第8話

アイビーは実家の馬を走らせ街道を駆け抜けていた。

サラのいるはずの宿に尋ねると忽然と姿を消していた。


護衛の騎士も居場所がわからず大騒ぎになっている。

その中アイビーの直感は村に帰ったと言っていた。


どうやって護衛を撒いたかは分からない。

だけど、彼女の行くところは他に考えられなかった。


父であるグラハムもすぐにそう結論づけるだろう。

だけど直ぐには動けない。

それがグラハムの立場だ。


そんな事がわからない程アイビーは子供では無い。

だけど納得出来ない。


だから思わず我儘を言ってしまった。

その事を後悔していた。


もし自分が一緒に宿に行っていたら止められたかもしれない。

そうでなくても一緒に行ってあげられたかもしれない。


「まだ間に合うはず」


アイビーは自分に言い聞かせる。


サラがいくら足が早かろうが、馬の方が遥かに早い。

必ず追いつくはずだった。


しかしいくら走っても追いつかない。

ナモナイ村の直近の町に着いた所で、馬の体力を考えて一旦休憩しざるおえなくなった。


馬に水場で水分と餌を与えながら村の方角に目をやる。


「なんなのあれは?」


そこには信じられない光景があった。

上空に広がるオーロラ。

その中を大量の影が泳いでいる。


その光景に夜中にも関わらず、その神秘的な光景を町の至る所で人が魅入っていた。

中には世界の終わりだと拝む物達すらいる。


「ナモナイ村で何が起きているの?」

「君もナモナイ村に行くのかい?」


突然声をかけられてアイビーは振り向く。


「剣聖エルザ様!」


そこにいたエルザ・ノワールの姿にアイビーは驚いた。

史上最年少の剣聖。

アイビーにとって憧れの存在だ。


「私を知っているんだ。

珍しいね」

「そんな事はありません!

学園で通う者であなたを知らない人はいません!」


アイビーは興奮して声が大きくなる。


「じゃあ君は私の後輩かい?」

「はい!今年入学したアイビー・グランドです!」

「そうか、君は純粋で綺麗な魔力の持ち主だね。

きっと強くなるよ」

「ありがとうございます!

エルザ様は何故こんな所に?」

「様は辞めてくれよ、背中が痒くなる。

私は今世界中を旅していてね。

友人にナモナイ村の景色が綺麗だと聞いて向かっていた所だよ」


アークム家での家庭教師を去年終えて、エルザはある人を探して世界中を旅している。


「それで、ここの騎士団に一応許可をと思ったら、何故か許可が降りなくてね。

この町で足止め状態さ」


(やっぱりサラの言う事は本当だったんだ。

エルザ様が村に行っては傭兵団なんてひとたまりも無い。

悪事に加担するなんて騎士団の風上にも置けない!)


アイビーは怒りで唇を噛み締める。


グラハムが騎士団に就任してから約10年。

それまで低かった騎士団の信頼をなんとか取り戻し始めて来た所だ。

それを踏み躙る行為を彼女は許せなかった。


「うーん。

アンヌが見せたかった景色は、あのオーロラでは無いと思うだけどな。

あれは魔力によって作られた人工物だし」

「え!?あれは人が作った物なんですか?」


エルザの言葉にアイビーは驚きを隠せない。

あれだけのオーロラを発生出来る程の膨大な魔力を持つ者など考えられなかった。


「うん。

間違い無いね。

とても信じられないけどね」

「もしかして魔道具?」

「可能性は高いね。

問題はあのオーロラの目的だね」


何か良くない事がナモナイ村で起こっている。

そしてその中心にきっとサラがいる。


アイビーは急かす思いで馬を見た。

いつでも行けるぞと言わんばかりに馬は嘶いた。


「エルザ様お願いがあります。

私と一緒にナモナイ村に来てください」

「私もナモナイ村に行く予定だから構わないが、騎士団の許可がね」

「許可は一生降りないと思います」

「何故だい?

私は彼らに嫌われる事した覚えは無いんだけど……」

「それは――」


パリーン!!


突然ガラスが割れる音が静かな町に響く。


ドスッ!!


そして何か重たい物が地面に落ちる音。


2人は顔を見合わせて、音の方へ向かう。

それは騎士団支部の前だった。


ガラスが割れた音は騎士団支部の最上階のガラス窓。

地面に落ちた音はそこから落ちたであろう男。


なのにも関わらず支部から誰も出て来ない。

門番すらいない。


2人は男に近づいて確認する。

その男の胸につけている勲章。

それはこの騎士団支部の騎士団長の物だった。


「大丈夫かい?

