7 ジャド・ベルナール②

 寂れた喫茶店に乱したスーツを着た男がしくしくと啜り泣く声が響いていた。

 外はもう暗く、店内の暗めの照明の下で先程まで綺麗な見なりをしていたシリル補佐は乱れた自身の金髪をグシャッと握った。

「まあ、お前さんがあいつらを苔にしたんだ。やりすぎだとは思うが当然の報いだろうよ」

 慰めるどころかとどめを刺すかのようにそう言ったジャドは自身の財布から五万イェンをシリル補佐に差し出した。

「当然の報い!? これがですか!」

 金だけでなく、身につけていた時計にネクタイとネクタイピン、そしてベルトまで奪われたシリル補佐はそう声を上げながらジャドが差し出した金を乱暴に受け取った。

「なんて奴らなんだ。上に報告しておきますからね!」

「……ハハッ、あといくら渡せばそれを止めてくれる?」

 後でお叱りの言葉を貰うのはいつもこの暗殺部を取り締まるジャドであり、それを知ったこっちゃないあの三人はいつも無茶をしていた。

「お金の問題ではないですよ……」

 そう言って項垂れ、シリル補佐はうるうると涙で濡れた目でジャドを真っ直ぐと見た。

「いや、本当に悪かったって……」

 長い時間、一緒に仕事をしてきたシリル補佐のそんな顔を初めて見たジャドは本当に申し訳ないと思って謝罪した。

「貴方がワープ国に戻ってきてくれたら上に報告をしません」

「それは卑怯だぜ……」

 ジャドは前髪を後ろに流しながらどうしたもんかと考えた。

「どうしてあのしゅんりという娘にこだわるのですか」

 その質問に目を細めたジャドに少し気迫されつつも、シリル補佐は真剣な眼差しでジャドを見続けた。

「はあ。知ってんだろ、お前……」

 勘弁したようにそう言ったジャドに「全然似てませんよ、あの娘は」と、呟いてからシリル補佐は椅子から立ち上がって喫茶店の出口に向かっていった。

「帰んのか?」

「ええ。これでも貴方の代わりにたんとある仕事を置いてきたもので」

 そう嫌味を言ってから振り返ってジャドを睨み付けたシリル補佐はその後、何も言わずに喫茶店を出て行った。

「ふう。なんなんだよ、お前らは騒がしい」

 シリル補佐がいる間、空気のように身を潜めていたマスターはシリル補佐が去った店の扉を見ながらジャドに瓶ビールとサラミが乗った皿を渡した。

「頼んでねえぞ、んなもん」

「今日はてめえ休みなんだろ? 頼むからもう、うちで殺し合いなんてすんなよ」

 ロケットランチャーを使用しようとしたレジイナと殺気をビンビンに放っていたジャドに参っていたマスターは「本当に頼むから」と、一言付け加えてからカウンターの中に戻って行った。

「……悪かったよ」

 今日は最悪な日だったな。

 そう今日一日を振り返りながらジャドは一人で晩酌を始めた。

 

 

 

 翌日、昼過ぎにアジトに顔を出したジャドは、一人でレジイナに買ってあげたユニコーンの椅子に座って携帯を触るカルビィンに「あいつらは?」と、質問した。

「パトロール兼、昼飯の調達」

「パトロールって言えば良いもんちゃうぞ」

 何かとパトロール、パトロールと言って三人は何かと最近サボる癖があり、レジイナに関してはあれからハマってしまったカジノやパチンコといった賭け事のある店に出向く事が多々あった。

 いつものジャドのお叱りの言葉に「はいはい」と、軽くカルビィンは流してユニコーンの頭を撫でる仕草をした。

 そんなカルビィンの動作にユニコーンのその椅子を見て、昨日の夢を思い出したジャドは顔を顰め、カルビィンの腕を掴んで無理矢理にユニコーンの椅子から立ち上がらせた。

「え、なんだよ」

 特に抵抗することなく立ち上がり、不思議そうな顔をするカルビィンを無視してジャドはその椅子の脚をクルクルと回して分解し始めた。

「おいおい、何してんだよ」

 カルビィンはジャドのその行動に戸惑いつつ、ジャドの腕を軽く掴んでその動きを止めた。

「邪魔すんなっ!」

 いきなり声を上げてその腕を振り払ったジャドに戸惑いながらカルビィンは「いや、落ち着けって」と、ジャドを宥め始めた。

「ウィルグルとのことで迷惑かけたのは悪かった、謝る。でも、それとこれは別だろ?」

 そう正論を言うカルビィンをジャドは立ち上がってキッと睨みつけた。

「なんだ? 珍しく正論かますじゃねえか。ザルベーグ国民は常識のない奴等の集まりじゃなかったけか?」

 殺気を放ちながらそう嫌味を言ったジャドにカルビィンはズキッと胸を痛めながら、悲しそうな顔で眉を寄せてジャドを見つめた。

「なんだよ、言い返せよ」

 そう威圧的なジャドを見ながらカルビィンは暗殺部に入ったばかりのジャドのようだと思い出していた——。

 ジャドの母国であるワープ国とザルベーグ国は戦争を何度も繰り返しており、深い因縁がある国同士だった。

 ジャドはその戦争に何度も駆り出されたことがあったし、カルビィンはその戦争で家族や住んでいた町ごと燃やされ、かつ二十代前半に短期間であったが戦争に軍人として出動していたことがあった。

 カルビィンはこの二国間で行われる戦争を恨んだし、憎んだことは何度もあった。

 しかし、ある時気付いたのだ。何度ワープ国の人間や異能者を殺したところであの日の幸せな日々は取り戻すことは不可能だということを。

 復讐なんて無駄かつ、虚しいだけ。それに気付いてからカルビィンは自分がしたい事だけをするように生きてきた。

 しかし、ジャドはそうではなかった。

 ジャドは胸の中ではザルベーグ国に対する恨みは消えておらず、この気持ちをどう解消すべきか、どう復讐してやろうかと考えることが多かった。

 カルビィンが暗殺部に来た時、ジャドは敵に殺されそうになったカルビィンを敢えて助けずに見殺しにしようとしたことがあった。

 しかし、補佐も務めたことがあるカルビィンだ。スルッと敵の攻撃を交わしてジャドの元へスタッと戻って来たのだ。あの時、思わず舌打ちをしてしまう程、ザルベーグ国の異能者であるカルビィンが死ななかったことを残念に思っていた。

