【17】楓・2(3)

 旧社殿前で昼食を取り、下山することにした。楓は――オカルトが好きで、そうしたことには一定の興味を示しそうだったのに――宇宙人については何も聞いてこなかった。もしかしたら彼女も同様に、監視の可能性を考えていたのかもしれない。

 当たり障りない話をしながら広場まで戻る。そこで思い出した。あの日男に襲われた空間。嵯峨さんたちに行ってもらい、何もないと言われた場所のこと。

「あのさ……寄りたいとこがあるんだけど、いいかな」

「いいよ。どこ?」

「こっちの……あの……上。奥のほうなんだけど……」

 広場の中へ誘導し、左に広がる斜面の奥を指す。祭りがない今、当然そこには何もない。ひとけのない通路に冷たいベンチが並ぶだけのはずだ。

「わかった。行こう」

 楓は即座に歩き出す。おれは小走りで並びながら「聞かないの」と尋ねる。

「急に……あんな、なにもないところに行こうなんて……目的とか……」

 しどろもどろなおれに、彼女はきょとんとする。

「『行きたい』って、それだけで理由じゃないの?」

「え……」

「朝希がそうしたいなら構わないよ。目的なんかあってもなくても」

 楓はずんずん進んでいく。おれはほっとする反面、またも拍子抜けした。

 知らない男に襲われて、未宇がそれを殺したけど広場ごと消失した場所だなんて、改めて言葉にしても意味がわからない。言わないに越したことはないけれど、説明の義務はあると思っていた。そのプレッシャーからあっさり解放され、行き場のない緊張が不安へと変わる。

 この先には――何が待っているんだろう。

 あの日未宇に手を引かれた道を進み……進み続けると、木が前方を塞いだ。このまま行けば道が続いただろう場所に堂々と生えている。

 その向こうには、周辺と同様の森が広がっていた。

「ここ?」

「うん……」

 ない。本当にない。広場もその痕跡も、何も。まるごと森に呑み込まれたみたいだ。

「ここになにかあったの?」

「うん……」

「……たいら山で昔UFOの目撃情報あったの知ってる?」

「うん……」

 楓は肩をすくめて森に足を踏み入れた。頭の片隅では止めたほうがいいと感じたが、それ以上に呆然としていたおれは何も言えなかった。

 彼女はあちこちの木に触れ、額をつけ、耳を澄ました。合間に空を見上げたり、しゃがんで土をいじったり。目を閉じて、膝を抱えて揺れてみたりもする。おれのわがままで連れてこられたにしては楽しんでいるようだった。

 そんな楓におれも正気を取り戻す。いつまでも呆けていたって仕方がない。決めるべきだ。おれの記憶と、現実と……どちらが正しいのか。どちらを信じるべきなのか。

 このままだと間違いなく、現実に流される。そのうえで、あのときのことをずっと気にして暮らすことになるのだ……。

「朝希」

 遠くで声がした。いつの間にか移動していたらしく、木々の向こうからひょっこりと楓の顔がのぞく。

「ちょっと」

 体は木に隠れていた。首と右肩だけが出て、小さな手がこちらを招く。

「こっちに来て」

 一歩踏み出して、ためらった。幽霊とか、宇宙人とか……オカルトの話が耳に残ってるからだろうか。見えるパーツの少なさが不気味に感じる。

 何を考えてるんだ――あれは楓だ。今までずっと一緒にいた。少し目を離した隙に……だなんて、そんなことあるはずがない。

 木の裏まで回れば、首から下はちゃんとあった。おれが行くと楓はその場に屈み込む。足下の草をかき分けて、むき出しになった土に耳をつけた。

「なにして……」

「シッ」

 素早く言われて口を噤む。地面に丸まる姿は土下座でもしてるみたいで、隠すようにおれも膝をつく。何をしてるかは気になったけど、声を出せばまた叱られそうだ。そのうち楓は半身を起こし、こちらを見てにやりと笑った。

「聞いてみて」

 あまりに得意げで笑ってしまう。何か聞こえるのだろうか。そうであってもなくても、楓の視点に触れるのは楽しい。

 まねをして草をかき分け、地面に耳をつく。少し湿ってひやりとした。虫が耳から入ったら……なんて妄想もしたが、幸い見える範囲にはいなかった。

 頭上を通り過ぎる風の音。それに乗って流れる鳥の声。耳が塞がれたことで増幅する鼓動。地面が揺れている気がする。どこかの振動が届いてるのだろうか。

 そして、地の底から吹き上がる奇妙な響き。

 心地よい自然音を縫って、鼓膜を直接擦るような音が遠くに聞こえる。もっと近くで耳にしたなら、耐えがたいと思うだろう。

 始めは自然の奏でる音のひとつだと思った。違うと考え始めたのは、サイレンに似た甲高い音が混じっているのに気づいたからだ。

 それは規則正しく動いていた。遠い場所からきて、おれたちの真下を通り、また遠くへ去っていく。空間がはじけるような音が同時に鳴ることもあった。神経を削ぐおぞましさのなか、それだけがどこか幻想的に響く。

