【11】未宇・2(3)

 射的の屋台に戻ると軽い人だかりができていた。中央では机を挟んで梨音が店主と話している。おれに気づくと「朝希!」とぶんぶん手を振った。

「見てこれ! 全部取ったの。すごいでしょ」

 ふたりの間にはお菓子やオモチャ、ぬいぐるみなどのちょっとした山ができていた。対して景品が乗っていたはずのひな壇は抜けが目立つようになっている。

「いや、すごいよ……すごいけど……どうやったの、これ」

 射的は五発で二百円だ。弾が増える的があったのだとしても、梨音が取ったと主張する景品は明らかに十以上あった。

「的で弾増やしたりして……」

「どれ? それ」

 おれが最後に射的をしたのは随分昔のことだけど、そのときは弾が増えるなんて遊びはなかった。梨音の言う的を探すが見当たらない。

「しまわれちゃった」

「出しませんよもう、絶対」

 屋台の男が首を振る。よほど酷くやられたのか、責めるような視線をおれにも向ける。

「あんたもちゃんと見ててくれよ。お連れさん、限度ってものがあるだろ」

「えっと……」

「なーんで朝希に言うの? オジサン?」

 梨音がじろりとにらむと店主は目を逸らす。

「何個かもらうけど、残りのケーヒンは返してあ、げ、る、って言ってんじゃん。なにが不満なのさ」

 わざとらしいため息と、あくまでお情けだと言わんばかりの口調。こんな言い方は変だけど、梨音は挑発がうまかった。可愛くて射的が上手なだけで注目されただろうに、声も通るから余計に目立つ。遠巻きに見守る人も増えていた。

「ぐだぐだ言うんならこっちだってごねるからね。ちゃんと当てたのに景品くれない屋台だって騒ぐから」

 仲間内でしか目撃者がないならまだしも、彼女が撃つのを見ていた人も多いのだろう。店主は露骨に黙り込む。それを確認すると梨音はこちらを向いた。

「朝希、なにほしい?」

「えっ」

 声に合わせて群衆の注目が向く。内心焦りながらもおれは景品の山を見た。

 正直言って、ほしいと思えるものはない。でもそんなことを口にしたら彼女だけでなく観客からも不興を買いそうだ。

「みんなで食べれるお菓子と……あとは梨音の好きなものでいいんじゃない」

 無難な答えだが納得したらしい。梨音は「ふーん?」と唸るとひょいひょい景品を取り始めた。スナックの詰め合わせにチョコレートのアソート袋、ガムのパックのような大きめのものばかりだ。あげく店主に「袋ないの」と尋ね、彼は急いで袋を出した。

 最後にあまり可愛くない兎のぬいぐるみをひとつ選ぶ。キャラクターグッズのようだが初めて見るキャラだ。派手な色彩と極端なデフォルメは海外を彷彿とさせた。焦点の合わない目は不気味だが、おそらくこれが“梨音の好きなもの”なのだろう。

 大きな袋を持って戻った梨音は、おれの隣を陣取り「行こ」と笑った。

 このまま行ってもいいのだろうか。そう思ったが、かといってできることもない。元気な梨音に引っ張られ、おれたちは人だかりを離れた。


 屋台巡りは続いたが、空気はぎくしゃくしていた。そう感じたのはおれだけかもしれない。いや――涼子も感じただろう。

 おれと同様、未宇がこうしたイベントに不慣れと推測しただろう涼子はたびたび彼女に話を振った。しかし反応は芳しくなく、食べ物の話題すら上の空だ。梨音が勧めた菓子も断り、未宇は一向に減らないわたあめで口元を隠した。

 上滑りする会話のなか、前方にトルネードポテトの屋台が現れる。こんなところくらいでしか食べられないからか軽い行列ができていた。楓が「ねえ」と振り返る。

「ジュース買ってきていい?」

 隣ではペットボトルジュースが売られていた。彼女が先ほどから「喉が渇いた」と適当な屋台を探していたのは皆が知っていた。

「行ってきたら?」

 細長いスナック菓子をぽりぽりかじりながら梨音が言う。「混んでるしアタシはパス」

「ん、じゃあ行ってくる」

 小さく笑い、楓は列の最後尾に並んだ。梨音が少し間を置いてついていく。

「梨音?」

 不思議に思って見ていると(楓も同様だったのか、梨音に気づくとぽかんとしていた)、梨音は楓の前でごそごそと袋を漁り、何やら手渡して戻ってきた。それはチョコレートバーで、背を向けた梨音のうしろで楓は嬉しそうに包みを開ける。ほほえましいやりとりにおれも自然と笑みが浮かんだ。

「なに?」

 梨音が怪訝な顔をするのが余計におかしく、上がる口角を懸命に隠す。だがめざとい彼女は唇をとがらし、腹にじゃれつくようなパンチをした。

「りょうこぉ!」

「あらあら」

 そのうえ親に言いつける子どもみたいな口調で涼子の元へ歩いて行くから、おれは耐えきれず笑ってしまう。涼子と梨音はわざとらしく距離を取り、こちらを見ながらこそこそと耳打ちし合った。

