十二章 七つ目

 どこだ、ここ……。

 しゅんりはひびが割れているコンクリートの薄汚い天井を見上げながらゆっくりと瞬きをしながら起き上がった。

「いっ……」

 そして微かなチクッとした痛みを感じた左腕を見ると点滴が施行されており、そこには真っ赤な液体が自身に流れていっていた。

 支柱台に吊されている点滴バックにAB型と記されているのをボーっと眺めながら、自身はウィンドリン国の牢屋内にあるベッドに寝かされていることにしゅんりはやっと気付いた。床で寝てないことに違和感を感じながらしゅんりは牢屋の外にいる人物にゆっくりと目を向けた。

「起きたか」

 そう言って白衣を着たネイサンは牢屋のロックを外して扉から入り、ベッドの横に置かれている丸椅子に移動した。

「こっち向け、診察だ」

「しんさつ……」

 ボーっとして自身の言葉を繰り返すしゅんりにネイサンはまさか記憶に障害が出ているのかと思って眉を寄せながら、下瞼に親指を添えて毛細血管の色から貧血の具合を確認した。

「ふむ、まだ白いな。右腕は痛むか?」

 ネイサンの質問に首を傾けながらしゅんりは右腕をあげたり、手を握ったり開いたりした。トゲトゲのツルによって折れた右腕だったがネイサンの治療によって綺麗に治っていた。

「名前、年齢を教えろ」

「名前……」

 そう問われてしゅんりは顔を歪め、ぎゅうっと締め付けられた左胸辺りの服を掴んだ。

「本名はレジイナ・セルッティ……。でも、しゅんりだって名乗らなきゃいけなくなった……」

 そう言ってから顔を俯かせるしゅんりにネイサンは「正解だ」と、言って頭にポンッと手を置いた。

「年齢は?」

「十九歳」

「所属は?」

「タレンティポリス、元倍力化所属の暗殺部……、いや」

 しゅんりは顔を横に振り、「暗殺部も元だった……」と、言ってからポロポロと涙を流し始めた。

 シーツにシミができるのを見ながらネイサンはポケットからハンカチを出してしゅんりに差し出した。しゅんりはハンカチを素直に受け取ったものの、それで顔を拭くことなく、そのまま握り締めた。