 楓の顔が眼前にきた。おれと同じ姿勢を取って、再び耳を澄ませている。

「な、なんの音……」

 目が合う。木陰は涼しく、地面は冷たいのに……彼女の頬は上気していた。

「なんの音に聞こえる?」

 人工を想起させる規則性。機械の駆動音をも思わせる。奥に意識を向けると気持ち悪くなるのに、追い続けると不快が神経となじむ。ときおり鳴る破裂音は信号を一気に快へ変える。この世の外にあってもおかしくない――初めての聴感覚。

 目を開けると、楓の顔がより近くにあった。

「なにかあるんだよ、きっと」

 きらきらした瞳で楓は言う。今日はずっと、彼女はそういう目をしている。おれの視線を離さない、何もかも忘れて夢中になれる……そんな目だ。

「なにかって……」

「宇宙人の秘密基地かも」

 消えた広場。見つからない死体。たいら山のUFO。

 ただの連想だ。だが脳裏には無機質な通路が浮かんだ。奇妙な音が反響する、無人の通路。

「朝希はもっと自分を信じるべきだよ」

 楓は言う。おれの心を読んだみたいに。華奢な指先が手の甲にそっと触れる。

「なにかが間違ってるとしたら、それは世界のほうなんだ」

 背筋をゾクゾクしたものが伝う。だけど汗をかいていた。

 あまりにも傲慢な言葉。心の表面で弾かれているのがわかるのに、浴びたこと自体にショックを受ける。

 気づけば硬く手を握っていた。触れられてるのが甲でよかった。手のひらを握られてたなら、言い逃れできないほどすがりついていたに違いない。

 そう思った瞬間力を込められる。楓に目を向けると、真顔で口を引き結んでいた。

「どうし――」

 続きは言葉にならなかった。彼女は素早く手を離し、指先をおれの唇に当てる。辺りは静まり返り、おれはそこで初めて――下からの音が止まっていることに気がついた。

「行こう」

 身を起こすと、楓は身振りも交えておれを急かした。ふたり足早にその場から離れる。耳の底にはあの音がこびりつき、それをかき消すような葉擦れの音がなおさらおれたちを急がせた。

 山を下りるまで速度は緩めなかった。追われている気がずっとする。振り向けば、広場があった場所から何かが覗いていて、目が合った瞬間追いかけてくるんじゃないかとさえ思った。

 想像のそれは大きかったり小さかったりした。だけど不定形で、どこか梨音の……本来の姿に似ていた。


 山を下りてしばらく経ってもおれたちは無言だった。饒舌だった楓も口を閉ざし、そのうちこちらが耐えきれなくなる。

「なんだったんだ、あれ」

 言葉を発したことで、おれたちをくるむ薄膜が破れた。少し前を足早に歩いていた楓がぐるりと振り返る。目は今日一番の光を帯びて、興奮しきっていた。

「絶対あそこに何かあるよ。どうして止まったんだろう? 残ってたら知れたのかな? こっちに気づいた? だとしたらいつ? 入ってきたときに気づかれなかったのはどうして? あそこに何があるんだろう? 本当にUFO? だとしたらいつからあそこに? どこかに入り口があるのかな? ああ、逃げなきゃよかった……!」

 言いながら道を戻り始める彼女を慌てて押しとどめる。遮られても進み続けるので、だいぶ体重をかけなくてはならなかった。

「落ち着けって……わっ!」

 突然両脇から手が滑り込み、驚いて身をすくめる。けれど巻かれた腕は防げなかった。ほんの一瞬のうちに、おれは彼女に抱きしめられていた。

「か、楓……!?」

「いつか絶対調べに行くから」

 注がれるささやきで、首筋にぞわぞわしたものが走る。相も変わらず無人とはいえ、公道で女の子に抱きすくめられている。そのことを自覚し焦る気持ちと、楓から出る不穏な言葉。情報が交錯し、行き場に迷った手が宙を舞う。

