第零章 始まりの雪 2P

 王国の中央部の西側に位置する人口は二千人を越えた小さな町だ。二十数年前までは三千人近くの人間が住んでいたのだが、十四年前まで起きていた大戦の影響や此処何年かで大きな都市に移住する者などが増えた為、人口は三分の二に減ってしまった。


 王都とはそれほど離れている訳ではなく、春や夏、秋ならば五日から七日で来ることが出来る。町の周囲は南側の平原以外を森林や山が囲み、自然の要塞となっている。町自体の立地も更地と丘が入り混じっており、町内には高低差がある。町と言うからには街壁もあるのだが、高さはランディの身長の半分くらい。どこか頼りない。民家が多く、殆どが石造りの茶色い屋根瓦で実用性を重視している。中心産業は商業。この町では、住人が減っても他所からの来訪者、個人経営の商店などは充実している。その為、大抵の物が手に入れられるから不自由はない。肉や野菜、酒、パン、生は無理でも魚は勿論、日用雑貨、本、衣類、織物、その他よっぽど珍しい物でなければ「あるよ、持って行きな!」と言う返事が返って来るだろう。元来、此処は幾つかの村が集まって出来た町で様々な業種の人間が集まっている。だから万能なのだ。


 その万能さは町を離れて行く者には届かないが行商人や周辺集落の住人、時たま訪れる旅人には魅力的だ。また、商業が一番の収入源なのは当たり前の話だが次いで農業もそれなりに盛ん。ランディがいる


 南、正門の反対側。町から少し離れた所で林に囲まれた大きな農業区画が設けてあり、畑や牧場がある。多いと言う訳ではないが野菜、牛乳、鶏卵、羊毛など様々な物が作られ、それらは町で消費されるのだ。このように人が少なくなったものの、町には活気がある。大きな都市とまではいかないが賑わいも見せていた。周辺の小さな農村や集落はそんな此処の賑わいを頼りにしている。


 現状はあまり良くない。


 だが、『Chanter』の町は簡単になくなっても良いような町では決してなかった。                        

 今の時間帯、殆どの住人が寝ているので町の中は静かだ。外の灯りは松明が灯っている。だが家の中は薄暗く、窓から洩れる光も点々としかない。地面の方は除雪がされてあり、正門から見える大きな通り通りには雪があまり積っておらず、土が見える。


 家屋も同じく雪降ろしがしてあった。ランディは町に着くなり、『Chanter』と書かれた看板の下げてある正門に寄り掛かってずるずるとへたり込んだ。折角、辿りついたのだが一歩も動けない。


 布袋はどちらもベルトで固定しているので外せず、ザックだけを肩から降ろして自分の隣に置く。動きは全体的にのろのろ。顔色は青白く、危険な状態になりつつある。


「俺、死ぬのかな―― まだ、若くて先のある青年なのに。これならもっと馬鹿なことやったり、夜遊びも覚えておくべきだったなあ……」


 どの時代も似たようなものだが、乱れる都市部の社会環境内であっても腐ることなく、硬派で誠実な男だった。それでも人生の終わりが見えて来た所為か、欲望に支配されようとしている。


「良くない、良くない。馬鹿か、生きることを諦めるなんて出来ない!」


 頭を振り、正気には戻った。髪の毛の合間から虚ろな目を覗かせるランディは残る力で足を投げ出し、持って来ていたピューター製のスキットルを胸ポケットから取り出す。


 最近、買った物だ。中身はお気に入りの葡萄酒。普通の葡萄酒とは違い、山葡萄と蜂蜜を一緒に蒸留酒に漬け込み、作る甘党の飲み物。ランディは普通の葡萄酒の酸味や辛さ、麦酒の苦みが得意ではなく、酒は強くない。だがある時これを勧められ、飲んでみた所、とても気に入った。以来、仲間内で飲みに行く時は好んで飲むようになったのだ。今、飲んでいる物は王都を出る時に買った物。半分ほど残っていた。保温していたので凍らず、温いが飲める。