「なんだよそれ……」

 おれは苦笑しながら未宇を見る。あのふたりをどう思う、というくらいの気持ちで。だけど彼女はこちらを見ていなかった。

 おそらく一連の流れをひとつも見てなかったのだろう。未宇の視線は隣のたこ焼き屋に注がれていた。「未宇」と声をかけるとびくりと肩が揺れる。

「あっ……ど、どうしましたか?」

 やや過剰な反応に驚いたけど、同時に嬉しくもなった。未宇が食への興味を取り戻したのだ――そう思い、たこ焼き屋の屋台へ歩を進める。

「たこ焼き食べよう」

「え?」

「楓はジュース買いに行ったし、涼子と梨音はあっちでこそこそしてるしさ。おれたちだって好きなことしようぜ」

 未宇は返事こそしなかったがついてきた。たこ焼きの屋台はトルネードポテトほど並んでおらず、すんなりと購入できた。案の定未宇はたこ焼きも初めてで、穴ぼこの鉄板をしげしげと眺めた。

「ずいぶん小さいんですね……」

「ん、たこ焼き?」

「いえ、中の具が……足の一部ですか?」

 未宇はたこ焼きよりも蛸に関心があるようだ。そういえば、さっき見ていたのは屋台というよりは看板だった。大きく蛸の絵が描いてあった気がする。

「うん、吸盤もあるし……未宇、蛸も初めて?」

「はい……」

 未宇は頬を染める。おれはといえば、自分で聞いたにもかかわらず「まじか」と口から出そうになっていた。

 蛸を食べたことのない日本人が存在するのか。この口ぶりだと見たこともなさそうだ。

(いやでも、蛸でアレルギーが出るって聞いたことあるな)

 だったらおかしな話でもない。アレルギーを持つばかりに、特定のものを食べた記憶がない人間だっている。

「――って未宇! たこ焼き食べても大丈夫なのか?」

「え? は、はい」

 おれの焦りに未宇は驚いた。蛸を食べたことがないのはアレルギーだから――その仮定が簡単に崩され、あとには疑問だけが残る。

 じゃあ、なんで食べたことがないんだ?

 これ以上考えてはいけない――そう思った。このままだと、未宇の家族に悪感情を抱いてしまいそうな気がする。

 正直かなりギリギリだ。服も食べ物も自分で選んだことがない女の子。ステーキもパフェも、わたあめもたこ焼きも食べたことがない。

 たこ焼きを店主から受け取ると未宇に押しつける。彼女はためらっていたが、においを嗅ぐとうっとりした。

「食べよ」

 考えちゃだめだ。勝手に結論を出しちゃいけない。だって、おれは彼らに会ったこともないんだから。

 未宇はおずおずとたこ焼きを口に運ぶと半分かじる。蛸が入っていたのか目を輝かせ、もぐもぐと頬を動かしおれを見た。

「熱くない?」

 聞くとこくこく頷く。焼きたてなのになと思いつつ、おれもひとつ取ってかじった。熱々の中身が溢れてきて、大きく息を吸ってしまう。そのせいで余計に熱く感じた。

「歯ごたえがあって……おいしいです」

 飲み込み終わった未宇はそう言った。おれは返事ができず、さっきの彼女と同様にこくこくと頷いた。

 いつの間にか人が増えていた。反対側にいるはずのふたりの姿が見えない。流れはこの一画……正確には少し先の開けた区画へと続いていた。

「そっか、もう花火の時間か」

「花火?」

 未宇は首を傾げる。もしかしたら、花火も初めてなのかもしれない。

「うん。納涼祭は花火も上がるんだ。この辺は木が多いけど、広場から道路に出る辺りは少し開けてるだろ。会場から見るならあそこが一番いいんだよ。降ってくるみたいに見えて綺麗なんだ。あとは上かな」

 見れば斜面の屋台前には人だかりができていた。毎年あの辺りは激戦区だ。それだけ花火がよく見える。はやくから場所取りをする人もいて、問題となったこともあるらしい。

「どうするか聞いてくるよ。ちょっと待ってて」

 未宇にたこ焼きを任せ、濁流のような流れに乗る。軽い気持ちだったがすぐ後悔した。体幹が弱いのか周りが強いのか、予想以上に流される。合間に向こう岸を探したが、ふたりの姿は見えなかった。何か買いものにでも行ったのだろうか。

 そうとわかったら戻ろう――そう思ったが、振り向くことも困難だった。あれよあれよとトルネードポテトの屋台まで流される。いまだ続く列と人の流れが混ざり、周囲はますます混沌とした。