 そして、この前の教会での戦闘。ジャドはまたもやザルベーグ国の異能者が死ぬ絶好の機会だと、一度はカルビィンを見捨てようとした。しかし、レジイナとトゲトゲの言葉を聞いてジャドは何故か自分でも分からずに涙を流し、カルビィンを助けてしまった。

「……何かあったのか? 俺で良ければ話を聞こうか?」

 自身の態度と反面に本当に心配そうに、かつ悲しそうな顔をして見てくるカルビィンにジャドは胸の中がグルグルと自己嫌悪でいっぱいになった。

 なんでなんだ、なんで、なんで?

 どうしてこいつを、カルビィンを敵国ザルベーグ国の異能者をいつから仇として見れなくなったんだ?

 仲間だなんて認めてたまるもんかっ!

 ジャドは自身の感情が抑えきれずに衝動的にカルビィンの胸倉を掴んだ。

「ぐっ!」

 ギリギリと首元を締めてくるジャドにカルビィンは敢えて抗わずに、ジャドのその手にそっと自身の手を乗せた。

「んだよ! なんか言えよ! 抗えよ!」

 癇癪を上げるガキのようだな。

 いつぞやの自分のようだと思いながらカルビィンはジャドの態度にこの前の教会での戦闘での疑問が晴れた。

 レジイナが"後から"ジャドが合流して戦闘に加担したと説明を受けてから何故ジャドは後から合流したのかと疑問に感じていた。だが、少し考えてみれば分かること。

 ジャドはまた俺を見殺しにするつもりだったってことだ。

 カルビィンは自分だけがジャドと和解し合い、本当の意味で仲間になれたと思っていたのが勘違いだったと知って悲しい気持ちになった。

 そして、こちらを殺さんばかりに睨みつつ、何故か困惑したような顔もするジャドにカルビィンはハハッと力なく笑った。

「そっか……。今回も俺を見殺しに出来なくて残念だったってことか……」

 カルビィンのその言葉を聞いてジャドは息を呑んだ。

 気付いていたのか……?

 自身が一度裏切ったことも、そして今回も裏切ろうとしたことを知っていたカルビィンに驚いたジャドはカルビィンを掴む手に少し力を抜いたがすぐに力を再び込め、次に反対の手を握ってカルビィンの顔目掛けて振りかざした——。

 

 

 

「アッカンベー」

「ベロベロバー」

 レジイナとウィルグルは昼飯が入った袋を片手に持ちながら歩く自身達の顔の前で浮遊し、変顔をして見せてくる小人二人から顔を逸らしながら笑いそうになる口をギュッと閉じていた。

 育緑化が小人と話すその姿は側から見れば怪奇現象にでしかならない。

 そのため育緑化の異能者は基本的にはその事を他者には伝えないし、周りに誰かがいれば小人と会話をしないようにしている。

 アジト内ではその事をおおっ広げにしている二人だったが、外ではちゃんとそのルールを守っていた。

 そのルールを知っているにも関わらず、この小人二人は最近、主人である二人を外で笑わそうと悪戯をすることがマイブームになっていた。

「オカシイ、この前はこれでご主人ワラッタのに」

「だけどダメじゃねえか。次はもっとハデなことしようぜ」

 トゲトゲの言葉にレジイナとウィルグルは思わずその足を止めて顔を見合わせた。

 派手なことって何をしでかそうとしてる⁉︎

 これ以上、小人二人の悪戯に付き合ってられないと思った二人は早足になってアジトを目指した。

「オレ様が合図したらゴーだ」

「ラジャー!」

 合図される前にその裏路地に入るぞと、指を差すウィルグルにレジイナはコクッと頷いたその時、「セーノ!」と、トゲトゲの合図が聞こえた。

 合図が早すぎる!