「……昨日のことは覚えているか?」

 ネイサンは背に手を添えてしゅんりが泣き止むのを待った後、質問を続けた。

「昨日……、なんか所々分かんない……」

 しゅんりの返答にネイサンは確かにあんなに興奮し、かつ鎮静剤も打たれて鮮明に覚えているわけないかと納得した。

「どこまで覚えている?」

「ナール総括と力比べして、トゲトゲに捕まって、それから記憶が曖昧……。でも、これだけはハッキリ覚えてる」

「どれだ?」

 ネイサンに答えようとして開きかけた口をフルフルと震わせ、しゅんりは再び口を閉じて再び涙を流し始めた。

「お前は噂通り、本当に泣き虫だな」

 困ったようにふーっと溜め息を吐くネイサンにしゅんりはえぐえぐと嗚咽しながら「ごめんなさい」と、謝罪した。

「か、カルビィン、カルビィンに……。もう来んなって、連絡すんなって……!」

 カルビィンとのパソコン越しでの会話を思い出してしゅんりはシーツに顔を埋めて声を上げて泣いた。

 どれだけ鈍感なしゅんりであってもカルビィンがあの時本心でああ言ったわけではないことなど理解はしていた。

 だってカルビィンのあんな辛そうな顔、初めて見た。

 カルビィンがそう言わないといけない状況にしてしまったことや、もしかしたら本当にもう二度と会えないかもしれない環境にしゅんりは嘆いた。

「他は覚えてないのか?」

 しゅんりは声を出さずに頷いてネイサンに返事した。

「そうか……」

 ブリッドに同情しながらネイサンが輸血の点滴の滴下を調整しようとしたその時、カツカツと革靴の底を鳴らしながらある人物がしゅんりの元へ訪問してきた。

「おい、そこの異常者。生きてるか?」

 いつも他者を見下すネイサンも流石に目の前にいる人物には敬意を示さんとなと、面倒くさがりながらも立ち上がって敬礼をした。

 そしてしゅんりはグズッと鼻を啜りながら牢屋の外に目を向けた。

「ホーブル総監とブリッドリーダー……?」

 ホーブル総監とその後ろに控えるブリッドの姿を見てしゅんりはそう力なく声を出した。

「おい、開けろ」

「は、はいっ」

 警備に付くメイジーは「怖い怖い怖い。ホーブルが来るとか聞いてないんだけどっ!」と、内心怯えながら牢屋の扉を開けた。

 しゅんりはベッドに近付いてくるホーブル総監に向き合うようにベッドの外へ足を投げ出し、相変わらず威圧的に自身を見下ろす上官を見上げた。

 そしてホーブル総監はいきなりそんなしゅんりの頬へ平手打ちをした。

 いきなりのことで思考が追いつかないしゅんりを他所にブリッドがホーブル総監に噛み付いた。

「総監! しゅんりは怪我人だぞ!」

「黙れ、オーリン」

 ギロッと睨んでブリッドを黙らせたホーブル総監は未だに放心状態のしゅんりに向き合って、自身が殴ったその頬に手を添えた。

「しゅんり」

「は、はい……」

 先程とは打って変わって優しく頬に手を添えるホーブル総監に戸惑いながらしゅんりはなんとか返事した。

「もっと自分を大事にしろ」

「へ……?」

 予想外の言葉に目を見開くしゅんりにホーブル総監は舌打ちをして「返事は?」と、威圧的にしゅんりからの返答を促した。

「わか、りました……」

 困惑しながら返事したしゅんりに満足したのか、ホーブル総監はしゅんりの頭にポンッと撫でてからそのまま何も言わずにブリッドを率いて牢屋から出ていった。

「ふむ、俺は夢を見ているのか?」

 目の前で起こった光景に驚くネイサンにしゅんりも頷いた。

「ホーブル総監の笑った顔、初めて見た……」

 あんな愛しみのある笑顔でまさかあのホーブル総監に頭を撫でられるなんて思って見なかったしゅんりは驚きの余り、そのままネイサンと一緒に暫くの間、動けずにいた。

 

 

 

 それから一週間経ち、しゅんりの貧血は改善した。

 基本しゅんりの監視には主治医となったネイサンが付き、夜の間やネイサンが任務に行く際は倍力化の部署の誰かが来ていた。

 今日も朝からネイサンがしゅんりの元に来て、体調に変化がないか診ていた。

「ねえ、ネイサンさん」

「なんだ」

 左腕に針を刺し、ビタミンがたっぷり入れられた点滴をつなげるネイサンにしゅんりは口を尖らせながら声をかけた。

「わざわざ点滴しなくても療治化を使えば一瞬で終わるよね?」

 なんで療治化を使ってくれないのか、そして貧血は治ったのに点滴をまだ施行し続けるのか疑問に思ったしゅんりにネイサンは溜め息を吐いた。

「なぜか、だと? これを見て分からないのか?」

 ネイサンはベッドの横にあるサイドテーブルに置かれたほぼ手をつけられていない食事に目をやった。しゅんりも自身が残した食事をチラッと見てからフイッと顔を逸らした。

「しゅんり」

「だ、だって……」

 しゅんりのもとに毎日三食持ってきてもらっていた食事はネイサンが務めるクランクラン病院の栄養士に頼んで毎回用意させていた病院食であり、野菜たっぷりでかつ薄味の栄養満点の食事だった。

