Ⅰ巻 第零章 始まりの雪
第零章 始まりの雪 1P
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辺り一面は漆黒と白銀が鬩ぎ合いをしていた。
此処は王国領、中央部の西側。『Chanter』と言う小さな町に続く街道。日が暮れてから大分、時が経ってしまっている。夜空に雲は全く存在せず、濃紺の闇が支配する世界。月明かりや星が暗闇の中でこの地を少しだけ照らす。逆に地上は白銀の雪が支配する世界。暗闇は白銀を飲み込み、広がろうとする。でも淡い月明かりを反射する白銀はそれを許さない。物音はせず、目立って動く物は一つの例外を除いてほぼ、存在しなかった。
街道の両端にある柵が点々と小さな光を放つ『Chanter』だけ。寂しいが何故か引き込まれる、不可思議な雰囲気を醸し出している風景だった。王国は二の月中旬まで月日が経っている。
そろそろ冬の終わりが近い。
此処ら一帯は連峰に半分ほど囲まれており、また海から湿気の含んだ風も来ると言うこともあって積雪地帯とされている。王国の季節は春夏秋冬。雪が完全に溶け、緑に覆われるのは三の月、中旬。街道も例外ではなく、春になれば緑の絨毯が広がる。しかし、残念ながら今は雪が足を埋めるほどに積っていた。道の両端の柵があって分かるくらいだ。そんな雪以外、何もないこの場所でランディ・マタンはうつ伏せの状態で行き倒れになり掛かっていた。
「痛ったあ! 失敗した! やっぱり無理があったよ、本当に困った、困った……」
ランディが倒れてうつ伏せになった体を反転し、空を見上げた後、疲れを滲ませた声で叫ぶ。
そんなランディを雪もまた、ふんわりと冷たく迎えてくれる。行き倒れではなく、雪に足を取られて転んだだけ。その上、体が寒さで強張り、地面に上手く手を突けなかった。だから顔から雪へ突っ込んでしまい、鼻の頭は真っ赤。田舎特有の澄んだ空気のお陰で綺麗な夜空を見ているのに顔は浮かない。寝転がっていると取りとりとめないことが嫌でも頭に浮かんで来る。
「また、無職から始まりか。いや、正確には後二年だけふらつくだけだし。当分の間、食いつなぐお金も充分あるから仕事さえ見つかればそっちの心配はなかった……」
無駄に答えが出ていることを考えたからだろう。寒さと孤独、未来への不安をより感じていた。
「一番、解決しないといけないのは今の状況だなあ。疲れたし、寒くて死にそう」
今のランディはまるで道端に捨てられた子犬のよう。しかしずっと落ち込んでいる訳にはいかない。逆境に立ち向かおうと思い直す。上半身だけを大袈裟に振り越し、目指す『Chanter』を見る。町の灯りは小さく、儚いながらも篝火に当たっているかのような温もりをランディに感じさせた。そろそろ、悲惨な状態から抜け出し、町でゆっくりと温まりたいところだ。
「無事に町、着いたら何をしようかな」などと近い先のことから一つ、一つ考えるランディ。
「まずはご飯を食べて、寝てゆっくりしたい。それに最低でも冬の間はあそこで過ごすことになるだろうから住む所も探さないと……」
ランディ・マタン、今年で二十歳。
実家の家業は小さな宿場町の定食屋と兼業で宿屋もやっている。本当ならば、両親の後を継ぎ、忙しい毎日を送ることが決まっていた。ランディ自身も料理は好きで十六の頃までは家業を継いで小さな家庭を築き、天寿を全うすると考えていたのだが。この話が狂い始めたのは代々、伝わる習わしの所為。ランディの家系には『男には旅をさせるべし』という変った慣習があった。両親もしきたりに習い、『十八になったら四年、外で色々な経験を積んで来い』とランディが十六の時に宣告。こうして十八歳で宛てのない旅に出されたのだ。今までの二年間は故郷にいる知人の紹介で王国の首都、王都の『roi』で過ごした。王都の生活は忙しい毎日だったがやり甲斐のある仕事にも就けたし、何不自由なく、王都の生活を満喫していたのだ。