何があった?」


エルザの問いかけにうわ言の様に一言だけ発して息を引き取った。


「ナイトメア・ルミナス」



アイビーとエルザが出会った頃の騎士団支部。

そこは騒然としていた。


「まだか!まだあのオーロラの正体が分からんのか!」


騎士団長のシニシの声が響き渡る。

しかしそれに答えられる者はいない。


シニシのイライラは募るばかりだ。


「今、騎士団長の指名した者が調査に行っています」

「その報告がまだかと言っているんだ!」


シニシの怒号に報告した騎士が萎縮しながらも続ける。


「出発してからかなりの時間が経っております。

誰か別で調査に向かわせます」

「それはならんと言っているだろう!」


調査に向かわせる訳にはいかなかった。

彼と傭兵団との癒着に関与している騎士は全て先発隊で送ってしまったからだ。


それ以外の騎士に調査に行かれると傭兵団の存在がバレてしまう。


「……わかりました」


ならどうしろって言うんだ!

と心で思いながらもグッと堪えて騎士は下がる。


「とにかくお前らは、今ここで出来る調査をしろ!

あと、調査隊が戻って来たらすぐに報告に来い!」


シニシは部下に当たり散らして団長室へと戻る。


部屋に戻って椅子に座っても落ち付かず、貧乏ゆすりが止まらない。


(クソッ!

一体なんなんだあれは!

いつも来るはずのあいつらからの定時報告も無い!

誰のおかげで好き勝手出来ていると思っているんだ!)


これまでもどんちゃん騒ぎのやり過ぎで定時報告が遅くなる事は多々あった。

その時は決まってお詫びの酒と金貨が運ばれて来たから目を瞑っていた。


しかし今日は状況が違う。

あの訳の分からないオーロラがその原因だ。


(癒着がバレれば俺は終わりだぞ。

あのオーロラは絶対ただ事では無い。

息のかかった騎士達も帰って来ない。

どうするどうする。

いっその事、今ある金貨を全て持ってとんずらするか?)


シニシは保身の事ばかり考える。


汚い方法でここまで登りつめて来た彼は金さえあれば逃げ切れる自信があった。

それだけの伝手が彼にはあった。


(あのオーロラの事が王都の耳に入れば必ず調査に来る。

そうなれば必ず癒着はバレる。

なんとか登りつけたこの地位は惜しい。

だが、ここはとんずらするべきだ)


彼は物事の引き際を熟知していた。

慌てて団長室内に隠した金貨を集める。

全ての金貨をアタッシュケースに詰め終えた彼は、自宅に隠している金貨の回収の為椅子から立ち上がろうとした。

その時。


「お一人で逃亡ですか?」


自分以外に誰もいるはずの無い室内で声が聞こえる。

シニシは部屋内を見渡した。

しかし誰もいない。


「気のせいか……」


彼は額に滲み出る嫌な汗を袖で拭った。


「せっかくのお召し物が汚れてしまいますよ」


机の上に突如白いハンカチが置かれた。

ギョッとして再び部屋内を見るが、やはり誰もいない。


「誰なんだ!

姿を表せ!」

「私ならここにいますよ」


声がするが一切姿が見えない。

その恐怖にシニシの歯がガタガタと小さく音を立て始める。


「ほらここです、ここ」


声の方向である真正面に目をやる。

更に目を凝らしてじっと見る事でようやく見えた。


シニシは急に現れた人影に驚き後ずさるように椅子から立ち上がる。

その人影は濃い紫のタキシードにスカート姿の女性。

目元だけは白い仮面で隠している。


「ようやく気付きになりましたか。

お初にお目にかかります。

ナイトメア・ルミナス第二色、謙虚のルリです。

以後お見知りおきする必要はありませんよ。

今宵しか会う事がございませんので」


ルリと名乗った女性は同色のシルクハットを脱いで、エンターテイナーの様に仰々しく一礼した。


「おい!お前ら何をしている!

こんな所まで侵入者を許すとは何事だ!」


シニシが大声を出して人を呼ぶが誰も入っては来ない。

誰がいる気配すらない。


「皆様はあなたと違って誠実で仕事熱心な方々ばかりですね。

お疲れのご様子で、皆様寝ておりますよ」


誰も来ない事に只事では無い事が起こっているとシニシは理解した。


騎士団支部内の騎士はシニシを除いて全て眠っていた。


「お前1人でやったと言うのか」

「ええ。

きっと皆様良い夢を見ていらっしゃいます。

しかし、村に向かったあなたの忠実な部下は今頃覚めない悪夢の中でしょう」

「どこまで知っている?」

「はて?」


シニシの問いにルリは首をわざとらしく傾げる。

シニシは少しずつ自分の剣の方へ近づいて行く。


「どこまでと申されましても困りますね。

別にあなたに興味ありませんし。

私はあなたをマスターの美学に則り覚めない悪夢にご招待するだけですから」

「死ぬのはお前だ!」


剣を取ったシニシが机を飛び越え切り掛かる。


「直接戦闘は不得手なんですが……」


そう言いつつ魔力で生成されたステッキを左手で突き出し、シニシの突撃に合わせる。

空中で勢いを殺せないシニシの鳩尾にステッキの先端がめり込む。


「グホッ!」


そのまま真下に落ちたシニシが上手く息が出来ずに咳き込む。


「はあ、やはりマスターの様に上手く空中で止められません。

まだまだ鍛錬が必要です」


シニシを見下しながらルリはため息を吐いた。


「そうだ、ちょっと鍛錬に付き合ってくださいませんか?」


当然返事を聞くつもりはなく、ステッキも先端をシニシの額に当てる。

そのまま上に上げていくとシニシの体も引っ張られて立ち上がる。

やがてつま先立ちの状態で止まった。


一切体を動かせないシニシを恐怖が支配する。

もはや声を出す余裕すらない。


そんな事気にする様子も無くルリは首を傾げた。


「やっぱり完全に持ち上げるのは難しいですね。

もうちょっと力を込めた方がいいのでしょうか?

