第零章 始まりの雪 3P
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今年で五十七歳になる、日用雑貨店『Pissenlit』の店主で無愛想老人のレザン・シャンブルはパン屋『Cerisier』の看板娘で町一番の世話焼きと評判のフルール・プランタンと凍えるような寒風が吹く夜中に『Chanter』共同で管理している暖房用の薪を取りに行く途中だった。
「うへぇ、寒い!」
「ああ、そうだな」
二人の格好はどこか似か寄っていてフルールは部屋着の上からモコモコした茶色の毛皮のコートを羽織り、更にはフードを被っている為、顔が見えず、声でやっと女性と分るくらい。レザンの方も寝巻の上から厚手の黒の毛皮のコートを着てフードを被っている。
レザンの方がフルールよりも頭一つ分、高く肩幅も大きい。しかしどちらもコートの裾を翻し、薄く積った大通りの雪にブーツの足跡を残しながら足早に目的地へと向かっていた。
「さっ、寒いでず。特に手と足が……全くもう、父さんも母さんも酷いです。あたしに行かせるなんて。ズズッ、ああ鼻水が……むむむ、お淑やかでか弱い女の子なのに」
足音荒く歩きながらきちんと文句を言い、か弱さは皆無。その上、人の目も憚らず、大きく鼻をかみ、淑やかさからかけ離れたことをしながらフルールがのたまう。
これだけ醜態をさらしておいて抜け抜けと言える根性は見習うべきかもしれない。
「本当にお前は。自分でか弱さと淑やかさの意味を辞書で調べて来なさい。今の行動と言葉はあっていない。お前は少し落ち着きと教養を持つこと。淑女とは何かを知るべきだ」
「其処まで言わなくても良いじゃないですか―――― あたし完全に心が折れました!」
こういったぼやきは毎度のことなのでレザンは歩きながら話し半分に聞いている。それでも適当に放ったレザンの言葉は的を射ており、フルールはノックアウト状態。大袈裟にがくっと、手足を地面へつけて落ち込み、足を止める。付き合ってはいられないと先に進むレザン。 ただ、本気で置いて行くつもりは毛ほどにも思っていない。若い娘と言うこともあり、放って置く訳にはいかない。少し先へ行った所で立ち止り、フルールへ一言、投げ掛けた。
「ほら、経たないと置いて行くぞ」
「うん? ちょっと待って下さいよ!」
置いて行かれそうになり、焦ったフルールが急いで立ち上がると手足を払って追い掛ける。
「レザンさんは冷たい。冗談にくらい付き合ってくれても良いのに……」
後ろ手を組みつつ、追い着いたフルールはレザンの素っ気なさに臍を曲げ、小さい声で呟く。
「ああ……もうちょっとしたらあたし王都へ行こうかなあ。この町の生活は大変だし……目指せ、玉の輿で一発逆転。なんてどうでしょう? レザンさん!」
「まあ、無理だろう。お前には玉の輿を狙うような階級に必要な気品と言う物がない」
話題がなくなってはまた、新たに考えてまるで子犬が誰かれ構わず、じゃれつくようにレザンへと話し掛けるフルール。子犬のフルールが鬱陶しいので簡単にあしらうレザン。この男は結論が出ない長いおしゃべりが得意ではない。無口で無駄話をしない典型的な年寄りだった。
「レザンさんはいつも皮肉ばかり。もっと気の利いた一言はないんですか。例えば、『お前なら出来る、頑張れ』とかあるでしょう?」
「おまえならできる、がんばれ」
「なあああああ!」
レザンに怒ったフルールが地団駄を踏み、抗議をする。話し疲れ、肩を落とすレザンは仕様がなく、相手をするも出て来た言葉には何の感情も籠ってはいない。気持ちは分らなくもない。されどフルールに付き合ってやるのも良いはずだ。これはフルールも遂に堪忍袋の緒が切れた。
「もう、もう、もう!」
「そんな物に当たる馬鹿がどこにいるというのだ……」
地面の雪を必掻き集めて雪玉を作り、額に怒筋を浮かべてレザンへ投げるフルール。
それを一つ、二つと余裕を見せながら避ける迷惑そうなレザン。全くもって阿呆らしい光景で良い大人がやることではない。此処まで騒ぐと普通は近所迷惑になるはずだが、『Chanter』は積雪地帯である為、民家の壁は厚い。かなり大きな声を出しても外ならば騒音として聞こえることはないだろう。それを知っているからこそ、二人は騒げるのだ。
「もう、もう―― 良いです……はああ」
一通り投げても意味はなく、もう疲れたとフルールが肩を落として歩き始める。若者とは本当に感情の浮き沈みが激しく、忙しい生き物だ。雪が少ない道に足音を立てて軌跡を残しながら他愛もない日常を繰り広げる二人。何も変わらない、いつも通りが当たり前の中、この後、二人がとんでもない拾い物をするとは誰が想像出来ただろう。
レザンとフルールの目的地は町の正門近くにある大きな倉庫。倉庫には一冬で町全体が使う分の薪が保管されている。用途は他にもある。だが、冬の間は薪の保管庫として使われているのだ。因みに、倉庫の薪は各家庭の暖房用、商売で使う分には店で買うことになっている。
薪は冬の間、必需品だ。
木を切り出すのは良いが、個々で労力を分散し、余りを出すよりも町全体である程度計画して切り出した方が効率的なのでこの方法が取られた。本来ならば週に一度、近所で集まり、各週に使う分を共同で取りに行くのだが個々の家庭で足りなくなることがある。
薪がなくなり、暖が取れなくなると最悪、気温がマイナスの値を叩き出すこの町では朝と夜とても辛い。酷ければ凍死だ。今日、取りに来ないとどちらの家も明日の夜から週末までの三日間、寒さに震える生活を過ごさねばならない。だから態々、仕事が終わり、空いている時間に来た訳だ。
明日からの寒さを乗り越える為、冬の夜を歩くレザンたちは目的の場所へやっと着いた。二人の目の前にあるのは大きな建物と隣接して建てられている詰所。大きな建物が薪を保管している倉庫だ。道を挟んだ所で立ち止り、無事について内心、ホッとしていたレザンの気は緩んでいた。目は倉庫しか見ていない。この寒さから一時的に解放される為、仕方がない。着込んでいても、寒さは感じる。早く帰って温かい飲み物を飲んで寝たいというのがレザンの本音だ。
「痛っい!」
意気込み、レザンを先頭に入口へ歩みを進めた矢先。ボスンと鈍い音と共にフルールが痛そうな悲鳴を上げる。レザンは何が起こったのか確認しようと振り返ると尻を押さえて地面に座り込むフルールがいた。同じくボーッとしていたのか、何もない道なのに転んだらしい。
「もういや。恥ずかしくて死にそう」とぼやき、尻を押さえながらフルールはゆっくりと立ち上がる。
「何で何もない場所で転ぶんだ。だからあれほど運動しろと言っただろうに……昔よりもドン臭くなっているぞ」
「自覚はしているんですから。こっ、これ以上言わないで下さい!」
呆れながら立ち上がる様子を見ていたレザンに言われ、悔しそうにジタバタしてフルールは恥ずかしそうに赤面する。
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