「あーもう……」

 呟くと腕を掴まれる。驚いて見れば楓だった。目が合うと「よかった」と笑う。

「戻れなくってさ。どうしようかと思った。この人ごみ、なに?」

「もうすぐ花火が始まるから、それだと思う。涼子と梨音は見た?」

「見てない、さっきまで並んでたから。水一本買うのにすごい時間かかっちゃった。ふたりともいないの?」

「その辺で話してたはずなんだけど。なにか買いに行ったのかな」

「ケータイは? 連絡きてない?」

 納得の疑問だったがこの場での確認は難しかった。その間にどんどん流され、屋台エリアの端まで来てしまう。そこでようやく携帯を見たが、誰からも連絡はなかった。

 戻ろうとするが、厚くなる人の層に阻まれる。そのうえ楓は腕を掴んだまま動くそぶりを見せなかった。

「楓、戻んなきゃ。涼子と梨音もだけど、未宇もたこ焼き屋に置いてきちゃったから」

 涼子たちはともかく、ひとりにした未宇が心配だ。おれの焦燥を知らない楓は「みんなここに来るんじゃない? 子どもじゃないんだから」とのんきに言う。

 それにむずがゆい苛立ちを感じた。こんなに人が多い場所で、あの未宇をひとりきりにしていいわけがない。可愛い子は他人の可愛さに無頓着なんだろうか。

「でも、なにがあるかわかんないから」

「せっかくいい位置なのに。あっちから花火が上がるなら、たぶんしっかり見えるよ」

「じゃあ、楓がここで待って……あ」

 そうなると楓がひとりになる。うっすらと考えていた、おれひとりでは手に負えない事態が発生していた。

 一瞬思考が止まる。そんなおれの腕を、楓は小さな力で引いた。それだけで距離がぐっと近くなる。

「今日、誘ってくれて嬉しかった」

 ささやきが聞こえた。表情はわからない。距離が近すぎて、おれからは耳もとや結われた髪の毛しか見えなかった。

「また一緒に遊ぼうよ。今度はふたりきりでさ……だめ?」

「え……」

 顔をあげる気配がする。楓は少し身を引き、おれを正面から見つめた。

 おれと楓はたぶん、身長がほとんど変わらない。彼女は服装に合わせて底の厚い靴を履いていたから、その分目線が少し上にあった。

「朝希のこと、もっと知りたいんだ」

 手が腕を伝って下りてくる。力の抜けたおれの指先をゆるく握る。

「みんなと一緒も楽しいよ。でも朝希と話せないから……ちょっと寂しかった。友だちが増えるのは嬉しいけど、最初に仲良くなりたいと思ったのは、やっぱり朝希だから」

 睫毛の先まで認識できる距離でまっすぐ見つめられ、そんなことまで言われて……おれは一瞬、薄情なことに……すべてを忘れてしまった。涼子たちに連絡を取らなきゃいけないことも、未宇の元へ行こうとしてたことも。もっと言うなら、彼女たちの存在自体を。

 思わず指先に力を込めると、楓の手にも力がこもる。優しく、しかし力強く。

 でも皮肉なことに、その刺激がみんなを思い出させた。

 楓の気持ちは嬉しい。もっとゆっくり話したい。

 でも今は、しなきゃいけないことがある。

「あ、ありがと。でも――」

 言いかけたとき、うしろに体を引かれた。楓と繋いでいるのとは違う手を、比べものにならないほど強く引く力がある。

「朝希くん」

 振り返ると未宇がいた。人ごみをかき分けてきたのだろう、浴衣が少し乱れている。わたあめとたこ焼きは食べきったのか、元々の荷物以外何も持っていなかった。

「未宇」

 内心胸を撫で下ろす。何もなかったみたいだ、合流できてよかった――だがおれの気持ちと裏腹に、未宇の顔は険しかった。

「矢代さん。よかった、合流できて。宗田さんと日下辺さんは?」

 楓も明るく声をかける。でも未宇は目もあげなかった。おれのことも見ていない。うつむき影になった顔の奥から、絞り出すような声がした。

「思ってないくせに――」

「え?」

 聞き返すと、それが合図かのように顔が上がる。いつもの未宇だ。優しげで、どこか恥ずかしそうな表情。でも普段にはない強引さでおれの手を引く。

「朝希くん、行きましょ。もっといい場所見つけたんです。宗田さんと日下辺さんも待ってますよ」

「え――」

 合流してたのか。いい場所ってどこだろう。涼子が見つけたのだろうか。

 考える間もなく体が動く。その勢いで楓の手が離れた。未宇の動きには迷いがない。流れるように人ごみの中へと戻っていく。

「待って、朝希――」

 声が遠ざかる。未宇に連れられるままのおれとは違い、楓はタイミングを逃したのだろう。あっという間に見えなくなる。

「楓! 未宇、待って――」

 未宇は反応しなかった。手に力を込めたが止まらない。より強く握られ、引きずるように歩かされる。人に揉まれながらではろくな抵抗もできなかった。

「未宇……?」

 未宇にはめずらしい……しかし見たことのある強引さ。

 初めて会ったとき。学校の中庭で。

 うしろから見る彼女の耳は真っ赤だった。

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