 アサランド国ではいつもジャンクフードと甘いお菓子ばかり食べていたしゅんりからしたらそれはとてもまずく感じ、どうしても喉が通らなかった。

「だって、じゃない。ちゃんと栄養のある物を食べない限り点滴はやめない」

「じゃあ自分で入れる!」

 ジャドに習った薬剤の入れ方を思い出しながら点滴バックに手をかざしたその時、ネイサンがしゅんりの腕を背に捻った。

「いたたたっ!?」

「抵抗してみろ」

「んーっ!」

 ネイサンの言う通りに力を入れて抵抗してみるものの体には力が入らず、ネイサンの手はうんともすんとも動かなかった。

「ほら見てみろ」

「ううっ……」

 明らかに弱っている自身に気付かされたしゅんりはジトッと野菜たっぷりの食事に目を移した。

「それをちゃんと食べれるようになったら点滴はやめてやる」

「そんなあ……」

 そう宣言してから手を離したネイサンにしゅんりは項垂れた。

「お願い。点滴はもうやだよお」

 しゅんりはカルビィンによくしていたうるうるとした目でネイサンにもう点滴をしないようお願いをした。

「ハッ。それがこの俺に効くとも?」

 しかしちっとも効果はなく、鼻で笑ったネイサンにしゅんりは舌打ちをしてからボフッと大人しくベッドに寝た。

「野菜を食べないと大人になれんぞ」

「……何そのお父さんみたいな発言」

 以前関わっていた時より、柔い雰囲気で自身に関わるネイサンにしゅんりは嫌味のつもりでそう言った。

「まあ、その通りだからな」

 予想に反したその返答にしゅんりはガバッと起き上がり、目を見開いた顔でネイサンの顔を見た。

「こら、点滴が抜けるだろ」

「そんなことより、ネイサンさんって結婚してて子供いるの⁉︎」

 驚くしゅんりにネイサンは「そうだ」と、そっけなく返事してから医療用具を片して牢屋の外に出た。

「いやいや、誰と!?」

 ガラガラと支柱台を押しながら柵まで寄ったしゅんりをネイサンは華麗に無視しながら本を読み始めた。

「だーれー! だ、れ、と結婚したのー!」

 一週間前と同じように再び柵をガタガタと揺らしながら騒ぎ始めたしゅんりにメイジーは目頭を押さえた。

 ほんっと、こんのクソガキッ!

 殴りたくなる気持ちを抑えながらメイジーはジトっとしゅんりを睨むことしか出来なかった。

 

 

 

 翌日、ネイサンと代わって監視に付いたルル、そして差し入れをこっそりと持ってきたマオとしゅんりは柵越しに会話していた。

「しゅんり、行儀悪いよ」

「ああん? いいじゃん別に」

 マオの指摘を無視し、しゅんりは床にひいたシーツの上に横向きで寝ながらクッキーを片手に持ってバリバリと食べており、シーツの上にクッキーの屑が落ちていくのを見ながらメイジーは「誰がそれを片すと思ってんだ!」と、内心怒りながらそれを見ていた。