しかし、王都『Roi』で起きたある出来事により、大きな問題を引き起こしてしまう。絶対的にランディが悪いという訳ではなかった。だが、自ら出て行くことを選び、今に至る訳なのだ。
一週間ほど前まではどこでも、気の良い公正年で通っていた。今は身嗜みに気を使う余裕がない為、王都に居た頃の姿など見る影もなく、よれよれの黒い髪は目の辺りまで満遍なくかかっている。その上、旅の疲れで頬は痩せこけ、無精髭が酷い。身体は鍛えているので頑丈だが、服を着てしまうと心許無い印象を人に感じさせる。此処までは平凡と思われるランディにも一つだけ変った特徴があった。ランディは珍しい耳飾りを右耳だけにしている。銀製で装飾に何故か、たんぽぽの種が彫ってあった。この変った耳飾りの出所は父親。二年前、旅立つ日に選別としてくれたのだ。以来、忘れずに付けている。服装と装備の方は積雪地帯を歩くのを想定して靴は軍規格のブーツ、しっかりとした登山用のズボン。ボタン止めの苔色のコートを着込み、その下にも三枚ほど重ね着をしている。背中にはザックと長い布袋が一つ。ザックには練る時に使う毛布が括ってあった。腰には必需品が入っているポーチ。
これでランディの説明が出来ただろう。
そして話の中心だったランディが雪の上で足をばたつかせながら放心している最中だ。
「雪地訓練、真面目に受けていて良かったよ。ボロボロだけど此処まで来ることが出来た」
ランディの顔は何処か晴れ晴れとしている。疲れてはいるも此処まで来たことだけは満足出来る結果になったからだ。本来、冬場は王都から二週間は掛かる『Chanter』へ何度も危ない目に遭いながらもたった一週間でやって来た。無論、一週間歩き通しと言う訳ではない。途中、三つほど農村や宿場町で宿も取った。本当に大変な道のりで二つは山を越えたし狼や野犬に出くわすことも。それらを若さと根性、人一倍自信がある体力で切抜けてきたのだが限界に近い。
「どうしようかな、俺。このまま、あの町に着いたとしても何をしたら良いんだろうか」
手持ち無沙汰に前髪を弄るランディだが、先のことを考えるとどうしても心の中には言い知れぬ不安や寂しさが過ぎる。お先真っ暗な理由は人生と言う大きな道の迷子になっていたからだ。自分自身、これから何がしたいのか、何処へ向かおうとしているのかも分からなくなった。進んで新しく出来た居場所を捨てて来たのは良い。でも今まで一時的とは言え、築いて来た物は泡と消え、自分が何者かも分からなくなりかけていた。勿論、故郷に帰ることが一番の目標だが、その目標さえも出来るかどうか、また帰っても自分の居場所があるか分からない。
「くっ……よし、へこたれるのは止め! 気合いを入れて後、一踏ん張りだ」
だが、ランディ自身、何度もくよくよと悩むのは間違っていると思っていた。だから直ぐに行動を起こす。どちらかと言うとゆっくりと考えて物事にぶつかるのは得意ではない。猪突猛進で取り敢えず、ぶつかって進むのが性に合っていた。休んで生気が戻ったランディは気合いを入れると、雪に手袋をした手を突いてふらつきながら立ち上がる。
消えかかった心の炎に今一度、強さが舞い戻り、雪に足を突き刺し、町へ向かい進む。
「遠い、遠いよ。死ぬっ……へっ、へっくしゅん!」
頑張って立ち上がったが、それでも口から出てくる独り言は文句ばかり。
「後少し、もう少し」と自身に言い聞かせ、歩き続けるランディ。時折、立ち止っては感覚のなくなった両手で寒さを紛らわそうと身体を擦る。これの繰り返しだ。辛い時、苦しい時に限って時間は長く感じる。まるで暗いトンネルの中を永遠と歩いているような感覚だった。
全く終わりが見えないそんな厳しい状況で突然、とんっと何かがランディの頭にぶつかる。目の前にあったのは町の正門。努力は無駄ではなかった。やっと目指していた町に着いたのだ。
ランディが来たのは西側の小さな村々の流通拠点『Chanter』。
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