 そう思った瞬間、レジイナの右胸にウィルグルの小人、左胸にトゲトゲがポンッと現れ、ギュッとレジイナの胸を鷲掴んできた。

「ひゅえっ!」

 予想外の刺激にレジイナはその場で声を上げてしまい、周りの通行人に変な目で見られてしまった。

「イエーイ!」

「ダイセイコー!」

 そうハイタッチし合う小人二人の頭をレジイナは額に血管を浮かしながらガシッと掴んで地面に叩きつけた。

「レジイナ、とりあえずこっちこい!」

 これ以上目立ってはいけないと判断したウィルグルはレジイナの腕を引いて裏路地に移動させた。

「イテエ、イテエ!」

「んだよ、ボウリョク反対っ!」

 頭を摩りながらそう批判する小人達にレジイナはポキポキと手指の関節を鳴らしながらキッと睨みつけた。

「ざけんな! グシャグシャに握り潰してやろうかっ!」

 ウガーッと唸るレジイナをウィルグルが「落ち着けって!」と、取り押さえる間に小人二人は「ニゲロー!」と、言いながら一足先にアジトに向かって飛んでいった。

 しかし、牙を出して怒り狂うレジイナを取り押さえながら落ち着かせそうとしていたウィルグルの元に小人達は焦った様子ですぐに戻ってきた。

「てめえら、レジイナが落ち着くまで来んなよ!」

 レジイナを取り押さえるのに必死なウィルグルの言葉を遮るようにパートナーの小人は「そんなことよりタイヘン、タイヘン!」と、声を上げた。

「あんたらの悪戯の方が大変迷惑だっ!」

「ご主人様、本当にヤバいんだっつってんだろ! 加齢臭のオッサンがギンパツの胸倉を掴んで怒鳴ってんだよ!」

 ウィルグルのパートナーの小人の胸元を掴んで「コウだ、コウ!」と、必死に今アジトに起こっている状況をトゲトゲは二人に説明した。

 トゲトゲの言葉にウィルグルと顔を見合わせた後、レジイナは昼飯が入った袋をウィルグルに渡して倍力化を使って急いでアジトに向かった。

 合図無しにアジトの扉を開けるとそこには小人達の言う通り、ジャドが無抵抗のカルビィンの胸倉を掴んでおり、今にも殴りかかろうと拳を上げてるところだった。

 レジイナは咄嗟にカルビィンの前に移動して両手を広げ、ジャドの攻撃からカルビィンを守ろうと立ち塞がった。

 突然、目の前に現れたレジイナにジャドはぶつかる寸前のところで拳を止めて「なっ……」と、声を漏らした。

「なにやってんだよ!」

 その時、レジイナより遅くアジトに戻って来たウィルグルはジャドを羽交締めにしてカルビィンから離した。

「ジャド……、どうして?」

 小人の言う通りに無抵抗であったカルビィンに暴力を振るおうとしたジャドに困惑した顔でレジイナはそう問いかけた。

 しかし、ジャドはウィルグルからの拘束を腕を振って解いた後、顔を逸らしてレジイナからの問いに答えなかった。

「ねえ、答えてよ! なんでカルビィンのことを殴ろうとしたの!」

 黙り込むジャドにレジイナにそう声を荒げた。それにカルビィンは「このことはもういい」と、レジイナの肩に手を置いてそれ以上の追求しないように止めた。

「いい訳ない!」

「いいんだ。お前が怒ることはない」

 先程からジャドの行動を全て受け入れ、何も抵抗しないカルビィンにジャドは怒り、「ザルベーグ国の悪魔がなに偽善ぶってんだ!」と、怒鳴った。

「あ、悪魔って何を言ってんだよ……」

 ジャドらしかぬ荒々しい態度に困惑したウィルグルはそう言い、ジャドから一歩後ろに下がって距離をとった。

「お前さんら二国もこいつのいるザルベーグ国から多大な被害を受けてんだろ。そもそも今まで戦争してきた敵国の奴と今更、仲良く肩組んで仕事するなんておかしい話だとずっと思っていたんだ」

 顎でカルビィンを指してそう言うジャドをレジイナはキッと睨み付けた。

「そんなの、カルビィンが戦争を起こしたわけじゃないじゃない!」

「戦争を起こした国の人間も異能者も同じもんだ!」

「違う!」

「同じだ!」

「違うったら違うっ!」

 はあはあとお互い息を荒くして言い合いした後、レジイナはきゅっと唇を噛んでうるうると涙を目に溜めた。

「カルビィンは、カルビィンの家族や友達も、故郷ごとワープ国との戦争で燃やされたの……」

 震える声でレジイナはそうジャドに伝えた。

 ジャドはその事実を初めて知り、ハッと息を呑んだ。

「か、カルビィンはそれでも、ジャドを悪く言ったことなんてないじゃん……。なんで、ジャドばっかり被害者みたいなことを言っ……」

 そこまで言ったレジイナの口をカルビィンは自身の手で塞いだ。

「レジイナ、お前がそんなこと言わなくていい。俺がいなきゃ済むだけだ」

 そんなカルビィンの行動にレジイナは雲がった声で「ごめんなさい……」と、言って涙を流しながらバッと走り出してアジトから出て行った。それを見たカルビィンはすぐにレジイナの後を追いかけて同じくアジトを出て行った。

 それを見届けていたウィルグルの横でジャドは困惑した顔でフルフルと体を震わせていた。

「そ、そんなこと……」

 知らなかったと、言いかけた口を閉じてジャドも逃げるようにアジトの出口に向かってフラフラと歩き出した。

 残されたウィルグルはどうしたものかと頭を悩まされていた時、ふわふわと浮遊しながらジャドの肩に乗り、ジャドと一緒にアジトの出口へと向かうトゲトゲの頭をウィルグルは掴んで拘束した。

「ヒヨッコイの離せ!」

「おい、お前のご主人が泣いてんだ。どこに行くんだ?」

 レジイナの元から離れることが多く、忠誠心の全くない小人のトゲトゲにウィルグルがそう怒りを表すと、トゲトゲは肩をすくめて「ご主人様にはギンパツがいるだろ?」と、あっけらんかんにそう言って、ジャドの後を追ってアジトから出て行った。

 

 

 

 ——頭がフワフワとし、まともに思考が回らない中、ジャドはゆっくりと歩きながらあてもなく路地裏を歩いていた。

 どうしてもあの娘の夢を見てから情緒不安定になって仕方ないのだ。他者に八つ当たりをしていたることを自覚していたものの、ここまで大事にするつもりはなかったと自分を自分で慰めていた時、ジャドはふと足元にあるタンポポがニョキニョキと大きく成長していく様に気付いて足を止めた。