 それを横目にマオとルルは同情の目を向けてから苦笑いをした。

「マオ、明日もなんか持ってきてよ」

「それ、人に頼む態度? ていうかネイサンさんにバレたら僕が怒られるんだから、そんなしょっちゅうは持って来れないよ」

 マオは腰に手を当てて首を横に振りながらベッドサイドのテーブルにあるほとんど手をつけられていない食事に目を向けた。

「また残してる。ほんと、いい加減にちゃんと食べないと死ぬわよ」

 呆れた顔でそう言ってきたルルにしゅんりは「じゃあ、なんか持ってきて」と、手を差し伸ばした。

「ねえ、こいつこんな我儘な奴だっけ?」

「我儘だったけど、酷くなってるね」

 指を差しながらそう言ってくる二人にしゅんりは舌打ちをしてから紙パックに入った牛乳をジューッと吸った。

「あー、もうダメ。暇、お腹空いた、暇暇暇暇お腹空いた、タバコ吸いたい」

 何もない牢屋という部屋の中、警備についた人物と話すこと以外やることがないしゅんりの不満に二人は困ったように笑った。

「まあ、そんだけ欲求が出てきたってことは回復してきてるってことだね」

「こんだけ閉じ込められれば、嫌でも回復するわ」

 ケッとそう言い捨てたしゅんりは「あー、腹減った、腹減った、タバコッ!」と、言いながらバタバタと駄々を捏ねる子供みたいに手足を動かした。

「はいはい。考えとくからやめなさいよ、みっともない」

 呆れるルルにしゅんりはムスッと頬を膨らませた。

「ていうかさ、僕ずっと気になってたんだけど、しゅんりって彼氏いるって噂聞いたんだけど本当?」

「なにその噂」

 そんな噂が立ってるのかと驚いて体を起こすしゅんりを見ながらルルは「あれでしょ、カルビィンっつー男?」と、マオに被せて質問した。

「あー……、カルビィン?」

「そうよ、パソコンであんたの獣化を解いた男よ」

 あの後、しゅんりに無理矢理キスをしたブリッドに同情しつつも、面白いことになってるなとニヤニヤと笑うルルにしゅんりは首を傾げた。

「……いや、付き合ってないよ」

 顔を暗くしてそう返答したしゅんりにルルとマオはやってしまったか、と内心焦った。

「あれかしら、片思い的な?」

「え、しゅんりはブリッド補佐のこと好きなんじゃなかったっけ?」

 二人の憶測にしゅんりは少しイラッとしながら袋から新たなクッキーを出してボリボリと再び食べ始めた。

「どっちも好きだよ。それが何か?」

 そう開き直って、ブリッドとカルビィンの二人とも好きだと宣言するしゅんりにマオは口を開いて驚き、ルルは笑い始めた。

「そんな軽い女になっちゃダメだよ!」

「ああん? 別に誰ともヤッてないし、ただ好きってだけなんだからいいじゃんか」

「やっばー! 面白いことなってんじゃんっ!」

 正反対な反応をする二人にしゅんりは拗ねたように口を尖らせた。

「ケッ、笑いたきゃ笑いなよ」

 そう言ってからしゅんりはクッキーの入っていた空の袋を持って柵まで近付き、マオに渡した。

「ん」

「ゴミを捨てとけと?」

「それとおかわり」

 約三年振りにゆっくりと話が出来たと思えばこれだよ。

 以前よりパワーアップした友人の我儘っぷりに怒ったマオは上目遣いで犬のように手を差し出しておねだりするしゅんりの額に指を弾いて攻撃した。

「いっ……! 今、倍力化が上手くできないんだから痛いことやめてよ!」

 貧血は改善したが食事をきちんと摂っていないことに加え、まだ万全ではない体調のしゅんりはマオの攻撃に顔を顰めて痛がった。

「ならもう少し立ち振る舞いを考えなさいよ、バーカ」

「はあ⁉︎ バカっていう奴がバカっていうんですー!」

「はいはい、それでいいからちゃんとベッドで寝なさいよ」

 ルルにガルルッと噛みつくしゅんりにマオは今日何度目か分からない溜め息を吐いてから、牢屋をあとにしようとしゅんりに背を向けた。

「あ、マオ。待って」

「ぐえっ」

 襟元をグイッと引っ張られたマオは詰まった首元に手を当てて軽く咳き込んでから顔だけ振り返ってしゅんりを睨んだ。

「次の差し入れ、タバコ買ってきて」

 そしてとんでもないお願いを言ってきたしゅんりの頬へとマオは手を伸ばした。

「いひゃい! いひゃいのやっ!」

 ぐいーっと右頬を引っ張られ、目に薄らと涙を浮かべながらしゅんりは顔を振って抵抗した。

「しゅんり、タバコはめっ!」

「めっ、じゃないー! ダメだ、こんなとこに閉じ込められてまともに食べる物もないし、イライラするだけなのにタバコも吸えないなんて死にそうだっ!」

 うがーっと声を上げ、髪をぐちゃぐちゃにかき乱してタバコが欲しいと訴えるしゅんりにルルは苛立ったように声をかけた。

「へー、なら死にかけな時ぐらい静かにしてよね。あんたみたいな猛獣を監視する私達の立場になってみなさいよ」

「ぐっ! そ、それは悪いと思ってるけど……」

 自分一人の為に色々な人達が動いていることは理解してはいるしゅんりは罪悪感に胸を痛めた。

「分かってんなら寝る。ちなみにベッドによ? 床で寝ないの」

「だって、ベッドの上は落ち着かないし、足音とか分かんないじゃん……」

 しゅんりがベッドの上で寝ない理由は元々、日本で床に直接布団を引いて寝ていたのが習慣になっていたのもあるが、床に寝るのは誰かが自分に襲って来た時、すぐ気付く為にアサランド国で身につけた護身術の一つだった。

 シーツを身にまとわし、横向きに寝て耳を床につけて寝る。

 この習慣のおかげでしゅんりはアサランド国で何度も危機を逃れていた。

 そういう理由だったのかと気付いたルルとマオは顔を見合わせてから牢屋の中に入り、しゅんりをベッドに誘導して寝かせた。

「なに、二人で私を見下ろして」

 ベッドに寝かされ、両方から顔を覗かれてしゅんりは不審そうな顔で二人を見た。

「いいから安心して寝なさい。ここに敵なんて来ないわ」

「僕達がここにいる理由はしゅんりを敵から守る為だってこと分かってる?」

 しゅんりは二人の言葉にハッと目を見開いた。

 ここに収容されているのは自身がエアオールベルングズに寝返ってないか証明されていないのと、アサランド国に戻らないように拘束されていると思っていたしゅんりは二人の言葉に胸を痛め、目に涙を浮かべた。

