警察署から少し離れた所にある施設の地下には犯罪を犯した異能者を収容する刑務所がある。その地下深くにある暗くじめじめとした牢屋の中では鉄格子をガタガタと揺らしながら囚人服を身に纏った女が地上にも聞こえてくるのではないかと思うぐらいの大声で騒いでいた。

「出せーっ! 出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ! おいゴラアッ! 聞こえてんだろうが無視してんじゃねえぞ、このアマッ!」

 ゴリラのようにガタガタと鉄格子を揺らし続ける女に警備に付いたメイジーは頭が痛くなり、こめかみを押さえながら溜め息を吐いた。

 ここはこの刑務所一の豪華な牢屋であり、所謂トップ階級の異能者が犯罪を起こした時に使用される牢屋だった。中にはスケルトンであるもののトイレにシャワー室、そしてふかふかとしたマットレスが引かれたダブルベッドにソファとテーブルもあるという、刑務所とは思えない程に豪華な内装だった。

 そんな手厚い扱い対応で収容されているというのにこの女はここに来てからずっとこんな調子で騒いでいた。

 この牢屋には基本、落ち着いた囚人が来ることが多い。

 確かに強い者も多いが、他の配置場所より比較的に楽なことが多い為、警務官であるメイジーは「私、やりまーす」と、軽い気持ちで自ら立候補したのだった。

 しかし、蓋を開けてみればそんなことはなく、今までに無いぐらい騒ぎ立てるこの囚人の警備にはいつもタレンティポリスの誰かと一緒に警備するという、なんとも最悪な内容だった。

 もう三日間、こんな感じ。もう頭が破裂しそう……。

 メイジーのジトっとした目線に気付いた囚人である女、レジイナは「アサランド国に私を戻せーっ!」と、声を上げた。

 レジイナはこの牢屋に収容されてからアサランド国に戻せとずっと騒いでいた。

 アドルフ率いるエアオールベルングズとの戦闘後に目を覚ましたレジイナはジャドに「もうあそこには帰れない」と、宣言されてすぐにふらふらとしながら病院の窓から体を乗り出してアサランド国に戻ろうと走り出した。

 死者は出てないとブリッドから聞かされ、カルビィンとウィルグルが死んでないと分かっていても、大怪我をしているかもしれないし、いつ再びアドルフが襲撃してくるか分からない。

 すぐに戻らないといけないと、そう衝動に駆られて走り始めたレジイナをブリッドは捕まえ、ザルベーグ国から無理矢理にウィンドリン国に連れて帰った。

 異能を六つも使用できるレジイナをウィンドリン国にいさせることは困難を要し、すぐにこの牢屋に収容されることが決まった。

 この牢屋は倍力化を真に使いこなすものにしか破ることしかできないぐらいに頑丈に作られ、通常は警務官のみで監視されているのだが、タレンティポリスの中で武操化を使いこなす優秀な者が常に監視カメラを監視し、もしレジイナが逃げた時、取り押さえる為に牢屋の前で倍力化を使いこなす者が一緒に警備に当たるという対応をしていた。

 今はその倍力化のタレンティポリスが交代で来るのを待っている最中で、レジイナの相手をするのがメイジーのみとなり、メイジーはそのタレンティポリスが来るのを待っていた。

「噂通り騒ぎでおるのう」

 やっと来たと目を輝かしたメイジーは声の主であるナール総括を見て、すぐに顔をこわばらした。

 まさか、総括直々に監視に来るとは……。

 更に緊張する空間になるなと、メイジーが私も誰か交代に来てくれないかなと祈ったその時、レジイナは「早くここから出せーっ!」と、ナール総括に向かって声を上げた。

「無理に決まっておるだろう。それにおぬし、体はまだ万全ではないのだから寝ろ」

 用意されたパイプ椅子にどかっと座り、組んだ足の上にノートパソコンを置いたナール総括は顎でベッドを差した。

 噂で聞けばナール総括はこの囚人の元上司らしい。

 メイジーはそう思いながら、この人がいる間だけでも穏便に過ごしてくれますようにと再び祈った。

 レジイナは騒ぎ立てるだけでなくこの三日間、理解出来ないような行動をしてきていた。

 まず、ベッドで寝ない。そして、服を脱いでシーツに包まって床に直接寝ていた。それに加えて警備にあたる者が男であろうと関係なく堂々とスケルトンであるトイレとシャワーに入る。