「トゲトゲか……?」

「ガハッガハッ! セイカイだ」

 可愛いらしいタンポポの花が気味の悪いドス黒い紫色に変化し、ギザギザの歯が生えた花の口からはダラーと黒い涎が垂れていた。

「なんでここにいんだよ」

 ギロッと睨み付けてくるジャドにトゲトゲは「ご主人様にはギンパツが付いてるからよ」と、ウィルグルにした同じ回答を口にした。

「んなこと知るか。なんで、俺に付いて来てんだっつってんだ」

 またあの教会にあった時と同様に説教でもかます気かと身構えたジャドにトゲトゲはニヤアッといやらしく口の端を上げた。

「まあ、オッサンの話を聞いてやろうと思ってよ」

「ケッ、余計なお世話だ」

 トゲトゲの言葉にそう返答したジャドは溜め息を吐きながらその場にしゃがみ込み、腕の中に顔を埋めた。

 側から見たら泣いているようにも見えるその姿にトゲトゲはタンポポの茎に生えている葉でジャドの肩をトントンと叩いた。

 そんなトゲトゲに何故かジャドはレジイナを思わさせられ、うるっと目を潤ませてしまった。

「この前、お前さんは俺に不正解をした自分に後悔して生きていくかと質問した事を覚えているか?」

「ンア? 教会のことか?」

「ああ、そうだ」

 トゲトゲの返答にそう頷いたジャドはハハッと自身を潮笑った。

「もう既に後悔だらけだ。何度も俺は仲間を見捨ててきた…‥」

 もうどう償っても返ってくることない命を何度、奪ってきただろうか。

 ジャドは今まで奪ってきた敵や、敵だけでなく関係のない民間人も殺してきた日々を思い出し、最後にカルビィンの顔を思い浮かべた。

「はあ、もう消えてしまいてえ……」

 もうこんな自分が嫌いだと、殺してしまいたいと思った時、トゲトゲは「デモよお」と、ジャドに声をかけた。

「その分、ジャドは他の人の命もたくさん救ってきたんじゃない?」

 透き通った幼さ残るような聞き覚えのある女の声にハッとしてジャドは俯かせていた顔を上げた。

「れ、レジイナ……?」

「ニテたか?」

 ニヤッとそう言って笑うトゲトゲにジャドはキッと睨みつけた。

「まあまあ。ご主人様は知ってるぜ、オッサンがなんで療治化を会得したのか。それにアンタがギンパツをどう思ってようと、あん時アイツの命を救ったのは事実だ」

 以前、レジイナがしゅんりと名乗っていた時に何故、療治化を会得しようとしたのか聞かれたことがあった。その事を言ってるのかと気付いたジャドは「それは建前だ」と、返答した。

「何よりも大切な救いたい命を亡くした。それを助けれなかった後悔で必死に会得しただけなんだ」

 もう大切な者を失くさぬよう。後悔しないために。

「ソウか」

 その後、二人は会話する事なく、今にも消えてしまいそうなジャドにトゲトゲはそっと寄り添っていた。

 

 

 

 レジイナは当てもなく裏路地を走りながら涙を流し、乱れた呼吸に咳き込みながらその場にしゃがみ込んだ。そして廃墟となったビルの壁を背にして膝を抱いて顔を埋めてひくっひくっと声を抑えて泣いた。

「お姉ちゃん大丈夫……?」

 幼い少年のその声にレジイナは涙で濡れた顔をゆっくりと上げた。

 そこにいたのは三月にしては寒そうな格好をした桃色髪で小麦肌をした少年だった。

 ストリートチルドレンか……?

 それにしては血色の良いその身なりに疑問に思いつつもレジイナは「だ、大丈夫……」と、言ってから再び顔を伏せた。

 そう返答し、すぐ立ち去るだろうと思ったレジイナに反して少年はその場から立ち去ることは無く、レジイナの隣に少年は座り込んだ。

 レジイナはそんな少年の行動に驚いて再び顔を上げた。

「えーと……、上手く言えないけどね」

「……うん」

 心優しい少年なんだろう。自身を慰めようと必死に言葉を選んでいるだろう少年にレジイナはしゃくり上げていた呼吸をゆっくりと整え、涙を止めた。

「"奪われる前に奪え"って知ってる?」

「し、知らない……」

 どこかで聞いたことあるようはフレーズだったが、なんの事を言いたいのか理解できずに首を傾げたレジイナに少年は「何て言いたいかって言うと、えーと」と、困ったように頭を掻いていたかと思えば、バッと顔を上げて急に立ち上がった。

「自分が大切なモノは意地でも自分から逃しちゃダメだよってこと!」

 そう言い捨てて少年はレジイナから走り去って行った。

「ちょっ、ええ……」

 いきなり目の前に現れて去っていくその少年に戸惑って右手を上げたレジイナの手を誰かが後ろから近付いて握ってきた。

「はっ、はっ……、てめえ、全速力で走ってんじゃねえよっ……」

 後ろを振り向くと、そこには息を切らしてレジイナを追いかけて走ってきたカルビィンがいた。

「あ、ご、ごめんなさい……」

 そんなカルビィンにレジイナは無断で過去を喋ってしまったことを悪いと思い、そう謝罪して顔を伏せた。

「……いいよ。俺は心が広いから許してやる」

 そう言ってカルビィンはレジイナの手を握ったまま引いて立ち上がらせた。

 レジイナは恐る恐る顔を見上げると、困った顔で笑うカルビィンが自身を見下ろしていた。

「ほら、ワンコロ帰るぞ。ジャドにちゃんとごめんなさいをしてこい」

「うん……」

 ごめんなさいをしなければならないのはジャドではないかと思いつつ、当の本人であるカルビィンがそれを求めている訳でないなら、これ以上言及してはいけないだろうとレジイナはそう思ってカルビィンに大人しく付いて歩き始めた。 

 レジイナはカルビィンと手を繋いだままアジトに戻り、今度は合図のノックをしてから室内に入った。

 レジイナはカルビィンの背に隠れながら室内を見渡すとイラつきながら足を揺らし、タバコを吸うウィルグルとそのパートナーの小人しかいなかった。

「おい、ジャドは?」

「ああ? 知らね、出て行った」

 ウィルグルが何で怒っているのかと疑問に思いつつ、レジイナは自身のパートナーであるトゲトゲがどこにいるか部屋内を見渡して探し始めた。

「レジイナ、トゲトゲはいねえぞ」

「え?」

 ウィルグルのその言葉に首を傾げるレジイナに「あんなやつ切れ。てめえじゃなく、ジャドについて行きやがった」と、ウィルグルは先程から自身が怒っていた理由を話した。

「そう……」

 ウィルグルに反してレジイナはトゲトゲが入ればジャドは大丈夫かと安心していた。

「今日はこんなんじゃ何もできねえな」

 カルビィンは溜め息を吐きながら仕事どころではないと二人に同意を求めた。

「そうだな。俺は残っとく。カルビィンとレジイナは今日は帰ったらどうだ?」

 レジイナはそんな二人の会話を聞きながら、脚が一つ取れているユニコーンの椅子を見ながら「分かった」と、返事した。

「俺もそうさせてもらおうかな」

 スッと、レジイナの視線の先にあるユニコーンの椅子の前に立って、視線を遮りながらカルビィンもウィルグルの提案に同意した。

「じゃあ、帰るね……」

 椅子から視線を外してレジイナはウィルグルの提案に甘えて自宅に戻った。

 レジイナは自宅に着いてすぐに流し台に向かって換気扇を付け、タバコに火を付けた。フーッと煙を吐きながらふと無造作に置かれた時計に目がいった。

 それは昨日、突然レジイナに死ねと宣告してきたワープ国のジャドの元部下であるシリル補佐から強奪した時計だった。

 シリル補佐から強奪したお金と金目の物はウィルグル、カルビィンとレジイナの三人で山分けしており、時計はその中の一つだった。

 確か、この時計だけは返しくれとしつこかったな。

 シリル補佐の言動を思い出し、レジイナはその時計をポケットに直し、タバコを口に咥えながら再び外に出向いた。

 

