったが苦手意識は変わらない。


「うわあ……」


丁度、恐れている物を見つけてしまったらしい。びくびくとしながら一歩も先へは進もうとせず、門の方にフードを被った頭を向けたまま。フルールの様子を変に思い、レザンも顔を向ける。最初は暗闇で何も見えなかったが慣れて来ると、正門に人影のような物が確認出来た。


「レザンさん、あれぇ―――― 見えてます? あのー、何と言うか幽霊のような……何かじゃないですよね?」


フルールの声は恐怖で震えている。隣に来たレザンの影に隠れ、コートの裾を掴みつつ、自分が見た物が実在するか、どうかを不安げに確認する。こうしている間にも人影らしき物は何一つ動きを見せない。レザンはフルールが話し掛けて来たのは聞こえていたが緊張でそれどころではなかった。思いがけない出来事でぴりぴりし始めていたのだ。


「行き倒れか……」


聞こえるか、聞こえないか分からないほどの独り言を漏らしながらレザンは考え始めたのだが直ぐに思考が止める。それよりも先に怯えているフルールを落ち着かせることを優先すべきとだと思ったのだ。

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