 羞恥心というものがないのかと目を見張るメイジーと、昨日警護にあたったトーマスというタレンティポリスは顔を真っ赤にしながら、ちゃっかりとレジイナの裸をマジマジと見ていた。

「ああん、なんだよモジャモジャ」

「なんだよじゃねえよ! てめえ、服脱ぐなら脱ぐって言え! 後ろ向くとかなんとか俺するから!」

「ケッ。昔から人の胸チラチラ見てたくせになに紳士ぶってんの。ほら、今だって私の身体を見て反応させてる癖に」

 堂々と裸を見せ、トーマスのそんな反応を見たレジイナは鼻で笑った。

「いいよ、ほら。そこで何してても責めやしないから」

 そうバカにしたように笑い、レジイナは自身の牢屋の中にあるティッシュの箱をトーマスに向けて投げ渡し、そのままシャワーを浴び始めたのだった。

 その後の雰囲気はまさに地獄だった。

 早くどちらかの交代時間にならないかとメイジーは心から願ったのだった。

 今回は女のタレンティポリスだったのがせめての救いだったなと思うメイジーの前でレジイナは監視カメラに集中した。

「タカラリーダー! この牢屋の鍵を開けろおーっ! そこで見てんの分かってんだからなっ!」

 いつの間にか武操化も使いこなせるようになったレジイナは監視カメラから誰が覗いているか感知し、その人物であるタカラに呼びかけた。

「うーん。我が元部下ながら優秀かつ面倒だこと」

 タカラはコーヒーを飲みながら脳内で自身の指から垂らす糸をクイッと引っ張るイメージをし、レジイナの牢屋にある鍵の電子ロックを更に複雑にして簡単に外さないようにした。

 ハッ! あと少しでロックが外れそうだったのに!

 脳内で組み立ててたパズルのピースを誰かにひっくり返された、そんな感覚に陥ったレジイナはトゲトゲが出てきてくれないか部屋の中を見渡した。

 レジイナがこの牢屋に収容されてすぐ、トゲトゲを見た育緑化の総括であるジョシュア総括とレジイナの友人でもある娘のアリスは虫籠と虫網を持ってやって来た。

「いーや、君が育緑化あるって知ってーたけど、まーさかこんな悪魔みたいな小人を持つなーんて、想像つかなかったーな」

「しゅんりちゃには申し訳なーいけど、その子いーたら逃げちゃうかもしーれないし、その子の解剖、いや調べたーいから譲って?」

 自身を解剖すると恐ろしいことを言う親子に背筋が凍ったトゲトゲは「ご主人様、タッシャでな!」と、言い残して逃げていったのだった。

 それから少しでもトゲトゲの気配がすればジョシュア総括かアリスが虫網片手に飛んで来るという油断ならぬ時間が続いていた。

 こうなったら力ずくでいくしかないっ!

 倍力化と獣化を合わせれば倍力化が真の力を出す時と同じパワーを出せるかもしれない。

 そう考えてレジイナが手足を獣化させたその時、鉄格子からナール総括が手を出し、レジイナの頭を掴んでそのまま顔から床に叩きつけた。

「ガッ……!」

「いいから大人しく寝ろと言っておる。わらわの言葉が理解できないほど野生化したのか? それに、おぬしがここにいる理由ぐらい理解しておるだろう?」

 ナール総括の言葉にレジイナは「分かってたまるかっ!」と、声を張り上げた。

 犯罪を犯してないのにも関わらず、レジイナがわざわざ牢屋なんてところに収容されている理由は主に三つ。

 一つ目はレジイナが大人しく治療を受けないこと。

 二つ目はエアオールベルングズからレジイナを隠し、拉致されないように保護するため。

 そして、三つ目はレジイナが本当に敵へと寝返っていないか証明されていないからだ。

 自身が牢屋に入れられているかそんなこと理解しているが、そんな悠長なことを言っている場合ではないと、レジイナは歯を食いしばって首に力を入れね顔を上げてナール総括に抵抗した。そして床に叩きつけられた顔が少し上がったことにレジイナはニヤッと笑った。

 ナール総括、力が前より弱くなった? もしくは私の力が強くなったのか?