 

 

 ブラッドは片手に色とりどりのチューリップの花束を持ちながらとある場所に向かって歩いていた。

 もうすぐ到着するという時、突然ある人物が目の前に降り立った。

「うお! レジイナ、いきなり目の前に降りてくんなよ」

 びっくりするだろがと文句を言いながら、誰かに見られていないか周りを見渡すブラッドにレジイナはポケットからシリル補佐から奪った時計を見せた。

「これ、どれくらいの値段の物か分かんないけど、すごい価値があると思うの」

「え? ああ、あの補佐さんのか」

 だからどうしたんだと顔を顰めるブラッドを真っ直ぐにレジイナは見た。

 相変わらず可愛い奴だなと思いながらブラッドは嫌な予感がしていた。

「報酬はこれでジャドの事を調べてくれないかな」

 レジイナが上から降ってきた時点で何か嫌な予感はしてたと思っていたブラッドは「はあ」と、大きな溜め息を吐いた。

「そんなことしたら俺の首が吹っ飛ぶから無理だ」

「お願い、早急に知りたいの」

「……理由は?」

 あまりにもレジイナの真剣な様子にブラッドは半ば折れつつ理由を問うた。

 レジイナは先程あったジャドとカルビィンが衝突した事を説明した。

「このままだと四人バラバラになるし、下手したらジャドはカルビィンを殺すかもしれない」

「こ、殺しはしねえだろ……」

 なんともおっかないことを言うなと思いつつ、暗殺部からどちらかが抜ける可能性は高いだろうなとも思った。

「……自分が大切なモノは意地でも自分から逃しちゃダメなの」

 先程、少年から教えてもらった言葉をそのまま言い、再度レジイナは真っ直ぐに懇願するようにブラッドを見つめた。

「ずりいぞ、その顔は……」

 ブラッドは困ったなと頭を掻いて「分かった、協力はする。あくまで協力だ」と、返事した。

「ありがとう!」

 ぱあっと顔を明るくするレジイナにぎゅっと心臓が締まる感覚がしながらブラッドは「少しここで待て」と、言ってから急いでチューリップの花束を片手に目の前にある建物に向かって走り出した。

 チューリップ?

 レジイナは首を傾げながら目の前にある建物、病院に入っていくブラッドの後ろ姿を見つめていた。

 そして、十分程してから息を切らしてブラッドはレジイナの元に戻ってきた。

「お見舞い?」

「詮索するようなら協力はしねえ」

「ご、ごめんって」

 キッと睨んでくるブラッドに焦って謝罪し、レジイナは歩き出したブラッドの背を追って歩き出した。ブラッドは病院の裏側に回り、マンホールの蓋を開けた。

「入れ」

「分かった」

 レジイナは周りを見渡してからマンホールの下、下水道にスタッと降り立った。それを見届けたブラッドは梯子に足をかけながら器用にマンホールの蓋を閉め、レジイナに続いて下水道に降り立った。

