【23】楓・B

 少し歩けば道はすぐわかった。やはり近所だ。複雑に歩いていただけで。

 サイレンの音が近くに聞こえる。爆発が本当にあったなら当然だ。ここまで連れてこられたのはありがたかった。気にせずに家まで帰れる。

 見慣れた門構えが近づいてきて、ぎょっとした。涼子の家の前に人がいる。見覚えのある少女だった。ここにいるはずのない……。

「あ、朝希……」

 背にした塀から身を起こし、楓は控えめにほほえんだ。

「楓……どうして……」

「だって……ニュースで、あんなことやってるじゃん。心配で……」

 何も言えないおれの前で、せわしなく手が宙を舞う。

「あ! 住所はさ、宗田さんに聞いたんだ。朝希に直接聞いたほうがいいってわかってたけど、迷惑だって言われたら……なんか、怖くて」

 歯切れの悪い口調。さまよう視線。普段の楓と違って、ふるまいには不安と心細さが見て取れる。別の高校とはいえあんなことがあったのだ。それでもおれを心配して、ここまで来てくれたのだろうか。

「家の前だとなんか、ストーカーっぽいから……ちょっとごまかして、宗田さんの家の前で待ってた」

 へへ、と照れたように頬を掻く。その仕草に腰が抜けた。立ってられなくなり塀に手をつけば、楓が心配そうに寄ってくる。

「大丈夫……?」

「うん……」

 ずるずるとその場に座りこんだ。

 ずっと、全然大丈夫じゃない。だけど楓に会って、少し気持ちが落ち着いた。

 楓だけだ。彼女だけが、死のにおいから遠い。

 楓はおれの隣にしゃがみ、地面に投げ出された手をそっと取る。

「大丈夫じゃないよね……」

 きゅ、と指先を握られた。サイレンの音が遠くに感じる。目をあげると、楓も視線を返してくれる。塀に側頭部をつき、ふたり向き合って。指先を絡めながら見つめ合う。

 疲れている。体が……心が。さっきからどこかに違和感があるのに、楓を見てれば楽になるから、そればかりが気になってしまう。シグナルを頭が受け取ってくれない。

「つらい……?」

 小さく頷いた。

 つらい。意味のわからない状況も、明確な目的があっておれに近づく少女たちも。マヌラス。精液。通り魔事件。史也の死。未宇の爆発、梨音の脅迫……全部、ぜんぶつらい。

 本当に、死んでしまってもいいかもしれない――そう思うくらいには疲れていた。

「ふたりでさ。どっか逃げちゃおうか」

 楓がささやく。心地いい響きで。

「つらいのは朝希のせいじゃないよ。間違ってるなら、それは世界のほうだよ。全部忘れて……忘れられないかもしれないけど。でも目の前から消えちゃえば……なにも気にしなくてよくなるよ。一緒に逃げてさ。それで……壊す方法、考えようよ」

 めちゃくちゃだ。できないってわかってるのに、全部投げ出してすがりたくなる……悪魔みたいな提案。でも口にする楓は、どこか清らかで、あどけないほほえみを浮かべていて。死のにおいのない彼女が、天使みたいに見える。

「私は、それもいいかな……」

 本当のおれは、未宇の爆発に巻き込まれて死んだのかもしれない。それで今、天使に拾われているのかも。

「……朝希は?」

 思考があちこちに飛んでいる。空いた手を伸ばすと、楓は優しく受け止めてくれる。

 柔らかい手。意志の強い瞳は柔らかく細められ、何かを待っていた。

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