 地面に叩きつけられているのにも関わらず笑うレジイナにナール総括は片眉を上げた。

「ハッ! ガキ産んで弱くなりましたか、ナール総括?」

 そうバカにしたように言って来たレジイナをナール総括は睨み付けた。

「ほお? しゅんり、なら試してみるか?」

 そんな挑発的なレジイナの態度に目を細めてナール更に力を強めたが、レジイナは再び顔を伏せることはなく、逆に体を少しずつ上げて立ちあがろうともがき始めた。

「私はレジイナだっ!」

 そして自身は"しゅんり"ではなく、"レジイナ"だと言い返した。

 レジイナ・セルッティ。

 この名はアドルフによる全国放送でエアオールベルングズの創設者である娘だと宣告された為、レジイナにその名で語ることを禁止するように伝えたが、そのことをレジイナは承諾していなかった。

 貧血でまだ万全でない身体に鞭を打ち、フルフルと体を震わせながら獣化と倍力化を使用するレジイナにナール総括は戸惑いつつも更に力を加えていった。

「しゅんり、やめろ! それ以上抵抗すれば、手加減してやれんぞ!」

 牢屋の床にメキメキとひび割れていく様を見ながらナール総括はレジイナにこれ以上の抵抗を止めるように言った。

「私は"レジイナ"だつってんだろっ!」

 レジイナは目も狼に獣化させてぎらつかせた目で挑発的にナール総括を見た。

 そして手足以外の耳や尻尾まで獣化したその時、レジイナは手足に力を込めて弾けるようにその場で飛んでナール総括の拘束から逃れて立ち上がった。

 なっ、わらわが力で負けた……?

 ナール総括がそう驚いて動きが止まったその時、レジイナはその隙を逃す事なく、鋭い爪で柵の隙間から攻撃を繰り出そうとした。そんなレジイナの元にふわふわと雑草が飛んでやってきたと思えば、それがツルへと変化してレジイナを拘束して再び床に伏せさせた。

「オイゴラアッ! トゲトゲ、てめえ!」

 レジイナがそう叫んでパートナーであるトゲトゲに怒鳴りつけた時と同時に、牢屋の前に育緑化のアリスが虫網を持ってやってきた。

「トゲトゲちゃん、みーっけ!」

 目をキラキラとさせてやってきたアリスをメイジーは右腕で制した。

「えー。警官さん、止めないでよー」

 ぷくーっと頬を膨らまして拗ねたような顔をするアリスにメイジーはレジイナに恐怖してバクバクと波打つ心臓がある左胸の上を抑えながら話した。

「今、ナール総括の制止をこの囚人が振り解きました。この囚人を今、止めれるのはこのトゲトゲと呼ばれる小人だけです。捕獲は諦めてください」

 レジイナに力で負けて呆然とするナール総括の横でそう説明された内容にアリスは「ええー」と、伸びた声で驚いて口に手を当てた。

 その後、続々とレジイナ達の前には監視カメラで一部始終を見ていたタカラに倍力化を使用できるルルと獣化も使える息子である翔、そしてブリッドもやって来た。

 そんなことに気付く余裕なく、レジイナは自身を拘束するトゲトゲに向かって怒りをぶつけていた。

「離せ! 離せ! この前からなんなんだよ、なんで私の邪魔をするの!?」

「ここでご主人様をアサランド国にモドス訳にはイカねえからだ」

「トゲトゲも私が裏切ったって思ってる訳!?」

「オモッテねえよ。ただ、ご主人様の安全をオモッテ……」

「うるせえ、うるせえ! そんなの望んでないっ!」

 側からみれば一人で騒ぐレジイナの姿に困惑する一同はアリスに目をやった。

「えーっと、トゲトゲちゃんはしゅんりちゃんをアサランド国に戻さーないように説得してくれてーるよ?」

 アリスの説明に育緑化にしか見えない小人の存在についていまいち理解出来てない一同であったが、今はそのトゲトゲに任すことしか出来なかった。

「もう嫌……」

 今まで騒いでいたのが嘘かのようにレジイナはそう静かに呟いたと思ったら静かになった。

 暫く続いた沈黙の後、レジイナ大きく深呼吸した後、「うおおおおおっ!」と、声を上げながら倍力化と獣化を最大限に使って体を大きくさせて拘束するツルを引きちぎろうと力を込め始めた。

