→受け入れる【XX】きみのペット

 逃れられなかった。死の危機に瀕したからだろうか。梨音の唇を受け入れ、望まれるままに応える。唾液の絡んだ口づけは思考を絡め取り、ぽかりと脳に穴を開けた。

 ――もういい。もういい。

 殺してくれと言った気がする。梨音は唇を舐め「だめだよ」と笑う。

「アタシのだもん」

 そう言う梨音は人間に見えた。甘えるような声は、彼女が後輩だったときのものだ。

「すぐ楽になるよ。アタシのことだけ考えてればいい……簡単でしょ?」

 簡単なことだ。それさえできるなら……。


 何もない空間にいる。部屋はガラスで区切られ、おれがいないほうのエリアには知らない機器が並ぶ。宇宙船だというが、そこまで地球外の感じはない。

 他のクルーがいるらしいが、見たことはなかった。部屋を使うのは梨音だけだ。彼女だけがここに来て、おれと話をしてくれる。

 誰かと話すことの重要性を初めて知った。奇しくも梨音の言ったとおりになっている。彼女のことだけを考える。彼女と会う時間を楽しみに、毎日を生きている。

 梨音との行為は淡泊だ。必要があるときしかしないし、その場合でも、おれの気が乗らなければ手や口や……変な機械で済ませてくれる。食事を一緒に取ることはないが、おれが食事をしてるときはだいたい傍にいて、話をしたり、外の様子を教えてくれたりする。その穏やかな時間がおれはすきだ。

 だけどもっと好きなのは、梨音の肌に触れてるときだ。彼女の胸に顔を埋めると、さらさらした感触にたまらなくなる。小さな体を抱いて、胸の谷間に頬を擦りつけ……おれが夢中になってる間、彼女は首に手を回し、優しく頭を撫でてくれる。それもすきだ。

 これは梨音の本当の体じゃない。作られたものだ。だとしても気持ちがよかったし、ずっと触っていたくなる。吸いつくとすぐに痕がついて、それも楽しかった。

 おれのいたずらに気づくと、いつも梨音は「しょうがないな」という顔をする。困ったようにしつつも結局は許してくれるのだ。それが嬉しくて、おれはよく痕をつけた。一度だけ体全体につけたことがあって、そのときは軽く叩かれた。

 胸は大きいほうがいいかと聞かれたことがある。梨音の胸は大きくなかったけど、手に丁度よく収まるし、乳首はいつもツンと立ってかわいらしかった。それをそのまま伝えたら、照れたような顔で「ばか」と言われた。その表情にぐっときて思わず真横にあった胸の飾りを舐めると、梨音はおれの頭を抱えたまま喉を晒して喘いだ。

 梨音はいつもクールに振る舞う。室内に入ってくるときは特に。だけどおれのいるエリアに来るときはふっと表情を緩めるし、おれと抱き合っているときも……事務的な態度の割に、仕草のひとつひとつが優しかった。終わればすぐに出ていくのは寂しかったけど、仕方のないことなのだと説明を受けた。そういう日は、用がすんだあとで再度様子を見にきてくれる。それに彼女の優しさを感じた。

 おれたちは床の上で抱き合う。背中の下には梨音が持ってきてくれた毛布を敷く。今日はしない日だった。梨音も――もちろんおれも――服を着ておらず、ただ抱きしめ合う。今日のおれはそういう気分で、彼女もそれを受け入れた。

「なにかを飼うのってこういう気分なのかな」

 頭上で梨音が言う。おれは彼女の胸の間に頭を置き、目の前に広がる肌を見ている。昨日つけた痕はもうなかった。梨音の肌は、痕がつくけど残らない。柔らかな皮膚を甘噛みしながら、今日のおれは痕をつけないんだろうなと思う。

「ペット?」

「ん~……」

 長く唸りながら、梨音はおれの頭を大きく撫でる。それから「自分と違う立場の生命がいる環境というのは」と長々と話し出すから、おれは定期的に頷く機械みたいになった。

 話を聞いてないわけじゃない。自分より弱い立場の生命がいる環境で育てば、考え方のベクトルを歪められるんじゃないか。結局のところ、そういう話だった。

「妊娠したんだ」

 それでいて突然そんなことを言うから、おれは固まってしまう。脈絡がない……わけじゃない。生まれることが確定したから、育てることを考えていたんだろう。

「だからしばらく会いに来れない」

 続いた言葉のほうがショックだった。「なんで」と半ば必死に問えば、梨音はまた長々と唸る。

「ずっと体の中で育てるわけじゃないんだ。出せるようになったらさっさと出して、成長促進をかける。だけどこの体でいると……もしかしたらこっちの輪郭で安定してしまうかもしれない。私の変身は中身まで完全なわけじゃないけど……父方の遺伝子が遺伝子だから、そっちに引きずられる可能性も……なくはない。だから体から出すまでは、元の姿でいようと思うんだ」

 おれは首を振る。そんなの関係ない。会いに来てほしい。

「見たことあるだろ? ぐちゃぐちゃで……言葉も通じない。顔だけ人間にしたらまあ、しゃべれはするけど……それもグロテスクじゃないか。ずっとじゃない。私ときみたちの仕組みを加味しても、長くて一ヶ月だ。すぐだよ」

 それでもいい。一ヶ月なんて長すぎる。しゃべれなくてもいい。梨音に会いたい。ペットだったらどうせ話せないんだから、一緒じゃないか。

「ペットとセックスはしないけどね……」

 する人だっている。

「ホントに……?」

 知らないけど、とにかく頷いた。地球は広くて、その向こうにはもっと広い宇宙だってあるんだから。そういうことをする人だってどこかにいる。絶対。

 梨音はおかしそうに体を揺らした。おれの頭をたくさん撫でて、額にキスしてくれる。

「朝希、変わったね。思考が大雑把になったし……短絡的になった」

 褒められてる気がしない。見上げる視線から不満が伝わったのだろう。彼女は体をずらして正面まで来てくれた。両手でおれの頬をくるむ。

「環境に応じて感覚を変化させるのは大切だ。朝希が長持ちしそうだから嬉しいんだよ。言いつけも守ってくれてるみたいだし」

 そう言って軽い口づけをくれる。鼻先を合わせてゆったりとほほえむ。

「ずっと……私のことだけ考えてる」

 梨音の輪郭がぼやける。乱れて、あいまいになっていく。水気のある皮膚。泡立ち……ぐちゃぐちゃになって……でもこれが梨音なのだ。本当の梨音。粘性を感じる水。大小入り交じる泡。

 キスしてほしい。

 ねだると眼前のものが小さく揺れ、近づいてくる。その揺らぎが笑ったように感じて、おれは得意な気分になった。言葉がなくても……伝わるじゃないかって。

 唇が泡立つ。しびれたような感覚。

 この泡のどこかに、おれのこどもがいる。

 それをどうでもいいと思える自分に気づいて、乾いた笑いが漏れた。

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