「月見酒かな―― 粋だね。これだけ寒いと本当に月や星が綺麗だ……」


 夜空は寒さで恐ろしく澄んでいた。息をするのも苦しいくらいだから当然のことだろう。漆黒の中、月はランディを淡く照らし、力強く光を放つ星は一つ、一つが宝石のよう。


「ああ、うまい」と呟き、ランディは壮大な光景を目の当たりにしながらすきっ腹へと酒を入れる。寒さで鼻が麻痺し、香りは分らなかったが葡萄と蜂蜜の甘さが舌の上に広がり、アルコールが喉を焦がす。


 昼からはペースを抑えつつも休むことなく、歩き続けて来た。当然、碌な食事は取っていない。酔いが早くなるので酒で無茶をしないランディも飲まないのは損だと思ったのだ。しかし、スキットルを傾けて行くのは良いが酒は思いの外早く、なくなってしまった。心なしか、行動も雑になる。スキットルを振り回しながら中身を確認するランディ。


「なくなったのか。それよりも大変だ、もう目が回って来た。うへぇ」


 すきっ腹と強行軍の疲れもあっていつもより酔いの回りが早い。ランディは直ぐに目を回した。


「そう言えば、ソネットとの約束―――― どうしよ……」


 ぼんやりした頭の中でも一つ、思い出したことがあった。それは故郷を旅立つ日に大切な人とした絶対に守らねばならない約束だ。先ほどまで諦めの雰囲気がにわかに漂っていたランディの目が大きく見開く。顔は恐怖で引き攣り、更には身体をがたがたと震わせ始める。此処に来て迫り来る寒さや死の恐怖よりも恐ろしい物を思い出してしまったのだ。


「うん。取り敢えず、何とかなる! 今のうち、遺書とかでも書いておけば大丈夫。後は俺が死んでも届けて下さいと髪にでも残しておけば……この案を考えた人間は天才だな」


 それほどまでに怯えなければならない深刻な問題にどうやら間に合わせの対策で応対をするつもりだ。狂気を孕んだランディは故郷に思いを馳せながら遺書らしき文書を思い浮かべる。


『ソネット・プティ 殿へ

お元気ですか。ごめんなさい、『絶対に帰る』って約束は守れそうにないです。はい。分ります、分ります。多分、これを読んでとても御立腹なのは目に浮かびます。まあ、少し考え方を改めて頂きたい。後、二十年や三十年、いやもしかしたらもっと時間が掛かるかもしれないけど必ず、再開出来ると。

すみません、生意気を言いました。何の解決にもなりませんね。いやー、参ったなあ。

けどこれが現実です。

取り敢えず、こんな感じで頼みます。ついでに父さん、母さんと姉さんにも宜しく。

健気なランディより 追伸。今だから言えるのだけど子供の頃、ソーの分のケーキを食べてしまったのは俺です。本当にごめんなさい。』


「これで完璧!」と全てやりきったと宣言するランディだがやはり無理があった。


「……なんて馬鹿だろう、俺。こんなの書いてもソネットが許してくれるはずない! どんなことをしてでも生きて帰って来てって言われたし……こんな手紙、相手にもされない。無理だよ、こんな絶体絶命の状況で何か、出来る訳がないじゃん!」


 慌てて捲くし立てるランディ。小さな抵抗は無駄に終わった。後に残るのは絶望のみ。


「でもでも―― 約束、守れなかったら。死ぬよりもさらに怖いことが……」


 項垂れることしか出来ない。目から流れるのは心の汗ばかり。世の中は所詮、結果主義。約束を守らねば死ぬよりも辛いことが待っているだろう。ただ、ふざけたから元気も長くは続かず、燃え尽き、静かになった。身体には力が入らない。頭を上げることもままならず、俯かせる。薄暗くなって行く視界。外の世界からの干渉は全てシャットアウトされた。


「やり残したことが……多過ぎる……」と後悔の言葉を残して意識を失うランディだった。

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