 ブラッドの案内でレジイナは黙々と歩き、夕刻になった頃、数時間振りに二人は下水道から地上に出た。

 そこはアサランド国では見慣れた寂れた街並みの風景で、夕陽が街を照らして不気味な雰囲気が漂っていた。

 その後、三十分程歩いて着いたのはそこだけガヤガヤと賑やかな古びた建物の居酒屋だった。

 ブラッドはそこに入り、店内を見渡してからある人物の目の前に座った。

「よお」

「久々じゃねえか。なんだ、ネタ探しか?」

 鼻を真っ赤にし、酒の匂いをプンプンと漂う髭面の中年男は手の中にあるウィスキーをグイッと飲んだ。

「今回は客の紹介だ。おい、座れよ」

 ブラッドはレジイナが座りやすいように横にある椅子を少しズラした。

「おお、べっぴんな嬢ちゃんじゃねえか! なんだ、俺に女を紹介してくれんのか?」

「ちげえよ、あんたの情報を買いに来たんだよ」

 自身を性的な目で見てくる中年男をレジイナは睨みながらブラッドの言う通りに椅子に座り、ブラッドの次の言葉を待った。

「このおっさんはワープ国のお前の元同僚だ。ちなみにここにいる奴らはほとんどその類いの奴らだ」

「成る程ね」

 タレンティポリスの中には理由は様々だが、人間に存在が知られたり、危害を加えてしまい、アサランド国に逃げるしかなくなった者がいる。

 以前、レジイナが戦闘したことあるフリップもそうだったし、レジイナ自身もそうなっていてもおかしくなかったと悲しい気持ちになった。

「同情なんていらねえぞ。それより何の情報が欲しいのかと、支払い方法を聞こうか」

 ニヤッと笑いかけてくる中年男にレジイナはブラッドに報酬を支払うことしか考えておらず、この情報屋の男に支払う金がないことに気が付いた。

「ほ、報酬っすか……」

 ハハッと笑うレジイナに機嫌悪くしたように片眉を上げた中年男にブラッドは「時計あんだろ」と、レジイナに声をかけた。

「時計? 金じゃねえのかよ」

「価値のあるもんだと思うぜ。見せろ」

「これです……」

 ドギマギしながら出したその時計を見て男は驚いたように目を見開いた。

「おいおい、価値のあるとか云々のレベルじゃねえぞ」

 そう言って男はキラキラした顔で「てめえらも来いよ」と、店内にいた同じく元同僚の男二人を呼んだ。

「見ろよ、これあのブランドの十個しかねえ限定品だったよな?」

「ああ、そうだぜ! 久々に見たなー。あいつが付けてたよな」

「そうそう、シリルだろ? あんたのボスのジャド総括様から昇進祝いに貰ったとかで、よく俺らに見せびらかしてたな」

「嬢ちゃん、よくこんなレア物を持ってきたな。どこで手に入れたんだ?」

 まさかそんな貴重な物だったのかと、ジャドからのプレゼントだった物を奪った事を知ったレジイナは胸を痛めつつ、「き、企業秘密で」と、苦笑いをした。

「まあ、そこはお互い知られたくないことだろうし詮索しねえよ。で、何が知りたい? こんな素晴らしい物をくれんだ、なんでも教えてやるぜ」

 元同僚である男三人を一人ずつ見てからレジイナは「ジャド・ベルナールの知っていること全て」と、告げた。

「ほお、面白い」

 酒で鼻を真っ赤に染めた男はニヤッと口の端を上げていやらしく笑った——。

 

 

 

 ジャドは赤く腫れた自身の頬を撫でながら自室のソファに座ってタバコを吸っていた。

 自室でそう油断しきっていた時、突然ベランダからガタッと物音が聞こえ、ドアを揺らされたかと思えば風で揺れるカーテンの隙間からある人物が現れた。

 ここは玄関じゃねえぞ。

 そう言おうとした時その人物、レジイナは真剣な顔で「私、メアリーに似てる?」と、第一声でそう問うてきた。

「なっ、どこでそれを……!」

 口からタバコを落とし、ソファから立ち上がったジャドに近付いてレジイナはタバコを拾って灰皿に押し付けて火を消した。

「調べたの」

「調べた云々のレベルじゃねえだろ。その事は一部の奴にしか言ってねえぞ」

 ジャドは亡くなった娘の存在自体をワープ国にはあえて伝えていなかった。

 このことを知ってるのはシリルと……。

「あいつか……」

 はあ、と溜め息をついてソファに力なく座りながらジャドは思い当たる人物を一人思い出した。

 十年ほど前。アサランド国に任務に向かった際、古い同僚の男が誤って民間人を殺してしまった。敵によって盾にされてしまい、仕方がないと言えば仕方なかったのだが、そんなこと自国が許す訳なく、ジャドはそのまま男をアサランド国に潜伏させて逃したのだ。

 恩を仇にされるっつーのはこういうことか。

 元同僚を恨めしく思いながら、どうやってレジイナがその男と会えたのか考え、ブラッドだろうなとすぐに検討がついた。

「私が自分でその人に会って金を払った」

 ジャドの考えを知ってか知らずか、レジイナはブラッドとあの中年男は悪くないとそう伝えた。

「怒りたければ怒ればいいし、私を撃ちたかったら撃てばいい」

「お前さん、俺がそんなことできねえって分かって言ってんだろ」

 ずるい娘だな。

 フッとジャドは自笑するように笑い、レジイナに自身の隣に座るようにソファをポンポンと軽く叩いた。

 レジイナは無言で言う通りにソファに座り、ジャドの腫れた頬に手をやった。

 じんわりと温かい感覚がし、ジャドはその手を掴んで降ろさせた。

「いい、治すな」

「なんで? すごく痛そう」

 レジイナ自身が痛むのかと問いたくなるくらい顔を歪めるその様子にジャドは「これは俺のけじめだ。きちんと受ける必要があんだよ」と、あの後あった事を思い出した。

 レジイナが自宅に戻ってすぐ、ジャドの意思を無視してタンポポに変化したトゲトゲに無理矢理に引きずられながらアジトに戻されてしまっていた。

 そして、トゲトゲはその場にまだいたカルビィンと無理矢理にアジトに戻したジャドにある提案をした。

「オタガイ言いたいことも、もう取り返しのつかないことも沢山アルだろうよ。ここはとことんナットクいくまでナグリ合うのが得策だとオレ様は提案するぜ」

 なんとも馬鹿げた提案にジャドは最初否定していたが、カルビィンは「シンプルで良い案だな」と、言ってからすぐにジャドの顔を殴った。

 それからはお互い最初は罵し合いながら殴り合っていたのが最後は笑顔で殴り合い、なんとも奇妙な時間を過ごした。

 そんなことわざわざ説明する必要もないだろうと思ったジャドはレジイナに気にする事はないと伝えた。

 痛々しい顔で微笑むジャドに不思議に思いながらレジイナはそれ以上聞くことはなく、中年男から買った情報をジャドに伝えた。

「主に聞いたのは二つ」

「一つはメアリーか?」

「うん……。敵から狙われないようにあえて家族の存在を隠してたんだよね?」

「だが、結局は殺された」

 暗い顔をしながらジャドはメアリーとその母親について話し始めた。

「メアリーの母親、まあ俺からしたら籍は入れてねえが妻だな。俺がこんな仕事をしていることも知っていたし、理解してくれていたもんでな、ワープ国の中央にある比較的安全な街に娘と二人で暮らさせていたんだ。俺はあえて違う所に住んで、暇あればそこに出向いていた」

 妻とメアリーと過ごした幸せな日々を思い出しながらジャドはレジイナを見つめた。

「その街にザルベーグ国軍が乗り込んできた」

 レジイナは顔を俯かせ、ぎゅっと膝の上に置いた手を握った。

「丁度そん時、俺はザルベーグ国に潜伏してて間に合わなかったんだ」

 メアリーはその時五歳であり、生きていれば丁度レジイナと同じ年齢だった。

「気を悪くするかもしれねえが、俺はお前さんと娘を重ね合わせてしまっていた。すまなかった」

 そう言った途端、ハラハラと涙を流してレジイナは泣き始めた。

「じゃ、じゃど、わ、私なにも知らないで、ごめんなさいっ……」

 レジイナの謝罪にジャドは困ったように笑い、「本当にお前さんは泣き虫だな」と、レジイナをそっと抱きしめて背中をさすった。

 