どの力が正解でしょうか?」


ルリが少し魔力を込めるとシニシの体が吹き飛び窓を突き破って外に飛び出して下に落ちた。


「また失敗してしまいました。

バランスが難しいですね。

マスターにはまだまだ及びません」


残念そうに肩を落としたルリは大きなため息を吐く。


「とにかく今日はこの金貨を奪って帰りましょう」


机の上のアタッシュケースを開けて中身を確認する。

その金貨の量に満足したように頷いた。


「なかなかの実入ですね。

これで全部では無いとなると、結構溜め込んでいたみたいですね

自宅に回収に行ったカナリアの方も合わせれば、かなりの収入になりそうですね。

おや?」


ルリが入口の方へ目をやると同時に扉が勢い良く開かれた。


「これはこれは。

エルザ・ノワール、アイビー・グランドではないですか。

こんな所でお会いするとは」


ルリはシニシにしたように仰々しい一礼を2人にする。


エルザは思わず息を呑んだ。


(目の前にいるのに、霞んで見える。

まるで蜃気楼みたいだ。

私の魔眼でも捉えきれない)


アイビーも同じように思ったのか、目を擦っている。


「君がやったのかい?」

「はて?どれの事でしょうか?

おやすみになって良い夢を見ている騎士さんの事でしょうか?

それとも外に転がっている肉片の事でしょうか?

まあ、両方私がやった事ですけど」


首を傾げながら答えるルリを見てエルザの緊張が高まる。


(マズイな。

こいつは勝てるか怪しい。

まずはアイビーちゃんを逃がさないといけないね)


エルザはルリとの間合いを図りながら隙を伺う。

そんなエルザの様子を見てルリはイタズラっぽく微笑んだ。


「心配しなくても大丈夫ですよ。

あなた達に危害を加えるつもりはありません」

「でも、騎士団長を殺したのはあなたなんでしょ」


アイビーは得体の知れない恐怖と闘いながら言葉を発した。

その言葉にルリは頷く。


「そうですよ。

私達の美学に則り彼は排除しました」

「美学?」

「ええ、非合法の裏ギルド『ナイトメア・ルミナス』のギルドマスター、ナイトメア様の美学。

私達の行動原理は全てその美学に則っています。

私はその第二色、謙虚のルリ。

以後お見知りおきを」


再び仰々しい一礼をするルリ。

しかし、正義感の強いアイビーは納得出来ない。


「人を殺しておいて何が美学よ!」

「何か問題でも?

あなたも彼がしてた事をご存知では?」

「知ってるわ。

でも、だからと言って殺していい理由にはならない」


ルリはアイビーの反応に喜び、大袈裟に拍手をする。


「素晴らしい。

それでこそ善人の中の善人」

「なによ!馬鹿にしているの!」

「とんでもない。

『美学その2

ルールを守っている善人の生き方を尊敬し、決して馬鹿にしてはいけない』

おかしいのは私達の方。

あなた達が絶対的に正しい。

だけど私達には決して真似出来ない。

故に私達は悪党なのです。

あの外に転がっている肉片と同じように」

「差し詰め悪党を狩る悪党って所か。

君達は義賊でも気取る気かい?」

「義賊?」


エルザの言葉にルリの表情が険しくなる。

部屋内の空気がガラッと変わり、エルザとアイビーにプレッシャーがのしかかる。

思わず2人は剣の柄に手をやった。


「こらこらルリ。

そんなに凄むから剣を抜かれそうじゃないか」


黒いワイシャツに濃い紫のベストとハーフパンツの女性がルリの後ろに姿を表す。

彼女も同じ仮面をつけている。

その事にエルザは戦慄する。


(全然気付かなかった。

マズイぞ。

この2人相手だと絶対勝てない)


エルザの魔眼には明確な死のイメージが浮かぶ。


「ごめんね。

義賊ってのは僕達のボスが一番嫌うからついね」


顔はにこやかだが、目が笑っていない。

彼女も怒っているのが見て取れる。


「お二人方とも失礼しました。

しかし、忘れないで下さい。

私達は悪党。

一縷の救いすら無い悪党。

あなた達善人とは真逆の存在。

では、私達はこれだけ頂いて失礼します。

行きましょうかカナリア」


ルリはアタッシュケースを取ると煙のように消えた。


「では僕もお暇させて頂くよ。

じゃあね。

君達が正義を掲げる限りまた必ず相見えると思うよ」


カナリアも2人に手を振ってから煙のように消えた。


「行ってくれた……」


エルザは緊張が解けて深いため息を吐いた。

残された2人は知った。

この世には計り知れない程の強者がいる事を。

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