「危ないよ……」

「うん」

「なにがあるかわかんないし」

「うん」

「やめたほうが」

「やだ」

 抱きしめる力が強くなる。甘えるように頬ずりされ、一気に気力が萎えてしまう。

 ずるい。こういうのは。

「なんでそんなに……」

「会いたいの」

 楓ははっきり言った。

「会いたいの。会って確かめたい。人間以外の知的生命体がこの世に存在してるってことを。そして聞きたい。どこでどうやって生まれたのか。なんのために生きるのか。それに疑問を持たないのか」

 耳元でほうと息を吐く。それにすらおれは、よくないものを感じてしまう。

「私は間違ってない……それを確かめたいの」

 切なげな声。肩口に額を押しつけられ、くりくりと揺すられる。

 言葉は出なかった。喉のところで何かが詰まっている。詰め物が心臓を押し、ぎゅうぎゅうと締めつける。苦しいのに、気持ちと裏腹に口元からは力が抜ける。

「おれに声かけて……」

 なんとかそれだけ口にした。「一緒に行ってくれるの?」と見上げる楓に、精一杯努力して首を振る。

「そのとき、もう一回止める……」

 楓は一瞬静止したかと思うと、くつくつと笑った。振動で頭が再度揺れ、首筋に息がかかる。声が漏れそうで口の内側を噛むが、努力もむなしく彼女の指が鎖骨に触れた。軽く爪を立てカリカリと引っ掻く――そんな微妙な刺激にすら小さく息を漏らしてしまう。

「行こうよ、一緒に」

「や、やだ……」

「楽しいよ」

「だめだって……」

 なるべく視界に入れないよう顔を背けるが、そうすると首筋を晒してしまう。悪戦苦闘していると、胴に回る手が完全に抜かれた。脇を冷たい風が吹き抜けほっとしたのもつかの間、今度は首に手を回され、強制的に楓のほうを向かされる。

「じゃあ、もう一回同じやりとりしよう。次あの山に行くときに」

 後頭部に手のひらの熱を感じる。キスでもするような姿勢に、今度こそおれは固まってしまう。でも楓はすぐ離れていった。唇の上にひと言残して。

「そのとき教えてよ。朝希の宇宙人の話」

 長い髪が円形に流れる。そこにはおれを誘う何かがあった。脱力しかける体をむりやり動かし、薄く残る熱を振り払う。

「絶対止めるからな……」

「むりむり」

 楓は断言する。抵抗しながら、おれも無駄なんだろうなと思ってしまう。

 強い気持ちが乗る言葉には抗えない。楓が意志を変えないかぎり、そしておれが心配するかぎり……彼女について行くしかない。そんな気がした。

「やることいっぱいだね。楽しみだな」

 楓は無邪気に笑う。人の気持ちを無視して声を弾ませる姿は悔しかったが、彼女の未来におれがいるのは、なんだか幸せな気分だった。


 結局帰りは、平山からふたつほど離れたバス停を利用した。ふもとで待つ気はしなかったが、かといって街まで歩く元気もない。適当なバス停まで歩き、ちょうどバスが来たので乗車した。

 弛緩した体を座席に投げる。心地よい振動にぼやける頭で口を開き、終われば沈黙に身を委ねる。窓の外に目をやって、流れる景色を無心で追う。穏やかに過ぎる風景。たまに静止画になり、また動画へ。

 そうして訪れた何度目かの静止画に。

 梨音がいた。

「――ッ!」

 勢いよく体を起こす。通路側にいた楓が「どうしたの」と言うが、窓の外はおれの体で見えないらしく「なに?」と続ける。

 見せたくない。そう思ったが、おれの態度が聡い彼女にすべて悟らせることを思えば、下手なことはできなかった。妙な動きをしなければ、梨音を見ても「あ、日下辺さんだ」で済むはずだ。

 梨音はこちらに気づいていない。周辺の景色から、ふれあい公園付近のバス停であることがわかった。道路向かいの建物の前に体をこちらに向けて立ち、しかし首だけは横に向けて背後を気にするそぶりを見せている。