「わ、わたし、ごめん、なさい……」

 えぐえぐとまるで五歳児かのように泣き始めるしゅんりに二人は困ったように笑った。

 ルルはしゅんりの涙を服の袖で拭き、マオは頭をポンポンと撫でた。

「タバコはダメだけど、明日はワッフルでも持ってくるから泣き止みなよ」

「暇つぶしにパズルでも持って来させるわ。ほら寝なさい」

「うん……」

 ルルとマオに寝かされるしゅんりを見ながらメイジーはここに来てからしゅんりは寝てたと思えば顔を急に上げて周りをキョロキョロと見渡したり、ある一点をよく見ていたなと思い出していた。

 あんな騒いだり理解不能な行動をしつつも、常に死と隣合わせにいることを忘れず、気も休まずにいたのかと知ったメイジーは胸がキュッと締め付けられた。

 シャーロットが死刑され、アサランド国に旅立って約一年と数ヶ月。しゅんりは友人二人に見守られながら久しぶりに安心して眠る夜を過ごすことが出来たのだった。

 

 

 

 身も心もひび割れたガラス玉のようだったしゅんりの心が少しずつ修復してきた牢屋での生活が二週間経った頃。しゅんりはどうしてもある欲求だけは拭えずにずっとイライラしていた。

 その欲求はそう、ニコチンの摂取ができてないことだった。

 電子機器の持ち込みは禁止されているものの、食べ物にパズルや本などの持ち込みが許され、牢屋の中とは思えないほど充実した生活が出来ていてもそれだけは満たされなかった。

 そしてこんな生活の中、しゅんりは自身のおねだりが効く人と少しだけ効く人、全く効かない人がどんな人物がずっと考えていた。

 それに加えてしゅんりはずっとウィンドリン国にいるつもりはなかった。いつか体が万全になったその時、絶対にアサランド国に戻る。

 ブラッドの仇は絶対に取るし、私が例えエアオールベルングズの創設者の娘であろうがなかろうが組織ごとぶっ潰してやる。

 そう心に決めてしゅんりは監視の交代の時間帯や行動パターン、そして自分の思い通りに動いてくれそうな人物に目をつけていた。

 そして、自分の思い通りに動いてくれそうな人物が今まさに監視についていた。

 しゅんりはシーツを頭から被り、柵の前に座ってジーと目の前で飴を舐めながら本を読む人物を見ていた。

「なんだよ、そんなに見て。飴が欲しいのか?」

 不思議そうな顔で自身を見下ろしてくる人物、トーマスにしゅんりはニコッと笑いかけた。

「うん、欲しい。あーん」

 しゅんりは猫撫で声でそう言って口を開けて、飴を食べさせて欲しいとトーマスにおねだりした。

「ほ、ほらよ」

 戸惑いつつもトーマスはペリペリと包み紙を外し、しゅんりの口に飴を入れた。

「ありがとう、トーマスリーダー」

 こてんと首を傾げながら笑顔でお礼を言う。

 これで自分に落ちない男は殆どいないだろう。

 謎の自信に満ち溢れたしゅんりの思惑通り、トーマスの脳内ではキュンッという効果音が鳴り、ぽわわっと頬が赤くなった。

「ふわあ、失礼」

 あくびを漏らしながらメイジーが席を立ったのを横目に見てしゅんりはシーツの中でニヤッと笑った。

 こんな地下深くで時間の感覚など狂っていたしゅんりだったが、監視に常に付くメイジーの行動であらかた時間帯を把握していた。

 メイジーは交代になる時間の少し前にトイレに行く。そして、そのトイレはいつもより長めにとっていた。理由は定かではないが、交代前だということで力が抜けてるのか、大便でもしてるのだろう。