「ご主人様、ヤメテくれ! オレ様のツルを無理矢理引きちぎろうとしたらカラダがただで済まなくなるぞっ!」

「黙れっ! 絶対にアサランドに戻ってあいつを、あいつをぶっ殺してやるっ!」

 レジイナはヴヴッと唸りながらアドルフを本気で殺してやると叫んだ。

「お願いだ、ヤメテくれ! ギンパツとオレ様はヤクソクしたんだよっ!」

 ヴーッと牙を出して唸るレジイナにブリッドは我慢出来ずに牢屋の柵を両手で持って無理矢理に開いて中に入った。

「しゅんり、落ち着けっ! 今は大人しくしていればまた自由になるっ!」

「そんなの信用ならないっ!」

 ブリッドにそう返事したその時、レジイナは無理に裂こうとしたツルに圧迫されて右腕が折れ、部屋内にボキッと骨が折れた音が響いた。

「うがあああっ!」

「タノム! ご主人様、タノムからもうヤメテくれ!」

 そうトゲトゲが叫ぶ声にレジイナは顔を振りながら「ヤダヤダ、やだ、嫌嫌!」と、声を上げ続けた。

 そんな暴れるレジイナに居ても立っても居らずにブリッドが駆け寄ろうとしたとき、白衣を着たネイサンがやって来て、ブリッドの肩に手を置いて制止をかけた。

「俺に任せろ」

 そう言ってネイサンは注射器を片手に持って、暴れるレジイナに怖気ることなく近付き、左腕の袖を捲ってその注射器を刺し、薬液を入れた。

「ううっ……!」

 レジイナは目の前がチカチカと光る感覚と共に身体全体に力が入らなくなり、そのままガクッと倒れ込んだ。

「ネイサン! しゅんりになにしたっ!」

 ブリッドはしゅんりの元にしゃがみ込み、脈拍を確認していたネイサンの胸元を掴んで無理矢理立たせた。

「なにって、ただの鎮静剤だ。こんなに暴れていたら話にならんだろう」

 ふんっと鼻で笑いながらブリッドの手を振り払ったネイサンに一同は安心したように胸を撫で下ろした。

「ご主人様、ワカルか……?」

 目の焦点が合わず、ハアハアと荒い息をするレジイナに心配したトゲトゲはツルの拘束を外してその頬を撫でた。

 ワカルか……?

 あれ、ここどこだ?

 私……。

 私?

 ワタシって誰?

 ワタシはレジイナ?

 しゅんり?

 狼?

 グルグルと渦巻く気持ち悪い感覚。

 自分がもう"ダレ"なのか分からなくなってきた。

 タレンティポリスなのか、エアオールベルングズのボスなのか、ただの人殺しなのか。

 あれ、あれ、アレアレアレアレアレ?

 グタッとしていた"彼女"は混乱し、何かに精神を乗っ取られそうになっていた。

「ヴ、ヴヴヴ……!」

 "彼女"がそう唸ったその時、全身に狼の毛に覆われ、苦しそうに唸り始めた。

「ヤバい! 獣化に呑まれそうになっている!」

 ブリッドが開けた穴から翔はそう声を上げながら彼女に近付いた。

「ガルルルルッ!」

「くっ……!」

 彼女は走り寄ってきた翔に警戒し、鋭い爪を生やした腕を振り下ろした。それを間一髪で逃げた翔は額から冷や汗を流した。

「厄介だな……。近付けやしない」

 彼女の一撃が当たればひとたまりもないと判断した翔の言葉にブリッドはどうすればいいのかグルグルと頭を回転させた。

「ナール様、パソコンを借りますっ!」

「いいが、どうするのだ?」

 覇気なく返事する上司に返答する暇なくブリッドはとある場所に連絡をし、急いで通話を繋いだ——。

 

 

 

 あれ、ここはどこだろ……。

 彼女は真っ黒な空間にポツンと一人で立っていることに気付いた。

 終わりも始まりもないような場所で一人で立っていた時、カツカツとヒールを鳴らしながらある人物が彼女に近付いていった。

「てめえ、もう少し冷静になれよ。あたしの努力を無駄にするつもりか、ああん?」

 舌を巻くようにガラの悪い言葉遣いを使う女性の声を聞き、彼女は振り返った。

「貴女はダレ……?」

 そこには黒のコートを着た桃色髪をボサボサと腰辺りまで伸ばし、顔の右側に火傷跡が目立つ女性がいた。

 お世辞にも綺麗とは言えないその様相に目を細めた彼女に女性は不機嫌そうに舌打ちした。

「ハッ、てめえこそダレだよ」

 質問を質問返しされたその時、彼女はグルグルと頭が掻き混ぜられたような感覚になった。

「ダレ? あれ、ワタシ、ダレ……」

 顔に手をやり、困惑する彼女に女性は溜め息を吐いた。

「たくよお、あんのバケモン使えねえなあ。なんでこんなとこに死んでもねえのに迷ってくんだよ。おら、さっさと戻れ!」

「うえええ!?」

 ここはどこで貴女とワタシはダレなのか答えてくれることなく、女性は彼女の尻を蹴り上げた。

「ひどいっ!」

 目に薄らと涙を浮かべながら彼女が膝を付き、顔を上げると真っ黒な空間の中に一筋の光が彼女に向かって伸びてきた。

 そして、聞き慣れた男の声が微かに聞こえてきた。

 なんて……?