 早くバスが出てほしい。視線を逸らさないまま願っていると、隣から信じられない言葉が聞こえた。

「あ、宗田さん」

「え?」

 声が誰かのものと重なる。それは当然――涼子だった。名前の主の。

「……アキちゃん? 楓ちゃんも……あれ? なんで?」

 こっちの台詞だ。なんで。どうしてここに。

 窓の外を見る。そこにはまだ梨音がいた。同じ場所に立って、こちらを見ていた。

「…………!」

「あ、日下辺さんだ」

 楓がのんきに言う。おれはもう、梨音から目が離せなかった。こっちに気づいているのだろうか。口が動いている。見ている気がする。目が合っている――気がする。

「ホントだ、梨音ちゃんだね。なにしてるんだろう」

「宗田さんと一緒じゃなかったの?」

「違うよ……あたしは近くの手芸店に用があって」

「そうなんだ。なにか買ったの?」

「ううん。いいのがなかったから」

 涼子は楓と話しながらひとつ前の席に座った。と同時にバスが動き出し、おれは心底安堵する。素知らぬ顔で梨音から視線を外そうとして――ぎょっとした。

 首が少しずつ動いている。バスの動きに合わせて。ずっと……おれを正面に捉えて。

「あ……」

 気づいていた。見られていた。

 バスはスピードをあげ、梨音の視線を引き剥がした。

 女子ふたりは再会を喜ぶ。近況を伝え合い、久鵺の学祭が近いことや、山陵の学祭は一学期に終わっていること、おれたちがエプロンを作っていること……そんな内容でやけに盛り上がる。おれは圧倒され、楓がバスを降りるまで口を開けなかった。

 思えばよかったのかもしれない。涼子との会話に夢中なおかげで、楓がおれの動揺を察することはなかった。

 楓がいなくなると涼子は座席の隙間から振り返った。「移っていい?」と尋ねる。頷くと、彼女は素早く隣に座った。

 どこか不安げな涼子に対し、おれの気持ちは硬かった。今日は互いに秘密の外出をしている。楓とその話はしてなかったから、おれたちの行き先を彼女は知らない。

 知りたがってるのはわかったが、伝える気はなかった。それじゃ意味がない。おれも涼子の行き先が気になった――具体的には、エプロンに何か足りなかったのか(手芸店に行くというのはそういうことだろう)知りたかった――が、聞くとこちらに踏み込むきっかけも与えてしまうから、何も言えなかった。

 いつものように並びながら、居心地の悪い空気に目を逸らし、流れる家々に先ほどよりも感慨なく視線を置く。

 そうしていると、急にばかばかしくなった。

 付き合ってるわけでもないのに、勝手に期待して、勝手に失望して。あてつけのように他の女の子と出かけて、好きな子に――明らかに――気まずい思いをさせている。

 こんなのはおかしい。こればっかりは、世界じゃなくて……おれが間違ってる。

「たいら山に行ってきたんだ」

「……、ふたりで?」

「うん。この間……嵯峨さんに確認してもらったところも、見てきた」

「どうだった……?」

「なにもなかった」

「……そっか」

「旧社殿まで登ったよ。大きくなったからかな。前より全然、すぐ着いた」

「小六のときだっけ? なつかしいな」

 涼子の肩の力が抜け、おれもほっとする。やっぱり、間違ってたのはおれだ。

「あのときさ、お社の扉開けたよな」

「そうだっけ?」

「涼子に言われたから開けたんだぞ、おれ」

 拗ねたように言うと、ガラスの向こうで涼子の顔がほころんだ。外は暗くなりつつあり、視線を合わせずとも彼女の様子が見てとれた。

「今日は? 開けた?」

「開けてない」

「よかった」

「なんで?」

「だって、罰当たりじゃない」

 平然と言う涼子に思わず振り返る。

「おまえなあ……!」

 そうやって直接目を合わせて。今日初めて見た彼女の笑顔が、最高に気の抜けたものなのに気づいた。奥から自然と浮かんでくる、なんというか、ふにゃっとした表情。三歳とか四歳とか……写真でしか記憶にないけれど、そのころの感じと似ている。

 かわいい。

「なにが入ってたか覚えてる?」

 口調もどこか抜けている。普段と違うけど、甘えられているようにも感じて。おれたち仲直りできるよなとか、涼子もそう思ってくれてるよなとか、そういうことを考えた。

 いつもみたいに話せて嬉しかったし、涼子もそれでこんな……嬉しそうに、ふにゃふにゃしてくれるなら。バカみたいだし情けないし、単純で最低だけど。今日一日へそを曲げていてよかった、なんて思ってしまった。

「覚えてない……涼子は?」

 視線がわずかに宙に浮く。思い出そうとしているようだ。しかし出てこなかったのか、涼子は砕けた笑顔のまま首を振った。

「忘れちゃった」

 座席に後頭部を預け、横目で窓を見る。ちょっと目を離した隙に、外では夕闇が煮詰まり始めていた。車内を反射する鏡には、いまだに気の抜けた様子の涼子が映る。

 視線の向きがばれないように、窓に顔を近づける。そのうち視界が曇ってきて、慌てて袖口でガラスを拭った。

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