 理由なんてどうでもいいが、しゅんりはトーマスと二人に慣れる貴重な時間を無駄にするつもりはなかった。

 監視カメラに集中し、その先にいる監視が誰か確認する。

 見たことないやつだ。若いし、まだ新人と見た。それに居眠りしてやがる。

 勝利確定。

 そう確信しながらしゅんりは監視カメラの映像を全て一時間前のものがエンドレスで流れるように武操化を使用して操作した。

 これで準備はできた。

「ねえ、トーマスリーダー」

 しゅんりはトーマスに声をかけてからゆっくりと頭から被っていたシーツを肩までにずらし、柵に手をやって少し胸元を強調するように腕を寄せた。

「お願いがあるんだ」

 唇を舐めて艶を出し、目を少し細めて微笑んで手招きする。

 アサランド国で身につけた男を誘惑する方法を最大限に使って話しかけてきたしゅんりにトーマスはゴクッと唾を飲み込んだ。

「な、なんだよ……」

 キョロキョロと周りを見渡しながら目の前にしゃがみ込んだトーマスにしゅんりは小声で「トーマスリーダーにだけお願いしたいことがあるの」と、貴方だけが特別なのだと含めた言い方をした。

「俺にだけ?」

「そう。お願い、聞いてくれる?」

 目を潤ませて上目遣いで見てくるしゅんりにトーマスは思わず頷いた。

「嬉しい。あのね、タバコ持ってきて欲しいの」

 タバコを持ってきてもらうようにおねだりしたしゅんりにトーマスは「いや、それはちょっと……」と、断りを入れながらチラッとしゅんりの寄せられた豊満な胸に目をやった。

「トーマスリーダー、お願い。もう、限界なの……」

 しゅんりはバッと柵から手を離してトーマスの右手を両手で握った。

「お礼するから」

「お礼……?」

 再びゴクッと大きな音を鳴らしながら唾を飲み込むトーマスにしゅんりはニヤッといやらしく笑った。

「ほら、さっきから見てるここ。触りたいんでしょ?」

 左手だけトーマスの手から離し、服を捲って下着だけ身につけた胸をしゅんりは見せつけた。

「な、な!?」

「ほら、早くしないと警官さんが帰って来ちゃうよ?」

 手汗が滴ってくるのではないかと思う程、興奮してきたトーマスにあと一押しだと思ったしゅんりはトーマスの耳に顔をできるだけ近付け、「こんな大きなおっぱい、触ったことないでしょ?」と、囁いた。

 トーマスの震える両手がもう少しでしゅんりの胸に手が触れそうになったその時、ドタドタと走る足音が聞こえて来たと気付いたその瞬間、牢屋の前にある人物が息を切らしてやってきた。

「おい、トーマスなにやってんだっ!」

「ブリッド!? やってない! まだ!」

「まだってなんだ、まだって!」

 鬼の形相でトーマスに迫るブリッドを見てしゅんりは舌打ちをしてから服を直し、監視カメラの奥の人物を見た。

 いや、寝てる……。

 てことは監視の当番関係なくタカラリーダーか、マオ辺りが常に見てる可能性があるのかと考えついた。しかし落ち込む暇なく、しゅんりはこんなチャンスはないなとブリッドの後ろポケットにあるものを見てニヤッと笑った。

 ブリッドのせいでトーマスを手懐けることは失敗した。しかし、タバコを摂取するという目的は果たせそうだ。

 しゅんりはこちらに背を向けているブリッドの白パンツの後ろポケットに直されているタバコにそっと手を伸ばし、ゆっくりとポケットからタバコを抜き出して見事にゲットできた。

「何の騒ぎっ!?」

 その時メイジーが急いで牢屋に戻って来て、しゅんりが満面の笑みで胸の谷間にタバコを隠す瞬間を見つけた。

「ああっ! タバコ、タバコを胸に隠しました!」

 それを指差して知らせてきたメイジーにブリッドはハッとして自身のポケットに直していたはずのタバコに手を伸ばした。

「しゅんり!」

 そこには何もなく、満足気にニヤニヤと笑うしゅんりをブリッドは睨んだ。

「タバコを返せっ!」

「やーだぴょーん」

 手で胸の谷間を寄せてわざと見せながら「取れるもんなら取ってみなー」と、舌を出しながらブリッドに対して挑発的な行動をした。

「あー、でも私のおっぱい触ったらセクハラになりますよ、オーリン補佐殿」

「せ、セクハラ!?」

 つい一週間程前、しゅんりにキスをしたせいで署内でセクハラ呼ばわりをされているブリッドからしたらその言葉に胸が痛んだ。

 そして、ふとブリッドはしゅんりが自分に対する態度に疑問に思った。

 俺、お前とキスした仲なの分かってる?