 耳を澄まして聞くと、「レ……ナ、レジ……」と聞こえてきた。

『レジイナッ!』

「ハッ!」

 彼女は目を見開き、声がした方に目を向けた。

 ジメジメとした牢屋の中。

 そんな中で収容された彼女はパソコンの画面から見える男に目をやった。

『レジイナ、分かるか? カルビィンだ』

「あ、あ、う……」

『焦るな。無理に話そうとしなくていい。いいか俺の顔を見るんだ、そうだ。ゆっくり息を吸って——』

 ボロボロと割れて消えかかっていた彼女の人物像。

 それを彼が拾いあげてくっつける。まるでパズルのピースをはめる作業をしているようだなと翔は脳内でそうイメージを浮かべ、同じく獣化を使用できるカルビィンにすごいなと関心しながらパソコンを持って、彼女の顔に近づけた。

「はあ、はあ、キッツ…‥」

 その近くでタカラは額から汗を流しながら他の者から電波ジャックに合わないように複雑にした電波をアサランド国にいる暗殺部のパソコンに武操化を使用して通信を飛ばしていた。

『おい、オーリン補佐。レジイナの背を撫でてやれ』

「分かった」

 ブリッドはカルビィンの言う通りに彼女の横にしゃがみ、床に座ってカルビィンの言う通りに深呼吸を繰り返すようにその背をゆっくりと撫でた。

「あ、あう、ああ、私、私……」

 言葉をやっと発された彼女からスーッと狼の毛が引っ込み、尻尾と牙、そして爪と耳も消え、狼から人の形に戻った。

「よ、良かった……」

 緊迫していた空間の中。やっと彼女、レジイナが人の姿に戻ったのを見て、牢屋の外でナール総括と共に見守っていたルルは力が抜けてその場に座り込んだ。

「か、かる、カルビィン……。け、怪我して、ない? ウィルグルは……?」

 レジイナはゆっくりとだがそう言葉を発し、パソコンの画面に近付いてカルビィンの顔を観察するように見つめた。

「バッカ。自分の心配しろよな」

 カルビィンはそう呆れたように笑った後、真剣な顔つきになった。

「そう。お前は自分の心配だけしてろ、"しゅんり"」

「え……」

 レジイナと呼ばずに"しゅんり"だとわざわざ呼び直されたことにレジイナは困惑した。

「わ、私はレジイナなんでしょ……?」

 真っ黒な空間の中。

 自分が誰なのか分からず、獣化に飲み込まれそうになったレジイナを再び救ってくれたのはカルビィンだった。そのカルビィンに"レジイナ"ではないと否定され、レジイナは再び混乱しそうになった。