 

 

「ジャドー! 見て見て、出来てるでしょ!」

 自慢げにそう言って、タバコの煙から手の形を作り上げたレジイナ。

「すごい、すごい」

「えへへー」

 ——レジイナと過ごした時間をジャドは思い出していた。

「ジャド、ありがとう!」

 クリスマスにあげたユニコーンの椅子に乗りながらそう言うレジイナ。

「ねえねえ、なんでバイクばっかいじるの?」

 不思議に思ったことをなんでも質問するレジイナ。

「ヤダー! 帰りたくないの、帰りたくないからサインしてっ!」

 母国に帰りたくないからとサインをねだるレジイナ。

「もう、ジャドとご飯食べに行ってやんないんだから」

 拗ねたようにそう言うレジイナ。

「ジャド……、ごめんなさい」

 素直に自身の誤りを謝るレジイナ。

「パパー!」

 自身をパパと呼んで微笑むレジイナ。

 ああ、なんて愛おしいのだろうか。

 もう二度と"娘"を殺させやしない。

 

 

 

 泣き続けるレジイナを慰め続けていたジャドはもう一つ自身の事を聞いたという事項が気になって質問をした。

「うっ……、ごめんなさい、ごめんなさいっ……!」

 質問すると更に声を上げて泣き始めるレジイナにジャドは困ったよう笑い、「もう十九歳になったんだから、そろそろ泣き止みなさい」と、まるで本当の父親のように頭を撫でてレジイナに優しく微笑んだ。

 ひっくひっくと、しゃくり上げながらレジイナは深呼吸を繰り返してなんとか呼吸を整えた。

「ぶ、ブルースホテルのこと……」

 そう小さい声で返事したレジイナにジャドは「だろうと思ったぜ」と、言ってハハッと笑った。

 当時しゅんりと名乗っていたレジイナは仲間が人間に能力を使っているところを知られまいと、能力を人間の目の前で使用し、かつド派手な方法を使って爆弾の処理をした。

 その様子を動画に撮られ、警察や軍隊がレジイナの捕獲、そして場合によれば殺害するよう指示を受けて総動員で動き始め、大火傷を覆った幼い彼女がそんな状態で逃げ切れるわけがないことは誰が見ても一目瞭然だった。

 ジャドはハングライダーで逃げるレジイナを追いかけ、かつ発砲しようとしたヘリコプター全てを武操化を使って、使用できないように細工した。

 そしてタバコの煙を周囲に充満させてパトカーの動きを止めてレジイナが逃げる時間を稼いだのだった。

 人間に見られないようしたが、そんな大ががりなことをできるのはジャドしかいないとすぐに知られ、ジャドはそのまま帰国することを許されず、暗殺部へ左遷させられてしまった。

 ウィンドリン国でのブリッド達の改革、そして部下であるシリル補佐のおかげで死刑は免れたものの、いつ死刑にされてもおかしくない状況だった。

 そして、レジイナを狙っていたのは軍や警察だけではない。あの時の生き残りと計画を知っていたエアオールベンクズもレジイナを殺して始末しようと動いていた。計画を台無しに、かつあの身のこなしをする少女を生かしていれば将来、自分達の邪魔をするだろうとの判断だった。

 ジャドは暗殺部に入ってすぐ、後悔やショックの気持ちなどに打ちひしがれる暇なく、アサランド国に逃した元同僚をすぐに見つけて、レジイナを狙う敵を全て抹殺した。

 それを中年男から聞いた時、レジイナは自分のせいで総括という役職を剥奪され、かつ今までレジイナのことを思って行動してくれていたジャドを思い、あまりのショックでその場で動けずにいた。

 隣で聞いていたブラッドはブルースホテルのヒーローの正体の噂の一つに武操化の中年男が爆弾処理をしたとウィルグルが言っていたが、それはジャドの事を指していたのかと一人で納得していた。

 レジイナとは違って他にも色々とジャドの事を聞き出し、弱味を握ってやろうと思っていたブラッドだったが、あまりにもショックを受けて動けずにいるレジイナの様子を見て早々に居酒屋を後にした。

 ふらふらと力なく歩くレジイナをそっと支えながらブラッドは行きとは違うルートですぐに地上に出て、タクシーを拾ってアジト付近まで送った。

 その後レジイナはアジトに顔を出さずに、居ても立っても居られずにその足でジャドの元へと向かったのだった。

 なんて懺悔すればいいか分からずに顔を俯かせ、目を真っ赤に染めたレジイナの目をジャドはそっと撫でた。

「だから知ろうとすんなって忠告したのに」

 レジイナがこの事を知ればショックを受けるだろうし、泣き虫なこの娘が泣くなんてこと容易に想像していたジャドは困ったようにそう言い、次にレジイナの両頬を摘んだ。

「い、いひゃいよ……」

 抵抗することなく困惑した顔で見上げるレジイナにジャドは手を離してから、その額にちゅっと口付けを落とした。

「たくっ、お前さんは手のかかる娘だぜ」

 ジャドから"娘"だと言われてレジイナの胸の中にほんわかと温かい何かが溢れてきた。

「うん……」

 そう小さく返事してレジイナはジャドの胸元に顔を埋めてクウン、クウンとまるで犬が甘えるように喉を鳴らした。

 獣化が意識せずに出ている。とんでもなく心配させちまったってことか。

 レジイナのその様子にジャドは自身の行動を反省しつつ、レジイナが満足するまでギュッと抱きしめ続けたのだった。

 

 

 

 ——夕刻時。

 ブラッドはレジイナと約束した時間より三十分程早めにアジトに顔を出した。

 いつもの合図のノックをして扉を開くと、「お願いします、お金を貸してくださいっ!」と、床に座って額を床に擦り付け、暗殺部の仲間である三人に土下座をするレジイナが目に入った。