 そう言葉が出そうになったその時、メイジーが牢屋の鍵を開けて中に入ってきた。

 そしてベロベロバーと舌を出してブリッドをバカにするしゅんりの服をガバッと上げ、

「こんの、クソガキ! 交代前に面倒起こすんじゃねえっ!」と、声を上げながら男二人がいることなんて気にすることなくメイジーはしゅんりの下着までも上げ、胸の谷間にあるタバコを取り出した。

「きゃーっ!」

「トーマス絶対に見るな、目を瞑れ!」

「ブリッド、てめえも見てんじゃねえよ!」

 お互いの目を隠そうとしながらちゃっかりと胸を見てくる男二人にしゅんりは顔を真っ赤にしながら服をすぐに直し、メイジーを指差して怒った。

「セクハラだっ! セクハラ!」

「どうとでも言え。私は私の仕事をしたまでだっ!」

 メイジーは手に持ったタバコをグチャッと握り潰した。

「ああっ! せっかくのタバコがあっ!」

「お、俺のタバコなのに……」

 見るも無惨な姿になったタバコに嘆く二人にトーマスは同情しつつ、しゅんりの胸を揉めなかったことにガックシと頭を項垂れた。

 このことはすぐにホーブル総監までに話がいき、その朝すぐにしゅんりの元にやってきてお叱りを頂くこととなったのだった。

「で、わらわが今夜の監視だ。妙なことするでないぞ」

「妙って……」

 両頬をパンパンに腫らした顔で監視に付いたナール総括を見上げながらしゅんりはムスッとした顔をした。

「反省しとらんようだな。ホーブル総監に報告せんとな」

「してます。めっちゃくちゃしてます」

 異能のない人間であるホーブル総監には何故か逆らえない不思議な圧がある。

 逃げれるはずの張り手に動けずそのまま受けたしゅんりの頬は赤く腫れ、療治化で治すことを禁じられてしまった。それを素直に何故か守ってしまう自身にしゅんりは首を傾げた。

「ほら、おぬしはさっさと寝ろ。わららもおぬしの相手が出来るほど暇ではないからな」

 しっしっと柵の前にいるしゅんりを手で払い、パソコンを開いたナール総括に申し訳ないと思いながら素直にベッドの上に戻った。

 カタカタとキーボードを押す音を聞きながら、マオに持ってきてもらった昔愛用していたクマのぬいぐるみを胸に抱きながらしゅんりは次はどんな手段でここから脱出する手を取ろうかと考えていた。

 そんな時、牢屋の前にある人物がしゅんりの元にやってきた。

「タカラリーダー、なに」

 トーマスとの件をブリッドに密告したであろう人物のタカラを睨んだしゅんりにナール総括は溜め息を吐きながらタカラに何の用かと問うた。

「はあ、あんな可愛かったしゅんりは何処へやら。あなたに電話よ」

 三年前まではタカラリーダー、タカラリーダーと可愛らしい顔で話しかけてきていたしゅんりを懐かしく思いながら通信の繋がったノートパソコンをタカラはしゅんりに渡した。

 しゅんりは警戒しつつも柵まで近づき、タカラからそのノートパソコンを受け取ってソファにどかっと座った。

『お前さん、なんだその腫れた顔は』

 パソコンの画面には苦笑しながら優しい顔でしゅんりに話しかけてくるジャドの顔があった。

「ジャド!?」

『おう、元気にしてるか?』

「元気なわけ、ないじゃんかああああっ!」

 しゅんりはそう声を上げ、大粒の涙を流しながらパソコンを抱きしめた。

『おいおい、画面真っ暗だぞ。通信を複雑にしすぎたバグか?』

「いや、しゅんりがパソコンを抱きしめてるんです。しゅんり、それはパソコンの上にあるカメラを見て話するものなのよ」

 それはさすがに理解してるだろう、とジャドは内心タカラの言葉に突っ込みつつも、娘のように可愛いがっているしゅんりの顔を見れないのは嫌な為、「ほら、パソコンをテーブルかどこかに置きなさい」と、ジャドはしゅんりに話しかけた。

