生贄にならないあなたへ

電楽サロン

第1話

 遠くで運動部が練習する声が聞こえる。秋暮れの放課後はどこか寂しい。

「氷川さん。俺と付き合ってください!」

 塚本が告白すると、屋上に桜が舞った。

 綺麗なピンク色の欠片がぶわっと広がった。風が吹いた。欠片が回って渦を作り出した。

 秋の青空はどこまでも遠い。深い青色に桜が映えた。見とれてしまいそうだが、渦が巻き上げる風は生臭い。小動物を鼻先で潰されたような臭いがした。

 鼻腔から広がる血生臭さで、木戸はえずいてしまいそうになる。

 木戸の頬に硬い感触がした。頬に刺さった異物を引き抜く。

 白い、人の歯だった。

「無理無理」

 木戸と塚本の前にいる女、氷川が答えた。氷川の背は180センチほどある。スカートから見える白い脚はすらりと長い。黒髪のロングウルフの毛先がふわふわと風に靡いていた。

「なんで。松野が死に損じゃないか」

 塚本が詰め寄った。

 松野が死んだ。今この瞬間、塚本の告白で全身粉微塵の肉吹雪となった。

 塚本は、告白をするために生贄を一人出さないといけない体質らしい。木戸も松野も塚本にこの体質について聞かされた時、冗談だと思った。だから、塚本の告白についてきたのだ。

 おそらく、松野が死んだのは運命のいたずらにすぎない。ひとつ何かが狂っていれば、木戸が肉吹雪になっただろう。

 木戸の背筋が冷たくなった。

「ハア? 死に損って……。アタシの前で人ぶち殺して従わそうとしてんだよ? 告白じゃなくて脅迫だから」

 木戸は塚本を見た。塚本の横顔は美しい。鼻が高く、木戸は横顔を見るたびに海外俳優のようだと思う。松野が死んでも、塚本の表情は平然としている。

「前も、ってどういうことだ」

「……同じサッカー部で浦野くんっていただろ」

 木戸の問いに塚本が答えた。

 浦野大樹は塚本とサッカー部でコンビを組んでいた。息のあったプレーは県大会でもチームの得点源となっていたが、浦野は先週から学校を休んでいた。

「頼んだらさ、浦野くんが俺たち最高のコンビじゃん! 絶対上手くいくよって……俺より乗り気になっちゃって」

「それで浦野くんは」

「偏西風とともに……」

 塚本はため息をついた。顔は平然としたままだ。

「コイツさ、外面は良いから他人が勝手にバンバン親身になってくわけ。あんたも気をつけな?」

 氷川はそう言って屋上を立ち去った。

「ちょっと待って。俺、本当に氷川さんのことが──」

 木戸は塚本を遮った。恐ろしいまでの速度だった。

 塚本の唇が子音を発する手前で、木戸は思い切り、塚本の股間を蹴り上げた。足の甲が上履き越しに、弱点を捉えた感触を伝える。もうコンマ数秒遅れていれば、塚本は告白していた。空手を教えてくれた祖父に今日ほど感謝する日はなかった。

 塚本の黒目が裏返り、泡を吹いて昏倒した。他のクラスメイトなら見ていられないような表情でも、塚本の顔は美しいままだった。

 とんでもない死に出くわしてしまった。松野がスローモーションで砕かれる様子を反芻する。

 木戸の心から恐怖は薄れていた。代わりに興奮と待望の喜びが首をもたげていた。

 木戸は家路につきながら、何度も松野の死を脳内で再生していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る