「はっ!」

 ブラッドの存在に気付いたレジイナはバッと顔を上げて汗をダラダラと流し始めた。

「あははっ、ブラッドさん。お早いですね」

 いつも自身をさん付けなどしないレジイナにブラッドは「おう」と、返事して困った顔をする三人に目をやった。

「金ないのにブラッドに協力を頼んだのか、てめえ」

 呆れながらそう言って腕を組んでレジイナを見下ろしたウィルグルは「呆れた」と、一言付け加えた。

「いや、あった、あったんだけども……!」

 ブラッドに払う予定だった時計を中年男に払わなければいけなくなった予想外の状況を説明しようとして、レジイナはすぐに口を閉じた。今、優先すべきことは金を用意することであり、その事を弁解する余裕はないと思ったからだ。

「お願い! ウィルグル、貸して!」

 必死な形相をして頼むレジイナにウィルグルは「やだね」と、一蹴りした。

「そんなあ! じゃあジャド、少しだけでいい、少し! 増やすから貸して!」

「なんで、俺のこと調べ上げた奴に金を貸さなならねえんだよ。それに増やすってまたカジノに行くつもりか?」

 眉を寄せてそう見下ろしてくるジャドにレジイナはガッツポーズをし、もちろんと返事した。

「増やすの!」

「バッカ! てめえ、そんなこと言ってまだカルビィンに金を返してねえだろ!」

 レジイナはその事実にうっ、と思いながら「ジャドのは返した!」と、何故か強気に反論した。

「それは俺があん時バカな賭けする前に止めたから返せたんだよ!」

「お前、運は良いのに大穴を狙おうとするから負けんだよ、少しは学習しろよ」

 レジイナの悪い癖は自身が運が良いことを過信しすぎて大穴を目指して確率を低いところを狙い、大負けするとこだった。

 何度も賭け事なんてやめろと注意してもやめないレジイナを心配して付いて行ったジャドは、無茶なやり方を賭けをするレジイナをついこの間、負ける寸前で止めたばかりだった。

 カルビィンも傷だらけの自身の頬を人差し指で掻きながらジャドの意見に同意して呆れたようにそう言い、あのカジノでの作戦のせいでレジイナが賭けにハマってしまったのは自分のせいでもあるかもしれないとカルビィンは少しだけ反省していた。

「か、カルビィン!」

 ウィルグル、ジャドとダメならと、次にまだお金を返しきれてないカルビィンにレジイナは声をかけた。

「お願い、本当にお願い! お金を貸して! 絶対、絶対に返すからっ!」

「カルビィン、ダメだぞ」

「甘やかすな、こんなバカ」

 再び頭を床につけて土下座をするレジイナにカルビィンが財布に手を伸ばそうとしたのをジャドとウィルグルから制止の言葉がかかった。

 そう止める二人にレジイナは舌打ちをしてからカルビィンを上目遣いで見て「お願い、カルビィン……」と、両手を胸の前に組んで、自身が思う特上に可愛い顔をしてお願いした。

 うっ、そんな顔、反則だぜ……。

 レジイナに惚れているカルビィンはその可愛いらしいおねだりに負けて金を貸すことを決めたが、ただ貸すだけでは癪というもの。一つ条件を付けようと決め、レジイナの前に移動して同じ目線になるようにその場にしゃがんだ。

「いいぜ。いくらでも貸してやる」

「本当!?」

 やったーと両手を上げて喜ぶレジイナの両手をカルビィンはぎゅっと指を絡めて握った。

「ただし、俺とデートしてくれたらだ」

「で、でえと……?」

 初めて聞いた単語のように"デート"と反復したレジイナの手をぎゅっぎゅっとカルビィンは少し力を入れて握った。

「か、カルビィン、手、手!」

 ポンッと顔を赤くして状況を理解してきたレジイナは恥ずかしそうにそう言った。

「手? 手なんか繋いだことあんだろ?」

 ニコッと笑うカルビィンにレジイナは不覚にもドキドキと胸が高鳴り、そしてパニックになった。

 そういえば昨日、手を繋いで歩いてたな!

 そういえばハグなんて最近よくしてきてたし!

 そういえばカルビィンってば私のこと好きって言ってたっけ!

 そういえば、そういえば、そういえば!

 ぐわんぐわんと思考がぐちゃぐちゃになるレジイナの傍らでジャドは「二十二時までにはここに戻ってこい」と、ウィルグルが呆れる横で謎の門限をカルビィンに伝えていた。

 それを全て横で見ていたブラッドはカルビィンをキッと今にも殴りかかりそうな勢いで睨んだ。そして、顔を真っ赤にして茹で蛸状態のレジイナの腕を引いて無理矢理に立ち上がらせ、カルビィンと離れさせた。

「ふえ?」

「お代は金じゃなく、今回はこれでいいぜ」

 そう言ってブラッドは隙だらけのレジイナの後頭部に手をやって顔を近付け、そのままレジイナの唇に口付けを落とした。

 ちゅうっとわざとリップ音を鳴らしながら口を離したブラッドは「ごちそうさん」と、言って自身の唇をピアスを開けた舌で舐めながらカルビィンに見せつけた。

「ワオ」

「ヒュー」

 事態を理解出来ずに固まるカルビィンと放心状態のレジイナと違って、ジャドとウィルグルはブラッドのキスにそう声を漏らし、口笛を吹いた。

「てめえ、レジイナになんてことすんだ!」

 やっと状況を理解したカルビィンは服の裾でゴシゴシとレジイナの唇を拭いてからブラッドに掴みかかった。

「なんだよ、むしろ感謝して欲しいぜ。こんなじゃじゃ馬娘の子守りをして金を貸すなんて面倒をしなくて良くなったんだ」

「てめえ、わざとだろ!」

「わざと以外に何があんだよ」

 そう言い合いする二人の横でレジイナは魂が抜けたようにその場に突っ立っていたが、少しずつ状況を掴んできたのか、フルフルと拳を握って体を震わせた。

「な、な、なっ!」

 やっと声を出したと思い、一同レジイナに顔をやると、怒りに顔を真っ赤に染めていた。

「何してくれてんだ、ごらあっー!」

 

 

 

 大声でそう叫ぶレジイナを一部始終を見ていたトゲトゲは「ガハッガハッ」と、嬉しそうに部屋の隅で笑っていた——。

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