「はい……」

 グズッと鼻を啜りながらコトッとパソコンをテーブルに置き、しゅんりは画面に映るジャドを見た。

『うん。俺の顔見えるか?』

「見える」

 コクッと頷く姿を見て、ジャドは安心したようにしゅんりの顔を見た。

『どうだ? 怪我は治ったか?』

「怪我は治ったよ」

『貧血は?』

「貧血も治ったみたい。でも、体に力が入んないの」

『お前さんの上司から話は聞いてるぞ。好き嫌いしてご飯食べてないみたいじゃないか』

「だって病院食、美味しくない」

『我儘な奴め』

「だって、向こうではハンバーガーとかステーキばっかだったんだもん。ジャドのせいだよ」

『ふーむ。確かにそれは俺のせいなのか?』

「そうだよ、だから来て。ジャドお願い、来て。お願い……」

 懇願するように顔を歪めてお願いするしゅんりにジャドは困ったように笑った。

『いいか、俺とお前がこうやって会話できてるのはなんでだと思う?』

「……分かるけど、分かんない」

 ムスッとした顔でそう返答したしゅんりにジャドはハハッと笑った。

『何だそりゃ』

「分かりたくない。お願いジャド、迎えにきて……」

 泣きそうな顔でそう懇願するしゅんりにジャドはゆっくりと首を横に振った。

『今、カルビィン達が必死にお前の潔白を証明しようと動いている。それを水の泡にする気か?』

「カルビィン……」

 カルビィンの名が出て胸を痛めて顔を歪めるしゅんりを不思議に思いつつも、ジャドは話を続けた。

『お前さんは信用でけん奴と背中を合わせて戦えるか?』

「それは……」

『いいか、まずお前さんは周りの人物に信用してもらえるよう振る舞え。そして体を万全に治すこと。もし、敵が迫って来た時、信用もされてねえから戦闘にも参加できない、敵が襲って来た時、体力がなくて自分の身も守れない。そんなバカな話あると思うか?』

「うっ……」

『いいか、お前さんは今すべきことは体を治すこと。そして信用してもらうように動くことだ。これ以上拗らすなバカ。タバコと脱走は諦めろ』

 その正論に黙って顔を俯かすしゅんりにジャドは「返事は?」と、イエスしか言えないように返事を急かした。

「わ、分かったよ……」

『ならいい。俺からの説教は終わりだ。切るぞー』

「やだ! ジャド、切らないで!」

 説教だけでジャドとの会話を終わらせたくないしゅんりはジャドに縋るようにパソコンに顔を近付けた。

『俺だってお前さんと会話はずっとしてたいが、そうもいかんだろ。この通信は相当体力を使うらしいじゃねえか』

「やだやだやだ! だったらジャド、こっちに来てよ!」

 子供の駄々っ子のようにお願いするしゅんりに胸を痛めつつも、「言うても、俺も仕事があるからな……」と、ジャドは呟いた。

「仕事?」

『ああ。こんな大怪我したっつーのにワープ国は鬼畜らしい。戦闘員としては無理だが、タレンティポリスの教育係として就任した。まあ、昇進だな。もうすぐで義足が完成するから、それができたら仕事が開始される』

「そっか……。また歩けるようになるんだね、良かったよ」

 ホッと安心したような顔をするしゅんりにジャドは微笑みながら「しゅんり、いい子にしとくんだぞ」と、言ってから名残惜しくなる前に通話終了のボタンを押した。

「レジイナって呼んでよ……」

 そうボソッと呟いてソファの上に足を上げ、顔を埋めるしゅんりにタカラは牢屋の中に入って、パソコンを引き取りに来た。

「しゅんり。またジャドさんと話できるようにセッティングしてあげるから」

「……ありがとう。タカラリーダー」

 悲しそうな顔で笑うしゅんりにタカラは胸を痛めながらぎゅっと抱きしめ、背中をポンポンと優しく叩いた。

 それ、カルビィンがよくやってくれたやつだ……。

「寂しい……」

「私達がいるから」

 しゅんりは抱きしめてくれるタカラに背を回し、ぽっかり開いた穴を埋めようとその優しさに縋るのだった。

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