第10話

 木戸は変わり果てた自分の右手を見つめる。

 小指と親指以外が根本から千切れ、とめどなく血が流れ出た。木戸流の要である三本貫手はもう握れない。

 木戸は歯噛みした。

 俺は弱い。指を奪われた自分を、祖父が見たら何というだろう。木戸は己の弱さを呪った。

「使いな」

 鼻先に氷川がハンカチを出した。猫の刺繍が入っていて可愛らしい。

 木戸は黙ってハンカチを氷川に押し戻した。代わりにシャツの端を破り、巻きつけた。

「あんた強いじゃん」

「冗談はやめてくれ」

「冗談じゃないよ。鎧を倒したのは紛れもなくアンタなんだ。自信持ちなって」

 氷川が背中を叩いた。塚本は力なく笑う。思い出すのは、氷川は祖父の無感情な双眸だった。期待に応えられなかった。お歴々や祖父の血を引いていてもなお、超えられない。

「俺は──」

 木戸は頭を掴まれた。氷川が舌打ち混じりに、動かしていた。

「塚本とは違うメンドさあるよね。見て。あれはアンタが守ったもの」

 視界の真ん中でイーゼルが立っていた。クレーターの隣で、桜吹雪の絵を抱えつづけている。

「アタシだって絵なんて得意じゃないよ。けどさ、指千切ってまで守られたらやるしかないじゃん」

「氷川さん」

「アタシも進むんだ。鎧をぶち転がしたアンタもついてきな」

 橙の陽光が氷川の顔を照らした。

 不敵な笑みを浮かべている。風に靡くウルフカットがより一層魅力を引き立てた。

 塚本が惚れるのも分からなくない。木戸は無意識に自分が笑っているのに気がついた。

「そういえば塚本は」

 木戸が辺りを見回す。倒れていた場所から塚本は、忽然と消えていた。

 破壊された扉を見る。人影はない。

「おおおおお!」

 耳を聾する叫び声がアーマーゲドンからした。もくもくと瘴気が撒き散らされていた。

 木戸は目を見開く。西洋甲冑が音を立てて動き出していた。

「死んだんじゃないの!」

「分からない!」

 木戸は考えを巡らせた。

 アーマーゲドンが胸を貫かれた後、何事か呟いていた。絶対不滅のエリクシア。その前にも人名を呟いていた。鎧と相対した時に感じた邪悪なものを呼び起こしたのか。ならば、あれはアーマーゲドンとは別物なのか。今となっては解明しようがない。

 鎧は関節を無視した動きで、木戸に迫る。反射的に三本貫手で鎧を穿つ。

──しまった

 木戸の三本貫手は、存在しなかった。

 鎧が苦しげに震えた。

 貫手が抉った感触は脳が作り出したまやかしだったのか。鎧に傷口をもろにぶつけ、がぁんと音が鳴る。木戸は苦悶した。

 鎧は瘴気を撒き散らしながら、するすると這う。木戸を回避して氷川に狙いを定めた。

 手甲に瘴気がまとわりつく。細かな鉤爪が螺旋型に施された。ぶつかれば顔面の皮が剥がれてしまう兇器を形づくり、接近する。

 硬直する氷川に駆け寄る男がいた。

 塚本だった。

 氷川を背中に庇う。邪悪な一撃が抉る。

 一瞬の出来事だった。

「じゃっ」

 振り返りざま、塚本は三本貫手を抜いた。横に一閃、左斜めに一閃、右斜めに一閃、右下に、左上に一閃。

「木戸流〈トゥインクルスター〉」

 鎧の中央に歪な五芒星の切り込みが浮かぶ。

「そんなものはない」

「無ければ作ればいい」

 塚本が事もなげに言って回し蹴りを打ち込んだ。

 破砕音が鳴り響く。ひしゃげた鎧が何度も振った炭酸水のように中身を飛び出させた。

「しゃっ」

 再度、逆足で蹴りを打ち込み、残心をとった。

 鎧はひしゃげたまま、悲鳴ともつかない奇声を発した。しばらく木戸たちに狙いを定めるか迷ったのち、空を飛び去った。

「あれ、ほっといていいの」

 氷川が尋ねた。

「俺たちを狙うのは諦めたんだろう。なら追う必要はない。それより……」

 木戸は塚本を見た。

 塚本もまた木戸に向き直る。その顔には玄昌に見せた笑みが張りついていた。

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