「てめえが敵の娘である以上、その名を再び使うということは俺達の敵になるってことだ。理解できるか?」

 カルビィンの問いにレジイナは首を横に振った。

「わ、分かんないよ……。やだよ、カルビィン、私の名前を呼んで……」

 レジイナは縋るようにパソコンの画面に映るカルビィンの顔を撫でた。

 いつの間にか私は貴方のことを……。

 そう告げようとした時、カルビィンはレジイナに舌打ちをした。

「呼ばねえよ。それにもうこっちに連絡してくんな。てめえのせいでこっちは死にかけた上に、あん時の処理に追われて大変なんだ」

 そう突っ張られ、レジイナは目を見張った。

「や、やだ……。カルビィン、そんなこと言わないでよ……」

「やだじゃねえよ。いいか? もう二度と連絡するな、こっちに来ようとするな。迷惑だ」

 そう言い切られ、レジイナは胸がえぐられる感覚がし、悲しみから目から大粒の涙を流した。

「本当、てめえみたいな我儘で傲慢なめんどくさい女いなくなって精々してるんだ。頼むからもう関わってくんなよ」

 パソコンの通信を向こうからプツンと切られた。

 ——しゅんりはカルビィンからの言葉に傷付き、その場で顔を上げてまるで小さな子供のように声を上げて泣き始めた。

「うわあああんっ! うっ、カルビィン、カルビィンッ!」

 何度も彼の名を呼んで泣くしゅんりにブリッドは唇を噛んで敗北したような気持ちでいっぱいになった。

「しゅんり、落ち着いて。また獣化が始まってしまうよ」

 翔はパソコンを床にそっと置き、しゅんりの前に移動して涙が次々と流れる頬を自身の袖で拭った。しかし、しゅんりはそんな翔から逃げるように顔を横に振って抵抗した。

 その時、ひょこっとしゅんりの頭から再び狼の耳が生えた。

 それを見たブリッドは居ても立っても居られずにしゅんりを自身に向かい合わせ、そのまま自身の腕の中に閉じ込めた。

「やだ、やだやだやだっ! やだよ、離してっ!」

 しゅんりはブリッドの抱擁に抵抗するが、疲弊したしゅんりの力はブリッドに効くことなく、更に強く抱きしめられてしまった。

「やだ、ここはどこなの? ジャドとウィルグルは? ブラッドは? カルビィンどこなの? カルビィンッ!」

 再び錯乱し始めたしゅんりにブリッドは眉を寄せ、必死にしゅんりに話しかけた。

「いいか、ここはウィンドリン国だ。アサランド国じゃない」

「カルビィンはどこ? カルビィンお願い、助けてっ!」

 自分じゃない男の名を呼び続けるしゅんりにブリッドは胸が締め付けられる感覚がしながら真っ直ぐにしゅんりの目を見つめた。

「しゅんり、俺を見ろ!」

「……え。なんで、ここにブリッドリーダーいるの……?」

 状況が把握できない程に混乱するしゅんりを見て、ネイサンが再び鎮静剤を打とうかと準備し始めたその時、ブリッドがしゅんりの顔に自身の顔近付けていった。

「俺がお前を守ってやる。俺だけを見とけ」

 そう告げた後、ブリッドはしゅんりの唇に口付けを落とした。

「なっ……」

 ネイサンは驚いて手に持っていた鎮静剤入りの注射器を落とし、目の前で堂々としゅんりにキスをするブリッドを凝視した。

「きゃっ」

 アリスは頬に手を当て、顔をほんのりと顔を赤くした。

 そして翔とルル、ナール総括は「ワオ」と、声を揃えて驚き、タカラは武操化の使用でヘトヘトになって座り込んでいた体を起こし、「あんた、それセクハラよっ!」と、声を上げた。

 そんな一同の反応はブリッドとしゅんりには聞こえてなかった。

「んっ……」

「はあ、しゅんり。俺が、俺がいるから……」

 ブリッドはしゅんりを安心させるように、自分がいるからと言いながら何度もキスを繰り返した。

 しゅんりは酸欠になりながらふわふわとする感覚の中、「カルビィンじゃなくて、ブリッドリーダーがいてくれる……?」と、困惑しながらもそのままブリッドからのキスを抵抗できずに受け続け、そのまま疲労から意識を失うよに眠るのだった。

 

 

 

 同時刻。

 アサランド国の新たなアジトにある椅子に座り、テーブルに置いていたノートパソコンをゆっくりと折りたたんだカルビィンの後ろで見守っていたウィルグルは声をかけた。

「泣くならあんなこと言ってやんなよ……」

「な、泣いてねえし……」

 グズッと鼻が啜る音を聞きながらウィルグルは丸まったその背をゆっくりと摩ってやった。

 カルビィンはレジイナを守りきれなかった自身の弱さを嘆いていた。

 しかし、ウィンドリン国に逃してやることが最善の手だと考えてあの時、ブリッドに任したことは後悔してなかった。

 だが、やはり悔しい。

 そして、もう二度とレジイナに会えないかもしれないとも思っていた。

 でも、会えなくてもあいつのために出来ることはある。

 カルビィンはウィルグルに「サンキュ」と、お礼を言ってから涙を服の裾で拭いてから立ち上がり、アジトから出て外へと繰り出した。

「てめえの無実をすぐ証明してやるから待ってろよ、レジイナ」

 レジイナがエアオールベルングズと関わりがないと証明する為、カルビィンは血に塗れた地獄の国、アサランド国で暗殺部として再び動き始めた——。

 

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